市川よみうり連載企画

元市川市教育長最首 輝夫

  昨年8月、市川を去ることになったが、こちら(長野県穂高町)に来てから不思議なことに、市川の皆様とはむしろその絆が強まったように感じられる。市川で過ごした四十六年間が無駄ではなかったようである。折りしも市川市民に最も身近なメディアである「市川よみうり」から、教育について書いてみないかとのおさそいがあった。寝耳に水であったが、何にもましての喜びは、約半世紀の間、陰になり日向になって私を育ててくださった、多くの市民の皆様に直接、本音でメッセージが送れるということである。はたしてこれからどうなるやら自分でもわからないが、感じたままを思う存分書こうと考えている。  

今の時点では、教育の本質に足場を置きその時々の話題を織り交ぜながら教育環境(人間形成に影響を与える人、自然、文化、伝統、価値観などの環境)に視点を当て、ここ穂高の子供と地域社会・学校・行政などの取材を通してリポートしてみようと思っている。 
具体的には教育とは何か、社会の変化と教育、子供の心と親の願い、行政・学校・地域の役割、子供の自主・自立性、これからの学力と学校週五日制、求められている日本人の創造性などなど取り上げればきりがない。時には少々理屈っぽくなったり厳しい指摘をすることになるかもしれないが、子供の健全で豊かな成長・発達を願い、来るべき社会で誰もが精いっぱい能力を発揮でき幸せな一生を送れるように教育とか人生を考えるきっかけにしていただけたらうれしい。

プロローグが長くなり、本題に入れそうにもないので次回の予告をしておこうと思う。 それは何といっても時の話題、新しい教育課程(学校の教育内容の全体計画)と学校週五日制の完全実施である。これによってどんな日本人をめざそうとしているのか、そのために学校はどう変わるのか、地域社会の教育力・役割がどれほど重視されるのか、親としてどう対応すればよいのかなど、知りえなければならないこと、考えなければならないことが山積みしているはずである。
長野県と各市町村は今年を教育年として行政・学校・地域一体でキャンペーンを繰り広げている。県広報、町広報の3月号で学校週五日制を特集、保護者と地域に向けPRをしている。早くも教育県といわれる長野の一面を見たようであるが、この時期としては当然のことと言えよう。改革をするとき最低限必要なことは正しく、わかり易く、繰り返し説明責任を果たすべきであるから。
(2002年5月4日)

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日本教育史に残る教育改革

   とにもかくにも、完全学校週五日制がスタートした。日本の教育制度としては画期的な改革である。それだけに、ここに至るまでに十数年の年月と多くの論議、そして試行や調査が重ねられてきた。国や地方で叫ばれている構造改革に代表される諸改革に比べれば、早い実現であるかもしれない。しかし、この改革の原点は昭和46年の中教審答申であるから、結果的には31年もかかったことになる。

 とはいうものの、一応これで、日本教育史に残る教育改革が達成されたことになる。最も喜んでいるのは子供たちであろう。そして五日制の趣旨をすべての大人たちが理解し、対応を間違えなければ、これからの子供たちは豊かな人間性を自ら育み、生きる力を身につけていくことになるはずである。子供の立場に立てる大人かそうでないかで、学校週五日制が子供のものになるかどうかが決まってくる。
 もう一歩踏み込んでいえば「子供を育てる」のか「子供は育つ」のか、どちらの考えに立つかである。私自身は周りの大人たちに大事にされながら、豊かな人と自然に囲まれて育ったと思っている。そのこともあってかいまでも子供は「育つ」そして「学ぶ」(「教える」ではなく)ものであると確信している。それは、育つ、学ぶはあくまで主体的なものであると考えるからである。

 育てよう、教えようとすれば、きゅうくつとなり、時代に合わない価値観を大人が強制することにもなりかねない。その責任は誰がとるのか。子供自身がそれを背負って一生を歩むことになるのである。その好例が「学力」の問題であろう。こともあろうに文科省が学校五日制実施直前に「学びのすすめ」なるものを突然出してきたことには驚いた。
 これまでの学力観は、日本の経済成長を支えるための、知識偏重であったことは、いなめない。その弊害はことのほか大きく、子供たちの心をむしばみ、次々と問題を引き起こした。これにいち早く気づき対処しようとしたのが前述の「幻の四六答申」といわれるものだが、時は高度成長の真っ直中、完全に社会は無視したのである。このような経過を忘れていま、旧学力観を想起させる学力低下論を再燃させ、混乱を呼び起こすようなことは理解できない。

 学力観は時代の変化を映すものであることは、改めていうまでもない。いまで言う「学力」は一連の教育改革の過程で1983年、これからの学力として「自己教育力」が強調され「新しい学力観」そして「生きる力」と名称こそ変わったがその内容は知識中心の学力観から脱却していたはずである。
(2002年5月18日)

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学ぶ意欲の低位が深刻な問題

 私が最後に担任をしたクラスのN君から、写真入りで励ましのメッセージが届いた。卒業以来23年ぶりであるが、いくつになっても教え子からの便りは最高のものであり、久しぶりに胸があつくなった。

 さて、前回ふれた学力について少しだけ踏み込んでみよう。
 広い意味でいう学力は学習によって獲得した力であり学習は主体的なもので、学習の場は家庭・地域・学校のすべてである。狭い意味では、学校の授業で得た力ということになる。さらに基礎学力となると、いわゆる読み書き計算であるが、近年は社会の要請から表現力や情報活用能力・コンピューターリテラシーの基礎などが含まれる。
 実は、この3種類の学力が、ごっちゃになっていまだに学力低下論をくすぶらせているように思えてならない。そもそも広義の学力(これを、学力と考えることが混乱のもととなっている)すべてを学校教育で身につけることは不可能である。なかでも他人との協調、思いやり、感動する心など豊かな人間性に至っては、学校教育だけでは育てられない幼児から児童期半ば頃までに基礎的発達をとげるものであるから、学校教育がすべて、とはなれないのである。

 また創造力にしても学校教育だけでは育てられない。何が育てるか、それは「遊び」である。子供は遊びをとおして創造性や自主性、社会性を身につける。このことは定説であり、ヨーロッパでは1930年代から「遊び」の重要性が認識され各種の施策や活動が行われてきたという。さらに創造力を育てるには自由と自主性も大切である。
 もうひとつ学力論議にIEA(国際教育到達度評価学会)の学力調査結果がしばしば引き合いにだされる。
 日本の場合、数学・理科などは38か国中上位にあるが、学ぶ意欲は低位だという。このほうが深刻な問題である。学習の目的と意欲を失った子供たちにこれまでどおり、受験のための知識を特化して、勉強意欲を引き出そうとしても無理ではないか。
 なぜならば、社会は確実に変化していることを子供たちは、大人以上に感じているからである。

 現実には偏差値信仰、学歴偏重社会がかなりの部分で崩壊し、そのスピードも加速されていることは、周知のとおりである。進学の合否から、会社の採用に至るまで、知識中心、学歴よりも人物・創造性・意欲などを重視し始めている。このような時代にあっての学力をどう考え、何を身につけさせていくべきかを、すべての大人が、真剣に考える時がきているように思えるのである。
(2002年6月1日)

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省略文化の表れ「子育て」

 新緑に郭公の鳴き声。のどかな風景である。ところが、家の近くの電線で毎日のように鳴かれているうちに、なぜか人間の子供の育ちが気になってきた。郭公は卵を他の鳥の巣に生む習性があるため、狡い鳥として笑われていたように思う。

 ある日、「人間もあの郭公に似てきたなあ」という近所の人の言葉を聞き、はっとした。そう言われてみれば、子供を育てることは子供の一生を左右するだけでなく、社会の発展や人類の発達にまでかかわる重要なことであるということを忘れているように思える。うがった見方をするならば便利さだけを追求し、面倒なことは省略する、いわゆる省略文化が横行する中で、子供を育てることさえ「子育て」という省略語にしてしまっていることからも、そういえないだろうか。
 人間は教育によってのみ人間になることができるといわれる。その教育を省略することは、人間になれないことになりはしないか。その兆しが表れていると専門家は指摘する。例えば、日本の子供の脳機能が未熟化し、状況判断能力とか自己コントロールの低下がおこっている。これは前頭葉の成熟の遅れを示すものである。人間は、幼児期から児童期にかけての生活が思考力、創造力など知的分野と思いやりなど情意分野の調和的発達をさせ、人間の基礎が身につくといわれることは、ペスタロッチの「生活が陶冶する」という言葉で世界的に知られている。

 もともとヒトは他の動物と異なり自立する(大人になる)のに長い年月をかけ、必要とする資質能力をすべて教育によって獲得するようになっているという。従って誕生から成人するまでの教育が、その発達課題解決にふさわしい環境でなければならないのである。子供が人間形成をする上で重要なことは、人と自然が豊かな必要がある。そして家庭での親の愛の体験に基礎を置き、家族や地域の多くの人間関係、自然への直接体験がかかせない。抽象的な知識教育や道徳教育では決して陶冶できないのである。

 近年、日本人の幼児化が話題になっている。専門用語で幼形成熟というらしいが、人間的に未熟のまま大人になった人間とでもいうのだろうか。幼児化とは幼児のみ許される特性をもっているということで、すべてにおいて自己中心的である。子供を含めた若者たちのさまざまな行為は、大人の自己中心的な生き方への警告だとも言われる。子供は大人社会を映す鏡であるならば、大人社会が子供によって問われていることになる。
 そんなこんな考えていると、郭公の時折発するケケケという鳴き声が、人間を笑っているように思えてくる。
(2002年6月15日)

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人間形成に欠かせない出会い

 天満敦子と深沢亮子のジョイントコンサートを聴きに行った。以前、あるテレビ番組で天満さんの無伴奏バイオリン演奏を聴いた時の、えもいわれぬ感動が忘れられないでいた。最近、安曇野の自然を背景に尺八の音に酔いしれる機会が得られたが、その時も同じような感動があった。音楽など全くわからない自分の心をこれほどまでにゆさぶるものは、いったい何なのか。今回、その謎が少しとけたような気がしてきた。よく演奏は楽器でその人の想いを語る心の表現だと言われる。だから、楽器というのは弾く人の音になるという。従ってこの二つの音との出会いは、それぞれの人の心との出会いであり、その人の生き方、人間性に感動したといえるのではないか。

 このように考えてくるとどうしても、その人そのものを知りたくなってくるものであるが、名器ストラディヴァリウスを一見無造作に片手でぶらさげて、すべてに飾らない姿やピアニストへの心づかい、トークから謙虚さがにじみでていて、完成度の高い豊かな人間性を感じさせる。尺八奏者のM氏がこれに重なる。幸運にも、著書『わが心の歌』をサインと握手のサービス付きで手に入れることができた。一気に読んだ。彼女の人間性を育てた出会いがぎっしりとつまっている。中でも両親との出会いは胸を打つ。それは、彼女の人間形成の原点である。

 人生は旅にたとえられる。旅には必ず出会いがある。それは、人であり・自然であり・文化である。それぞれの出会いを残らず自分の人間形成の糧とできれば、必ずや豊かな人間性を育むことになるであろう。そうなれば、幼児化なんて考えられないはずなのだ。
 しかし、現実はそうはいかない。余りにも出会いが少なく、しかも貧しい。好奇心の強い子供時代に、できるだけたくさんの出会いの場や機会を用意することは、人間形成に欠かせない。ただし大人の価値観で選別することだけはさけたい。良し悪しは、子供自らの判断にゆだねればよい。その出会いの経験が、生きていく上で本物を見極める眼力や、失敗や挫折を乗り越える力になる。大切なことは、どんな出会いも受け入れられる心の軟らかさ、謙虚さをもち続けさせることである。おごりの心の芽生えは、その後の心の成長を止める。

 私自身、多くの出会いに育てられてきた。穂高での出会いは、考えていた以上に多く、市川・浦安市民の方々との新しい出会いも加わり夢が広がる。これからも、この恵まれた出会い(自然・文化を含めた)を大切に、少しでも自分を豊かにしていきたい。出会いは教育なり。
(2002年7月6日)

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社会の幼児化に危機感

 穂高は地域活動の盛んなところである。どの活動にも必ず子供の姿がある。市川でいうナーチャリングコミュニティ(子供を養育する地域社会)が、自然な形で存在している。ある活動後の懇親バーベキュー。ここにも当然のように子供たちがいた。これは、大人たちが子供を大事に育てていることの表れで、子供の人間形成に地域がいかに重要であるかという、教育の原理を知っているからである。そのバーベキューで、日本人の幼児化が話題となった。子供への影響が心配であり、将来が不安になるというのだ。こういう話題がでること自体、地域の教育環境が健全であり、子供が愛されている証である。
 幼児化とは何か。これについては前々回その概略を書いたが、人間形成が十分になされず脳の発達が遅れ、精神的に幼児の時代にとどまっている人間がふえてきたということである。これが事実とすれば、子供の人間形成は危機的状況にあるといえよう。なぜ? 「大人子供」が子供を育てることになるから、子供の豊かな人間形成は望めず自立した大人にはなれないということになる。

 幼児性とは、をノーベル賞医学生理学賞受賞者で動物学者のコンラート・ローレンツがその著書『文明化した人間の八つの大罪』の中で次のように述べている。
 「直ちに衝動を満足させようとする性急な要求(自己抑制力なし)や個人のあらゆる責任(自己責任)の欠如、他人の感情に対するあらゆる配慮(思いやり)のなさは、小さな子供の特徴であり…」、さらに「幼児化した人間は、当然のこととして社会の寄生虫(パラサイト)になる」。これまでにも書いてきたように、教育は教えることではない。教育環境をもとに自らが人間形成をし、豊かな人間性へと高めていくのを助成するものである。教育環境としての人間がいかに重要であるかが分かる。

 ところが現実は、利己的で自己愛が強く思いやりの情などなく、自己利益のためには他人を利用したり犠牲にすることが平気であるという、非人間的(人間性の未成長)な人が多いのではないだろうか。近頃の国政をその象徴と見るのは間違っているだろうか。地方とて同じである。確たる理念もなく、住民のため子供のためと言いながら権力の私物化を図り、自分の考えを支持する者の利益だけを優先する。しかも当事者には自覚がないから始末が悪い。リーダーの幼児化は社会の幼児化であり、教育の幼児化につながる。結果として子供たちは不幸になる。このような社会を変えるには、豊かな人間性をもち、子供にも尊敬されるリーダーの出現以外にないのかもしれない。
(2002年7月20日)

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知識・学歴に勝る人間性

 「戦後日本人が失ったものはいろいろあるといわれますが、その際立って大きなものは、一、感謝の念 二、思いやりの情 三、礼儀でしょう。そのために心はいつも騒々しく、振る舞いは常にがさつになりました」。邑井操著『人柄がものを言う』の一節である。十年前、当時の市長から読んでおくようにと渡された本で、著者は市川に在住し、人間関係やリーダーシップを中心に、講演活動などで活躍していた。

 筆者の考えに共感し、感銘を受けて以来、生き方のバイブルとなっている。この、感謝・思いやり・礼儀は教育と直結するもので、これらが身についているかどうかで人間形成の程度がわかり、人間性が判断できるものである。人柄とは何か。辞書には人の品格・人品とある。一方、教育学では「個人の中にあって、その人の特徴的な行動と考えを決定するところの精神と身体的体系の動的組織である」(オルポート)とされている。

 人格を人柄という場合もある。では人柄はどのようにして身についていくのか。人は先天的に気質というものがあり、これを中心にいわゆる教育環境の影響を受けて行動様式がつくられ、性格となる。さらに道徳的、社会的な意味をもつ人柄が形成される。成長過程で親と家族、友達、自然・文化・社会、学校などの影響を受けながら、無意識のうちに行動様式が決められ性格となり、人格となっていく。今日では少子・核家族、外群れ遊びの減少、情報メディアの発達とバーチャル化などによる人間関係の希薄化、体験不足などが人格形成に負の影響を与えていることは間違いない。

 「想いの種をまき、行動を刈り取る。習慣の種をまき人格を刈り取り、人格の種をまいて人生を刈りとる」という格言がある。すばらしい習慣は親が子供に与えられる最高のプレゼントともいわれる。人生の成功・失敗や、幸・不幸に決定的な影響をもたらす人柄(人格)は、知識や学歴よりはるかに価値が高い。
 「今は損得勘定にのみさとく打算にたけた心の冷たい人間が多すぎる。愛の足りない人はたとい怜悧であっても心は騒がしく人物としては二流に過ぎない。知識があっても良識がなく自己主張のみ多く自己抑制がない頭でっかちで心の狭い人が多すぎる。万物とともに生きていこうと願い、その生を育てようという仁愛の人が少ない」(『人柄がものを言う』あとがきから)。人は権力を持った時に、人柄が強く出る。人格が未熟だと地位に執着し、利己心の強い非情な人間になるからだといわれる。教育長に選任された時の市長の言葉が忘れられない。「教育長といえども権力者だ、心してやれよ」。
(2002年8月3日)

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自然から学ぶ優しさ

穂高に住んでまもなく一年が経つ。人、自然、文化、いずれも豊かで日々感動の一年であった。実感したことは、人間は自然の一部であり、自然と共生することが最も心を豊かにするということである。自然に囲まれ、豊かな心を持った人々と文化に浸れることは最高の幸せである。この間、市川からの来客は二十人を超えた。いずれもこの地を気に入ってくれた。穂高は人間を惹き付ける魅力があるようだ。

 「(前略)自信と一緒に勇気もなくなってしまったので自分を取り戻す旅に出ようと思ってここまできました。今まで悩んだ時は自分がどれくらい弱いのかを分かったつもりになっていたので、いろんなことを認めてこれたのですが、今回は全く分からなくなりどうしようもなくなってしまいました。山や星空と出会えば、自分がどれだけちっちゃくて、弱い存在なのかを最も分かりやすい形で教えてくれるだろうと思っていたし、そうすれば『その先のこと』も見えてくることだろうと思っていました。でも山や星空は僕がどれだけ小さくて弱いかを教えてはくれましたが、『その先のこと』は何も教えてはくれませんでした。(中略)どうやら、山と星空に『その先のこと』は自分で考えな、と言われたように思うのでそうすることにしました。今の中学生や高校生は『生きていく意味』とか『自分の価値』とか、意味のない問いかけに意味を見出すことに必死です。幸い僕は色々な経験や環境(ナーチャリング活動や地域の人々)に恵まれていたので、世の中には言葉で説明できないことや、意味のないことがあることを知っています。それがすばらしいことだということも知っています。今回のこの旅の経験も、そんな意味のないすばらしい経験だったと思います(後略)」。追伸には緊張していたのでと、言葉遣いや非礼を詫びる心遣いがあった。

 これは、今を必死に生きようとしている多感な若者から利己的な私たち大人に、子供の心を直視するよう促すメッセージと受け止めるべきではないだろうか。後日、妹と迎えに来た両親からのお便りに「帰りの車中は家族四人みんな優しい気持ちになっていた」とあった。自然は人の心を優しくしてくれるのである。
(2002年8月17日)

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人は自然の生徒

 今年も農山村体験とか自然体験が全国的な賑わいを見せた。その多くが農家を借りて親子で農山村生活を体験するもので何年も続けているうちに家族同様の関係になっている場合もあるという。体験の形は多様であるがいずれの体験者も異口同音に、子供が大きく変わって来るという。多いのは何事にも意欲が出て積極的になった、気難しさが取れ明るくなった、投げやりな性格が粘り強くなった、集中力がついたなどである。また、動植物を見る目が変わり愛護心が芽生えてきた、人間関係に前向きになったなど子供の変わりように驚きを隠せない。これが自然の力であり、その原体験は人間形成に不可欠なものである。

 私が教育と自然の関係を強く意識したのは十四年前、関西教育学会の報告『幼児期における原体験』を目にした時からである。報告は「自然の原体験不足が言葉を失う」というもので、事例に焚き火の経験がない子供は「けむい」という言葉を持たず「目が苦しい」などと表現するとあった。これにはショックを受けた。さらに「自然との断絶がいじめを生む」ということを知り、調べていくうち、自然が人間にとっていかに大切で必要なものかが驚きをもってわかってきた。昔から子供は自然の申し子、あるいは自然そのものと言われてきた。また人間は自然の生徒であり地球は人類の学校であるとも…。

 人間は自然から何を学び、人間としての何が育つのか。その主なものを拾ってみると感性・情緒・情操などを豊かにし、創造力や科学心を育て自主性や意欲が身につく。人間性の基となる思いやりの情や命を大切にする心、感謝の念などを育てるのも自然。心を癒してくれる一方、人間の意のままにならない大きな存在が畏怖心や畏敬の念を育て人間を謙虚にする。「気候風土は人間の思考や情緒の形成とも深い関わりを持っていて人の気質や性格、人情の機微にまで深く及ぶ」(和辻哲郎博士『風土』から)。人間にとって自然がいかに偉大な存在であるかを象徴する文章である。
 こうして考えてくると自然に親しむ機会を余りもてず、冷酷で自己中心的、驕りからくる自分だけが正しいといった、独善的な人間が多くなるのも自然との断絶が無関係ではない。「知は情の奴隷」と言われるように人の心を支配する情の発達はすべてに優先されなければならない。ある調査では情の未発達児童が急増しているという。その発達を促すためにも五〜十歳の創造期に、自然の中で伸び伸びと遊ばせたいものである。この夏も心を豊かにして二学期を迎えた子供たちが確実に増えている。
(2002年9月7日)

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子供の遊びは意欲的・主体的活動

 十年ほど前だったろうか、子供をとりまく環境すべてが学校化し、寝る以外は勉強という子供たちの姿を見るにつけ、これはただ事ではないと感じていた。「いっそのこと勉強は家庭と塾に任せて、学校は遊ぶところにしたらどうか」と、仲間に言ったことが何回かある。もちろん、一笑に付されたが自分としては本気だった。同時に「遊びとけんかのすすめ」とも訴えたが軽くあしらわれるだけであった。子供にとって遊びは命である。「遊びの種類も遊びの本質も知らない子はまさしく人間として大きな欠陥を持っているといえる」と、一九七七年に大妻女子大・平井信義教授(当時)は著書の中で述べている。

 さらに遊びは乳幼児から始まり、両親や家族との遊びを通して情緒が発達し安定する。それが無いと将来の人間関係に歪みを生じ、孤独な人生を送るか、周囲の人々への思いやりのなさから人々を不幸にすることになるという。子供の遊びは、自分がやりたいことに時間を忘れて集中し、あくまでもやり遂げようとする意欲的・主体的活動である。また、豊富な着想が生かされる創造の世界となる。そして集団による遊びはに約束事(ルール)が生まれ、仲間との協調性も必要になる。

 子供はこのような遊びを通して社会性や独創性・自発性・自律性、自主性など自立に必要な要素を身につけていく。よく遊ぶ子供は何事にも主体的、意欲的で集中力があり、知的レベルが高いといわれる。「よく学びよく遊べ」を死語としてはならない。この大切な遊びを、多くの大人が子供から奪っていることに気づいているだろうか。子供はいつの時代でも遊ばずにはいられないから、塾やコンビニ、電車の中そして教室までも遊び場にしていることも…。
 遊ばない子供時代を過ごしてきた大人には理解できないかもしれないが子供の生活から遊びをなくしてきたつけがいま、人間性未熟となって各種の問題を引き起こしているのである。何々対策という行政のその場しのぎの対応だけでは、根本的な解決にはなりえない。多くの大人が子供の成長発達に関心を持ち、子供の側に立って考えることができれば子供は驚くほどに変わっていくものでこれこそ「大人が変われば子供が変わる」。市川市で推進している「ゆとろぎ」「ナーチャリングコミュニティ」の理念はまさしくそこにある。

 子供たちのより良い成長を真剣に考えるならば何よりも冒険遊び場作りである。それも市民の力で。学校教育にも遊びの原理を取り入れたいものだ。奉仕活動の義務化より「遊びの義務化を」という東京成徳大・杉原一昭教授の提唱に大賛成。
(2002年9月21日)

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地域社会を変えた20年の取り組み

子供の居場所「ビーイング」が市川市に誕生した。これは地域を子供の成長の場(教育環境)にしようと、多くの困難を乗り越え、努力してきた人々の念願が実ったものである。市教委の施策であったナーチャリングの理念を実現するため大人たちが一丸となってこの夏、高校生だけでも三十人を超す参加が得られたナーチャリング活動が、子供だけの企画で行われたことは今時画期的なことである。七年間の活動の成果が、見事に子供の心の成長として表れている。こんなコミュニティーだからこそできた「ビーイング」である。

 都市化の進行とともにコミュニティーが失われたといわれて久しい。機能の中心をなすものに教育力があることから、コミュニティーの喪失は子供の人間形成に決定的な負の影響を与えている。子供の発育(成長発達)にとって重要で最適な場は、地域社会であり学校ではない。これが「子供は地域で育つ」と言われる所以である。これまで大人の都合が優先され子供のことを放置してきた社会の責任は重い。
 幸い市川市は先見ある取り組みが二十年以上も前から推進されてきた。その流れは着実に地域社会を変えてきている。さらに一歩進めて、そこに生まれ育つ子供たちの発育にとって望ましい教育環境とするには冒険遊び場がどうしても必要である。子供の発育には遊びや自然体験が鍵を握っていることは、何回か書いてきた。しかも体験時間は長いほど良いから毎日の生活の中にあることが理想だ。そのためには体験の場が身近な所になくてはならない。しかし、都市部では無理な注文、そこで考えられたのが冒険遊び場なるもの。ここでは自然体験・遊びのほか、冒険心や好奇心をも満たしくれる。

 日本では一九七九年開設された世田谷区の羽根木プレイパークをはじめとして全国的な広がりを見せている。世界的には一九四三年デンマークのものが最初で、三十か国以上に及びイギリスでは四百か所もあるという。いずれも子供の成長に欠かせない価値の高いものとの認識から市民と行政が一体となって造り上げたといわれる。市川でも公園計画、工場跡地利用などに挑戦したが上部に聞く耳は無かった。ならば予算をかけずに市立幼稚園の園庭をのミニ冒険遊び場にと計画を立てたが、それも教育長交代で白紙に。このような教育環境への理解力もない市政の中でその実現を目指すならば、子供の成長を真剣に考える市民の力でしかない。「いまの市川は子供や若者にとって魅力のない街」(ある若者の言葉)と言われるようでは、街の発展は望めない。次代を担うのは子供たちだから。
(2002年10月5日)

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街づくりは人づくりから

五十年ぶりに、農家で本物の農作業を手伝う機会を得た。農家に育ったDNAを持つためか、快適な一週間だった。この農家とは家族ぐるみの付き合いをしていて、農繁期の手伝いボランティア契約を結んでいる。四ヘクタールの農地を、夫妻だけで耕作しているというから驚きである。それを可能にしているのは機械化もあるが、地域社会の存在が大きい。「ここは暮らしいいよ」という夫妻の笑顔がそれを物語っている。

 ちょうど開かれた地域の運動会の中心には、多くの若者がいた。聞けば子供のときから地域活動に参加しているので年齢を超えた、深い人間関係があるのだという。「還暦を過ぎた父親が『今年こそ同級生に勝つ』といっていた」と笑う青年の目に、ほのぼのとした親子の愛を感じる。こういう地域をナーチャリングコミュニティーというのである。当然、子ども会活動も活性化している。
 改めて、コミュニティーづくりと子ども会活動を同列にしか見られず、子供や予算の奪い合いに明け暮れた市川時代が、むなしく思い出される。ナーチャリングコミュニティー事業が子ども会活動を圧迫するなどといわれたが、本物の地域社会となれば必然的に子ども会への参加も増え、より活性化すると考えるのが正論である。この地域がそれを証明している、と話をしたら「当たり前だな」と笑われた。

 “地域あって地域社会なし”といわれるいまの時代、地域社会(街)づくりがいかに重要であるかは、論を待つまでもない。街づくりに必要なのは理念であり、その基本は人づくりである。ナーチャリング・C事業の目的は心の地域社会(コミュニティー)づくりであり、人づくりであって、子ども会活動などと対峙するものではない。これまで教育環境として地域社会がいかに大切かを書いてきたが、その機能は限りない。

 社会がかかえる多くの問題、例えば少子化、子育て、介護・福祉、多発する各種犯罪等も地域社会の崩壊が根底にある。公園デビューに苦慮する母親はその典型例であろう。いずれも心にかかわるものであるから、施設や組織などの整備だけでは解決しない。長野県は各市町村いずれも教育・福祉・環境を重視し、人を大事にした街づくりが行われている。そのためか住民のコミュニテイー意識も強く、愛着心が地域を暮らし易い街にしている。「常に人間性を磨き…教育・文化・地域活動を積極的に推進…」という理念を大きく掲げるA総合病院。M歯科大は「優れた歯科医は良き人間でなければならない」との教育理念を、穂高町は「街づくりは人づくりから」を行政理念に−、こういう街を真の地域社会というのだろう。
(2002年10月19日)

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学校と地域の提携で豊かな成長を…

穂高の秋は早い。山頂から駆け降りた紅葉がいま我が家の庭にある。ヤマボウシ、ナナカマド、ヤマザクラなどの赤、シラカバ、ブナなどの黄が秋空に映えて美しい。秋といえば毎年、体育の日に合わせて子供たちの体位や体力運動能力が公表される。
 市川市では国・県と市を比較分析、それを基に体力向上に取り組んできた。先進的であるとの評価を受けたコミュニティースクール、図書館ネットワーク、ナーチャリングコミュニティー、ライフカウンセラーなどが、国の施策モデルとなっていることは全国に知られている。ところが意外と知られていないのが「スポーツライフプラン」である。

 この画期的なプランは当時、子供たちの体力・運動能力が年々低下の一途をたどっていることに危機感をもった市教委が学校体育関係者と「体力向上推進研究協議会」を組織、体育スポーツに造詣が深く、日本的リーダーである八代勉筑波大学教授の指導を受けて作成したものである。平成七年度から実践に移されたが、その成果には目を見張るものがあった。
 それまでは数値で見る限り、目を覆いたくなるほど惨憺たる状況であった。都市型の生活ゆえに止むを得ない、とのさめた見方が支配していたことも事実だが、一変させたのはプラン作成であった。原点は市川教育の基本理念「地域と一体となって子供を育てる」であり「地域の子供は地域が育てる」である。プラン実施前すべてで全国をはるかに下回っていたものが、平成十二年度調査では「たち幅跳び」で中学三年が男女、「握力」では同じく三年女子が全国レベルを上回るなど、小中ともに全種目で全国との差が縮んでいる。

 嬉しいことに、一緒に行われた調査で、市川の子供たちは全国でも精神的な安定度がかなり高いという結果も出た。心身一元論の成果といえる。八代教授が繰り返し指摘するのは、中学校区を単位とした幼小中と地域社会が連携、一貫性をもった教育を行うことで、地域に生活する子供一人一人の豊かな成長が保障されるということである。その意味で、ナーチャリング事業やJECプラン(地域教育共同体構想)など中学校区をベースにした活動は、教育価値が極めて高いと評価する。
 事実、プランやナーチャの実績がそのことを確かなものとして証明している。教育環境は広いほどよいが、幼小中と地域住民が一貫して地域社会で子供を育てるという社会の実現の第一歩としては、中学校区がベストである。効率や統一など、管理的な見地からしか考えられない大人にとっては広すぎる教育環境のようであるが。
(2002年11月2日)

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ふるさと愛がつくる温かいまち

窓から見る山並みの紅葉が、里に向かって急速に白く塗り替えられていく。里は晩秋、小鳥たちのためにと取り残された赤い柿の実が秋の終わりを告げる。十一月といえば文化の月。穂高は文化の薫り高い町との実感を持つ。六年前の秋、市川・メデアパークの建築賞受賞で訪れた湯布院も同じ印象を受けた。それがなぜなのかずっと気になっていた。共通するのは山紫水明、温泉、そして美術館の多さか。美術館・ギャラリーは共に二十館を超え、喫茶店などでの個展を加えればその何倍にもなる。しかし、それだけでこの雰囲気を醸し出すことはできないだろうと考え、いろいろと取材を試みた。

 分かったことは、住民のふるさと文化への意識の高さにあるということだった。ではどのようにして意識が高まってきたのか、それをとく鍵を町役場と教育委員会で見つけた。一つは人間性を大切にしていることで、職員の明るく温かい品位ある応対や、一人の問題にフロア全員で対応してくれる姿からもそれが窺える。言葉の端端から町長・教育委員などの人柄や理念への信頼の厚さを感じ取ることもできた。まちづくり基本構想の第一章に「人間性の尊重」が謳われていることからも裏付けられる。
 二つめに住民の「ふるさと愛」の強さがある。顕著なのは子供(未来)たちが皆この町を好いている。作文には「私が好きな穂高町」「僕はこの町が大好きだ」などの言葉が並ぶ。景観の美しさや、きれいな水、穏やかな町の雰囲気以上に「穂高の人が好き」「人と人とのつながりがこの町にはある」というように、人間性そのものを気に入っている子供たちが多くいる。

 子供たちに残す美しい景観・水環境地区を条例で定めるなど、子供を大事にする地域性が受け入れられているのかもしれない。そして大人も子供も住民一人一人が町に誇りをもっていることも。三つめに先人(過去)に学び感謝することを「まちづくりの基本理念」に位置づけている。「豊かなふるさとの自然と先人の築いてきたすばらしい教育文化に誇りをもち、一人一人の実践を積み重ね、共に高めあって、愛と夢のある生涯学習まちづくりを展開していきたい」と町長は語る。
 今後の方向は地域先人に学んで自分らしさを伸ばし、新たな文化を創造するための学習へと発展させるという。このような過去・現在・未来を見通したまちづくり理念が住民の文化意識を高めてきたのであって、長い年月をかけての積み上げ・創造・伝承の繰り返しが文化となることを改めて思う。教育環境としても優れるこういうまちを文化都市というのだろう。
(2002年11月16日)

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行政とボランティアの関係…

百五十万人ものボランティアが結集し、その活動を通して若者が見直されたといわれる阪神大震災から間もなく八年が経つ。九〇年代、ボランティアは主婦中心に始まり企業の考え方を変え、行政が後押しするという形で広がり大きなうねりとなってきた。この活動から日本人が学んだことは「他者に必要とされることを喜びとする人間であり、自己実現としてのボランティア」であったといわれる。以後、人の役に立つことが強調された奉仕型から自発性に基づくボランティアへと、急速に変化してきた。

 もともとボランティアはラテン語voluntasに由来し『喜び進んでする厚意や親切』を意味する。自分の利害得失にかかわりなく、また他からの指示や強制を受けず、自分の自由意志で行う活動を通して自己の人間的成長を図る、というのが本来の考え方である。時代はボランティア活動も生涯学習のひとつとして捉えるに至った。人々は活動することによって自らの知的、精神的世界を広げ、生きがいにもつなげる。従って、年齢、職業所属を超えた日常的で楽しい活動を通して自己の新しい能力を見出し、交友関係を広げるなど、効果は計り知れない。自主的・主体的で創造的な意欲あふれる楽しい活動は、子供の遊びに共通する。

 学校にもボランティア教育が導入されたが、体験学習であり、活動そのものではない。中教審答申(平成六年七月)では『ボランティア活動は特別なことではなく、自分自身にとって身近なこと必要なこと大切なこと、誰でも日常的にできることである』としている。市川市教委の呼びかけで始めたNC事業はまさしく、地域のボランティア活動そのものである。市民一人一人の自発的な意志での参加を求め、ボランティア理念に則り「活動は自分のやれることをやりたい時に子供たちとしてほしい」とお願いしたものである。この考え方に共感・賛同し、七百名もの市民がボランティア登録をしてくれた。子ども会等の、計画的に行事を組み組織全員で実施するというものとは全く性格を異にする。

 市教委はいま、NC事業を他の活動と統合しようと画策しているようであるが、地域みんなで子供たちを育てようとの合言葉で必至に努力してきた人々の心の中には隙間風が吹き始め、怒りを通り越し、空虚の感が漂っているという。行政は情報ネットワーク、相談、費用負担、保険、リーダー養成など活動活性化の支援に限られ、市民のものになっている組織や活動にまで口出しはできないはずである。ボランティアについての理解もボランティアあっての行政という時代認識も無くしてしまったのだろうか。
(2002年12月7日)

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教育の「適時的確性」という原理

萌黄、若緑、深緑、紅葉と変化を楽しませてくれた庭の草木も白一色に染められた。いま、落葉樹たちは冬木立となって厳しい冬に備えている。近づいてみると丈夫な衣に包まれた冬芽が遠い春を待つ。常緑樹も古い葉を落とし、じっと息を潜める。ヤマウド、ワラビなどは雪と土の布団を重ねて冬芽を眠らせる。いろいろと楽しませてくれた庭の動植物の生きる営みもしばらくは変化に乏しいものとなる。
 庭木たちとの暮らしも一年が経つ。「家を建てることはひとつの自然破壊。そのお詫びに安曇野の森を庭に再現して欲しい」と頼んだら、四〜五メートル級の安曇野の木五十数本を植えてくれた。そのときの庭師の言葉が「ここは土がいいから、三年もすると森になるぞ」だった。一気に夢が広がった。春、次々と芽吹いていく中で白樺だけが遅れている。しばらくして十五本すべてが枯れた。庭師は植えた時期が悪いという。そういえば教育にも「適時的確性」という原理があった。

 人間は年齢段階ごとに発達課題を一つ一つ解決しながら成長・発達していくものであるから、各段階での課題解決が成されないと次に進めない。不幸にしてある段階での発達課題を習得・達成できなければ以後の健全な成長・発達はなくパーソナリティーも豊かに育たないといわれる(エリクソン)。そして課題の習得・達成には適時に的確な教育環境が必要なのである。このように、適時というのは植物にとっても人間にとっても、生きる上で極めて重要なことなのだ。もうひとつ白樺を植え替えたときに、毎日水をやるべきか否かを聞くと「やると木は根を張らなくなるからやらない方がいい」と言うのだ。いわゆる過保護にしては生きる力は身に付かないということか。「子供を不幸にする一番確実な方法はいつでも何でも手に入るようにしてやることだ」というルソーの言葉を思い出した。

 根の研究で知られる米国植物学者H・J・ディトマーが、ライムギの種子一粒を生育箱に蒔き、四ヵ月後、地上部五〇センチで掘り起こしたところ地中の根は主根支根を合わせて約千三百八十万本、長さにして六二〇キロメートル、これに毛根などすべての根を加えると「西鹿児島駅−根室駅間一往復半にもなる」(日置幸雄)という。植物の生長は根で決まり、その価値も根にあることが分かる。この根を守り、育むのは土壌である。土壌の良し悪しが根張りを、そして植物の死命・生育を制するのである。教育での土壌は家庭や地域の教育環境であり、それが人の根張り(成長発達)と一生を左右することになる。子供たちに豊かな根を張らせたいものである。
(2002年12月21日)

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大人の優しい計らいと子供の「ゆめ」

一富士二鷹三茄子、子供の頃聞いた縁起の良い「初ゆめ」ベスト3である。また、お金が入ると言われていたことから蛇の「ゆめ」も子供の「ゆめ」ナンバー・ワンであった。見た年は本当にお年玉が多かったことを憶えている。いまにしてみれば、大人たちの優しい計らいがあったように思う。
 その頃、子供は地域の宝であり、大人の夢的な存在であった。そのためもあってか子供自身も夢を沢山抱いていたものである。地域には憧れのお兄さんお姉さん、そして大人たちがいて子供達の夢を育んでくれていた。学校には大好きな先生がいて夢のある話を毎日のようにしてくれる。「少年よ、大志を抱け」。クラーク博士のこの言葉に励まされた頃を懐かしく思い出す。

 昨年暮れ、二つのNHK番組を見て、そこに暮らす地域の大人たちと子供たちが極めてよく似ているということに気が付いた。見目形が似るのは当然ながら、人格形成途上とはいえ人柄や考え方までがそっくりなのだ。「地域の子供の違いは地域の大人の違いであり、このことから肝要なことは大人の生き方、在り方ではないだろうか」(上越大・新井郁男教授)との言葉が重なる。「ここはいい所だ、この村から出て行きたくはない」と高校生までが語っていたのが印象的であった。村民全てが村に誇りと愛着を持ち、こうしたいという夢をもっているのだ。

 もう一つは、都会と田園に暮す中学生が恋愛や勉強についての考えを述べるものであったが、地域によってこんなにも違うのだということを再認識させられた。人間関係が前者は概して淡白で現実的、後者は濃密で情や夢がある。これとて地域の大人社会を反映したものと言える。「子供は大人を映す鏡」とはよく言ったもので、その地域の子供を見れば大人が透けて見えるものである。夢という視点から見ても、田園に住む人々の方が夢を持っている。そのことが、番組を通して伝わってきた。それは穂高に住んでの実感でもある。

 養老猛司氏は「人間の身体と子供は本来自然である。自然は無意識の世界だから計算も予測もできないもの、従って子供の最大の財産は漠然とした不確定な未来である。それを人工空間に住む都会人は分からないはずの未来まで分かっていることが通用するように世の中をつくっているので夢が入り込む余地など全くない」というのだ。都会の子供に夢がないのは大人が奪っているということだろうか。ある新聞のコラムに「大人たちが若者から働く夢と意欲を奪ってはいないか」とあった。

 十年ほど前までは、先が見えて夢がもてないと言っていた若者が、この頃は先が見えないから夢がもてないという。どうしたものか。今年は夢と希望に満ちた社会のゆめでもいいから見たいものだ。
(2003年1月1日)

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子供の心を開くきっかけ

緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台、鐘が鳴りますキンコンカン…と歌われた鐘のなる丘が穂高にある。戦後の暗い世相に、人間愛という希望の灯をかかげた少年たちのドラマ『鐘のなる丘』の原作の地である。モデルとなった施設はいま、少年たちの更生を目的とした『有明高原寮』となっている。今回その寮長の話を聞く機会に恵まれた。多くの問題を抱えた少年たちに真正面から取り組んできているだけに、話は始めから終わりまで感動の連続であった。

 「最近の子供たちは人間的に未熟なため、人間関係がうまくいかないなどストレスを沢山抱えている。犯罪を起こした少年は全国で二十五万−三十万人もいるが、そのうち少年院に入るのは五、六千人である。共通するのは自分が大事にされている、必要とされていると実感することがこれまでになかったということ」という。実感を持つということ、これがなかなか難しい。日常生活を通して子供自身が、真実と感じるか否かだから。

 「実感として受け止められるようにできるだけじっくり話を聞く、恥や罪の意識を育てる、感動体験をいっぱいさせる、沢山ほめるなどを幼児の頃から心がけていく必要がある。実感することで家族の絆が深まっていれば、自ら犯罪にかかわることは避けられ、ブレーキも効き易い」。そのため高原寮では保護者が寮に一泊して、少年と過ごす親子合宿を大切にしている。この親子の出会いや触れ合いが子供の心を開くきっかけになるからだ。「父親の涙を見たことですまないことをしたと思う、父親と風呂に入って本心が言えた、お茶を入れて出したら『おいしいね』と母親に言われて謝ることができた」などの事例が話された。一見なんでもないことのように思われることでも、少年たちにとっては自分が大事にされたと実感する瞬間なのである。

 もう一つ、子供たちが心を開き、更生の道を歩みだす大きな力になっているのが地域社会だという。「運動会に地域の大人や子供が参加してくれびっくりした。二人三脚で、犯罪者なのに普通の顔をして走ってくれた、など自分たちを受け入れてくれる地域の人々に驚きをもっている」。地域の伝統行事「三九郎」にも参加させてもらえ、喜んでいるという。このような心の動きから読み取れることは、少年たちの育ちの中に家族とか地域社会というものが全くといってもいいほど存在していなかった、ということである。犯罪を起こさないまでもこれに近い現実は身近に沢山あるはずだ。子供が自分の存在感を見出し、自ら心を育てられる地域社会づくりを目指したい。
(2003年1月17日)

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子供を育てる地域の役割

凍てつく夜空に百八発の花火−という去年に比べ、今年は静かな新年の幕開けであった。世界も静かであってほしいと願う。昼ごろ年に一度の消息を運ぶ年賀状が届く。ゆっくりとした時の流れの中で一枚一枚丁寧に読みながら、一人一人の来し方行く末を思う。その一割に当たる三十数枚に『市川よみうりを読んでるよ』というメッセ−ジがあった。嬉しいが怖くもあった。が、これまで同様、今年も自然体でいこうと決める。

 早々に初詣、常会の新年会、三九郎(どんどの別名)と正月行事が続いた。ここでは昔から続く三九郎が、秋祭りや太鼓連などとともに子供を地域で育てる重要な役割を果たしているという。酒を酌み交わしながら一人の男性が「今、子供社会から縦の関係が失われてしまっている。これでは健全な成長はできない。何とかそれを取り戻すことは出来ないものかといろいろ考えた。自分の子供時代を振り返ったときに、気づいたのが伝統行事だった。子供みこしも太鼓も俺たちが作ったんだ」と熱っぽく語ると皆がそれに続く。どこにでもありそうな話しだが発想、実践とも住民だけで行われていることに大きな価値がある。

 一月十九日、穂高町生涯学習の集いが開かれ、公民館活動の実践発表があった。二十九分間の運営が全て住民によって行われている。これまでの活動内容にとらわれない画期的なものが多いが、優れた取り組みにはやはり、優れたリ−ダ−がいる。また、『子供たちが地域の活動に積極的に参加できるようにするにはどうしたらよいか』が意見交換のテ−マになっているように、どの館も子供を常に視野の真ん中においている。こういう地域だからこそ、いくつかある青少年の育成組織間にその垣根はない。あるのは子供を大事に育てようとの、住民の一体感である。

 今年の三九郎も幼児から中学生まで四十数人もの子供たちが楽しんだ。一軒一軒回って門松、しめ飾りを集め、もらった百円のお駄賃を運営費に当てる。しん粉餅で繭玉をつくって、柳の枝にさす。星形、球形いろいろある。にぎやかなお楽しみ会で満たされた心が、もう一度高揚するのがどんど焼き。高学年の子供の火入れ式が終わると一気に火勢が上がる。十メ−トルはあろうか、白い北アルプスの山々を赤く染める。こうして一日が過ぎていく中で子供たち同士、大人と子供、更には大人同士の心のふれあいが地域の人々の連帯感を高めていく。都会から転居してきた人たちがその輪の中に自然に取り込まれ、融和していく。ここには豊かな人の暮らしがあり、子供の育つところとの実感を持つ。
(2003年1月31日)

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身近にある発見と感動

今年の冬は雪が多い。安曇野では一月の降雪量がすでに平年の三倍を超えた。もともと雪の少ないところであり、こんなに降るのは珍しいという。ところで、「穂高はすごく寒いでしょ」とよくいわれるが、暮らしの中ではあまり寒さを感じていない。気温はマイナス十度前後まで下がる日もあるが、関東の身を切るような寒さを体感することはまずない。湿度のせいだろうか。それより何よりも子供と同じで、雪が降るのが嬉しくて仕方がない。白一色の朝は日の出前に起きだし、刻々と変化していく雪景を見逃すまいと四方の窓を廻る。西に見える山々の雪嶺が美しいピンク色に輝き出す、しばらくして全山が一瞬の茶褐色から明るい白銀に変わる。東の空に目をやれば、たなびく雲海の向こうの山並みがシルエットとなって、茜色に染まった雲間に太陽が顔を出し、あたりをオレンジ色に包む。去年は車で移動しての、日の出やダイヤモンドダストを追いかける撮影が中心であったが、なぜか今年は家からの撮影に終始している。身近なところに発見や、感動があることに気づいたからかもしれない。庭で霧氷もダイヤモンドダストも見られるのであるから。

 身近といえば、近くに白鳥の来る田んぼがあると聞いて出かけてみた。多いときは二百羽もくるという。晴れて北アルプスの見える日を選んで、五回ほど通った。三回目の朝、その日はかなりの冷え込みで、普段は凍らない流水の部分まで全面氷結していた。そのためかいつもより二時間も遅れて飛来。待ちわびていた私たちの真上を飛んだとき、その美しさに思わず息を呑んだ。紺碧の空に大きく広げた真白い翼が眩しい。『白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ』という、信濃を読んだ牧水の詩の一節が浮かぶ。

 次第に遠ざかり、雪山を背景に隊列を変えながら飛ぶ姿もまたいいものである。二、三周回しながら高度を下げ、水面に降りるのであるが、それがなかなか面白い。氷結が思わぬハプニングを起こすのである。着水時、水掻きの付いた両足を思い切り突っ張り、腰を落としてブレ−キをかけるのであるが止まらない。仲間にぶつかるもの、雪の中に突っ込むもの、転ぶものありで、その姿は実に滑稽で楽しい。薄氷に足をとられるもの、体の熱で氷を溶かそうとするものなども、見ていて飽きない。
 夕方、グル−プごとに首を上下しての合図に始まり、一列となって雪の中を百メートルほどよたよたと歩き、そこからいったん山側に飛び立ち旋回して、ねぐらに向かう。こういうのは子供のうちに一度は見せておきたいものだ。
(2003年2月14日)

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次代を見通した教育への道

東京都品川区教育委員会は二〇〇六年度に「四年、三年、二年」制の区立小中一貫校を設置する方針を決めたという。私は元々、子供の成長発達からは小中一貫教育、できれば幼少中一貫教育がよいと考えていたのでこのニュ−スに触れたときは鳥肌が立った。画期的な改革というだけでなく地方分権、規制緩和もここまで来たのだという感激からでもあった。日本が分権型社会を創るといわれて数年が経つ。特区構想もやっと動き出したが、既得権の壁が立ちふさがる。

 このような多くの既成概念が随所に立ちはだかる中、私心を捨て改革に立ち向かう優れたリ−ダ−が、地方から国を変えようと奮闘している姿はいかにも頼もしいものである。そのようなリ−ダ−のもと、地方は着実に変化してきている。品川区の改革もその一つであり、これまでの国依存、画一性から脱却し、地方の主体性の確立という分権の理念を貫いている。国が進める受験戦争緩和対策としての中高一貫ではなく、子供と社会の変化に合わせた小中一貫教育の導入ということからもそれを伺い知ることが出来る。
 この方針の優れたところは「こどもの発達段階を考慮し柔軟なカリキュラム編成による小中一貫教育を目指す」としているように、教育学や心理学を基礎に置き、今日の子供の心と体の発達に着目していることである。これが子供を大事にする教育というものである。つい最近まで近代化を支える日本の教育制度はその役割を終えたといい、これからは世界に生きる日本人の創造を目指す、との改革が叫ばれたが現実はどうか。学力の確たる定義もないまま下がった、下がっていないと大騒ぎをしているだけが改革唯一の、落とし子のような気がしてならない。

 すでに過去になった古い価値観で、しかも根拠のない無意味な学力論争はいたずらに不安を煽るばかりで、子供の成長にはつながらない。いま、科学技術の急速な進歩に伴いものすごいスピ−ドで社会が世界的規模での変化をしている時代である。いつの時代も、子供たちは十年、二十年先の社会に生きる力を身に付けなければならないが、変化の激しいときほど次代を見通した教育がなされる必要がある。
 そのために、これまでになかった新しい教育の考え方や技術等を導入する教育革新は必要不可欠である。既存教育の一部手直しでは、子供のいまにさえ対応できない。ましてや大人への自立を保障するなどおぼつかないのである。このように考えてくると品川区の方針は極めて価値の高いものであることが分かる。地方行政のあるべき姿がここにある。
(2003年2月28日)

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自由な選択阻む学校区

北アルプスを一望する広やかな田園の一角、穂高川のほとりに『早春賦』の歌碑がある。大正初年の早春、吉丸一昌はこの安曇野を訪れ、春待つ人々の心情を思い、鶯にことよせて作詩されたものと言われている。春を待つといえば新入生も同じ心情ではないか。しかし気になるのは入学への希望を持てない子供が増えてきていることである。

 いじめをはじめ、多発する事件事故に学校への潜在的不安感を払拭できないでいることや少子核家族、そして群れ外遊びの減少によるコミュニケ−ション力の低下が集団生活への不安につながっていることもある。この場合、何回か学校に行ってみるとか、学校のよさについて話し合うなどして子供が納得する学校選びをすることで、不安が期待に変わっていく。
入学する学校は子供にとってはお仕着せであって、自らの意思が働いていない選択だから、夢や希望、意欲さえも持てないでいるのである。画一的な偏差値のみで入学校が決められていた時代は過去のものとなリ、自らが選ぶということが重要になってきている。そのためには幅広く学校選択の出来る環境整備が不可欠となる。これが学校選択自由化の考え方であるが、その実現を阻んでいるのは通学区域である。
 通称「学区」といわれるが、本来の「学区」は教育委員会が設置維持の責任と権限を持つ教育行政区域(法的学区)のことで、「通学区域」は高校を除き法令上特に規定はなく、教育委員会規則、告示等により設定されることがある。「特定校への集中を避け、収容力のバランスを保持するなど行政の事務執行上の必要から通学区域を設定しても良い」(旧文部省、地裁判例)とされているもので、審議会を隠れ蓑にした、いわゆる行政の為の規制である。このことは昭和六十二年の文部省通知で「可能な限り、子供に適した教育を受けさせたいという保護者の希望を生かすために、いっそうの弾力的運用について検討する必要がある」といっている。

 更に平成八年、行政改革委員会が「前通知後の取り組みは十分とはいえないとして、各学校が個性ある学校づくりに努力し指定された学校以外の選択は困難という硬直した状況から、自らの意思で多様な価値の中から選択できるようにすべきである」と答申していることからも分かる。そして教育委員会が「相当の理由」と認めた場合のみと解釈されているが、その理由については選択機会の拡大の視点に沿って弾力的に取り扱えることを周知すべきであるともいっている。学校は学ぶ側が選ぶものである。希望に満ちた学校生活を送るため、子供とともに学校選択をしたいものだ。
(2003年3月14日)

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少なくなった幼児期の貴重な「時」

啓蟄の日、穏やかな光を浴びて一組の親子が触れ合う姿に、しばし見とれていた。二百メートルもあろうか、山に向かってまっすぐに伸びた一本の道。若い母親が、やっと歩き出したと思われる幼児を四〜五メートル先で待ちうけ、手を叩く。それに応えて幼児は声を出し、お尻を振りながら危なっかしい足取りで母親に近づき抱きつく。繰り返すこと数十回、約一時間のヨチヨチ踏破であった。こういう親子のほほえましい姿を見るのは久しぶりである。スペインのことわざ「最良の先生は時、最高の師範は経験」をここに見た。母の深い愛情に子が信頼で応える、そこには本物の教育がある。

 「生後五年間における心理的な成長はすばらしい、その速さについてもこれほど目立って変化する時期はもう生涯にわたって二度と来ない」(ゲゼル)。最も大切な環境は親の愛情であり仕種である。子は常に愛されたいと思っているものであるから、親の心を敏感に感じとっている。このような情景は過去、当たり前に見られたが、いまでは珍しいものとなってしまった。なぜだろうか。一生にかかわる幼児期の貴重な「時」を失うことになってはいないか、考えてみる必要がありそうだ。
 しかし現実は厳しく、働くということが「時」をも奪っていく。実はこのことが少子化という問題にも深く関係していることに気づいたのは、友人から薦められた『少子化をのりこえたデンマ−ク』(湯沢雍彦著)であった。「ナ−チャリングコミュニティが出生率を回復できるんだよ」といってこの本を渡してくれた。確かに福祉国家といわれるデンマ−クだけあって家族政策をはじめ、法や制度が確立していることは紛れもない事実であるが、それをどう生活に生かしているかに注目してみたい。

 法定労働時間は週三十七時間と短く、午後四時一斉終業の定着、残業なし、帰宅途中の飲食皆無などが家族や地域の人々との団欒・交流の「時」を生む。この「時」を使った親子の夕方ハイキングもある。退勤にあわせて午後四時半集合、四十分も行くとそこには自然だけの子供の森公園がある。大人たちが見守る中、子供同士思い切り遊び、夕闇の迫る午後八時に終了。デンマ−クに多い遊びを重視した地域のプログラムである。
 日本では「赤ちゃんを可愛いと思えない」「子供が好きになれない」と感じている女性が増えているという。親の愛情が十分でなかったことや、少子化の影響で幼児に接する機会がなく、可愛さも扱いも分からないなどの原因が考えられる。地域で乳幼児と触れ合うこれらの「時」と「経験」を大事にしたい。
(2003年4月4日)

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深い関係の教育と地域

穂高の入学式は早い。三日に小学校、四日が中学校で、桜はまだつぼみのままである。花の下での記念撮影という華やいだ風景は見られないが、新入生が在校生に溶け込み和やかな雰囲気の中に笑顔があふれる。これも三月に、一年生を迎え六年生を送る地域行事「一迎六送会」があるからだろう。このとき新入生から卒業生までが顔見知りになれるからだ。「地域の子供」という意識を育む大人の仕掛けである。

 全ての子供たちにとって四月の関心事は担任のことであろう。担任発表に反応する子供たちの歓声や、ため息がいまでも聞こえてくるような気がする。異動もあったであろう。長野県職員の異動が、今年は過去最大級と発表された。現地機関と本庁間の異動を増やす。四十代前半の職員を課長級に抜てきするなど、若手職員を積極的に活用する。女性の管理職登用を進めるほか、地域の声を直接政策に反映させるため、新たに四地方事務所に地域政策推進監を設置する、などがその主な理由である。知事自らも地域執務を行うという。どこでも言われている「○○が主役」という言葉がここでは予算・人事を通じて実感が持てる。

 懸案の教育委員、教育長も決まった。第一声が「子供たちの可能性を大事にしたい。学力より学習意欲低下が問題」であった。今年度からの三十人規模学級実施と併せて期待したい。毎年繰り返される人事異動ではあるが、当事者以上に組織や子供、地域に極めて大きな影響を及ぼすものである。昇進も絡むことからより複雑になる。それだけにしっかりした理念・方針と公平さが要求される。人事権者の人格・識見が表出するのも人事である。

 また人事権を私物化しているか、公共のために行使しているかがはっきりと見えてくるものでもある。もう一つ大切な事は個々人が意欲を持ち、組織全体が活性化することによって、それぞれの持てる力を十分に発揮していけるかどうかであるが、評価はこれからである。いずれにしても新体制で子供や地域の側に立った教育、行政がどれだけ出来るかが問われる。「人間というのは、第一に自分が好きな人、そのうえ−第二に−尊敬を抱いている人からのみ伝統を受け継げるようにプログラミングされている」ノーベル賞受賞者コンラート・ローレンツ氏のテレビインタビューを活字にした「生命は学習なり」(全訳本・思索社)で世界的に知られた言葉であるが、特に教育者やリーダーが肝に銘じておかなくてはならないことではないかと思う。好き、信頼、尊敬なくして、真の人間関係も教育も組織も成り立たないものであるから。
(2003年4月18日)

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誰もが教育者

長野マラソンが終わった。今年も多くの感動と学びがあった。なかでもモントリオ−ル、モスクワ五輪連続金メダルに輝いたドイツのワルデマル・チェルピンスキ−選手のことは忘れられない。東西対立時代に味わった自らのつらい経験から、多くの人と一緒に走ることの喜びを感じ、連帯感を共有したいと市民ランナ−三時間完走のペ−スメ−カ−役を買って出たという。また一緒に走る喜びを共感させたいと学校を訪問、子供たちと校庭を駆けることもした。

 一緒に走った市民ランナ−は「いいリズムで駆けられたし励みにもなった」といい、自己ベストの更新や目標達成につながったという人もいる。もう一人、ゲストで招かれた小出監督の話も印象に残った。NHK「ズ−ムアップ信州」で紹介された、かけっこ大好きが高じてマラソンランナ−となった話。子供の頃とてもいい先生にめぐり合えたことがいまの自分を創ったという。毎日一緒に駆けてくれた小学校の先生、勉強なんかしなくてもいいといってくれた中学校の先生、かけっこ大好き少年を支え励ましてくれた人たちに感謝している小出監督である。参加四千七百人余のランナ−にはこのマラソンにかけるそれぞれの夢があり、目標がある。共通するのは家族、友人、恋人や沿道の声援、景色や満開の桜までが励ましてくれるから頑張れるのだという。

 私が「励ます」という言葉を強く意識したのは三年前、松山市の正岡子規記念博物館館長の講演「正岡子規の『生きる力』…その生涯と教育者性」を聞いたときである。正岡子規が教育者だといわれるゆえんを、作家大江健三郎氏は「相手と心を同じくすることのできる人」であり「人を励ますことの出来る人」であったからだという。その上で「自ら励んでいる人でなければ、人を励ますことは出来ない」とも。以来、「教育者」の概念を単なる教育実践者から相手と心を同じく出来、人を励ますことの出来る人へと変えてきた。年齢、職業などは関係なく一人の人間としてどうなのかである。

 この考え方からすれば今回長野マラソンの参加者も沿道を埋めた応援者も「教育者」である。もしかしたら、景色も桜や草花など自然さえも教育者といえるのかもしれない。このように考えてくると、人は皆励み、励まし合いながら、連帯感の共有を求めて生きているといえよう。子供とて同じ。自ら教育者にもなりうるし、身近な教育者に励まされながら成長していくものでもある。「励ましを受けて育った子は自信をもてる」という教育名言がある。その教育者の宝庫は連帯感を強めた地域社会ではないか。
(2003年5月2日)

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地域での体験が社会人間育てる

近くに見える千五百メートル級の山頂に向かって、日ごとに緑が駆け上がっていく。目を転じると牧草地や麦畑を緑風が渡り、彼方に残雪をいただいた北アルプスの高嶺が、空に溶け込む。点在する民家の空高くこいのぼりが薫風に舞う。のどかな風景の中に、子供の健やかで元気な成長を願う家族の思いが伝わってくる。

 五月はこどもの日を中心に、各地で子供のための催しがあるが、そのときだけの単なるイベントに終わって欲しくない。できればこれを契機に、子供たちの健全で豊かな成長を願い、そのための教育環境を整えていくことを、家庭や地域で誓い合う機会にしたいものである。毎年やってくるこどもの日であるから、大人たちが意識することによって少しずつでも、子供たちの生活しやすい社会にしていくことが出来るはずである。それには子供のうちから発達段階に応じて社会への参加意識を育て、それを意欲にまで高めていくようにすることが必要である。

 数年前、中央教育審議会の答申は全国の小中学生を対象に『子どもの体験活動等に関するアンケ−ト調査』を実施した結果を分析、「生活体験、自然体験、お手伝いなどを豊富にする子供ほど道徳観、正義感が充実している」と発表した。その上で子供たちの心の成長には、地域での豊かな体験が不可欠と強調している。お手伝いなどの生活体験は、どこの家でも当たり前のように子供たちがしていた。自然体験も子供の遊びの中にふんだんにあった。これらの体験を通して、時間の使い方や生活のル−ルなどを学び知恵も身につけた。

 お手伝いが家族との一体感を生むように、地域社会での各種体験が子供を社会的人間に育て上げてきた。「最近のわが国の子供や若者に見られる変化は社会学者の目から見ると、社会人間として育っていないのではないかという疑念を募らせるものだ」と門脇厚司氏はその著書で訴えている。

 氏は、なぜそうなってしまったのかを子供の生育環境の変化から見つめなおし、これからどう育てていけばいいかを幅広い視点から論じている。「若い世代に対する大人たちのかかわり方を変えることがそのまま若い世代の健全なる育ちにつながり、そのことがわが社会がこれからも必要かつ十分な活力を維持しつつ発展していくことにつながっていくものと確信する。改めて強く思うのは、子どもや若い人たちをしっかり育てていかなければならないなということである」と結んでいる。長野県平谷村は中学生以上を対象に、合併の是非を問う住民投票を実施した。全国初である。村長は言う、「これからの村を担うのは子供たちなのだから」。
(2003年5月16日)

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