市川よみうり連載企画

市川市自然観察グループ岡崎 清孝

 
野生とのつきあい方@野鳥との関係  近頃は自治体の基本計画から分譲住宅の販売キャッチコピーまで「自然との共生」とか「自然との共存」という言葉が溢れている。ご他聞に漏れず市川市も基本計画の理念の一つに「自然との共生」を掲げている。
 今年に入って行徳駅前にムクドリの集団ねぐらが形成された。毎日夕方になるとおびただしい数のムクドリが集まってきて、ねぐらのクスノキに入る日没までの三十分から一時間の間、付近の電線に止まって=写真=けたたましく騒ぎ立てる。一時は五千羽近い数になり、不気味なのと糞害から市にも多くの苦情が寄せられた。このため市ではクスノキを剪定したところ、数はやや減ったもののねぐらは解消せず、駅前の交差点を中心とする電線で一夜を過ごすようになってしまった。近年、郊外にあった大きなねぐらが宅地開発のために失われ、津田沼や北習志野の駅前に集団が分散した。行徳駅前のねぐらもその一つらしい。苦情に悩む各地がそれぞれ樹木の剪定をするためその都度ねぐらが変わり新たな場所で問題を引き起こすという悪循環を繰り返している。
 ムクドリは昔から人里で暮らしていた鳥で、農業にとっては虫を大量に食べてくれるこの上ない「益鳥」だった。かつては日中は農耕地で餌をとり、夜は鎮守の森や竹藪で集団ねぐらを作っていた。集団ねぐらは特に冬季に形成され、大きいものでは数万羽の規模になる。繁殖期を迎える二月下旬には徐々に解消することが多い。大量の糞は確かに汚く、一部でハトの糞に関する過剰な報道が行われていることもあって、子供の健康を楯にヒステリックに駆除を叫ぶ人もある。しかし、人にとって重大な衛生環境の悪化をもたらすと考えるのは少し神経質すぎる。浜田広介の「椋鳥の夢」などの童話の題材にもなった馴染み深い鳥であり、限られた期間、こまめな清掃など人間側の努力でうまく共存できる方法を探るべきであろう。
 一方で、前回紹介したこざと公園のアカハジロには相変わらず多くのカメラマンが押しかけ、路上駐車で住民とトラブルを起こしたり、ヨシ原の中で休息しているアカハジロを追い立てたり、餌で近くにおびき寄せたりする行為が見られる。同じ野鳥でありながら多いものは毛嫌いし、珍しいものには押しかける。蓴菜池では相変わらず過剰な餌やりが横行している。 「自然との共生」を口にするからには野生とつき合うリスクも受け入れなければならないし、節度ある距離を保ったつき合い方が重要である。 (つづく)
(2005年2月12日)  
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野生とのつきあい方A野生動物とペットの関係近年、市川ではタヌキの生息数が異常に増えている。市川のタヌキは昭和二十年代には生息が確認できなくなったとされていたが、二十年ほど前から国府台や大野町の一部で目撃されるようになり、徐々に南下してここ五、六年で一気に増え、現在では市街地を含めてほぼ市全域に生息するようになっている。
 原因は色々考えられるが、都市に野犬が居なくなったためその位置を元々人里近くに生息していた同じイヌ科のタヌキが取って代わったという説が有力である。タヌキは自然界での力関係も上位にあるため、夜行性ではあるが比較的平然と人前に出てくる。家族で行動することが多いタヌキは愛嬌もあり人前に出ると大半の場合可愛がられ、餌をもらえる。これがますますタヌキが増える原因になっている。
 ところが、最近疥癬に罹ったタヌキ=写真=疥癬で死んだタヌキが見受けられるようになってきた。我孫子市や松戸市では以前から問題になっていたが、市川でも二年ほど前から見られるようになった。疥癬はヒゼンダニというダニが皮膚の下に穿入することで起きる。人畜共通のダニであるヒゼンダニは、元々はヒトにつくダニが身近な犬にも寄生するようになり、野生のタヌキには犬から伝播したと言われ、一九八〇年代初めに丹沢のタヌキから初めて検出された。人との共同生活が長い犬ではすでに耐性ができておりダニが寄生しても発症しないことも多く、発症しても初期の段階で発見されるので重篤になることは稀である。しかし、野生のタヌキではほとんどの場合重篤に陥り他の感染症も併発して死にいたる。庭などでタヌキに餌を与えることで飼い犬と接触したタヌキにヒゼンダニがうつり、そのタヌキが別の場所で他のタヌキや飼い犬にダニをうつすという悪循環が生じている。可愛がるつもりで野生動物に餌を与えることが逆に悲惨な結果をもたらすことになる。
 また、犬に重症の貧血をもたらすフタトゲチマダニというマダニは家畜がいない都市部には本来生息しないが、ペットの犬をレジャーで野山や牧場の近くに連れて行き寄生されて連れ帰ることが多く、市川でも生息が確認されている。不用意な犬の移動が都市からヒゼンダニを連れ出し、野山からフタトゲチマダニを連れ帰ることになる。どんなに「可愛いウチの子」ではあっても動物学的には犬はイヌであり、飼い主が正しい知識と注意力をもって自然に接しないと可愛いペットにとっても、貴重な野生動物にとっても悲惨な結果を招くことになる。
(2005年2月25日)  
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アカガエルの産卵二回にわたって都市における人と自然との関わり方について述べた。少し堅い話でつまらなかったと思うがもう少し補足したい。
 先日ある会議で「大勢が暮らす都市では人の安全性や利便性が優先されるべきで、自然を残そうというのは無理がある」という市民の意見を聞いた。そのような都市をつくってきた結果が、人にとっても潤いや安らぎの乏しい都市になってしまったということをもう一度思い起こす必要があろう。
   大勢の人々が暮らす都市に、人にとっても心地よい自然を残すためには自然や生き物に対する正しい知識や細かな注意力が必要である。行徳駅前に集まり、多量の糞でヒンシュクをかっているムクドリも、一方では毎日たくさんの害虫を食べている。一日一羽五十匹の虫を食べるとすると二千羽では一日十万匹の虫を食べることになる。この群を追い払った場合の影響の大きさも理解しなければならない。
 前号で疥癬に罹患したタヌキの話を書いたところ、読者の方々からたくさん情報をいただいた。市内の各所で複数のタヌキが疥癬で苦しんでいることが改めて明らかになった。タヌキが自ら治療を受けられない以上、犬の飼い主が犬とタヌキの接触を絶ち、人が安易な餌やりを止めない以上、タヌキを疥癬から救うことはできない。
 さて、十年ぶりともいわれる積雪があるなど寒い春になっているが、今、浅い水辺ではアカガエルのオタマジャクシ=写真=が誕生している。アカガエルは一月の終わりから二月はじめにかけての雨の後、一旦冬眠を中断して浅く水が溜まった水田や湿地に出てきて産卵行動をする。産卵後はまた林に戻り、地面の中で冬眠の続きの二度寝を決め込む。これを「春眠」という。
=写真(右)=アカガエル  卵は直径十センチ位の丸い卵塊になり、一卵塊には千粒くらいある。浅い水辺は日中の日射しで水温が上がりやすいので、まだ寒いうちに孵化してオタマジャクシになることができる。そして、田植えのための代掻きなどの作業が本格的に始まる五月はじめ頃には小さなカエルになって水田を離れ陸に上がって行く。市川ではこのような環境の減少に伴いアカガエルも激減している。田起こしした水田ではムクドリが虫を食べ、そして、田植えの終わった水田には今度はアマガエルやトウキョウダルマガエルが産卵にやってくる。かつてはそうした人の生活と生き物の暮らしのバランスがうまく保たれていた。
(2005年3月11日)
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春の訪れ一向に安定した春らしさが感じられない今年の春だが、生物の世界では着実に季節が進行している。前回アカガエルの産卵を紹介したが、続いてヒキガエルの産卵が始まった。蓴菜池では三月十五日にまず雄が水辺に出てきた。この日はまだ寒かったので動きも鈍かったが、翌十六日にはぐっと気温が上がり、林から出てきた雌を巡っていわゆる蛙合戦が展開され、十七日には紐状の卵塊が見られた。昨年は二月二十八日に蛙合戦が見られたので、今年は二週間ほど遅いようである。気温よりも日照時間の変化に左右される植物に比べて、地温が大きく行動に影響するカエルではやはり低温の影響が出ているようである。ヒキガエルのオタマジャクシもアカガエルと同じようにこれから一か月の間に大急ぎでカエルになって五月はじめには林へ帰っていく。
 サクラは花芽の分化自体は日の長さに左右されるが、最後の開花のタイミングは気温で決まると言われている。弘法寺の伏姫桜は品種の上ではエドヒガンなので例年彼岸頃に開花するが、今年はまだ蕾が硬く、開花の兆しは見られない。この記事が掲載される頃には開花するかもしれないが、見頃はもう少し先になりそうである。市内各所のサクラもまだ蕾が硬く、この時季花が見られるのは深紅のカンヒザクラや濃いピンクのカンザクラ等である。
 一方、路傍では春の雑草たちが可憐な花を咲かせている。日当たりの良い草地一面に小さなブルーの花をたくさん咲かせるオオイヌノフグリ=写真(左)=一枚だけ花びらが小さいは西アジアから中近東原産の帰化植物で、日本には明治時代に入ってきたとされている。花はいわゆる一日花で、夕方には閉じてしまう。日中でも日射しがないと開かない。四枚ある花弁のうち一枚だけがやや幅が狭く、色も薄いという特徴がある。 野鳥の世界ではすでに春の渡りが始まっていて蓴菜池などでたくさん見られたカモ類も大分数が減った。カモ類は日本にいるうちに「つがい」が形成され、渡りの集団の中でもそのつがいが維持されて繁殖地に向かう。カラスやスズメ、カルガモなど日本で繁殖するグループでもすでに繁殖のための巣作りが始まっている。北方調節池で野鳥の調査をしている渋谷孝さんによると、すでにコチドリが渡ってきているそうである。コチドリは夏鳥として渡ってきて日本で繁殖する、春を告げる鳥である。さらにツバメの姿も見られるとのことで、着実にメンバーが入れ代わっている。
(2005年3月25日)
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大柏川のユリカモメ気象庁によれば東京の桜の開花は三月三十一日、昨年より四日遅かった。市川でもほぼ同じで三月三十一日に真間川沿いの冨貴島小学校付近でやっと二〜三輪咲き始めた。四月三日は市内各所で桜祭りが開かれたが、満開だった昨年とは違いチラホラという状態だった。
 桜の開花が遅れているのに対して新緑の方はほぼ順調で、クヌギやコナラ、イヌシデは雄花の開花に続き芽もほころび始めた。花芽も葉芽も日の長さを感じて開く準備を進めるが、太陽の光を浴びて光合成をするのが役割の葉と違い、花の方は開花しても花粉を運んでくれる昆虫が活動していないと受粉できないので、桜など虫媒花(ちゅうばいか)の開花は気温に大きく左右される。クヌギやコナラは風媒花なのであまり気温には左右されない。
 ところで今、大柏川にはたくさんのユリカモメが集まっている。ユリカモメは冬鳥として日本に渡ってきて、市川にも九月下旬から十月初めに姿を見せる。大柏川でも北方の大柏川第一調節池周辺を中心に三百羽前後が川で餌をとったり、電線や池で羽を休めている。
大柏川で群舞するユリカモメ
 ところが、二月十五日過ぎになると突然、市川からユリカモメの姿が見られなくなる。今年は江戸川放水路に少数が残ったが、昨年は全く姿が見えなくなり、早くも北へ帰ってしまったかと思ったほどであった。そして約一か月後の三月十五日過ぎになると再び姿を現す。この「空白の一か月」ユリカモメがどこで何をしているのかは分からない。行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さんによれば最も寒い期間は同じ千葉県内でも房総南部などもう少し暖かい地方に移動しているのではないか、とのことである。
三月二十三日には調節池付近で、曇天の中大きな三つの渦巻き状になって旋回するおびただしい数のユリカモメが観察された。同二十七日には調節池の越流堤上に約五百羽、河道内に約三百羽、調節池内や周辺に約二百羽の合計千羽近くが見られた。市川市内でこれだけの数のユリカモメが見られるのは江戸川放水路に匹敵すると言ってよいであろう。この時期のユリカモメはこれから迎える北帰行(ほっきこう)の長旅に備えてたくさん餌をとり体力を蓄えなければならない。大柏川はこれだけの数のユリカモメを受け入れるだけの餌の供給量をもっているといえる。四月に入るとそろそろ顔が黒い夏羽に冠毛する個体が出始め、中旬過ぎになると繁殖地のカムチャツカや中央アジア方面へ旅立って徐々に数を減らし、四月下旬には姿が見られなくなる。
(2005年4月8日)  
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「市民の要望」この季節は市内の落葉広葉樹の斜面林が最も美しく輝く季節である。古来、日本人の新緑の緑に対する表現は四十数色に区分されるという。
 このように日本人の心の琴線に触れる新緑の緑だが、今年は市内の複数の斜面林で美しい季節の装いを迎えることができなかった林があった。中でも曽谷の山王緑地は最も悲惨な姿になってしまった。鬱蒼としていた木々は無残に切り詰められ、豊かな腐植層が堆積していた林床は落ち葉とともに掻き出され乾燥し、吹き抜ける風に砂ぼこりを巻き上げている。松枯れを生き残った数少ないクロマツの一本も根本から伐採され、切り株からは大量の松脂が吹き出し一層哀れを誘っている。樹齢は百年を越えていた。
無残な姿になった山王緑地
 これは斜面林を管理する市が行った「管理行為」である。こうした乱暴なやり方自体は非難されても仕方がないが、背景に「市民の要望」があることを忘れてはならない。落ち葉や枝が落ちる、日陰になる、痴漢が出る、ゴミが捨てられる、鬱陶しいなど様々な理由で「木を伐って欲しい」という要望が市に寄せられる。 斜面林は公園や街路樹と異なり、単なる樹木の集団ではない。狭い林ではあってもそこには生産者である植物、消費者である動物や昆虫、そして分解者である微生物にいたるまで様々な生物達が複雑な生態系を形成しており、この微妙なバランスによって斜面林の環境が維持されている。要望した人は「すっきりしてよかった」と考えるかもしれないが山王緑地の生態系は完全に失われ、元に近い状態に戻るのにも相当な年数を要する。
 少し厳しいことを言うようだが斜面林や巨樹は人が住む前からあった環境であり、その近くに住む以上はそれらの環境から受けるリスクをある程度受け入れる覚悟が必要である。大多数の人々はそれを許容し、共存を図っているはずで、管理者は一部の声の大きな市民の要望に過剰に反応することなくきちんと説得にあたって欲しい。
 環境は個人のものではない。こうした小さな環境を粗末に扱うことの集積が地球温暖化の促進にもつながる。国土が水没しようとしている南太平洋の島国ツバルの悲劇を例に引くまでもなく、地球が温暖であった縄文時代には現在多くの人が住んでいる市川の低地は海だったのである。
 大規模な開発が一段落した今、市内で自然が失われる最も大きな要因は環境に無理解な「市民の要望」である。毎年美しい声で春の到来を告げていたウグイスの声を今年の山王緑地で聞く事はなかった。
(2005年4月22日)
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春の花々四月中旬に自然博物館学芸員の金子謙一さんから「イチリンソウが咲いていますよ。」という情報をもらい見に行った。数年前に大野町の自生地が宅地造成で失われて以来、久しぶりの対面であった。
 イチリンソウは日当たりの良い山裾の草地などに生育するキンポウゲ科の植物で、園芸種のアネモネと同じ仲間である。イチリンソウやアズマイチゲなど、早春に群落で花を咲かせるアネモネ属は春を象徴する花として「スプリングエフェメラル=春の妖精」などと呼ばれる。白い花びらのように見えるのは実際には萼片で、五〜六枚ある。里山が適正な管理をされていた頃は比較的普通に見られたものと思われるが、現在では市川市内の自生地は一、二か所、千葉県のレッドデータブックには重要保護生物(カテゴリーCランク)として記載されている。
イチリンソウの可憐な花
 このような情報を得たときにいつも残念に思うのは、多くの市民に見てもらうためにこうした情報を公開することを躊躇せざるを得ないことである。残念ながら現在の市民意識で生育地の情報公開をするとあっという間に盗掘されてしまう。この時期は市内でもキンランやギンランなどの春植物が可憐な花を咲かせている。先日もある場所でキンランの写真を撮っていると初老のカップルから「可憐な花ですね。貴重なんですか」と声をかけられた。「キンランです。数が少なくなりましたね」と答えたがなかなか立ち去らぬ様子が不安になり、二人がその場を離れるまで様子を見た。気になったので数日後に行ってみると、そこにはキンランの姿はなかった。その時の二人が掘り盗ったとは考えたくないが、誰かが掘り盗ったことは確かである。
 ゴールデンウィークに多くの人出で賑わった大町自然観察園では、山裾にあったキンランは自然博物館が設置した名札が功を奏してか無事に花を咲かせていたものの、近くにあったやはりラン科のオオバノトンボソウと思われる芽生えは無残にも引き抜かれ打ち捨てられていた。
 日本人は日本庭園や盆栽、生け花のように自然の優れた部分を切り取って模倣したり、自分のものとして所有したりすることによって自然に親しむ文化を育んできたが、自然を公共物として大切にしようという「自然保護の思想」を持っていないと言われる。残された自然の量とそれを享受する人口のアンバランスが著しい都市ではそろそろ自然を公共物として捉える思想をもって欲しい。
(2005年5月6日)
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カルガモ?のヒナ天気予報を聞いていると必ずといっていいほど「平年に比べ…」とか「○月○旬並の気温」という言葉が聞かれるほど天候が不安定である。  さて、まずお詫びをしなければならない。四月九日号の第四十五回本欄で大柏川のユリカモメが二月中旬から三月中旬の一か月間姿を消すことについて「房総南部などもう少し暖かい地方に移動しているのではないか」ということを、行徳野鳥観察舎の蓮尾純子さんの見解のように書いてしまった。正確にはそういう移動をしている可能性もあるかもしれないという話を蓮尾さんとした、というのが正しい。国内でのユリカモメの移動については鳥類の研究者の中でも話題になっているテーマで、蓮尾さんの見解と受け取られ大変ご迷惑をおかけしてしまった。この場をお借りしてお詫びしたい。
 電柱のトランスの下や人家の軒先あたりからスズメのヒナが餌をねだる声が聞かれるようになった。皇居のお堀への引っ越しで有名なカルガモ一家の誕生がニュースになるのも今頃である。カルガモは他の野鳥と違い親鳥が餌を採ってきてヒナに与えることをしないので、ヒナが誕生すると営巣場所の草地や繁みから、ヒナが自分で餌を採れる場所に急いで移動しなければならない。このときに決死の道路横断や護岸からのダイブが行われることがある。
蓴菜池のカルガモ?一家
 蓴菜池でもカルガモのヒナが誕生し、カラスに襲われないかと来園者が心配しているという話を聞いて見に行った。ところが、このカモのお母さんは通常のカルガモと少し様子が違う。カルガモはクチバシの先端が黄色いのが特徴だが、この親鳥は黄色の部分がない。目の所に明瞭な黒い線(過眼線)があるのはカルガモの特徴であるが、胸や翼の模様はマガモに近い。連れている六羽のヒナのうち四羽はカルガモもしくはマガモのヒナの模様であるが、二羽は黄色っぽく明らかに色彩が違う。実は俗にマルガモと呼ばれる、カルガモとマガモの交雑種が意外と多い。また、都会の公園の池にはマガモを原種とするアヒルやアイガモが放されていることが多く、これらとの交雑が進み都会では純粋なカルガモが少なくなっているという説もある。蓴菜池でもアヒルが飼われているので交雑が進んでいるのかもしれない。六羽の毛色の異なったヒナがどのように育つか興味があるが、カラスに限らずネコやヘビなど天敵が多いので残念ながら成鳥まで育つのは稀である。
(2005年5月27日)
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ヤマカガシの死んだふり五月二十二日の日曜日、大野町四丁目にある米っ人クラブの水田で田植えが行われた。水田の周辺は市の「小川再生事業」が行われ、いささか作り過ぎの感もあるものの見違えるようになった。客土によって休耕田の湿地が少なくなってしまったのは残念だがまだまだ湿地を住処とする生き物たちがたくさん暮らしている。主にカエルを食べるヤマカガシもそうした「田んぼのヘビ」である。 田植えの参加者が集まり始めた頃「ヘビが死んでる!」という子供たちの声に行ってみると、畑の上に体長五〇aほどのヤマカガシが体の前半分をだらりと仰向けにして横たわっていた。見た所外傷もないので「これはもしや」と思った。実はヤマカガシは驚くと「死んだふり」をすることがあるヘビとして有名である。ヘビは変温動物であるため、気温が低いときには日向ぼっこをして体温を上げないと行動できない。春先にアオダイショウが玄関先のコンクリートや石の上に長々と寝そべっていて驚かされるのもこのためである。
「死んだふり」をするヤマカガシ
 ところがヘビにとって敏速に動けない上に全身を日の下にさらすこの体勢は最も無防備で敵に襲われやすい。蛇類の天敵はサシバなど爬虫類を餌とする猛禽類や、タヌキやイタチなどの小形哺乳類である。しかし、屍肉も食べるカラスなどを別にすれば、動物は死んでいる動物に対しては本能的に警戒する。病死したものを迂闊に食べると自分も病原菌に感染する恐れがあるためである。「死んだふり」が見破られると結局餌食になってしまうわけだが、敏速に動けない状態で逃げ出すよりはリスクが小さいといえるのだろう。最もこの「死んだふり」については驚いて仮死状態になっているという説や、単に効率よく日光浴しているだけでは? など諸説ある。
 米っ人クラブのヤマカガシは集合がかかって周辺から子供たちがいなくなるとそっと起き上がってそろりと水路の草地へ姿を消した。ヤマカガシは長く無毒だと思われていたが、近年、膨らんで抵抗するカエルを破裂させるための奥歯に強い出血毒があることが分かった。また、それとは別に首の後ろにも毒腺があり首を強く持つと毒液を飛ばしこれが眼に入ると失明の恐れもある。本来はおとなしいヘビなので必要以上に恐れることはないが解毒の血清がないので無闇に手を出すことは避けた方が賢明である。 前回紹介した蓴菜池のカルガモのヒナは残念ながら二羽減って四羽になってしまったがスクスクと育っている。
(2005年6月10日)  
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外来生物法の制定六月一日に外来生物法が施行された。正式には「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」という。日本本来の生態系や、人の生命・身体、農作物に大きな影響を与える恐れのある外来生物を「特定外来生物」に指定し、輸入、運搬、販売、飼育・栽培、譲渡そして野外に放つことなどを原則として禁止し、さらに駆除もしようというものである。法施行時の第一次特定外来種として三七種類の動植物が指定されたが、このうち、現段階で市川で生息・生育が確認されているのは爬虫類のカミツキガメ、魚類のオオクチバス(ブラックバス)、ブルーギル、植物のナガエツルノゲイトウ、ミズヒマワリである。
 特定外来生物に指定された生物をみると、昆虫の一部を除きほとんどの種類はペットやレジャーの対象として意図的に輸入され、さらに意図的に野に放たれた生物である。植物も一時のアクアリウムブームの頃に輸入され、飽きられたり増え過ぎたりして川などに捨てられたものである。
 日本は世界屈指の生き物輸入大国である。そのため、オオクワガタがブームになったときもそうであったように、日本国内での外来種問題に止まらず、原産地の国では乱獲による生態破壊をももたらしている。そろそろ珍品嗜好を脱して足元の自然にしっかり目を向けて欲しいものだ。
公園の池を泳ぐオオクチバス

第一次特定外来生物の指定過程で、オオクチバスを含めるかどうかが大きな議論となった。一度は見送られたものの小池環境大臣の裁定により一転して指定された。市川でも公園の池や雨水調節池にルアーフィッシングの対象として密かに放され蔓延している。オオクチバスは最初に芦ノ湖に導入されたときから区域外への持ち出しが禁止されていたにも関わらず、心ない人々によってレジャーのために各地に放流されたものである。故意犯ともいえる大人達の姿を真似て中高生が公園の池に放し、公園では禁じられている釣りをするなどの社会問題にもなっている。
 改めて自分達の身の周りの川を見渡してみると、カダヤシが泳ぎ、アメリカザリガニが水底を這い、ウシガエルが鳴き、アカミミガメ(ミドリガメ)が甲羅乾しをしている河川敷にはアレチウリやオオブタクサが茂りセイタカアワダチソウが黄色い花を咲かせているなど、外来生物だらけである。年内にも予定されている第二次特定外来生物の指定候補にはこれらの生物がずらっとリストアップされている。
(2005年6月24日)
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クスノキのダニ部屋前回に続き外来生物について補足を少し。
 外来生物は、元々はその地域に生息していなかった生物を、多くの場合は人が意図的に植えたり放したりすることによって広がる。その地域在来の動植物が健全な生態系を形成しているところにいきなり入り込むことは稀で、多くは造成地など人が作った生物のいない空間を足掛かりにして生息域を広げていく。
 ところが、ボウフラの駆除を目的に導入された北米原産のカダヤシはメダカと生息環境が重複する上、親が体内で卵を孵化させて仔魚を産む卵胎生のため繁殖力が強く、直接メダカの卵や仔魚を捕食することも含めメダカの生息環境を強く圧迫しているといわれる。
クスノキのダニ部屋
このため年内に予定されている第二次特定外来生物の指定候補に上げられている。しかし、市川のようにすでに野生のメダカがいなくなってしまった環境ではユスリカの幼虫の赤虫を捕食したり、カワセミなど魚食性の野鳥の餌になるなどすでに地域の生態系に定着しているということもできる。メダカとも競合しないという研究報告もあり、生物相互の関係はよく分からないのが実態である。
カブリダニ

 よく分からない関係といえばクスノキとその葉に生息しているダニの関係がある。ほとんどすべてのクスノキの葉の葉脈の付け根には二つの小さな膨らみがある。葉の裏側を見ると膨らみには小さな穴が開いている。これは通称「ダニ部屋」と呼ばれており、非常に小さなフシダニというダニの仲間が住んでいる。このフシダニとクスノキの関係やフシダニが何を食べているのかなどは分かっていない。クスノキにとって病気の原因になるカビの菌を食べているのではないかという説もある。ダニ部屋はダニが寄生することによってできるのではなく、クスノキが自ら作ってダニのために用意することが知られている。五月にクスノキの新しい葉が開くと、成虫で越冬したフシダニが古い葉から引っ越して新居で産卵するらしい。
 また、ダニ部屋の入り口にはフシダニの数倍の大きさがある肉食性のカブリダニというダニが待ち伏せしていることがある。このダニは肉眼でも見えるのでクスノキの葉をひっくり返してみると白い半透明のダニが観察できる。かつて、クスノキからは防虫剤に使われた樟脳を採取した。防虫剤の原料となる木の葉を生活の場にしているダニもいるのである。そのクスノキも、遠い昔に大陸から伝えられたともいわれる。
(2005年7月8日)
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巣立ちの季節蝉の声が聞こえない夏である。例年だと六月二十日過ぎにはニイニイゼミが鳴き始め、七月に入ると朝夕ヒグラシのもの悲しい声が聞かれる。ところが今年、筆者が初めてニイニイゼミの声を聞いたのはヒグラシと同日の七月十三日であった。筆者の周囲にはもう少し早く聞いた人もいるが、いずれにしても七月十日前後でしかもまだ蝉時雨とはいかない状況である。
  そんな中、鳥たちは巣立ちラッシュだ。巣の外へ出たばかりのヒナたちはまだ巧く飛べないので親鳥たちが最も緊張する時期である。カラスに威嚇されたとか襲われたという話を聞くのもこの時期だ。先日も国分小学校の校長先生から校庭で子供たちがカラスに襲われたという相談があり見に行った。校庭にある高さ六メートル位のヒマラヤスギにカラスの巣があり、最後の一羽と思われるヒナが中々巣を飛び出せずにウロウロしていた。二羽の親鳥は巣立ちを促したり警戒したり、極度の緊張状態で校庭上を旋回していた。このような状況は長くても二日位なので、智恵ある人の方が近づかないのが賢明である。
空中で停止するチョウゲンボウ

 巣立ったヒナは数日はまだ親鳥が運んでくる餌を食べているが、やがて親鳥の方から離れていってヒナの元に戻らなくなる。いよいよ独り立ちのときで、ヒナから若鳥へと成長をとげる。この時期、里見公園下の江戸川土手では今年の子育てを終えたカラスの夫婦が仲良く寄り添って羽繕いをしている光景が見られる。何かと毛嫌いされるカラスだが、よく観察するととても人間臭くて微笑ましい一面も持っている。 一息ついた親鳥たちと違い、独り立ちした若鳥の方は大変である。ゴミ集積場で大人のカラスに威嚇されながら、赤い口を開けて半べそをかいているような表情をした一回り小さなカラスがいたら今年巣立った若鳥である。ゴミ置場でもいいポジションをとれずに車に撥ねられたり、餓死する若鳥も少なくない。
 七月十日の北方調節池定例調査の際、兄弟と思われるチョウゲンボウの若鳥が三羽飛来して狩りを始めた。地上ではコチドリが警戒の大合唱だったが、とても鳥を狙える状況ではなくトノサマバッタを追いかけて捉えていた。夢中になり過ぎてか、筆者らのすぐ足元に降り立ち、キョトンと見上げる若鳥もいた。北方遊水池の会の渋谷孝さんの観察では、十七日にはこの中の一羽が見事にカワラヒワを捉えたそうである。蓴菜池の「マルガモ」も四羽が無事巣立った。頑張れ若鳥たち!
(2005年7月22日)
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江戸川放水路のカキ礁八月に入ってからの猛暑続きでようやく本格的な蝉時雨が聞かれるようになった。
 夏に面白いのはやはり水辺の観察である。そこで、江戸川放水路の生き物観察に出かけてみたい。 江戸川放水路は現在では正式に「江戸川」になったが、一般的には「放水路」の方が通りがよいので、ここでは放水路として話を進めたい。
 昨年来、市川地先の三番瀬に干潮時に出現するカキ礁が話題になり、新聞などでも取り上げられた。カキ礁という言葉は一般的にはあまり馴染みがないが、カキが集まって珊瑚礁や岩礁のようになっているものを指す。地元の漁師の間ではカキ床とも呼ばれてきた。細長い入り江の状態になっている江戸川放水路にもいたる所に大小のカキ礁がある。カキは二枚貝ではあるがアサリやハマグリのような「足」と呼ばれる部分がなく、砂や泥に潜ることをしない。ムール貝として有名なムラサキイガイやホトトギスガイなどと同じように「足糸」と呼ばれるタンパク質の糸で岩や杭などの硬い物に付着したり、お互いにくっつき合って生活している。
江戸川放水路のカキ礁

 このグループは固着した大きな群体を形成するので、アサリなどの浅海養殖漁業にとっては厄介な存在だった。このため漁師は定期的に漁場清掃を行いカキを除去するなどして漁場を管理してきた。また、カキ礁が出来ると水深が浅くなるので航路の浚渫も行われてきた。
 三千年ほど前にはほとんどが海だった市川では低地を少し掘るといたるところでカキ礁の跡が出てくる。広大な浅海域が広がっていた縄文晩期には大変な面積のカキ礁が広がっていたことが想像できる。今、市川周辺の広い範囲でまたカキ礁が見られるようになったということは、人による海の管理が行き届かなくなったためと言ってよい。このような現象に対する評価は様々あるが、岩礁地帯の磯と違って隠れ場所の少ない東京湾奥部の浅海域では多くの生き物がカキ礁を頼りにして生活している。
 放水路のカキ礁は三番瀬のカキ礁と違って誰でも簡単に観察できる。干潮を見計らって出かけると、カキ礁の潮溜りに潜むトサカギンポやハゼなどの魚類やケフサイソガニなどのカニ類がたくさん観察できる。放水路右岸の東西線鉄橋下流辺りがポイントだが、ケガをしやすいので長靴、軍手と日除けの帽子、飲料水は必需品である。また、食中毒の原因となるノロウィルスや貝毒の問題もあるので、食べるなら秋から冬に十分加熱してからの方がよい。
(2005年8月12日)
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季節の移り変わり日本の自然の最大の特徴は四季の変化があることだと言われる。季節感に乏しい人工構造物に囲まれた都会生活を送っていると、その四季の移り変わりにさえ疎くなってしまう。
 幸いなことに市川はまだまだ四季の変化を感じ取ることができるだけの自然が残されている。季節というのは意外と早いスピードで移り変わっているもので、季節に特徴的な花や昆虫が見られるのはせいぜい二週間位が限度である。このコーナーでもできるだけタイムリーな話題を提供したいと心がけてはいるが、出稿から掲載までの一週間で大きく季節が動いてしまうことも珍しくない。 八月十二日に北国分の道めき谷津を通りかかると、キツネノカミソリとともにアキカラマツが咲いていた。キツネノカミソリはヒガンバナ同様花の時期には土中から花茎だけが立ち上がっていて葉が見当たらない。
鳴く虫の仲間のヤブキリ(メス)

 ヒガンバナとは逆に早春に出た葉は初夏には枯れ、八月中旬になると花茎を伸ばし橙色から薄紅色のスイセンのような花を咲かせる。夏の終りを告げる花で、堀之内貝塚の森では九月まで見られる。同じ日に小塚山でやはり晩夏の到来を告げるツクツクボウシの声を聞いた。今年のセミの声は春の遅れに影響されてか、十日ほど遅れていたが、ツクツクボウシの声はほぼ平年並みだったようだ。
 一方、夜に入ると、灯火の周辺で鳴き残っていたアブラゼミに代わって秋の虫の声が聞かれるようになった。例年だと暑さが厳しい終戦の日の十五日だが、今年はそれまでの連日の猛暑がちょっと一段落したような感があった。ちょうどその日に南八幡でコオロギとカネタタキの声を聞いた。市街化が著しくほとんど草地などないような市中心部でも気をつけると駐車場の片隅の草むらや街路樹の植桝の草むらでひっそりと秋の虫が鳴いている。公園や広場などの少し大きな草地からはジーというヤブキリの声も聞かれる。多くの鳴く虫は草地を住処にしているので、こうしたちょっとした「都会の草地」を刈らずに残すことで秋の虫の声を楽しむことができる。
 ところが最近、市の市民相談窓口の担当から家の前にセミが集まってうるさいので何とかして欲しいという市民の苦情があったがどうしたらよいかという相談があった。秋の落ち葉に対する苦情も相変わらずである。虫の声や落葉焚きを詩歌に詠み童謡に歌った日本人の心はどこへ行ってしまったのだろう。季節の変化を楽しむ心のゆとりが欲しい。
(2005年8月26日)
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ツル植物の知恵クズが赤紫色の美しい花を咲かせている。マメ科のクズは繊維質の強靭なツルを持つ植物で、空き地などにはびこると除草が厄介だが、房状の花は大変美しい。ウラギンシジミという大形のシジミチョウの幼虫はこの花を食べて育つ。ウラギンシジミは翅の裏(飛んでいる時に下になる側)が銀箔を押したような美しい蝶だが、クズやフジの花を食べる幼虫は花と同じ赤紫色をしており、これまた美しい。
 クズなどのツル植物は周りに高い植物がない空き地や草地では水平方向に生長していくが、他に背の高い植物がある場合はそれに絡みついて光を得やすい高い位置へ上って行く。自立できるだけの体を作る必要がないのでその分、絡みついた相手よりも早く生長し光のよく当たる位置を占めることができる。ツル植物の絡みつき方には大きく分けて三通りの方法がある。
カラスウリの巻き鬚(↑の部分)で回転の向きが変わっている

 一つは自分の体全体で相手に巻きついていくアサガオやクズのようなタイプ、一つは仮根や吸盤のような器官で相手にしがみつくナツヅタやキヅタのようなタイプ、そして巻き鬚で相手にしがみつくタイプで、ウリ科やブドウ科の多くの植物がこのタイプである。いずれも寄生しているわけではないので相手から栄養分や水分はとらない。小学生の頃ヘチマの栽培をした方は記憶があるかもしれないが、巻き鬚タイプの植物は長く伸ばした巻き鬚の先端がしがみつく相手を探し出して数回巻きつくと、巻き鬚の元の方がおもむろにコイル状にねじれる。
 これは、折角何かにしがみついても、風などで相手や自分が揺れたときに巻き鬚が切れてしまっては困るので、スプリング状にすることによって力を逃がそうという植物の工夫だと言われる。ところが、自分の手で何かを掴んでねじってみれば分かるように、一方向にねじったのでは自分の体がよじれてしまう。そこで多くの場合、スプリング状になったほぼ中央の部分で回転の方向が変わっている。いわば「縒り戻し」をつけているのである。これによってスプリングの伸び縮みによる回転の発生も吸収している。
 この時期はいたる所でカラスウリが最後の花を咲かせている。巻き鬚の縒り戻しを観察するには絶好の材料である。ヤブガラシや河川敷に繁茂しているアレチウリの巻き鬚でも「縒り戻し」を観察することができる。
 アイビーなどのナツヅタは吸盤状の器官で壁などにくっつくと、こちらはその根本が波状に縮んでスプリングの機能を果たすようになっている。恐るべし植物の智恵!
(2005年9月9日)
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真間川のクロベンケイガニ観察会の常連の方から昭和学院付近の真間川にカニがたくさんいるという話を聞き見に行った。 護岸の草刈りが行われたばかりでカニを探すには好都合であった。国分川との合流点から大柏川との合流点の間の真間川は桜並木を保全するため、河川改修を行う際にコンクリート製の水路枠を油圧ジャッキで押し込む工法がとられた。
 この水路枠とその上のパラペットの間には幅二b弱の土の土手があり、所々に滲み出した水が溜まっている。そのような所に直径数aの穴がたくさん開いており、ゴソゴソとうごめいている大小のカニがいる。クロベンケイガニだ。クロベンケイガニは大きいもので甲羅の幅が三aほど、名前のとおり色は黒っぽく、脚には毛がたくさん生えている。ミミズなどの小動物から植物まで何でも食べる。特に珍しいカニではなく、行徳橋周辺のヨシ原などにはたくさんいて、中に入るとゾワゾワーと散っていき、足元の地面が動くと思うくらいだ。意外と動きが早くなかなか捕まらない。
真間川のクロベンケイガニ

 そのクロベンケイガニが街中を流れる真間川にたくさんいる。これは以前には見られなかった光景である。おそらく江戸川側から入ってきて分布を広げてきたものであろう。このカニはめったに水の中に入ることはなく、ほとんど陸上で暮らす。鋏脚の付け根にある穴から体内に水を取り込み、エラで呼吸している。エラを通った水は目の付近から体外へ排出されるがその部分には網状の器官があり、空気に晒されて酸素を取り込んだ水は再び体内へ取り入れ呼吸に使う。時々水を取り替えるために水に入ることがある。
 カニの仲間は、一生を川だけで過ごすサワガニを除いて、普段川辺で暮らしているカニも幼生期は海で過ごし生長とともに川へ戻ってくる。このため、産卵期には海や河口部を目指すカニの大移動が起きる。美里苑や昭和学院付近の真間川で暮らすクロベンケイガニも七〜九月の産卵期には河口部へ移動しているに違いないのだが、元々水中移動をほとんどしないクロベンケイガニが街中からどのようなルートを通って、どうやって産卵場所まで移動しているのか、興味があるところである。同様にどのようなルートを通って今の生息場所に定着したのかも不思議である。最近では同じく海と川を行き来するモクズガニが目撃された例もあり、お馴染みになったボラとあわせて川も賑やかになってきた。
(2005年9月23日)
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大町のサワガニ路傍を真っ赤に染めていたヒガンバナがそろそろ終りの時期を迎えようとしている。昨年は九月十八日頃がピークだったので、今年は一週間から十日ほど遅れている。九月三十日には大町自然観察園でヒグラシの声を聞いたので、春の訪れの遅れは地温に左右される生き物にとっては影響が大きかったと思われる。
 一方、夏の終りから秋の初めにかけて江戸川放水路で見られたチュウシャクシギやメダイチドリなどはさらに南を目指して旅立った。アラスカや極東ロシアの沿岸部で繁殖期を過ごしたシギ・チドリの仲間は、日本を経由して南太平洋諸島やオーストラリアまで二万`もの旅をする。その途中、江戸川放水路などの干潟でたくさん餌を食べ、渡りのためのエネルギー補給をするのである。
大町自然観察園のサワガニ(青色系雄)

 さて、前回に続いて淡水性のカニの話を少し。大町自然観察園には日本に生息するカニでは唯一一生を淡水環境で過ごすサワガニが生息している。日本に生息する他のカニと異なり海で過ごすプランクトン期がなく、卵から直接子ガニが生まれる。大町自然観察園は昭和四十八年に大町自然公園としてオープンするまでは水田で、水源には台地の裾から滲み出す湧水が使われていた。この湧水は現在でも維持されており、この台地裾の湧水とその流れの周辺にサワガニが生息している。かつては谷津では普通に見られたサワガニだが、現在市川で見られるのは大町自然観察園の他は大野町の一部の谷津だけである。
大町自然観察園のサワガニ(褐色系雄)

県内でも減少しており、千葉県レッドデータブックにも記載されている。前回紹介したクロベンケイガニ同様水中に浸かっていることは稀で、水際の枯れ木や石の下に潜んでいる。歩行力が強く、観察園の管理を担当している阿部さんの話では雨の日など、七〜八メートルの急斜面を登って車が通る道路まで出て行くそうである。
  体色には大別して褐色系と青色系があり、地域により異なると言われているが大町にも大野町にも両方とも生息している。雌雄は腹面の俗に「カニのフンドシ」と言われる部分の形状で区別できるが雄はハサミが大きい上、左右の大きさが若干異なるので捕まえなくても区別できる。食用になり、飲み屋などでは炒ってお通しにしたりするが、肺ジストマの中間宿主なので生食は厳禁である。
 大町自然観察園では水路脇の枯れ木などをそっとどかしてみると比較的容易に見つけることができるが、生息域が極めて限定されているので、観察したら元の場所へ戻してやって欲しい。
(2005年10月7日)
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自然の変化自然は様々に変化するものである。身近なところでは四季の変化、生き物の生長の変化などがある。これらの変化は比較的短時間で進み、目にも見える。一方で目には見えず、比較的ゆっくりとした、なおかつ大きな変化もある。そんな自然の大きな変化を感じさせるできごとが二つあった。
  一つは大柏川でのこと。十月三日の夕刻、大柏橋周辺で三十匹ほどの魚が死んで浮く事故があった。詳しい原因は不明だが、一時的にごく少量の油か薬品が流出したのではないかと考えられる。死んだ魚のほとんどは体長一五a前後のボラで、数匹のクチボソも混じっていた。その中に一匹だけウグイがいた。大柏川や真間川では水質の改善からボラを中心に多くの魚が見られるようになっている。ウグイはハヤとも呼ばれ、比較的水の汚れにも強い魚ではあるが、この不幸な事故で、大柏川にも遡上するようになっていることが分かった。
ツマグロヒョウモンの雌

  もう一つは蓴菜池での珍蝶二種との出会いであった。掲載した写真はツマグロヒョウモンの雌であるが、元々は三浦半島以西や房総南部に生息する、どちらかというと南方系のチョウである。名前の由来ともなっている前翅の先端が黒いのは雌だけで、雄は全身が豹文柄である。雌の模様はやはり南方系のチョウで、有毒成分のあるカバマダラに擬態しているといわれる。ツマグロヒョウモンは近年市川でも目撃例が増えており、定着したことも考えられる。蓴菜池ではナガサキアゲハやモンキアゲハなどの南方系のチョウも目撃されている。こうした南方系の生き物が目撃されるとすぐに地球温暖化と結びつけられるが、ツマグロヒョウモンの場合は幼虫の食草であるスミレ類のパンジーやビオラが冬でも公園の花壇や住宅の庭に植えられていることの影響の方が大きいようである。つまり、人の嗜好による行動が昆虫の生息範囲に影響を与えてしまった可能性が考えられる。
 もう一種のチョウは、以前に本欄でも紹介したことがあるアサギマダラという渡りをするチョウである。やはり近年目撃例が増えており、特に今年は市内の広い範囲で目撃が報告されている。
 生き物には環境への適応力があり、大なり小なり自分に都合のいいように周囲の環境を変える力も持っている。このため自然環境は一定の状態に止まることなく常に変化している。ある一断面を捉えて一喜一憂しないこと、人は他の生き物より短時間で劇的な環境の変化をもたらす力を持っていることを認識することが大切である。
(2005年10月25日)
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樹木の種子が豊作今年はケヤキやイヌシデの種子が大豊作だ。
 樹木は毎年一定量の種子を生産するわけではなく、樹種によって豊凶の周期があることが知られている。ケヤキやイヌシデではほぼ二〜三年ごと、コナラなどのドングリ類ではそれよりやや長い周期で豊作の年があると言われる。山の管理をしてきた人々は豊作の年を「成り年」などと呼んでいるが、中には白神山地の原生林で有名なブナのように七年ごとに成り年を迎える樹種もある。しかも、不思議な事にこの豊凶の周期は樹木個体の樹齢に関わりなく樹種ごとに、さらにある程度の範囲の地域で一斉に起きることが知られている。
イヌシデの果穂

   どうしてこのような豊凶の差が生じるのかはよく分かっておらず、専門家の間でも諸説あるのが現実である。樹木学や植物学の分野では樹木の生理的な要因をあげている。樹木の結実量を左右する元になる花芽は、多くの落葉広葉樹の場合初夏の六〜七月に出来上がってしまうので、この時点で翌年の花の絶対量が決まってしまう。しかも、花芽の量は高温で乾燥した条件ではたくさんできるので、夏が猛暑で雨が少なかった年の翌年は豊作になる。ところが、たくさんの種子を作ると樹木の栄養分の消費が激しいので、翌年は気象に関わりなく結実量が少なく、回復力の差で樹種ごとの豊凶周期が決まる、という考えである。
 一方、生態学の分野では種子を生産する樹木とそれを食料とする動物の関係から豊凶の周期を考えている。すなわち、栄養のかたまりである樹木の種子は多くの動物の餌になる。折角生産した種子を全部動物に食べられてしまったのでは樹木は次の世代を残せない。そこで、何年かに一度動物が食べる量をはるかに越える量の種子を生産し、確実に次代を残す樹木の戦略であるとする考え方である。仮に食料が増えたことで動物も増えたとしても翌年凶作にすることにより動物の生息数をコントロールすることができるとしている。この考え方では樹齢に関わらず一斉に豊凶を迎えることがうまく説明できないように思える。
 いずれが正解かは分からないが、自然界の仕組みの摩訶不思議な一面であり、バランスの複雑さに驚かされる現象である。 冬のカモ類の渡りが本格化し、塩浜の護岸からは羽音も聞こえる距離でおびただしい数のスズガモの群を観察することができる。かつて行徳鳥獣保護区から夕焼けの中を一斉に沖合へ飛び立って行った姿が思い出される。
(2005年11月10日)
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ムクドリのねぐら豊作のケヤキのタネを採集しようと市民プールの駐車場に行ってみて驚いた。おびただしい数のスズメがケヤキに入り込み大騒ぎをしている。しかもカラスも同居している。まだ昼過ぎでいくら何でもねぐら入りには早いのでは、と思って見ると、どうやらケヤキのタネを食べているらしい。カラスは地面に落ちたタネもついばんでいる。このままこのケヤキをねぐらにすれば職(食?)住近接でよいのではと思ったが、ねぐらにしたかどうかは確認しなかった。
 スズメやムクドリなどの野鳥には、繁殖期以外は集団で夜を過ごすものが多い。その場所を「集団ねぐら(塒)」という。ねぐらとはいかにも擬人的に聞こえるが、元々は鳥が寝る場所を示す言葉だ。集団でねぐらをつくるのは外敵に襲われないためとか、外敵を発見しやすいからとか、集団でいると暖かいからなどと言われている。スズメやムクドリのように元々人里にいる鳥は郊外の竹やぶなどにねぐらを作ることが多かった。いわゆる「スズメのお宿」と言われるものである。
ねぐら入り前に電線に集結するムクドリの群

   ところが最近、こうした野鳥が市街地の中心部でねぐらを作るようになっている。特にムクドリはスズメより体も大きく鳴き声もけたたましいため、各地で鳴き声や道路に落ちる糞(ふん)が問題になっている。これらの野鳥がねぐらを市街地に移したのには、郊外の開発が進み、ねぐらに適した竹やぶや林が減少したことに加え、市街地には天敵がいないこと、郊外より暖かいことなどが大きく関係しているようである。
 市川でも、今年一月に行徳駅前にムクドリのねぐらが出現したことは第四十一回の本欄でも述べた。市では苦情に対応して様々な対策をしたがクスノキから電線に移ったムクドリは結局春の繁殖期になってねぐらが解消するまで駅前を離れなかった。秋になって再び集まる傾向が見られたが、今月十一日に忽然と姿を消した。同じ頃、市川インター付近に四千羽ほどのねぐらが形成されたのでこちらに移ったのかもしれない。
 ムクドリは農耕地や庭の虫を食べている。五千羽の群が一日一羽二十匹の虫を食べるとするとそれだけで十万匹だ。ムクドリが人を襲うことはないし、集団ねぐらの形成が天変地異の前兆ということもあるまい。あまり過敏に反応せず冷静に見守ってやって欲しい。糞の問題はあるが、清掃で対応すればよい。何らかの情報伝達が行われているらしいことや、互いの力関係などよく観察すると結構おもしろい。
(2005年11月25日)
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モミの話市川の今年の紅葉は十日から二週間ほど遅れているようだ。春の訪れの遅れがそのまま続いているようである。ようやく盛りを迎えた紅・黄葉やこんもりした照葉樹の中に一際突き出たモミの梢を目にすることがある。 以前、市内のある中学校で樹木の話をした際、生徒から「市川には何か珍しい木はあるか」という質問を受けたことがある。数が少ないという点ではモミも珍しい木の一つと言える。
 一般的には「モミノキ」と呼ばれることが多いが正式には「モミ」が正しい。モミは高さ二五メートル、幹周三メートルを超える大木になる木で、綺麗な円錐型になるため植栽されることも多い。クリスマスツリーにすることでもお馴染みの木で、アメリカなどではこの時期になると街中の広場にモミを売る市がたち、品定めする多くの市民で賑わう。
斜面林の上に突き出たモミ

   市川ではかつて中山の法華経寺境内の祖師堂前にモミの巨木があった。幹周三メートルを超える巨樹だったが、昭和四十四、五年頃に枯れてしまった。高さ二メートル位の所で伐採された切株に何体かの仏像が彫られてしばらく残っていたが、今では痕跡もない。現在市川市内でモミが見られるのは大町自然観察園中ほどの斜面林、大野町四丁目の駒形神社周辺の斜面林、須和田の市川第二中学付近、国分寺近くの国分三丁目の斜面林、真間山弘法寺祖師堂前位で、恐らく全部で二十本程度ではないかと思われる。隣接する松戸市でも高塚周辺や北総線の秋山駅周辺で数本見られる。
 モミというと山本周五郎の「樅の木は残った」からの連想か、寒い地域の樹木と思われがちだが実際にはかなり暖かい地域にも生育している。ただし、林が見られるのは寒冷地や標高の高い山地で、暖かい地域の平地で林をつくることはない。 市川でモミが見られるのは、関東南部がまだ寒冷だった時代の名残ではないかといわれている。日本の気候は約二万年前の最終氷河期以降徐々に温暖化してきており、それにつれて関東南部の植生もブナやミズナラを主とする冷温帯林(夏緑林帯)からスダジイなどの照葉樹を主とする暖温帯林へと変化してきた。生態学ではこの冷温帯林から暖温帯林へ移行する途中の段階を中間温帯林として区分する説があり、モミはその代表的な樹木である。市川の雑木林でたくさん見られるイヌシデもその構成種である。このまま温暖化が進むとモミはスダジイなどの照葉樹に負けて見られなくなるかもしれない。
(2005年12月9日)
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行徳野鳥の楽園<1>冬の自然観察はやはり鳥が中心になる。市川で越冬する渡り鳥も多いので、冬は多くの野鳥を観察することができる。
 市川市内で野鳥観察ができるポイントはたくさんあるが、その中でも全国の野鳥観察施設の草分け的存在といってもよいのが「行徳野鳥観察舎」である。その歴史を改めて振り返ってみたい。
 行徳は国内最大規模の土地区画整理事業が行われ、市川市の中では最も都市基盤が整った「ニュータウン」で、人口は十五万人を数える。航空写真を見ると、一面の住宅地が広がる中にぽっかりと八三ヘクタールの行徳近郊緑地が広がっており、野鳥観察舎はその一角にある。
観察舎から見た保護区

   現在の繁栄ぶりからは想像もできないが、昭和三十年代までの行徳は旧行徳街道沿いに集落がある他は、一面に水田や蓮田、ヨシ原が連なり、前面には広大な干潟が発達した浅瀬の海が広がっていた。水田などの広い淡水性湿地を擁する東京湾最奥部は日本有数の渡り鳥の飛来地になっていたが、中でも行徳は宮内庁の新浜(しんはま)鴨場が設置されていた関係もあって古くから調査が行われ、sinhamaの名は国際的にも有名であった。
 ところが、昭和三十年代終りから、高度経済成長政策に基づく京葉工業地帯の造成に伴い、東京湾沿岸は次々と埋め立てられ、干潟や浅瀬が消えていった。市川でも高谷新町を手始めに海面埋め立て事業が進められた。
 一方、内陸では地下水の汲み上げによる地盤沈下に起因する塩害により水田が荒廃し、東京から排出される建設残土や鉱(こう)滓(さい)、廃棄物による埋め立てが進み、海と内陸の両方で渡り鳥の生息環境が狭められていった。
 このような中、日本鳥類保護連盟から新浜に渡来する多数の渡り鳥を保護するため、宮内庁鴨場を中心とする一千ヘクタールを保存して欲しいという陳情が出されるなど、鳥類の保護を求める運動が起きたが、開発の大きなうねりが押し寄せる中、時代の波に乗ることが地元の生活を守る唯一の手段と考える人々と真っ向から対立した。昭和四十二年のNHKのテレビ番組「現代の映像」で「人か鳥か」と題して取り上げられるなど世論の関心も高まり千葉県は「行徳地域問題審議会」を招集、その答申により現在の行徳近郊緑地の区域を保全することと、二期埋め立てに関連して一千ヘクタール程度の恒久干潟を造成することが決まった。こうして埋め立て地の中にぽっかりと「海」が残り、昭和五十一年にプレハブ二階建ての初代野鳥観察舎がオープンした。      (つづく)
(2005年12月23日)
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行徳野鳥の楽園<2>観察舎は昭和五十四年に現在の鉄骨三階建てに建て替えられた。激しい開発の要請の中で、不完全ながらも初めて野鳥の保護を目的とした空間が残されたことは画期的であった。当初は冬になると数万羽のスズガモで観察舎前面の通称「新浜湖」が埋めつくされた。
 新浜湖は千鳥水門と暗渠パイプにより海とつながっている。海水交換は細々と行われているものの、極めて閉鎖的な環境にあるため、移動能力が小さい生物は東京湾から隔離された状態で生息している。現在の東京湾ではほとんど見られなくなったホソウミニナやカワアイといった巻き貝や、江戸川放水路でしか見られないトビハゼも、比較的普通に見ることができる。
   一方、陸地の方は地盤沈下の沈静化により乾燥化し、計画した内陸性湿地ができなかった。このため、現在ではNPO法人行徳野鳥観察舎友の会が内陸性湿地の造成に取り組んでおり、かなりの成果をあげている。
東京湾では激減したホソウミニナ

 東京湾最奥部の銃猟禁止により日中も避難する必要が無くなったスズガモは終日洋上に留まり、新浜湖に入らなくなってしまった。それでも二〇〇〇年から三年間かけて行われた市川市の自然環境実態調査で確認された鳥類百九十三種中百七十二種が行徳野鳥観察舎で確認されており、市内で最も重要な水鳥の生息環境であると評価されている。
 そのような環境を「緑地としてもっと人に開放せよ」という動きが出ている。「野鳥の楽園」は人が人の都合だけで環境を左右してよいのか、それが人の生存環境にとってもベストといえるのか、という反省に立って、当初から野鳥の保護を目的として保全されたものである。五〇〇ヘクタールの海を埋め立て、五〇〇ヘクタールの内陸湿地を宅地化しそこに住んだ人間が、わずか五六ヘクタールの鳥獣保護区をさらに人に開放せよという主張には、にわかに賛同しがたい。
 市川二期埋め立て計画が白紙撤回され、関連して整備するとされていた一〇〇〇ヘクタールの恒久干潟の造成計画がなくなった今、行徳鳥獣保護区が持つ意義は益々重要になっている。野鳥観察舎では毎日曜と祝日にはガイドがついて保護区内に入る観察会を行っているし、団体からの要請には平日でも応じている。内陸性湿地復元ボランティアも歓迎している。
 「井戸の水を飲むときは井戸を掘った人の苦労と努力を想え」という格言があるが、これ以上の埋め立て計画がなくなった今こそ、当初の趣旨を活かし五六fの空間を人以外の生物にとってどう役立てることができるかを、真剣に考えるときである。
(2005年12月30日)
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冬の貴婦人タゲリ今年の冬鳥の渡来状況は少し変だ。例年多く渡ってくるツグミやシロハラの姿をほとんど見かけない。日本海側に豪雪をもたらしている気象と関係があるのだろうか。
 さて、昭和四十年代の前半まで市川の低地には千fを超える水田が広がっていた。冬の水田は日本で越冬するカモ類やシギ類などにとっては絶好の餌場であった。
 タゲリはその名のとおり水田で越冬する渡り鳥の一種だ。大きさはハト位で、後頭部に上向きに反った長い冠羽があるのが特徴だ。背面は金属光沢のある緑色にわずかに紫紅色が混じり、頬と腹が白、頭頂と胸が黒という彩り鮮やかな姿をしている。この姿が「冬の貴婦人」と称される所以である。飛び立つときに「ミュー」という猫のような声を一声発する。羽の下側は白、先端部が黒で、飛び立つと尾部下側の赤褐色が目立つ。
大柏川のタゲリ

 まだいくらかまとまった水田が残っていた昭和の終りまでは五、六十羽の群れも見られ、市川は首都圏では有数の渡来地といわれた。水田がほとんど無くなってしまった現在では、残念ながらせいぜい十羽程度の小群が見られるだけになってしまった。
 姿を見かける確率が高いのは北方町の大柏川第一調節池から大野町の市川北高等学校周辺にかけての大柏川沿いの地域で、単独や数羽でたたずんでいることが多い。
 タゲリはチドリの仲間なので、地表を小走りに走りながらミミズや地中で越冬している昆虫類をほじくり出して食べている。しかし、同じく水田で越冬するタシギのようにクチバシが長くないので、冬でも水が溜まっているような完全な湿田では餌をとることができない。うっすらと水があるジメジメした状態が最適だが、そうした環境の水田は市川では少ない。
 そんなタゲリにとって大柏川の多自然型改修が行われた区間は絶好の餌場になっている。浜道橋から上流の区間は護岸の内側で川の流れを蛇行させ、流れの両側には土の川原がつくられている。この部分は夏には草が繁ってしまうが、冬の間は草丈も短く、タシギやタヒバリ、ハクセキレイ、イソシギなどが採餌したり、コガモやキンクロハジロなどのカモ類が休息したりしている。ここを利用する鳥たちは人が降りて来られないのを知っているらしく、タゲリがミミズを引っ張り出して食べる様子を間近に観察することができる。冬の貴婦人が渡ってくる環境をいつまでも残したいものだ。
(2006年1月27日)
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洋上のカイツブリ先日、大町自然観察園で久しぶりにツグミに出会った。大柏川でも一羽だけ見かけた。外環道路の工事が始まった小塚山では五日にシロハラの声を聞いた。山の実りが多い年は冬鳥が平地に降りて来ないという話を聞くが、関東地方南部でも雪が降るようになってツグミたちも山を降りて来たのだろうか。
 同じ冬鳥でも水鳥は渡来先が限られる。ところが、例年百五十羽ほどのコガモが越冬していた市川東高校隣の柏井調整池は、昨シーズンから排水路工事が続いている影響か、水鳥の姿をほとんど見かけない。北方遊水池や保健医療福祉センター横の小さな池に移っているようだ。
カンムリカイツブリ

 一方、大きな工事が行われることがなくなった海に渡ってくる水鳥たちには大きな変化はないようだ。三番瀬ではスズガモがすこし少ないという話も聞くが、葛西沖など広い範囲に分散しているためかもしれない。
 そんなスズガモの群に首の長い少しスマートな鳥が混じっていることがある。カンムリカイツブリという海洋性のカイツブリで、日本で見られるカイツブリの仲間では最大である。頭には名前の由来でもある後方に突き出した冠羽がある。市川では塩浜海岸の護岸から双眼鏡で観察できる。江戸川放水路に入ってくることもあり、特に河口部左岸の堤防からは運がいいとすぐ間近に観察することができる。青森県の一部で少数が繁殖しているほかは、ほとんどは日本には越冬のために渡ってくる冬鳥だ。
 かつては珍鳥と言われたが、最近では渡来数が増加しており葛西沖には数千羽の群がいると言われている。しかし、沿岸部で観察できるのは単独や数羽で行動している小群である。他のカイツブリ同様、潜水して魚を捕るが日中はスズガモの群に混じって洋上で寝ていることも多い。 三番瀬の再生をめぐってはとかくやり玉にあげられ、老朽化により一部立入禁止にもされている塩浜海岸の護岸だが、三番瀬洋上の鳥たちを観察するには便利だ。双眼鏡でも十分だし、野鳥観察用の望遠鏡があれば申し分ない。スズガモやカンムリカイツブリの他にも赤い目をしたハジロカイツブリやパンクファッションのような頭の冠羽が特徴のウミアイサ、海面すれすれを編隊飛行するカワウなどが観察できる。また、ホシハジロやホオジロガモなどのカモ類やオオバンも見られる。ここ数年で市川沖の海の環境は格段に向上した。冬の間は余程の荒天でない限り護岸から野鳥が観察できない日はない。
(2006年2月10日)
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越冬するトンボ久々に寒さが厳しい冬であったが、寒さが緩むにつれ、梅の花がほころび始めた。植物の場合、開花や芽吹きなどの生理現象は気温よりも日照時間(日の長さ。実際には夜の長さが重要な要素と言われている)に左右されるので、冬の寒暖に関わらず一定の時期になると開花準備が整う。しかし、開花の最後のスイッチを入れるのは気温だと言われている。これは、気温が低いと昆虫が活動していないため、昆虫によって花粉が運ばれる虫媒花の場合、折角花を咲かせても無駄骨になってしまう恐れがあるからである。一方、風媒花の場合は気温に関係なくほぼ一定の時期に開花する。
  さて、相手方の昆虫の方はどのようにして冬越しをしているのだろう。昆虫の場合は厳しい冬を卵やサナギの状態で乗り切るものが多い。しかし、成虫の姿で冬越しするものも意外と多い。
トクサの先端で越冬するホソミオツネントンボ

 その中にホソミオツネントンボというイトトンボがいる。漢字では「細身越年蜻蛉」と書く。日本には成虫で越冬するトンボは三種しかいない。名前の通り細身で体長は四a弱、関東以西では平地や低山地の水草の多い池などと林が接する環境に普通に生息している。七月頃に羽化した成虫は水辺のササヤブなどで越冬し、翌春四月頃に水辺の植物体内に産卵する。
  市川市内で越冬している姿が比較的よく観察できるのは大町自然観察園の北端にある管理詰所の周囲に植栽されたトクサの先端部だ。林の林縁部のササヤブや低木の枝先でも越冬しているはずであるが、完璧なまでの保護色と微動だにしない擬(ぎ)態(たい)により発見することはほとんど不可能である。冬のトクサは先端部の一節が枯れていることが多く、ホソミオツネントンボはこの部分に擬態している。トクサの先端に頭をぴったりとつけるように停まり、トクサの延長のように擬態している。
しかし、仮死状態になっているわけではなく、太陽の動きに合わせて微妙に体の角度を調節している。また、天気のよい日はほとんど逆立ち状態だが、雨の日などは体を下げて水滴が溜まらないようにしている。トクサで越冬するのはあまり例がないようであるが、観察する方にとっては都合がよい。冬を乗り切ったホソミオツネントンボは春になると鮮やかな青緑色に変身する。
 他にもテントウムシなどの甲虫類やカメムシの仲間、タテハチョウやシジミチョウの仲間などが樹皮の間や枯れ草の陰などで、同じ種同士が集まって越冬している。二十四節気の一つ啓蟄も近い。
(2006年2月24日)
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ichiyomi@jona.or.jp 市川よみうり