市川よみうり連載企画

元市川市教育長最首 輝夫

農村の良い教育環境

農家・農村ほど良い教育環境が現存するところは無いといえば、言い過ぎになろうか。穂高での暮らしを通して出会い、交流してきた人々の感性や知性の豊かさからそう確信するようになった。日本は全国的に心の都市化現象が広がっているという。確かに殆どの農家では一人一台の車を持ち情報はパソコンで都市並みに得られ、住まいや家具も文明の粋を集めたものであり、人々は便利で快適な生活ができる。
 ただ、生活様式は都会化されているものの、人付き合いが薄れがちになり、心の触れ合いが減るという都会特有の人間関係希薄化は思ったより進行していない。また農家には、代々受け継がれてきた文化が残っていて、昔の人の知恵が生活や農業に生かされている。暮らしも仕事も、自然と向き合うことで成り立つ農家・農業だけに、マニュアルというものは殆ど役に立たず、経験と永年にわたり培ってきた人々の知恵が生きてくる。
 自然はその摂理に基づいているとはいえ、何が起こるか分からない。そういう自然を相手に柔軟に対応する農業は、極めて知的な職業であるといえる。現に農家の人たちは自然科学に精通し、知識の追体験を農作業や生活実践に応用することで優れた知恵としている。農家の若者にその考えをぶつけてみると「そうかなあ」と、にわかに信じ難いようだったが、状況に応じて適切に処理できる能力、つまり知恵とは知性、知識に富まずには得られないものだというと分かってもらえた。
 そんな知的な農業をしているのに、お年寄りたちは百姓と呼ぶ。当事者以外が使えば軽蔑の意が込められる言葉になるが敢えて自分たちをそう呼ぶ農民の人間性の豊かさを感じる。この「人を育てる源泉となる謙虚さ」を支えているのが、自然に対する農民の謙虚な気持ちである。台風などの自然災害にも近年の異常気象にも「自然だから」と極めて寛容である。
 一方で豊かな収穫には「お陰様で」と自然への感謝の念を表す。自然を思いやる人間的なぬくもりさえ感じる。人間本位という傲慢さをもっては、農業はできない。学校教育には「自然への畏敬の念」を養うという目標があるが、自然と向き合い自然を通してその偉大さ・命あるものへの尊厳を感得することにより「畏敬(いけい)の念」や、生き物への「思いやりの情」は養われるもので、教えれば身につくというものではない。ましてや教える大人の側に自然を謙虚に崇める思いがあるかどうか。全国心の都市化といわれる中ではあるが農家・農村には、人間を育てる豊かな自然はもとより人の心をはじめ様々な文化・伝統など優れた教育環境がまだまだある。
(2005年8月5日)

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体と意識のギャップが生む環境問題

人生は様々な出会いの連続であり、出会いが人生を左右するとも言われる。穂高に住むようになったのも自然や人々との出会いからである。今年も多くの新しい出会いがあったが、その一人に長野県飯山でネイチャースキー研究所を営む桃井代表(63)がいる。新潟県生まれの東京育ち。大学で物理学を専攻、スキーの回転力学を研究する傍ら野外活動を学んだ。
 スキーメーカーで活動の後、脱サラをして「自然を楽しむスキー」を研究、今ではそれを「感性の森遊び」と名付け自然と環境に傾注しているという。年間を通じて約二十回の自然体験プログラムを組み一回六〜十人で森遊びを楽しむ。この「感性の森遊び」はレイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」がその原点。カーソンの理念を実現しようと日本環境教育フォーラムの会員としても環境教育プログラム・講演などで活躍している。
 桃井代表とは突然の出会いであったが、会った瞬間から意気投合していたように思う。白髪の豊かな髭に包まれた風貌から、人柄の良さときらりと光る知性、そして自然や生き物に寄せる限りない愛と情熱を感じたからかもしれない。それから三回ほど会ったが話題は何時も「環境問題の根源」についてである。
 彼は、環境問題の解決には「人々が生活スタイルを見直し変えていくことが不可欠だ」といい、今私たちが考えるべきは「文明生活問題」だというのだ。文明生活が原因になっているものには「環境問題」の他に「生活習慣病」と「育ちの狂い」があり、いずれも一繋がりの問題と捉える。日本ではこの四十年ほどの間に急速に文明生活化した。その結果、私たち自身の身体メカニズムを壊した生活習慣病、自然のメカニズム破壊による環境問題、そして自然のメカニズムの壊れによる育ちの狂いなどが現れ、社会問題化して来た。これらは人間が生き物であることを忘れた結果だとの強い危機感を持つ。
 生理人類学の生みの親であるアルバート・デイモン教授は「何百万年もの人類史の殆ど、その生活環境は大自然そのもの。太古の森や草原に生きた脳や身体をもって私たちは現在の文明生活を営んでいる。人間の生理機能は全て自然環境のもとで進化し自然環境用につくられたままなのだ(要約)」と述べている。
 そういえば我々人間は意識より深いレベルの無意識の中で自然を求めている。アウトドア・ライフ、登山、自然食、自然素材の活用、エコセラピーなどのブームがそれである。この「体と意識」のギャップが環境問題・生活習慣病・育ちの狂いなどを起こしていると考えられる。
(2005年8月19日)

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崩れる生き物のメカニズム

ネィスチャースキー研究所の桃井代表は、「便利、快適、効率中心の文明生活は『自然』をどんどん排除してきて、遂には私たち人間の根本である『生き物』の部分をも壊し始めてきたと捉えるべきではないか。環境問題は自然環境という生き物たちを、生活習慣病は私たち人間の体を、育ちの狂いは人間の育ち方をというように、それぞれ生き物のメカニズムが壊されている現象だ」という。今回は、最近子供たちがまともな人間に育っていないようだという『育ちの狂い』(発育不全、発達障害)を取り上げてみたい。
 前回紹介した、アルバート・デイモン教授の学説を受け、代表は次のように分析する。「人間は一万年ほど前までにはほぼ地球全域に生息するという哺乳類で最強の環境適応能力を身に付けたが、その秘密の大半は『育ち方』にある。人間の赤ちゃんは生命維持装置の脳幹が出来たばかりの非常に未熟な状態で誕生し、環境から様々な刺激を受けその環境に適応するように身体の機能や脳をつくっていくというメカニズムになっている。従って産まれてからどのような刺激を受けるかが問題となる。それが文明生活の中では育ちのメカニズムに合わない『不自然』な刺激だらけで、人間本来の心身の発育が非常に難しくなっている」と。
 子供は快適な環境である産院で生まれ文明生活の中で育つようになった現在、本来のメカニズムが期待する刺激とはかけ離れたものとなるため正常な情動や知性の脳、身体機能を育てられなくなっている。例えば昔は「夏生まれの子は寒がり、冬生まれの子は暑がり」といわれたが、これを科学的根拠からみれば汗腺は暑さで、褐色脂肪細胞は寒さによってスイッチが入るといわれ、しかも能動汗腺は二〜三歳、褐色脂肪細胞は生後二〜三週間の体験で決まるといわれる。この期間内に暑さ又は寒さの刺激を受けなければ、暑さ寒さに適応する身体の調節機能が働きにくいのである。文明生活を手に入れた恒温動物の人間が変温動物へと変質しつつあるともいえよう。
 最近、『人間になれない子どもたち』(清川輝基著)、『子どもたちはなぜ9歳で成長が止まるのか』(三沢直子著)などショッキングな本が話題になっているが、子供の脳の発達に異常が指摘され始めたのは十年ほど前からである。このことに危機感を持ち市川市が取り組んだのが自然や多様な人と触れ合う機会をつくる『遊び』を中心に据えた『ナーチャリング・C』事業である。文明生活が当たり前として育つ子供たちに「自分も生き物だ」と実感できる環境を大人の責任において用意し、必要な刺激を与えていきたい。
(2005年9月2日)

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自然の摂理に反する社会

人間は自然に対して傲慢だといわれる。近代文明の著しい発達を背景に益々その傾向が強くなってきている。これまでに人間は自らの都合のために自然を様々にいじり、壊してきた。その報いが災害、健康、子育てや教育、食物、気候など様々な形で人間に襲い掛かってきている。
 日本人は昔から自然を崇め感謝し、自然と共に生きてきた。特に子供時代は生活と自然は切っても切れない関係にあったが今では縁遠いものとなった。そのことが育ちの狂いを起こし、子供の心を歪めていることは繰り返し述べてきた。犯罪心理学者の福島章氏は今の子供は「新しいパーソナリティーの持ち主になってきている」(著書『子どもの脳があぶない』)という。これとて自然と隔絶された世界に育ったことに原因があるようだ。
 同様に生活習慣病も自然と切り離された食生活によって増加したといわれる。このことを分かりやすく書いた本に先頃出合うことができた。世界で初めて開腹手術することなく、大腸内視鏡によるポリープ切除に成功した世界的権威、米国医科大学外科教授の新谷弘美著『病気にならない生き方』である。人間がどのようにして病気になるのか、又どうすれば治るのかが手に取るように分かり、まさに目から鱗であった。ショックもあった。
 「牛乳・乳製品は体に悪い。牛乳は本来子牛のための飲み物、人間が飲んでも害になるだけ、自然界で大人になっても『乳』を飲む動物など一つも存在しない。つまり、自然の摂理に反した事をしているのです」。それと「農薬を使った作物に生命エネルギーはない。それをいくら食べても健康にはなれません」(要約)などである。
 確かに作物は見栄えで選ばれる時代だから、虫の食ったものなどは売れない。そこで農薬を使う。農薬は農作物のエネルギーの根源である土壌生物達の命をも奪うという悪循環になる。これも自然の摂理に反することといえよう。教授の膨大な臨床と自身の体で検証した結果から導き出されたものは、人間が病気になるかどうかはこれまでの食歴と生活習慣によって決まるということ。母乳か人工乳かから始まって、今までの積み重ねによって左右されるもので遺伝子よりも習慣に原因があるという。
 そして、その食物と習慣を自然の摂理に則した生活に変えれば体も変わるというのである。この考え方は、子育てや子供の教育にも通じるものがある。ここに改めてペスタロッチの教育理論『生活が陶冶する』の偉大さに敬服するものである。今こそ、人間の原点である自然の摂理に従う謙虚さを取り戻すときが来ているように思うのだが。
(2005年9月16日)

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感動を呼ぶ美しい日本語

2005・夏・長崎から―さだまさしコンサートを今年も、テレビで見た。今年で十九回目というが、最初から一貫して「平和への祈り」をテーマに毎年、外国を含め多彩な仲間たちが集い、歌とトークが楽しめる。昔「歌は国境を越える」といわれたが、今では「歌は地球を一つにする」といってもいい。歌は人の心に感動と共感を呼び起こすものであり、それが人の行動に結びつけば更に良い。作曲家・船村徹氏は「歌は聴くものの心に響いてこそ歌であり、心に残ってこそ歌である」といっていたが、まさしく、さだまさしコンサートがそれである。
 毎年、八月には平和を祈る各種行事が全国各地で行われるが、何故か我が家ではこのコンサートを聞いて、平和の尊さをかみしめることが恒例となっている。「長崎の空」「広島の空」、そして「落日」と続くフィナーレでは、稲佐山公園の会場を埋めた数千の聴衆に平和を守ろうという一体感が生まれ、頭をたれ祈り、涙する人たちの姿も多くテレビを通じてその感動が伝わってくる。「自分の一番大切な人の笑顔を護っていこう、そのためにも平和を!」。それには世界の連帯が必要という、コンサートメッセージで幕が閉じる。
 市川にいる頃はよく、文化会館でのコンサートに行っていた。理由は市川にゆかりのある歌手と言うだけでなく、詩・曲は勿論のこと、トークが良かったこともある。さだまさしの詩は日本語の美しさを存分に表現していることに定評があり、それだけに人々を感動させる力を持っているのだ、という。ある大学の教授はゼミでさだまさしの歌を教材にしている。ゼミには多くの外国人留学生がいるが皆、さだまさしフアンだという。風に立つライオン、精霊流し、無縁坂、いい日旅立ちなどを好むが、特に「案山子」を聞く留学生の目からは何時も涙があふれるという。子を思う親の心が美しい日本語で綴られているからこそ、国境を越えて感動を呼ぶのであろう。「秋麗」なども日本語の美しさを感じさせる歌である。
 さだまさしの歌にはもう一つ「人」に対する深い「愛」が根底にあることに気づく。親子愛、夫婦愛、家族愛、そして人類愛。風に立つライオンなどはまさしく人類愛そのものといえよう。
 人間は言葉でものを考えるという。言葉は文化でもある。従って言葉を失うことは考えることを失い文化を失うことでもある。ただ、言葉は時代とともに変わる。明治の文豪ですら若い人の言葉の変わりようを嘆いたといわれる。言葉の変化は受け入れながらも「美しい日本語」は子供たちにしっかりと伝えていきたい。平和の尊さとともに。
(2005年9月30日)

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さだまさし『MOTTAINAI』

美しい日本語のさだまさしの歌に今度は、言葉の概念と価値までを表現した新しい歌が加わった。『MOTTAINAI』である。この歌を創るきっかけとなったのは、昨年アフリカの女性として初のノーベル平和賞を受けたケニアの環境活動家・副環境相ワンガリ・マータイさんの世界に向けた『MOTTAINAI』キャンペーンである。
 二十八年前、非政府組織(NGO)「グリーンベルト運動」をつくり、砂漠化を防ぐための植林活動を進める中で出合った日本の言葉『勿体無い』の持つ概念にいたく感動したという。天然資源を大切に使い、世界の人々と平等に分け合っていくことを活動方針に掲げるマータイさんは、地球環境の大切さを訴えるのにこれ以上の言葉はない、非常に価値ある言葉だと評価し「植林運動に加え『勿体無い運動』も是非世界に広げたい」と語ったといわれる。
 日本では死語に近くなったこの『勿体無い』は、もとはといえば「(有用な物や人物が)粗末、無駄にされているのが惜しい感じである」(新国語大辞典−学研)という意味に使われ、特に暮らしの様々な面での無駄を戒める言葉として使われていた。それだけではない。この言葉の奥深さは「誠に恐れ多い」という意味を併せ持っていることにあり、その根底にはありがたいという『感謝の念』が潜んでいる。
 さだまさしもそのことに気付き、共感して『MOTTAINAI』を創ったという。「感謝することできっと、そのものに対する思いや扱いは変わるだろう。大切にしたい、あらゆるものを。心からそう思う」というメッセージが添えられている。
 心にしみいる歌詞の一節を紹介したい。『自分さえ良ければいいってのは 自由ではなくって利己主義なんだよと誰も教えてくれなかったなんて MOTTAINAI 心が痛い 冥利が悪い もったいない(繰り返し)親が命懸けで生んでくれて それなりに必死になって育ててくれて なのに自分だけで育った気になるなんてMOTTAINAI 転んだら怪我を心配し 離れれば健康を心配し 何時も子どもの人生を思っているのに気付かないのはMOTTAINAI 愛してもらうことを願うならば 愛することから始めたらいい 本当は愛に囲まれてるのに気付くだろうMOTTAINAI 愛されてるんだよ 誰もが自分本位だからって 心を閉ざしてしまったらきっと誰かが気遣ってくれてもそれに気付かないよMOTTAINAI…』。
 多くの教育的な示唆に富む歌である。逆輸入とは情けないが、子供たちのためにも大切な価値観「勿体無い」を日本社会が取り戻したい。
(2005年10月14日)

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山口重直元教育長の逝去

市川市は偉大な教育者を失った。山口重直先生の逝去である。先生は生涯を通じて「子供一人ひとりへの至上の愛」を貫かれた、真の教育者であった。教育長時代、「(進学しない)五%の子供たちの立場からの教育を」が口癖になっていた。
 当時は学校も家庭も偏差値・受験などに目を奪われ所謂「受験戦争」一色の時代、その受験戦争を「諸悪の根源」と喝破し全ての子供の保有する「未発の可能性・個性」が開花する学校づくりをと、具体的に繰り返し提言する姿に感銘をした。また「家庭に教育能力も愛も無い恵まれない子供たちが増加する中にあって、学校でも心を向けてくれる師がいないとしたら多感で不安定な少年期がどうなっていくかは自明、反乱を起こさせてしまうような学校体制を変えよう。教員の愛と団結によって家庭に欠ける愛をふんだんに注いでいきたい」とも。
 このように子供への限りない愛と全ての子供たちの持っている可能性・個性への信頼が根底にあったからこそ、揺るぎない市川教育の確立ができたのである。市川教育荒廃といわれるなか、山口・市川教育がスタートしたのは二十六年前、教育重視の高橋市政のもと「心の教育」「開かれた学校」を教育行政目標とし教育者の視点に立ち、教育の本道である少なくとも二十年先を先見、そして発想の大転換を伴う創造を精神とし、全ての子供の豊かな人間的成長を願い諸施策の創造に当ったのである。花・歌・読書の心の教育、特色ある学校づくり、学校・家庭・地域が一体となって子供を育てるコミュニティスクール事業など数々ある。
 コミュニティ・S施策は市長の発想と教育の本質を基盤とした先生ならではの卓越した未来社会の洞見力なしに生まれなかったと考えられる。当時の学校は日本中で校内暴力の嵐が吹き荒れ、それに伴う管理教育、力による生徒指導など学校は“閉じられた学校”への道をひた走っていた時代、その時にあえて学校を開こうとすることは天下の大勢に逆らい自ら辛苦を求めるものとなった。
 それが二十年後、見事に開花し、読書運動や図書館ネットワークなどと共に国の施策となり、全国に発信。又、その後の三次校内暴力の嵐にも市川の無風状態は、各から注目された。
 忘れてはならないのは先生の教育改革理念に共感し積極的に協力する多くの市民が一体となっての成就であるということである。入院中の身であり葬儀に参列することは叶わなかったが、代理で参列した妻や諸先輩などから、別れを惜しむ千人を優に超す市民の心に、改革の火種が引き継がれていることを知る。再び燃え上がる時を待ちたい。
(2005年11月4日)

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C・S〜N・Cの成果

先進的で画期的といわれた市川市の教育施策、開かれた学校・コミュニティ・スクール事業とはどんなものか。一九八〇年、当時の日本は高度経済成長の最中にあり、経済的にはかなり豊かにはなってきたが、子供の心は逆に満たされない状況にあった。中学校は全国的に戦後非行の第二のピークを迎え、校内暴力で荒れていた。このようななか「学校を開き、家庭・地域・学校が一体となって子供を育てよう」と呼びかけたのがコミュニティ・スクール事業(以下C・S)である。
 この理念は、一九四〇年代における変動の急激な米国社会の中で、学校だけでは立ち行かなくなった子供たちの教育を立て直すためにオルセンが提唱した、教育史上第三の学校といわれるコミュニティスクールが原点になっている。「学校を開く」とは学校教育を地域の人々に開放すると共に協力を求め、一体になって学校教育を推進するということである。こうして、学校が直面していた深刻な危機を地域の人々と打開しようとした。
 いまから二十五年も前の、日本の学校は閉鎖性を強めていた時期でもある。「激しく変化する現代社会は、流れのままに任せるなら“受け身・後追い”の苦労に悩まされる。我が市のC・S施策はそれとは正反対の“創造・先見の辛苦をあえて求めようとするもの」という山口先生の言葉からも分かるように、時代への挑戦であり、悩み苦しんでいる子供たちを何とかしたいという並々ならぬ決意と情熱を感じる。
 改革には付き物である既成概念の壁や既得権・縄張り争いなどによる反対・抵抗を乗り越える原動力は何といっても、地域住民の理解と子供に対する無償の愛に支えられた協力であったことは言うまでも無い。事業開始から九年後、全校がC・S事業に取り組む頃には日常的に学校と地域の密接な連携が可能となり、地域の人々が学校教育に直接関わることで子供たちの学習意欲が高まり学習を効果的にしている。国に先行した「総合的な学習」の原型である。
 また、教員や子供が地域に目を向けるようになり、地域の人々の学校理解も急速に進んで、「地域・学校が一体となって子供を」という所期の目標がほぼ達成されていたといえる。ただ課題はあった。C・S事業を「地域のもの」との捉え方をしているむきが一部あったこと。その誤解を解き、本来の趣旨に戻すために立ち上げたのがナーチャリング・コミュニティ(N・C)事業である。地域の教育力を学校教育に活かすC・S活動と、地域の子供を地域社会が育むという意識を醸成するN・C活動は、地域を重視する市川教育の両輪となったのである。。
(2005年11月18日)

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教育委員会無用論

教育委員会制度の存続が、三度揺れている。過去二回は「教育委員会の活性化」という命題で乗り切ってはきたが、現実は旧態依然としている。それどころか益々教育委員会が閉鎖的、権力的になってきたとも聞く。この現状を憂慮した有識者の間から再び「教育委員会無用論」が聞かれるようになってきた。
 制度の根幹になる法律「地教行法」の制定は一九五六年。冷戦構造下でのイデオロギー対立や、教育委員と首長の政治的対立を教育に持ち込むのを防ぐための制度であった。それから五十年。社会や教育環境は大きく変わり、当然のことながら制度疲労を起こし、その機能が麻している。
 ところが教育委員会は相変わらず文科省依存のまま、施策の企画立案・決定能力を持たず、ただ文科省の方針や政策を学校現場に流し、それが適正に行われているかどうかを管理監督するだけ。一方で、首長・首長部局の施策請負をする。それだけではない。教育委員会が懇話会を設置し始めたと聞き驚く。一見、広く市民の意見を聞き施策に反映するという開かれた教育委員会をイメージさせるが、必ずしもそうとはいえない。
 なぜならば、一般行政や文科省と違い、教育委員会には人格が高潔で識見を有し(地教行法四条要約)、多様な住民の意思やニーズを集約し反映させる役割を持つ教育委員と、教育の専門家としての教育長がいる。従って教育委員会自らが方針や施策の立案・決定に当るべきで、別に審議会的なものをおく理由は無い。もし置くとすれば委員会の役割は何になろうか。
 このような二重構造こそ時間と税金の無駄遣いである。更に、今回の中教審答申では教育委員会所掌事務を首長が担当できるようにした。益々、現教育委員会の存在価値はなくなったといってよい。学校教育の監視機関だけの役割ならば、学校教育部として一般行政に組み込めばよい。教育長も教育委員もいらなくなるから、職員減と合わせ人件費節減分で教員を大幅に増やせる。
 もう一つ、現教育制度には誰も責任を取らないという欠陥がある。学校事故や事件、教育施策の失敗などで教育長・教育委員が責任を取ったという話を聞かない。職員の不祥事ですら指揮監督の立場にあるトップが全く責任を取らず、部下だけの処分で済ませられる。これが教委権力化の元凶でもある。人事権の無い市町村教委、その幹部が「飛ばしてやる」などと脅し文句を口にするに至っては、現体制の終焉である。何の責任もとらず、ただ権力を行使するだけの教育委員会ならば無用である。主体的で責任をとる新しい制度の構築が急がれる。
(2005年12月2日)

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地域にとっては無用な教委

小学生の子供を持つ或るお母さんが子供にお弁当を持たせたいと思い、担任に尋ねた。担任は私の一存では決められないと校長に聞く。校長は教育委員会に、市の教育委員会は県教委に、県教委は文科省に聞けと言う。文科省に電話をすると「そういうことは個々の教育委員会のご判断なさることで…」と一蹴されたという。
 よく聞く話であるが作り話ではない。参議院教育改革プロジェクトで出会った古山明男氏は、これが日本の教育システムを象徴する事例であるといい、責任の所在が曖昧な制度でありながら上意下達の中央集権体制であることからこれを「中央集権無責任体制」と命名している。地域住民からすれば遠い存在の教育委員会ではあるが、国民の義務教育という極めて重要な責任を担うはずの行政が何故このような無責任体質になったのか。その原因は前回も触れたが日本の教育システムを決定付ける「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」にある。
 この法律が制定されて此の方「箸の上げ下ろしまで」といわれるように国が教育に関わる一切を取り仕切ってきた。そのため教育委員会は思考停止状態に陥り、結果として全て国からの指示を待つ国依存の体質が身に付いてしまった。県や国の方に目を向けることはあっても、身近な教育問題に責任を持ち、主体的に解決しようとはしない、地域にとっては無用な教育委員会が多くなっている。国が「ゆとり教育」を唱えればゆとりゆとりといい、ゆとり教育の完全実施直前になって文科相が「学びのすすめ」といえば、それ!学力向上推進だと、子供たちや現場のことは何も考えず方向転換をする。子供の教育のためにあるはずの教育委員会が子供を一番の犠牲者にしているとは考えられないのだろうか。
 その教育委員会に御無理御尤もと従う学校も学校である。真に子供のことを思い子供の側から教育を考えるならば、物申すはずである。物言わぬ学校では子供一人一人の多様な個性や才能を開発し、自立する力を身につける教育などできるはずが無い。子供に最大の影響力を持つのは学校であり教員である。校長は子供や教員・保護者、地域社会をしっかりと見据えて自らの教育理念・信念に従って確固たる教育を推進すべき立場にある。一九五六年に制定された法律とそれに基づく教育体制はそれなりの役割を果たしてはきたが、五十年も経った現在、時代との乖離は著しいものがある。今、求められているのは学校の自立である。教育理念無き文科省や教育委員会にこれまで通り従順であればあるほど、子供たちが犠牲になることを忘れてはならない。
(2005年12月16日)

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2006年元旦に託す

二〇〇六年元旦、安曇野平と北アルプス連峰が一望できる長峰山の頂上に立つ。朝六時四十五分、一八〇度の視界いっぱいに白い峰を連ねた北アルプスをシルエットに、その稜線辺りがうっすらと色づき始める。いよいよ夜明けのドラマの始まりである。五十分、青みがかった早朝の空をバックに放射状に広がる灰色の雲に赤みがさす。やがて白い山脈の帯がピンク色に染まり、次第に輝きを増す。空の青さとのバランスが見事で、言葉にならない感動の瞬間を迎え暫し見蕩れる。
 視線を下げると其処は安曇野の原。遠く山腹にたなびく一筋の雲、近くの雲海、その下にはまだ眠りから覚めやらぬ安曇野の自然と市街や集落がネービーブルーに沈んでいる。それはまるで、暗い海の広がりを見ているようであり、その先に大きな島が浮かんでいるようにも見える。気が付くと手前の低い山の頂が鮮やかなピンク色になっている。もうすぐ新生安曇野市の夜明けだ。
 昨年十月、近隣五か町村が合併して安曇野市が誕生した。市長選には五人が立候補、投票率が八〇%に迫る激戦を勝ち抜き、前穂高町長が当選した。それぞれに個性を持つ五つの町村をまとめ新生安曇野市の共通の価値観、方向性を築き上げるにはこの市長をおいてほかに無いと、全面的に応援してきただけに期待も大きい。そのためであろうか新しい市として初めて迎える新年がこんなにも清々しいとは、思いもよらなかった。何か途轍もなく希望に満ちた、素晴らしい市になっていくような予感がする。教育という視点から見れば都市化は必ずしもプラス要因だけでは無い。
 しかし、教育環境の破壊をできるだけ抑え、都市化のメリットとの相乗効果を狙うことで、よりよい教育環境にすることはできる。ここ安曇野市は、その条件が揃っている。まず人を育てる豊かな自然と、その自然に育てられた人々の住む地域社会がある。先人達の築いた文化と伝統が、厳然と受け継がれている。そして何よりも力強いのは、郷土愛の強い県民性と、伝統ある信濃教育への誇りがあることだろう。
 信州の自然や風物を称える県歌『信濃の国』がちょっとした寄り合いにも歌われ、誰もが口ずさむ。これを歌うことによって信州人としてのアイデンティティーを自覚するのだという。そして勉強好き読書好き議論好きで、教育熱心な信州人がいる。市長に日本一の教育・文化都市の構築を提言したところ、話を聞きたいとの返事があった。子供たちから信州人の心の豊かさが失われないよう、今ある優れた教育環境を大事にしていこうとする安曇野市に、自分の夢を託した元旦の日の出である。
(2005年12月30日)

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脱学歴社会に必要な…

雪晴れのあざやかな光のなかで迎えた今年の新春。これまでに無く幸せ感に浸ることができた。それは人間関係に起因しているようである。穂高に来て四年半、五回目の正月。この間に人間関係も生まれ変わった。我が家を訪れてくれる人数も年々増え、今年中に大台に乗せるのは確実となった。これらの人々との関係は役職を意識した打算ではない、年齢や肩書きを超えた人間同士の純粋な心の触れ合いであり、信頼と親しみを根底にした付き合いである。
 長年の友人が栄達のため関係を断ち切り去るのを見て、人間不信に陥ったこともあったが、それも素晴らしい人々との関係によって雲散霧消した。未だに続く後任人事に対する私への不満や恨みの根深さも、非情な交代劇だったという真実を話すことで去年、大方誤解が解けたように思う。いずれにしても人間関係ほど難しく煩わしいものは無いが、それだけに喜びも大きいものがある。
 その喜びを強く感じたのは病気をしたときである。自分が教育委員会に入った当時の尊敬する市長、人生の師である教委の大先輩をはじめ市川市民、教え子の多くから見舞いや励ましのメッセージをいただいた。その後も、雪が降って大変ではないか、寒さで傷口は傷まないかと声をかけてくれる。こんな幸せは無いのではないかとつくづく思う。
 今、子供や若者の多くが人間関係に苦悩していると聞く。日本はいろいろな価値観の崩壊ブーム。親子、夫婦、教員と子供、交友関係といった基本的な人間の関係性が崩壊しそれに伴ってモラルの崩壊が、考えられないような事件や犯罪を引き起こしている、と精神科医の香山リカさんは言う。その上で『国家崩壊、人間崩壊だけは何とか避けたい』と危機感を持つ。勿論、学歴社会はとっくに崩壊している。
 このような背景を持つ日本社会に求められる人間像は、成績の良いエリートでは無く、思いやりのある温かい人間性を持ち、主体性のある意欲に富む人間である。企業も同様、人間性重視に加えて創造性とコミュニケーション能力に優れていることが絶対条件という。若い頃、教育は人が幸せな人生を送れるようにするためにあると教えられた。それが何時の間にか、いい学校に入りいい会社に入ることが幸せな人生なのだ、といわれるようになり、その幻想を子供に強いるようになった。
 結果、人間関係の豊かさと幸福感は切り離され、子供時代から自己中心、自己愛の世界に閉じこもるようになったのである。相互信頼で結ばれた豊かな人間関係こそ人生の宝。子供たちに生の人間的触れ合いのできる場所と時間を多くしてやりたい。
(2006年1月20日)

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複雑怪奇な教育委員会制度

現行の教育委員会制度が如何に複雑怪奇であるかを、NPO地方自立政策研究所代表の市長経験者でもある穂坂邦夫氏が分かり易く書いているので紹介したい。本制度は『教育の現場を知らない文科省の机上の運営論でありシステムであるから実態とは大きくかけ離れている。これを通常の会社形態に例えてみればその異常さがはっきりする』と次のように述べる。
 『現行の学校経営形態では本店は国、支店は都道府県教育委員会、営業所が市町村教育委員会で現場事務所が学校となる。しかも、本店、支店、営業所がいずれも別会社で経営される極めて異例な形である。本店は国の文科省で社長は大臣、支店と営業所はそれぞれ都道府県や市町村という別会社に所属していて知事や市町村長という社長がいる。然し教育委員会は独立機関であるため社長である知事と市町村長は、支店や営業所に対して何の権限も無く責任も無い。社長の役割はそれぞれ支店と営業所や現場事務所の経費を負担することだけである。営業所の立場も不思議で人事権が無いばかりか営業所の経費も現場事務所の経費も社長に握られている。従って必要な経費は社長にお願いしてもらうことになるから社長の気分に従わざるを得ない。(中略)なんとも複雑で不可解な仕組みである』。実際の運営では奇妙なこと不可思議なことがいっぱいある。
 例えば、『実施主体である営業所(市町村教委)は学校という現場事務所を所有しており実際の営業行為は現場事務所が行っているが、奇妙なことに、この営業所の責任者は人ではなく教育委員会という機関である。教育長は単なる営業所事務取扱責任者(事務局長)であって重要な営業活動(教育行政の方針や施策)は営業所の幹部会に相当する教育委員の会議によって決められる。更に、現場事務所(学校)には校長という現場監督と教員と呼ばれる社員がいるがこれまた不思議なのは全てが支店から派遣された出向社員(校長・教員、事務職など)である。従って社員の採用、管理職の任命、人事異動などは全て支店が行うのである。しかも、営業所に対して別法人である本店と支店から営業活動の方針や内容が細々と指示される。誠に可笑しな制度であるが関係者は何の疑いも持たず、住民や有識者、マスコミにもこの矛盾した制度は理解できないほど複雑なのである』。
 このような制度が続く限り行政関係者の栄達や保身、傲慢さの助長などの温床になることはあっても、教育環境の悪化など山積する深刻な教育問題に主体的、且つ責任を持って立ち向かう教育行政には成り難い。(『教育委員会廃止論』弘文堂。要約)
(2006年2月3日)

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形骸化した教育委員会制度<1>

新しい教育制度の理想像とはどんなものか。時代に取り残され形骸化した現教育委員会制度の現実と弊害の一部を前回までに明らかにしてきた。この続きはいずれ書きたいと思うが、このシリーズを執筆中に出合った穂坂氏の『教育委員会廃止論』は自分の経験から得た見方、考え方と重なり共感するところの多いことに驚く。その共感部分を中心にこれから目指すべき新しい教育委員会制度を考えてみたい。
 穂坂邦夫氏は埼玉県志木市の市長をつとめ、全国で初めての「25人程度学級」導入や不登校児童への「ホームスタディ制度」「校長の裁量で使える予算執行枠の設定」など先進的な教育施策を推進し、僅か一期の市長在任で質の高い志木市教育へと導いた人でもある。県職員、市職員、市議会議長、県議会議長を歴任し、長期にわたって地方行政の様々な立場に身を置き、つぶさにその実態を見てきた経験から日本の教育への危機感を募らせたという。
 それだけに文科省の机上の空論とは違い、教育の本質をしっかりと捉えながらも現実的であり、子供の視点と現場の実態に即した改革を進めていることに感銘を受ける。この本を読みすすめて行くうち、実によく教育を理解し、その実態を的確に把握していることに気付く。子供の視点や現場の実態から得たものを行政課題として取り上げ、自ら解決策を創造し実行する。時には国の規制と闘い一方で中教審では大胆な改革提言をする。当時、財政難を始め多くの課題を抱えるなか教育を最優先課題としたのは達見というべきであろう。
 これだけのことを四年という短期で実現するというのは凄いことである。とかく評判の悪い現教育委員会制度下でも、首長によってはこんなにも優れた教育行政がなされるのだと思い知らされる。勿論、全国には穂坂氏のような『信念を持った首長の支えとカリスマ的な教育長のもとで新しい施策に挑戦している教育委員会も例外的にあるが』(穂坂氏)これでは心もとない。このような実態から考えて、地方の教育格差は今後ますます広がるばかりと予想できる。
 リーダーの考え方次第で教育施策の軽重が変えられるような制度はどう考えてもおかしい。ではどうしたらよいか。それは新しい教育システム・教育委員会制度を創り上げること以外に無い。しかもその新制度は、学校や市町村教育委員会が主体性や責任を持てる実質的な自立の確立をめざしたものでなければならない。また、『現行制度を長い間絶対視して育ってきた教育関係者のリーダーのぬるま湯的体質』(穂坂氏)を変えるものでなければならないことは言うまでもない。
(2006年2月17日)

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形骸化した教育委員会制度<2>

教育行政は『国民の教育に直接責任を負う』(教基法)と定められながら住民からは遠い存在である教育委員会。その仕組みや役割、内情が住民に開かれることから真の地域教育は始まる。教育の基本理念は『教育の中立性、自主性・自律性』(憲法及び教基法)であるが現制度ではそれすら形骸(化している。それは根幹となる法律が極めて複雑且つ曖昧であるため、教育関係者にさえ理解されないまま制度の運用が成されている。このような現実が、各種の弊害を引き起こしている。
 しかも、文科省―教育委員会―学校という集権構造のため、一番大事な教育の受け手である保護者を含めた地域住民の意見・意向が反映できるシステムではない。勿論、首長も関与できないことになっているから文科省以外にチェック機能は無いのに等しい。このことが教育委員会を地域に対して閉鎖的、硬直的にしている。また、教育の絶対的条件である政治的中立性についてはどうか。
 現制度では教育委員会が首長から独立、主体性を持つことによって中立性が担保されるのであるが、現実はその逆である。原因は、首長の持つ予算編成・執行権と教育委員選任権及び職員の人選権にある。これらの権限を持つが故に、首長は見解の違う施策には予算をつけず、快く思わない教育委員の再選を阻むこともできる。つまり全て首長の思い通りにできるシステムであり、実質的には教育委員会が首長の支配下にあるのと同じ、これが行政の腐敗を招く。
 例えば、栄達を望む者がうまく首長に取り入ることで地位を得ることも可能である。こういう場合、首長との良好な関係さえ維持していれば自らは安泰であるから、殊更改革などをして敢えて波風を立てることもない。反対に首長の言われるままに理念・理論の無い施策のゴリ押しすら出来る制度でもある。従って保身に走るリーダーのもとには、ともすれば権力に阿るイエスマンで住民や教職員に対しては権力ずくや傲慢な人々が集まる傾向があると言われる。いずれにしても、このような教育委員会では地域の教育にプラスになることはない
 一方、首長にとっても都合の良い仕組みで、教育委員会の諸施策に直接かかわっていたとしてもその失敗や批判に対して責任が首長に及ぶことは無い。教育に権限の無い首長が選挙で、教育問題を公約に掲げる不思議さも、この制度の曖昧さからであろう。このような現制度下では地域教育の良否は首長によって決まるといっても過言ではない。教基法の理念である地域に開かれ、住民の意向が直接反映でき、自主権・自己責任を持つ教育委員会にしたい。
(2006年3月3日)

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形骸化した教育委員会制度<3>

引き続き、新しい教育制度について考えてみたい。新制度は「教育の政治的中立性の確保」(教基法)が絶対条件となるが、これは前回も述べたように教育委員会の首長からの独立なしには実現しない。また、中立性の確保なしに教育委員会・学校が自主性・自律性を確立し自立することはできない。教育の目的は教育基本法に示されている通り「自主的精神に充ち心身共に健全な人格者として完成させる」ことにある。つまり自立した人間に育てることが教育である。それ故に自立できないでいる教育委員会や学校が子供の自立を図る教育ができるとは思わない。
 人は幼児期の他律・依存から始まり、次第に自発性を身につけ自律的な行動がとれるようになりやがて自立していく。その過程にある子供の人間形成を図ることを使命とする学校は勿論のこと、その指導的立場にある教育委員会が他律的、依存的であってはその役割を成さないことは明らかである。自立した大人だけが子供の教育ができるという単純明快な真理に目を背け、現制度に胡坐をかく教育委員会・学校のを変えるには制度の改革しかないのではないか。
 第一に身近な行政の改革、とりわけ教育委員会における自己責任体制の確立が必要である。まず現行教育委員会の合議制を廃止、地域の各層からなる教育審議会的なものにし、必要な権限を与える。その上で教育長を教育行政の最高責任者とした体制を樹立する。もともと教育委員会は教育施策の決定や、運営に非専門家(素人)の考えを反映させ、教育行政を地域住民の意思のもとに置くというレイマンコントロールの原則に基づいているのであるが、地域に開かれない現行の教育委員会はその役目を果たしているとは言えない。
 第二に理想的にはアメリカのように教育予算の独立が望ましいが、無理ならば教育予算編成権を教育委員会と学校に移譲する。現行制度では教委で必要経費を算定、首長部局の予算査定にかけるという仕組みだが、これでは繰り返し説明する無駄な時間と労力を費やすばかりで、教育的見地からは重点施策であっても財政当局の理解が得られなければ予算が付かないという、極めて不条理なものである。
 このような小回りの利かない現制度下においては刻々と変化する子供の教育環境に対応するための施策は実現が難しい。現役時このような事態を避けたいと教委の主体的予算編成を可能とする教育予算の「枠配分方式」(拙著『市川の教育改革』=ぎょうせい)を提案したが、残念ながら理解は得られなかった。
 第三に県費負担教職員制度とそれに伴う県教委の廃止である。
(2006年3月17日)

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形骸化した教育委員会制度<4>

年年歳歳花相似たり歳歳年年人同じからず。今年はどのような教職員異動が行われたのだろうか。異動は学校の人的環境をよりよくするために行う人事事務であるが、思うように行かないことが多い。その理由は県費負担教職員制度にある。十二月になると都道府県教育委員会(以下県教委)の異動方針なるものが出る。例えば、いまから四十年程前に学校教育の画一化を目指した頃の「在任が新採五年その他七年以上の者を異動対象とする」というような、前時代的な方針が示される。
 その方針に基づき、教職員全員の異動希望の有無、希望先等を書いた一覧表が校長を通じて市教委に提出される。校長は県・市教委の校長面接に臨み、教職員の異動希望を「意見具申」する。人事に関する直接的な権限のない市町村教委(以下市教委)は、校長の意見を県人事に反映させるための「内申」を県教委にする。内申を受けて人事権を持つ県教委が最終決定するという仕組みだ。
 三月末に異動辞令が交付されるまでの約三か月間、関係者は書類作成、面接(校長と教職員、校長と市教委、市教委と県教委)、人事に関する諸会議、そして異動者の意思確認などを繰り返しながら、教職員と県教委の板ばさみの中で煩雑な事務をこなしていく。本来は県教委事務であるものを代行しているだけであるから、苦心の割には現場の意向を反映し難い。
 一方、学校は地域に根ざした特色ある教育をしたいと思っても、ふさわしい教員の確保はおろか核となる教員すら方針に従って機械的に転任させられる。また校長の在校期間が短く、教員より地域に明るくないということもあり、通り一遍の学校経営に陥り易く、目指すべき地域一体教育など地域に腰を据えた責任ある教育の実現を困難にしている。「学校経営」という言葉は存在するが、学校には経営の基本権である人事権や服務監督権すら与えられていない。「経営」というからには予算編成権を含め、これらの権限は不可欠なものである。それどころか権限を与えられていない学校が責任を負わされるという不条理まである。
 平成十二年四月、地方分権法の施行により市町村の自己責任・自己決定という主体性の確立が期待されたが未だに実現されていない地域も多い。それはリーダーの意識の差だというが、教育は子供の一生にかかわる。一日も早く県教委の人事権、市教委の服務監督権を始め、経営権の全てを学校に移譲し、主体的経営のできる条件を整えたい。
 義務教育の現場を持たず、文科省の中継事務だけの県教委はいまでは無用。廃止に伴う余剰経費の活用で大きな教育効果が期待できる。
(2006年3月31日)

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意識の薄さを懸念

新年度を迎えた。子供たち、そして教職員にとっても希望に満ちた出発であって欲しいと願う。前回まで述べて来たように、日本の教育制度は戦前教育の反省に立ち、アメリカ型の民主教育を取り入れたのであるが、途中、国の都合で制度の精神でもある政治的中立性の担保に不可欠な教育費の独立や、教育委員の公選をも取り上げ骨抜きになった。この理想と現実の矛盾を長年放置してきた弊害が教育現場に暗い影を落とし、子供の教育に多大の悪影響を与えてきた。この認識があれば国の改革を待つまでもなく、自ら改革に向けて行動を起こすのが地方行政や学校のリーダーの使命である。
 現に全国には自立した行政・学校・地域が一体となって教育改革に取り組み、著しい成果を上げている地域が多くある。その一つ、一八六九年に地域の人々がお金を出し合い日本最初の小学校を誕生させたという、地域主体の学校第一号が京都市にある。日本に教育制度が生まれる二年前のことで、訪れた福沢諭吉も絶賛したと伝えられている。以来、「地域の子供は地域の財産、地域ぐるみで育てよう」(門川教育長)との精神が、いまなお受け継がれているという。このような精神風土もあってか、全国に先駆けて「学校運営協議会」を設置し、独自の「コミュニティスクール」をつくり上げたのが市立御所南小学校。二年前、学力日本一(ベネッセ調査・NHKなどで紹介)になった学校でもある。
 京都市の教育はあらゆる面で全国の最先端を行く。前述のコミュニティスクールと学校運営協議会の設置をはじめ、学校の外部評価システムの導入(実施率・公表率共に百%で全国最高)、教員のFA制や公募制、教員資質向上のためのカリキュラム開発センター設置、教員評価制度の導入など数多い。いずれも学校自立のための施策で、なかでも注目に値するのは、これまでは教育委員会が持っていた「予算配分権」などを校長に権限移譲していることと、学力低下の元凶とされる「総合的学習」に力を入れていることの二点。教育長の言葉から、コミュニティスクール事業には、弱体化した地域再生の意図が窺える。
 所謂、健全な教育環境の復活をめざすものであるが、予算権の移譲をすることで学校が責任を持って地域教育に当たることができるという。世の中が無責任時代といわれているなかで際立つのが教育界。かの文科省までが「地方は指導依存症がある」とまで言うほど、現実は病んでいるのかもしれない。教育委員会がダメならせめて、教育の最前線にある学校がまずは自立し、責任を持って子供の教育に臨みたい。
(2006年4月14日)

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ゆとり教育とは何か

「言葉の重視」と「体験の充実」をこれからの義務教育の基本的な考え方とするという、中央教育審議会報告が出た。マス・メディアは一斉にゆとり教育の転換と伝えている。しかし、この「言葉の重視」も「体験の充実」もこれまでも言われてきたことで、目新しいことではない。それより、授業時間数の弾力化に踏み切ったことは転換といえるのかもしれない。
 ただ、「ゆとり教育」という言葉そのものに誤解があり、間違って使われることも多い。そもそも「ゆとり」とは何か。「余裕のあること、窮屈でないこと」と広辞苑にある。ゆとりには時間、物質、精神などの要素が含まれるが、時間だけが注目されているように思えてならない。ゆとり教育といった場合は精神的な要素が重視されるのであり、時間だけではない。
 今回の報告では、教科ごとにきっちりと決められていた授業時間を柔軟に配分することができ、年間総授業時間数の枠も緩和される。そして小学校の英語、小中一貫教育カリキュラムなど「特区」でしか許されなかった教育を全国に広めるともいう。教育の内容、方法を文科省が学習指導要領で全国一律に拘束していたことを思えば、画期的ではあるが、問題は学校や教育委員会がこれをどうこなしていくかである。
 指示待ち文科省依存の体質から脱却できていない教委や現場は正念場を迎える。というのも本来、教育課程(教育内容の全体計画を決める)の編成権は校長にあるが、実際は国の標準モデルに従うだけで学校独自の創意工夫は殆ど見られない。しかし、これからはそれぞれの地域にあった教育課程を、校長の責任において編成しなければならない。勿論、教育委員会の係わり方も問われよう。金太郎飴学校と揶揄され、教育改革が叫ばれて早や十年余、やっと学校も世間並みに力量の試される時代になったといえる。
 見方を変えれば学校が実質的に自立できるチャンスでもある。全国には学校教育の改革に早くから挑戦し多くの実績をあげている学校、教育委員会がある。長野県伊那市立伊那小学校は昭和五十四年から「総合活動」に取り組んだ学校としてよく知られている。「子どもの主体性を活かし生活や遊びのなかで学ぶことが大切」だと考え、教科、道徳、特活の核となる総合活動を求めて研究がはじまった。以来、二十七年間、総合的学習の実践を継続し全国に情報発信をしている。揺れ動く国の教育方針に動ずることなく、時代と共に変化する社会や子どもの実態をしっかりと踏まえ、一貫して総合的学習を教育課程の中心に据え、教職員・地域・家庭が一体となり優れた教育実績をあげている。
(2006年5月2日)

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総合的な学習の実践

自立した学校といえる長野・伊那小学校。教育目標は「眞事」「眞言」「誠」(まこと)で玄関前の石碑にも刻まれている。「真事とは『事』にある。事が何かをはっきりさせることが真事への第一歩。真言は『愛語』である。虚言がなく真実の言葉、思いやりのある言葉をもって接する事が第一歩。言行一致が『誠』の具現の第一歩。教員は常に子供と共にあり、その行動を通して誠実に対処することが大切」と解説が付く。
 全国どの学校にもこのような目標はあるが、問題は教員、子供、地域が目標を共有し一丸となってその達成に努力しているかどうかである。日本の学校教育に「総合的学習」という言葉が生まれる遥か以前から、子供の主体的な学習をめざし実践を始めた「総合活動」。それを今日まで支え、進化させてきたのは伊那小教育に共感する教員たちの地道な努力と、地域の人々の惜しみない協力、そしておらが学校への誇りでもある。
 どのような教育活動が展開されているか。二年生の教室にある時間割は月曜から金曜までどの時間も「総学」という文字で埋められ、教科名は全く無い。高学年でも週六時間が「総合活動」だ。「内から育つ」をテーマに据えて十五年。子供たちの発意による学習材と質の高い学習者中心のカリキュラムにより、学びの高まりは着実に見えてきたという。  ここで気掛かりになるのは教科、とりわけ基礎学力は大丈夫だろうかということである。それについては総合的学習と教科の融合を図り、総合的学習の中に基礎学力を組み込んでいるので心配は無いという。国が基準とする学習内容(指導要領)は、もれなく学べるよう独自の学習計画が立てられている。しかも、教室での所謂記憶中心の学習とは違い、体験をベースにしているから分かり易く、生活と結びつく知識・技術としてしっかり子供たちの身に付く。通常の学習に比べ、むしろ総合活動が子供たちの学ぶ意欲を高め、学習が主体的になるので定着率も格段によいという。
 実際に小学校の学力テストの点数は長野県平均をやや下回るが、中学校に入るとかなり上回るという。これこそ本当の学力というものである。もう一つ、ここには五十年前から通知表が無い。一人一人の子供が日々歩んでいる生き生きとした姿を父母と直接話し合うことで、学校と家庭の指導の一体化を目指している。「教育の原点」を伊那小で学んだと口を揃える教員たち。苦労も厭わず教育の本質を追究する姿が創立百三十年を経たいまなお、伊那小にはある。
 卒業生で大学三年のKさんは「思い出は羊(二年生の総学)。苦労や喜びを仲間と分かち合った。物やお金よりも命や人のつながりを大事にする価値観が育ったように思う」と話している。
(2006年5月19日)

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犬山市の自立した教育

全国学力テスト不参加を決めた愛知県犬山市教育委員会。理由は市の教育方針「自ら学ぶ力や人格の完成を掲げる市の教育観と矛盾すると判断したから」という。犬山市が地域の教育に責任を持ち、いかに主体性を発揮しているかが分かる。自立した教育行政とはこういうものではないか。
 同市教育行政の基本理念「子どもの自ら学ぶ力を育てる」の実現のためには、「学校の自立」が最も重要という。「教育改革の基本は授業を変え、教師を変え、学校を変えることで地域の教育が変わること。それには教育現場に裁量を委ねることで当事者意識が生まれ活力と責任が育ち、学校を内側から変えてゆく自己改革が可能となります。その場合最も重要なことは『学校の自立』の徹底で、それには教育課程(何をどう教えるか)づくりと学級編成(どういう学級規模にするか)を学校裁量に任せることです」と教育長。少人数学級、少人数授業などの学習環境の整備とそれに伴う教育課程、人事、学級編成、そして指導方法の改善、独自の副読本作成などの一体的な展開で、全国から注目を集めている。
 教育長によれば「本来は国の責任において少人数学級の徹底をすべきであるが、文科省の現状から所詮無理である」と判断。教育に人、金、時間は不可欠と財政状況の厳しい中、一億円を投じ教員を市独自に採用、三十人前後の学級編成と算数・数学科の二十人前後の少人数授業、理科の複数教員授業を実現。また、学校裁量による教育課程づくりを支援するため、教科書とは別に犬山の子供たちに合った「副教本」と「指導の手引書」を教員の手で作り上げた。更に、現場からの提起で「二学期制」を導入、副教本を教育課程に組み入れる時間を四十時間生み出した。また、「学びを支える」施設・設備の整備を学校の要請に積極的に応じているという。
 そのほか校務分掌の簡素化、学校運営の効率化を進め、授業改善や自主研修・市内外交流研修などの時間を確保することで教員のレベルアップを図ってきた。勿論、総合的な学習の積極的な推進も忘れてはいない。一方、学力問題について教育長は「今の学力論議は不毛である」と断じ、「学力をめぐる議論でテストの正答率は議論の対象とされるが、ゆとり教育の核心である学力観『自ら学ぶ力』が俎上に上げられることはまず無い。
 しかし、『自ら学ぶ力』抜きに学力の議論は本来成立しないはずだ。教育とは『自ら学ぶ力』を育むことであり、学習者の主体的な活動で無ければならない」と。主体性のある教育委員会が学校の自立を促し、子供の主体的な学習を支えることができるといえよう。
(2006年6月2日)

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揺るぎない教育理念

独自な路線で優れた実績をあげ全国から注目を集めているのは、やはり自立した教育委員会や学校である。共通するのはトップに教育哲学や教育理念があり学校側にも教育観、子供観などが確りとある。そのことが組織の主体性を支え、地域の教育に責任を持つという考え方につながり、国に依存し補助金で施策を行うのではなく、独自の方針とその実現のための施策を創造する政策立案能力と、自前の遂行能力を併せ持つことになる。国や都道府県には哲学が無いと批判されているが、確かに哲学・理念があればトップが替わるごとに方針や施策がころころ変わることはない。
 一方、自立した学校には先人の残した建学の精神が現代まで脈々と受け継がれ、学校を中心とした地域社会全体に息衝いている。先に紹介した伊那小などはその典型であり、現在でも目標の三つの「まこと」が土台となり「子どもの側からと学習材の本質の側から教育を追究し、常に子供と共にありて『愛語』をもって誠実に対処することを教師の心構え」としている。校長が替わるたびに教育目標も変わる、ではいけない。優れた先人の精神を受け継ぎ、時代の変化を取り入れながら、より優れたものへと高められる能力と度量が、トップには要求される。
 従って自立した行政、学校には優れたリーダーが必要、そのリーダーを選ぶのは首長であり教育委員会である。犬山市の教育長はそのことについて「首長の重要な責務は主体性を持った教育委員会にふさわしい委員を選任することだ」という。どのような教育長・教育委員を選ぶかが、地方の教育を決定付けるということか。そういう教育長も元は県庁職員で、教育には全くの素人ながら市の招きで就任。教委に主体的な企画能力を持たせたいと市長に進言、名士選出の教育委員を実務のできる委員に変えた。
 その結果、会議はこれまでの事務局案追認の場から「戦略会議」へと一変し、新しい施策を次々と生み出して犬山教育に新風を起こしてきた。犬山の哲学は「家族を大事にし、地域を支え自分の人生を大切に、生涯にわたって自ら学び続ける子どもを育むこと」だといい、「犬山の子どもは犬山が育てる」との理念を持ち、徹底した現場からの改革にこだわる。
 一方で「国は机上の空論、県は学校の自立を図る視点が全く欠落している。教育は煎(せん)じ詰めればどんな国にするかの選択。目の前の子供に視点を置きながらも、十年単位、百年単位を見通した視点が重要、その視点が国にも県にも全く無い」と手厳しい。その為には学校の自立以外にないと言い切る。まさに「教育は人なり」である。
(2006年6月16日)

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打開のヒントは欧米にあり

心待ちしていた本が届いたのは六月中旬、『変えよう!日本の学校システム』―教育に競争はいらない―(平凡社)である。著者は三年前、参議院議員の『教育行政改革プロジェクト』で出会って以来、親交を深めていた古山明男氏である。去年、一泊二日に亘っての意見交換をした。「硬いテーマを扱った割には面白くて、分かり易い本になったかと思います」と自賛するだけあって、難しい内容にもかかわらず一気に読める。彼は不登校をはじめとする様々なニーズに応える私塾を経営し、一方で古山教育研究所を主宰、中央教育審議会での意見発表をはじめ多くの講演・執筆を通じて日本の教育制度研究に広い視野を提供している。
 何といっても今を生きる子供たち、そして親たちの深刻な問題を、切実に感じられる立場の古山氏ならではの教育論が展開されている。「子供の問題の原因は日本の教育制度問題に行き着く」と分かり易い。「日本の教育システムは巨大なピラミット型組織ができていて、表向きの指揮者は教委であるが実質的には文科省であり、学校はその末端にあると考えられる」。責任の曖昧な官僚的機構に組み込まれた時点で、学校はすでに子供のものではなくなったのである。既述の通り『地教行法』の成立以来、教育内容までも指導要領によって国が決め、検定教科書で画一的・集団的に教える学校が当たり前となってしまった日本では、子供の問題が制度の問題に起因するとは思えないのが普通なのかもしれない。古山氏はこの制度を変えない限り子供の問題は解決しない、と力説する。
 日本の義務教育制度は「毎年一本の列車だけを用意して、其処に全員を乗り込ませようとしているようなものだ。『頑張りましょう。ここで勉強についてゆけないと大変ですよ』なのである」という。だから何らかの事情で学校に行かれないと、近所の目を含め行かないことを責められる恐怖が付きまとい、結果として子供は自分が世の中で生きていけないのだと思い自分を責め続ける。親は就学義務の責任を追及されるので、子供を強制する。このようにして親子共々追い込まれていく。この閉塞状態から抜け出すヒントは欧米にある。
 欧米諸国には大抵、何歳になっても義務教育を無料で受けられるシステムがある。また、学校を作る自由があり、親の教育観や子供に合った学校が選べるから不登校問題は無い。就学義務のないデンマーク、入試の無いオランダ、国際学力調査で世界一になった競争の無いフィンランドなど制度も多様である。古山氏は言う。「学校制度が先にあるのではない。その子が何を必要としているのかが、先にある」と。
(2006年6月30日)

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東国分中NC10年目

市川教育がまた一つ実を結び、全国に発信した。それも今回は地域の人々の尽瘁の結実でありその価値は高い。この三月、新成人が自らの手でつくり上げた『自分達で自分達を祝う地域の成人式』が開催された。企画運営は東国分中ブロックナーチャリングコミュニティ活動の中で育った子供・若者が主体的に企画・活動をするグループ『アスナロ』の約三十人の実行委員、これに新成人約四十人、合計七十人余が参加、ここまで育ててもらった地域の人たちを招待して行われた。
 一九九七年、『地域で子供を育てる』という教委施策としてのナーチャリングコミュニティ(NC)事業が始まった。まずは『オープニングフェステバル』と題して『遊びの広場』を開催、実行委員の子供たちとの慰労会の席でこぼれたつぶやきが「この小学生が二十歳になった時、ナーチャリングで成人式がやれたらなあ」であったという。この地域が目指すものが朧気ながら見えた瞬間であった。あれから九年の歳月が流れ、立派になった新成人を見詰める大人たちの脳裏に去来したものは何であったのか。当時の幼い子供たちの姿が重なり、誰もが「感慨無量」であったという。
 しかし、ここまでの道のりは必ずしも平坦ではなかった。地域重視の市川教育、子供は地域で育つ・地域の子供は地域で育てるという理念とその地域の教育環境を整える施策『NC事業』は行政によって示された。その理念、施策を地域がどのように捉え、何を目標として主体的に活動を展開するかが、創成期の大きな課題であったと振り返る。試行錯誤による活動を重ねる中で到達したものは初代委員長の「五十に手が届くようになってガキ大将を引き受けることになった。早く本物のガキ大将をつくって交代したい」の一言が目標になった。これは「NC」の理念でもある。活動は常に子供に主体性を持たせ、リーダーを中学生とした。大人たちは三つの『ま』、『任せる』『待つ』『守る』に徹する。大人の度量が子供たちの心を育てたのである。
 三年前、検証なし、子供と地域抜きで「発展的継承、事業名の変更」などと納得のいかない説明のまま『NC事業』の一方的廃止が決められた。が本地域はNC事業を継続、この大事を成したという。「僕は温かい地域で育ちました。東国分中学NCで活動しています。僕達が企画した…」。あるフォーラムでのアスナロ青年の自己紹介の言葉が、本物のNCになった証となった。地域の自立である。尚、NC実践は今年、二回目の『読売教育賞』優秀賞に輝いた。地域の受賞は、五年前の教委の受賞の比ではない(詳しくは入賞論文で)。
(2006年7月14日)

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不適切な言葉に疑問

頼まれて農家の手伝いに行くようになって四年が経つ。この間に、農家の人々の生活やものの考え方、人生観や教育観そして地域そのものの在り方まで多くのことを学び、「地域の教育力」というものをまざまざと見せ付けられた。農家の娘さんの結婚、そして二人の子育て、長男の結婚などを通して地域との係わりをつぶさに見ることができた。
 なかでも、子供が育つ過程において地域が如何に重要であるかを実感させられた。この地域の誰もが子供に声をかけ、子供も自発的に係わりを求めていく。好奇心旺盛な時期に地域の多くの人たちと接することで、驚くほど多様な知的発達が見られるようになる。いつの間にか新しい言葉や動作を覚え、積極的にコミュニケーションを図ろうとする姿に感動すら覚える。このようにして育つことが若者を人懐っこくしているのであろう。
 大人たちに「誰々さんちの子」の他に、「地域の子供」という意識がまだ残る土地柄の影響も大きいと思える。地域は幼児期から学童期にかけての子供の成長にとって不可欠な教育環境であることを、改めて思い知らされた。ところで最近この「地域」という概念そのものが正しく使われなくなっているのではないかと危惧することがある。
 本来、地域とは「自然または文化の条件が共通する一定の範囲の土地」とされる。また、地域社会というときは「村、町、都市などのように一定の土地の範囲に成立し、利害を共通にする生活共同体」を意味する。教育上の「地域」及び「地域社会」は、社会科や生活科における地域の概念からすれば、自分の住んでいる市町村や都道府県をいうのであって「区域」としての「学校区」とは意味を異にする。従って、学校区を単位としたものは「地域」とはいい難い。それと「地域」には年齢、性別、職業、信条、宗教、人種などの異なる多様な人々が生活している。このことが子供の教育環境としては重要なのであって、地域の教育力を高めることを狙いとした地域活動を「クラブ」と言うのは不適切である。
 「クラブ」とは共通の興味関心を持った同好の仲間で組織するもので、町内、学校といった比較的狭い範囲を基盤とする子ども会や○○クラブ、○○少年団のような会員制の活動である。本来の地域活動はその「地域」に住む老若男女全てが対象となるものであるから一学校区を単位としたコミュニテイ・クラブは子ども会などと競合する同好会であって、ナーチャリング・Cとは理念が全く違う。それを「発展的継承」と言うのは瞞着である。哲学や理念以前の問題として言葉は正しく使いたいものである。
(2006年8月4日)

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20年前の指摘が現実

久しぶりにA・トフラーの著書を読んだ。トフラーといえば二十数年前に読んだ世界的ベストセラ−『第三の波』(中公文庫)が強く記憶に残る。当時の日本社会は高度成長に心を奪われ、子供の教育は全てを学校任せ。その学校といえば受験戦争に巻き込まれる一方で心が荒んで行く子供たちの生徒指導に教員は疲労困憊、後に画一的、閉鎖的、硬直的と非難される学校へと追い詰められていく時期でもある。他方、教育環境の原点である家庭が崩壊し、地域もまた教育力を失い、子供たちは何処にも心の置き場の無い状態であった。
 そんな折、この本を手にして大きな衝撃を受けた。ローレンツは「私の予告したことがおよそ皆月並みになる」、トフラーは「未来予測ではない」と言い方に違いはあるが数十年経った今、両者の本の世界がいずれも現実となっていることに怖ささえ感じる。
 本によると農業革命の『第一の波』、産業革命の『第二の波』に続いて起こったのが知識革命の『第三の波』。一九〇〇年半ばから始まり、『第二の波』と激しくぶつかり合っているところだという。『第二の波』で確立された「あらゆる制度は津波となって押し寄せる新しい波に洗われ激しく戦いながらも、『第三の波』は確実に世界のあり方からモラルに至るまで社会の全てを根底から変えていく。そして完全に一新された生活様式をつくる」。
 『第二の波』で標準となった「核家族」は「大家族、生活共同体、年配者同士の集団生活など多種多様な形態が生まれてくる」「子供は現在よりもはるかに子供中心で無い社会で育つことになる。青少年期は短くなり早い段階から仕事に責任を持たされ一人前になる若者と、家庭外で教育を受けるため成長の遅れる者とがはっきりと分かれるに違いない。教育そのものも様変わりし、教室(トフラーは刑務所としての意味しかもてないという)外での学習が増え、義務教育年限の短縮、年齢別学年制などは崩れ、幼い子は年かさの子と混ざり合っていく、そして教育は学齢期だけでなく生涯にわたるものとなる」。
 『第二の波』では教育の画一性が重視されてきたが、新しい時代に要求されるのは「個性」や「創造性」である。未だに制度も教育内容、それに授業時数や教科書までもが全国一律という時代遅れの教育が行われている日本は、何時になったら『第三の波』に乗れるのだろうかと不安になる。新しい時代にふさわしい人間に育てるには新しい、それも革命的な教育制度の確立が必要だとトフラー氏は指摘する。日本の教育関係者、取り分けそのリーダーには極めて重要なメッセージであろう。
(2006年8月18日)

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ichiyomi@jona.or.jp 市川よみうり