市川よみうり連載企画

市川市自然観察グループ岡崎 清孝

 
雑木林のアオキ大柏川では、乱舞していたユリカモメに替わってツバメが渡ってきた。今年の初見は三月三十日であったが、現在ではイワツバメを含め多数が川の上を飛び交っている。 さて、雑木林の手入れにあたっては、アオキは取り除いた方がよいと言ってきた。アオキは同じく取り除くべきとしたトウジュロとは異なり、日本固有の自生種で、常緑樹林に限らず全国どこの林でもごく普通に見られ、市川の林に生育していても何らおかしくない樹木である。ではどうして取り除いた方がよいのだろうか。
アオキ雄株の雄花

 アオキは昔から庭や公園によく植えられてきた。特に湿潤な日陰地でも旺盛に育つため、家の北側の日陰や浴室周りの目隠しとしてよく使われてきた。樹高そのものは二〜三メートル程度にしかならないが、根元から叢生し、さらによく枝分かれする上に大きな常緑の葉をつけるため目隠しとしては格好の樹種である。常緑ではあるが耐寒性が強く雪が降っても平気である。 アオキが庭木として好まれる理由の一つに常緑の葉と真っ赤な実のコントラストが上げられる。アオキの実は特にヒヨドリが好んで食べるようで林の中のアオキはほとんどヒヨドリによって庭木からタネが運ばれたものと考えられる。アオキの実の果肉には発芽を抑制する物質が含まれるらしく、鳥の体内を通ることによって発芽率が高まる。これは、鳥の力を借りてなるべく遠くにタネを運んでもらった方が繁殖戦略として有利であるためと考えられている。
 庭や公園に植えられたアオキでも古くなってコルク質化した幹は伐って新しい緑色の枝を出させるなどの造園的な管理が行われるが、林の中で管理されることなく生長すると、その本来の樹形から、林内の見通しを著しく阻害してしまう。林の中には根元の太さが一〇センチ、高さも三メートルを超えるような大木もある。このような大木の下は真っ暗で、アオキ自身の枝でさえクネクネと徒長しておりとても他の植物が生育できる状態ではない。
 かつて林の手入れが適正に行われていた頃にはシラカシなど他の常緑樹の低木同様「柴刈」の際に伐られていたため、林内の見通しを阻害する程大きく育つことがなかったのである。伐ったアオキの葉や若い幹は牛馬などの家畜の飼料にしたようである。冬の青味としてある程度はあってもよいと思うが、少なくとも樹高一メートルを超えるようなアオキはかつての市川の雑木林には無かったのでやはり取り除いて林床の明るさを確保した方がよいであろう。
(2007年4月13日)  
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本格的春の訪れ本題に入る前に前回のアオキの補足を少し。
 雑木林に繁茂するアオキは厄介な存在だが、優れた造園樹木であることには異論がない。鮮やかな緑と赤の取り合わせが美しいアオキは、耐寒性が強いことから冬の寒さが厳しいヨーロッパでも大変人気が高いと聞く。造園関係の人々の中ではアオキのことを「アオキバ」と呼ぶが、この名がそのままラテン語の学名になっており、アオキの名もヨーロッパでそのまま通用するという、大変国際的な樹木でもある。
フデリンドウの花

 さて本題。新緑たけなわの季節である。一年のうちで植物が最も躍動的な時季だ。樹木では前年一年間で蓄えた養分を使って一気に冬芽が伸び、ほぼ一年分の伸長生長がこの時季に決まってしまう。野ではタンポポやスミレの仲間に加えて様々な春の花が咲き出している。その一方で早春に花を咲かせたアマナなどはそろそろ葉が枯れ始め休眠に入ろうとしている。草丈が高くなり全体的に大型な夏の花に比べると、春の花は小型で可憐なものが多い。そんな春植物の仲間にフデリンドウがある。明るく乾いた草地や林縁を好み、市川でもかつては手入れされたアカマツ林の林床などでよく見られた。高さ五センチほど、一株に数個の薄紫色の花をつける可憐な植物である。つぼみの形や大きさが書道の小筆のようなのでこの名がある。現在では明るい草地や林縁の環境が無くなってしまったため見かける機会がめっきり減ってしまった。幸いなことに市川ではこのフデリンドウの群落を見ることができる場所があり、皆さんにもぜひ見て欲しいのだが、紙上で公開することにはためらいがある。理由は、本欄でも紹介した柏井町の市民大学実習林で花を咲かせていたシュンランが大変残念なことに掘り盗られてしまったからである。目撃した人の話によるとプロ集団の仕業だったようだ。こうした風潮が無くならない限り、生育地の情報公開には慎重にならざるを得ない。
 野鳥では大柏川にはまだ二百から三百羽のコガモの群が残っている一方、夏鳥のコチドリがやってきた。さらに、旅鳥のクサシギが春の渡りの途中で立ち寄っており、大柏川第一調節池の越流堤付近でよく見られる。
 また、大柏川では二羽の雛を連れたカルガモが見られる。雛の数が少ないのが気になるが、出水するほどの大雨も考えにくいこの時季の川の中の泥洲は、アオダイショウさえいなければ雛にとっては安全で快適な環境であろう。
(2007年4月27日)  
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大柏川のカルガモ親子その後春の自然の動きは目まぐるしく、新緑から若葉の季節に移った。
 前回、大柏川に二羽の雛を連れたカルガモがいると書いた。その後大柏川で観察をしている女性の方から雛は五羽いると教えられ、四月二十八日に五羽の雛を連れたカルガモを確認した。筆者が以前見かけた親子と同一かどうかは分からないが、見かけた位置や雛の大きさから見て同一と見るのが自然のようだ。カルガモは他の鳥のように親鳥が餌を運んで来て雛を養うことができない。このため卵が孵化すると、皇居のお堀のカルガモ行列のように、親鳥は雛を連れて巣を離れ雛が自分で直接餌をとれる環境に移動しなければならない。大柏川の上流部はこの時季セイヨウカラシナが一面に黄色い花を咲かせており、川面に垂れ下がった花や種子は雛にとってはいい餌になるのだろう。 大柏川の上流部は市川市内を流れる川としては比較的流れが速く、雛にとっては泳ぐのがなかなか大変だが、多自然型工法による河川改修のお蔭で小さなワンドや流れをコントロールする捨て石が設けられているためいい休憩場所になっている。
大柏川のカルガモ親子

この捨て石はアカミミガメなど、大柏川に生息する他の生き物にとっても格好の休息場所になっている。四月二十八日も甲羅の直径が二〇センチほどある大きなスッポンが長い首をだらりと伸ばして甲羅乾しをしていたが、隣の石を雛の休息場所に選んだカルガモ母さんに一喝されて追い出されていた。母は強しである。
 前回「アオダイショウさえいなければ川の中の泥洲は雛にとって快適」と書いた。五月三日にカルガモ親子を観察していたとき、岸辺の石の上にたたずむ親鳥の背後のカラシナの薮の中から五羽の雛が慌てて飛び出して来たかと思うと親鳥とともに素早く下流に移動して行った。その直後、細長い棒のようなものが岸から流れ出し、少し下った対岸に登って行った。長さ一.五メートル程もあるアオダイショウであった。ヘビの方もこの時季どこへ行けばご馳走にありつけるか、ちゃんと知っているのだ。カルガモの雛はどんどん大きくなるので、アオダイショウとしてもラストチャンスだったのかもしれない。
 一方、江戸川放水路には旅鳥のシギ類がたくさん渡ってきている。潮が引いているときには広い干潟に分散して餌をとっているが、潮が満ちると岸近くの杭や蛇籠の上に様々な種類のシギたちが集まってくる。先日は四十羽を超えるチュウシャクシギの群が見られた。
(2007年5月11日)
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イヌザクラとウワミズザクラ市川市自然環境研究グループでは毎月第三日曜日に自然観察会を行っている。三十年以上続いており、毎年五月は堀之内貝塚から蓴菜池にかけてのコースだ。長い間同じ時期に同じコースで観察会をしていると、少しずつ季節がずれてきているのではないかと思われることがある。かつて五月の観察会のときはイヌザクラやミズキの花が盛りであった。ところが、ここ数年、観察会の日にはこれらの花はすでに散ってしまい、エゴノキが盛りを迎えている。半月ほど季節が早まっているように思えてならない。
イヌザクラの花

 さて、そのイヌザクラであるが、サクラという名はつくものの、ソメイヨシノやヤマザクラなどのいわゆるサクラの仲間とは全く異なる外見をしている。分類上は他のサクラ類と同じバラ科に属するが、花は長さ八センチ前後の白い房状で一つ一つの花は直径五ミリほどととても小さい。かすかに香りがあり蜜も多いので、小さな昆虫類がたくさん集まる。このため実付きはよく、八月下旬から九月にかけて房状の実が赤黒く熟す。若干苦みがあるものの、果実酒に浸ける人も多い。しかし、鳥にとっても好物なので収穫するなら鳥と競争だ。
ウワミズザクラの花

   市内では北部の樹林地に点在し、決して珍しい木ではないが、花が咲いても気づかない人が多い。堀之内周辺に大きな木が多く、道めき谷津に面した中国分側の斜面にある胸高直径二・一メートルの木が単木としては最大であるが、堀之内貝塚や小塚山では根元から株立ちした大きな株が見られる。
 一方、同じような白い房状の花を咲かせるサクラの仲間にウワミズザクラがある。イヌザクラに比べると花房が大きく、長さは一二センチ前後ある。花房が小枝の先端に付くのが特徴で、イヌザクラより房数が少なく花期が一週間ほど早い。市川市内ではイヌザクラに比べてはるかに数が少なく、柏井や大町周辺でわずかに見られるに過ぎないが全国的にはウワミズザクラの方が多く分布している。古くから亀甲占いの燃料に用いられていたとされることを考えると、イヌザクラの「イヌ」はサクラ類の総称に対するものではなく、ウワミズザクラに対する冠称のようである。両種とも花つきがよい年と悪い年が交互に繰り返されるが、今年は花つきがよい年であった。
(2007年5月25日)
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虫こぶイネ科による花粉症がピークを迎えている。筆者も悩まされている一人なのでこれからの約一か月は辛い時期だ。しかもこの時期はどうしても水辺が観察の中心になるがその水辺には必ずイネ科の植物が大量にあるところが一層辛いところだ。
 さて、自然観察指導員の高野史郎さんから市街地のイヌシデにイヌシデメフクレフシがたくさん見られるとの情報をいただいた。イヌシデメフクレフシはいわゆる「虫こぶ」の一種で、ソロメフクレダニというダニの一種によって引き起こされ新芽が異常に膨らんだ状態になる。
イヌシデメフクレフシ

   イヌシデに限らず植物の葉や茎にコブができたり新芽が異常に膨らんだりしているのを見かけることがある。これらは総称して虫こぶと呼ばれるが、寄生バチや寄生バエなどの昆虫だけではなくダニや線虫、菌類などによっても形成される。虫こぶに詳しい薄葉重先生によると、虫こぶは寄主による何らかの刺激に植物が反応してコブを形成することは分かっているが、その刺激が何なのかなど詳しい仕組みはよく分かっていないそうだ。
 虫こぶは寄主の生物とは別にコブそのものにも名前が付けられている。エゴノキの新芽にできるエゴノネコアシ(寄主はエゴノネコアシアブラムシ)、ヨモギの茎にできる綿毛の固まりのようなヨモギクキワタフシ(寄主はヨモギワタタマバエ)といった具合だ。寄主の生物と宿主の植物の組み合わせは決まっている。虫こぶには渋味のもとになるタンニンが多く含まれているためか、鳥に食べられることもないようである。かつては染料や薬の原料にするため、特にタンニンを多く含むエゴノネコアシなどからタンニンを採取したそうだ。
 野鳥の世界では早くも今年誕生した雛たちが巣立ちの時期を迎えている。本欄でも何度か紹介した大柏川のカルガモ親子の五羽の雛も親とほとんど変わらない大きさまで育った。大柏川の護岸には巣立ったばかりのツバメの雛がずらっと並び、まだ親鳥から餌をもらっている。市民プール隣の砂利敷きの駐車場ではコチドリの雛が三羽元気に走り回っている。シーズン前で車のいない駐車場は人間にとっても貴重な空間で、野球やゴルフの練習や、犬を散歩させる人々が入れかわり立ちかわりやって来るし、人がいなくなるとカラスがやって来るのでコチドリの両親は気が休まる暇がない。その横を餌の昆虫をくわえたヒバリの親が巣を目指して注意深く駆け抜けて行く。
(2007年6月8日)  
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カラスは本当に怖いか?野鳥の若鳥たちが巣立ちの時期を迎えるにしたがい、カラスに襲われたという苦情が増えてきた。カラスに限らず多くの野鳥にとって、旺盛な雛鳥たちの食欲を満たすだけの量の餌を調達するのは大変なことだ。したがって、どこに巣を作るかは、外敵に対する安全性とともに餌を調達しやすいことが大きな要素となる。
 雑食性のカラスにとって都市から排出されるゴミが重要な食料になっていることは衆知の事実である。したがって、近年は人の生活と直接接する所に巣を作るカラスが多くなっている。公園や学校の樹木、街路樹、高圧線の鉄塔や電柱、学校の校庭の夜間照明灯などいたる所でカラスの巣が見られる。この傾向はここ五、六年で一層顕著になった。もっとも、カラスも子育てには生ゴミのようなジャンクフードではなく、他の野鳥の雛など新鮮な餌をとってきて与えているようだ。
ベンチで寄り添うカラスのカップル

 このような環境の巣から巣立つ若鳥は当然のことながら一歩巣の外へ出たとたんに人と間近に接することになる。まだ、ろくに飛ぶこともできない若鳥を親鳥が懸命に守ろうとするのは当然のことで、巣から飛び出した若鳥がやっと止まった木の枝のすぐ下を人が通れば当然、威嚇される。
 よく「カラスは頭がいい」というが、人間以上ということはない。ただ現代の都会人よりもはるかに観察力が優れていることは間違いない。というよりも都会人の観察力や注意力がカラス以下になってしまったと言った方がよいかもしれない。昨今は行政も民間も「安全・安心」に力を入れているが、与えられる安全に馴れてしまうと、自分で注意を払う能力が衰えてしまい、安全を要求するだけになってしまう。 カラスの巣立ちの頃は親鳥がけたたましく鳴き交い、バタバタと羽音をたてたりするのでそれと推測することができる。そのようなときは周囲に必ずぎこちない動きをする巣立雛がいるはずなので、不用意に近づかないように気をつけるべきである。巣立雛も二、三日で飛べるようになるので地域としての巣立ちの喧騒もせいぜい一週間程度である。この間のトラブルは、本能で威嚇するカラスよりも、頭のいい人間が観察力を研ぎ澄まして回避するのが賢明であろう。カラスにとって人は「勝ち目のない相手」であり、理由無く襲ってくることはない。低空飛行で威嚇するだけである。もし威嚇された場合には「なぜ襲われたか」を考えて次に備えるのが、万物の霊長たる人がとるべき行動であろう。
(2007年6月22日)
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大柏川のオオカナダモ前回の本欄でカラスのことを書いたところ、奇しくも六月の市川市議会で複数の議員からカラス対策に関する質問が行われた。カラスに対する苦情はややもすると「害鳥だから捕まえて殺せ」という極論に成りかねないので心配したが、議員、理事者双方ともゴミ対策が基本ということで抑制の効いた冷静な議論が行われ安堵した。
 「カラスが増え過ぎて困る」という人に何が困るのか訊ねると決まって「ゴミを散らかす」という答えが返ってくる。または「不気味だ」とか「怖い」という感情的なものだ。ゴミを散らかされて困るなら散らかされないように人間が工夫をすればいいし、そもそもなぜカラスが増え過ぎたかを考えればゴミ対策以外には行き着かない。一説によると巣立ったカラスのうち翌年まで生き残れる確率は自然界では二割と言われる。実際にねぐらになっている林には結構カラスの死骸が落ちている。自然界で生き残るのはそのくらい厳しい。
大柏川に咲くオオカナダモの雄花

さて本題。千葉県によって鎌ヶ谷市と市川市の市境付近に浄化施設が建設されてから大柏川の水質はかなり改善した。そのことも多分に影響していると思うが、一昨年あたりから大柏川のほぼ全川でオオカナダモが生育し始め、今年は場所によっては河川の全幅を覆いつくすほど大繁茂している。しかも、ほとんどの場所で花が咲いている。以前、派川大柏川に浄化施設が造られた際、やはりその下流にオオカナダモが発生した。
 オオカナダモ自体は日本古来の植物ではなく、南アメリカ原産の外来種で、大正時代に理科の実験用として持ち込まれたと言われる。一時のアクアリウムブームで安価な水草として多用され、水槽の水替えとともに逸出したらしい。それが水質の改善に伴って大繁茂したものであろう。駆除対象とする特定外来生物の候補にも上がった程繁殖力が大きいので、クロモなど似た環境に生育する在来種があるところでは問題だが、これまで沈水性の水草が生育していなかった大柏川にとってはトンボや水生昆虫の産卵基盤、小型の水生生物の隠れ場所などとして存在意義は大きい。今後の生育状況に十分注意する必要はあるが、現在のところは生物にとってプラス材料と言えるだろう。
 雌雄異株で、日本に導入されているのは雄株だけなのでタネはできない。したがって、すべて栄養繁殖なので大柏川に繁茂するオオカナダモもおそらくすべて同じ遺伝子の持ち主である。当然花はすべて雄花である。
(2007年7月13日)
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東浜海岸のハチジョウナ日本列島に大きな被害を及ぼした台風四号が去って以降、しばらく低温が続いていたが、ニイニイゼミ、ヒグラシに続いて夏本番を告げるアブラゼミも鳴き始めた。二十二日には柏井町でクマゼミの声も聞いた。
 潮干狩客でごった返していた三番瀬も、シーズンオフの七月になると船橋市の公園管理者によるアオサの処理が行われなくなるため、波打ち際に堆積して腐ったアオサが異臭を放っている。それでも船橋市側はバーベキューを楽しむ人々で混雑するが、市川市側の東浜海岸はバードウォッチャーが訪れる程度で静かなものだ。狭い砂浜の部分も船橋側ほど踏み荒らされることもないので、ハマヒルガオやコウボウシバ、オカヒジキ、ツルナなどの海浜植物が大きな群落を作っている。これらの海浜植物は、養分が乏しく砂の移動や強い潮風など、他の植物が生育できない厳しい環境に適応して生活している。ところが、最近はアオサの堆積によって砂の中に膨大な窒素分が供給されるため、本来は肥沃な環境を好むスベリヒユが多く見られるようになってきたのが気がかりだ。
ハチジョウナの花

 春から初夏にかけて花を咲かせるものが多い海浜植物の中で、夏の盛りに花を咲かせるのがハチジョウナだ。黄色い花を含めて全体がノゲシに似ているが、海浜植物の特徴として葉が肉厚になっている。名前から八丈島が原産と勘違いされるが日本各地の海岸に分布しており、どちらかというと関東以北に多い植物である。地下茎で増えるので、大きな群落をつくることもある。東浜海岸では西端のグラウンド付近の一角のみにかたまって生育している。以前は江戸川放水路の河口付近でも見られたが、砂の堆積地がヨシ群落に覆われてしまい、今ではほとんど見ることができなくなってしまった。東浜の場合は、グラウンドを使っている少年野球の人たちがグラウンドの排水のために毎年手を入れるのでヨシ群落が形成されず、そのためハチジョウナ群落が維持されているのではないかと思われる。
 野鳥の方では、繁殖を終えたコアジサシが若鳥を含めた大きな集団を形成しており、東浜海岸では五百羽近い集団を見ることができる。この集団が一斉に飛び立ち、急旋回や急降下をする様子は勇壮だ。早いグループでは八月終わりには渡去が始まるので、集団生活や飛行の訓練なのかもしれない。また三番瀬では、本来は冬鳥や旅鳥であるはずのミヤコドリが越夏しており、十数羽の群を見ることができる。
(2007年7月27日)
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夏も終わり? キツネノカミソリの花朝夕のヒグラシのもの悲しげな鳴き声に代わって、日中はアブラゼミのけたたましい鳴き声がいやが上にも夏の暑さをかき立てている。
 それまで気配さえなかったのに突然のように群落で花を咲かせ驚かされる植物がある。ヒガンバナなどはその代表のような植物だ。九月の彼岸の頃になるとスルスルと花茎を伸ばし、数日の内に大きな真っ赤な花を咲かせる。
キツネノカミソリ群落

 ヒガンバナと同じ仲間で、八月のお盆頃に花を咲かせるのがキツネノカミソリである。ヒガンバナもキツネノカミソリも花の時期には葉がないので植物体が目立たず、突然花が咲く印象を与える。ヒガンバナが田の畦や農耕地の周辺に多いのに対して、キツネノカミソリは明るい落葉広葉樹林や草原に多く生育する。
 キツネノカミソリは、花が終わった後に葉が出てくるヒガンバナとは逆に、早春まだ他の植物が芽吹く前にスイセンに似た葉を茂らせ、初夏には枯れてしまう。その後、八月初旬に花茎を伸ばし始め、お盆の頃にオレンジ色の花を咲かせる。ツクツクボウシの声とともに夏の終わりが近いことを告げる植物である。
 堀之内貝塚の森は毎年たくさんのキツネノカミソリが花を咲かせるが、今年はどうしたことか七月下旬から花が咲き始め、八月五日現在ですでに相当数が盛りを過ぎて結実を迎えている。このままだと本来の開花期であるお盆の頃にはすっかり花が終わってしまいそうだ。 キツネノカミソリにはヒガンバナ同様、鱗茎と呼ばれる直径二〜四センチの球根があるが、タネができないヒガンバナとは異なり秋に黒いタネがたくさんできるので、タネと球根の両方で増えることができる。鱗茎にはヒガンバナ同様リコリンという有毒成分が含まれるがデンプンが豊富なため、古くはヒガンバナ同様救荒作物としても利用されたようである。縄文時代の遺跡から炭化した鱗茎がたくさん見つかった例もあるそうである。
 さて、植物の名前には「キツネ」とか「イヌ」「クマ」など動物の名前がついているものがかなりある。キツネ○○と言う名前は本来の○○という植物に似ているが少し違うとかウサン臭いという場合によく使われる。しかし、キツネノカミソリの場合は、細長い葉の形を「狐の剃刀」に例えたものである。キツネが大切なヒゲを剃るとは思えないが、昔の日本人は身近にいたキツネを親しみを込めて擬人化したのであろう。大町自然観察園では早くもヒガンバナも咲き始めた。
(2007年8月10日)  
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ハグロトンボの産卵何とも異常な夏だ。八月に入って以降猛暑が続き、八月十六日には七十四年ぶりに最高気温の記録が更新された。それでも十三日にはツクツクボウシが鳴き始め、異常な夏も終わりが近いことを告げている。
 荒川上流の寄居町に埼玉県立「川の博物館」がある。博物館のすぐ脇を荒川が流れているが、以前ここを訪れた際、川の中にゴロゴロと転がった石の上にそれぞれ一頭ずつ、全体ではおびただしい数のハグロトンボが止まって縄張り行動をしている光景を見た。普段ハグロトンボを見る機会が少ない身としては、夕景の中のこのシーンには大変感動した。
 ハグロトンボはその名のとおり真っ黒な羽をしたトンボで、体長は六センチほどあるものの、イトトンボを大きくしたような細い体をしている。名前の由来は「お歯黒トンボ」で、羽の黒色をお歯黒の鉄漿の色に例えたらしい。確かに羽の黒は単純な色ではなく、金属的な深い色をしている。さらに、雄の体は金属光沢のある緑色をしており、雌はやはり金属光沢のある黒褐色をしている。
水草に産卵するハグロトンボの雌

 緩やかな流れのある水辺に生息するが、羽化後しばらくは水辺を離れ鎮守の森のような薄暗い林の中で暮らす。黒い羽をヒラヒラと動かしながら緩やかに飛ぶ様はいかにも頼りなさそうに見えるが、風に乗って結構長距離を飛ぶらしい。現在の市川では年に数回程度大町自然観察園などで単発的に見られる程度であるが、かつて水田がたくさんあった頃には用水路などで普通に見られた。環境の変化によって激減してしまった種である。
 大町自然観察園で見かける場合は単独であることがほとんどで、筆者はこれまで大町で一度に複数のハグロトンボを見たことはなかった。ところが、今年は短い期間に何度かハグロトンボを目撃したため何となく気にかけていたところ、八月五日の夕方、自然観察園から霊園に流れ出る水路で産卵している一組のハグロトンボを発見した。産卵は雌が単独で水草の生体組織内に卵を産みつける形で行われるが、産卵している雌のすぐ上の葉ではメタリックグリーンに輝く雄がしっかりと周囲に目を光らせていた。 産卵行動の目撃はこのときの一回きりであったが、単に周辺から飛ばされてきた個体だけではなく、市川生まれのハグロトンボが見られるとすれば素晴らしいことだ。学校のプールでも暮らせる止水系のトンボと違い、流水系のトンボにとって大町は唯一と言っていい貴重な生息環境である。
(2007年8月24日)
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大柏川のカワセミ若鳥九月の声を聞くとともに猛暑も一段落したようだ。蝉時雨に代わって秋の虫の音(ね)が聞かれるようになり、ほっと一息というところである。ところがこの秋の虫の音、最近は様変わりしている。樹上からリーッリーッと連続的にけたたましく鳴く中国原産のアオマツムシの声に、草の陰から断続的に鳴く日本の虫の風情ある声は無残にも打ち消されてしまっている。アオマツムシのここ三年ほどの増え方は爆発的で、市街地に止まらず大町など自然の豊かな地域まで市内全域がアオマツムシに席巻されている。
 さて、巣立ち後もしばらく親鳥に養ってもらっていた若鳥たちも本格的な独り立ちの季節を迎えている。
カワセミの若鳥

 大柏川の上流部では二羽のカワセミの若鳥が懸命に暮らしている。カワセミの若鳥は成鳥に比べて全体的に色がくすんでおり、特に腹側のオレンジ色が黒っぽい。雌雄一羽ずつで、二羽が至近距離で見られることが多いことから、あるいは兄弟なのかもしれない。若鳥は経験豊かな成鳥と違って、行動も比較的単純で警戒心も弱いので、じっくりと観察することができる。先日も大柏川の護岸からダイビングして首尾よく五〜六センチのコイの稚魚らしき獲物をゲットした若鳥が、苦労して飲み込むまでの様子を間近に観察できた。カワセミは捕えた獲物を止まった枝や石に打ちつけて骨を砕いて飲み込みやすくしてから飲み込むが、この時は、獲物が少し大きかったこと、止まった枝がオオブタクサの枯れ枝で中空だったため、何度打ちつけてもダメージが小さかったことなどから飲み込むのにかなり苦労していた。その間、そばで見ている筆者は気になるし、獲物はうまく飲み込めないし、すぐ近くに飛来したもう一羽も気になるしで、かなり動揺している様子が見て取れ、申し訳ない気持ちになった。成鳥なら獲物をくわえてすぐに場所を変えたであろう。この若鳥たちは、市川北高横の大柏川改修現場付近からJR武蔵野線付近までの区間を往復して餌を捕っているようである。同じ区間には三十羽ほどのカルガモの集団もいるが、この中には春に大柏川で見られた雛たちも含まれていることであろう。大柏川ではこの他にゴイサギやアオサギ、ハクセキレイ、キセキレイ、ムクドリ、スズメなどの若鳥たちが懸命に独り立ちの第一歩を踏み出している。
 日本で繁殖して冬に南へ渡る渡り鳥の若鳥にとっては九月の渡りが最初の試練になる。
(2007年9月7日)
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江戸川のフジバカマ季節の移り変わりというのは不思議なもので、サクラの開花とかウグイスの初鳴き、ツバメの初見など、新しい季節の始まりを告げる正の変化については綿密に記録されるし、我々自身も気がつくことが多い。ところが、ツバメがいつまで見られたかとか、セミがいつまで鳴いていたかなど、負の変化については人間は鈍感なものだ。
 これは環境の変化についても同じで、それまで普遍的に身の回りにいた生き物が激減しても気がつかないことが多い。こうして絶滅危惧種が出来ることがある。今、里見公園下の江戸川河川敷で花を咲かせているフジバカマもそんな絶滅危惧種の一つだ。
フジバカマの花

 フジバカマは山地に生育するヒヨドリバナとよく似た花を咲かせるキク科の植物で、秋の七草の一つにも数えられている。奈良時代に薬草として中国から入ってきたとの説が有力だが、元々日本にあったとする自生説もある。河川の土手のような少し湿ったところに生育するが、小河川では土手がコンクリート護岸化されたり、大河川では河川敷がグラウンド等都市的な利用が進んだことにより生育地が減少し、数が激減したと言われている。各地の公園などに植えられている茎が赤味を帯びたものは交配により作り出された園芸種である。千葉県では里見公園下の江戸川河川敷が唯一の自生地といわれる。
 この貴重な自生地も堤防の築造のために危機を迎えたことがあったが、環境団体と国との話し合いの結果、堤防を曲げることで保全された。この際、工事に抵触する株を自然博物館が里親を募って保全し、工事完了後に河川敷に戻すという活動を行った。その後は自然博物館やボランティアの人々の献身的な努力により群落が維持され、毎年九月初めから薄い藤色をした花が見られる。
 さて、その江戸川は九月七日に首都圏を直撃した台風九号による上流部の大雨の影響で増水し、七日の朝から十一日昼過ぎまで行徳可動堰が開放された。この際、上流から流れてきた大量の漂流物が東京湾へ流れ出た。江戸川に流入してくる漂流物には利根川の上流から流れてくるものも多い。国府台から行徳可動堰までの間に点々と生育しているオニグルミは群馬県あたりから流れてきた実から発芽したものであろう。漂流物に乗って思いがけない生物が流れてくることもあり、昆虫の研究者にとっては漂着物が宝の山になることもあるそうだ。川を利用して旅するのは人間だけではないようだ。
(2007年9月21日)
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ミゾソバの花冒頭に一つ訂正を。前回のフジバカマの記事で台風九号による行徳可動堰の開放を九月七日朝から十一日昼過ぎまでと書いたが十日昼過ぎまでの間違いだったので訂正したい。ついでに九月八日に江戸川の状況を見に出かけたときのエピソードを一つ。可動堰が開いていたので流れはかなり速く、上流からはまだヨシや流木のかたまりが流れてきていたが、その一つに五、六羽のカラスが乗っていた。漂流物にくっついている昆虫を狙って乗ったのかもしれないが、揃って下流の方を向き、時々羽を広げる様はあたかも人がラフティングを楽しんでいるように見えて微笑ましかった。
閉鎖花が多いミゾソバの花

 さて、十月七日の日曜日は天気もよく大勢の人々が大町自然観察園を訪れていた。最近はじっくりと自然の姿を楽しんだり写真を撮ったりする人々が増え、嬉しくまた心強く感じている。その自然観察園の湿地ではミゾソバの群落が花を咲かせている。ミゾソバは葉や花がソバに似ていて湿地に生えるのでこの名がある。花は十から三十個程の小花が集まったコンペイトウのような集合花で花色は白からピンクまで変化に富んでいる。この時季、満開と言いたいところなのだが、ほとんどの花が蕾のままのように見える。ミゾソバには花弁(実際は萼)が開く「開放花」と開かない「閉鎖花」があり、閉鎖花は自花受粉する。遺伝的なリスクはあるが、急な出水などで開放花が受粉できなかった場合の保険と言われている。さらに山間部の急な流れに生育するものには閉鎖花が地中に伸びた花茎に付くものもあり、自ら地中にタネを蒔いていると言われている。水辺に生育する植物は水によってタネを分散させるものが多いが、大水が出ると本来生育できないとんでもない所までタネが流されてしまう危険もあるのでこのような保険をかけていると言われている。
 ところで、カモ類など冬鳥の渡りが本格化しているが、蓴菜池にはヒドリガモやオナガガモに混じって一羽のオシドリの雄が美しい姿を見せている。これが何を思ったか自分よりも一回り大きいカルガモとアヒルの交雑種の雌と思われる個体の後を追い回している。当の雌の方はかなり迷惑顔で、しかも以前からの連れ合いと思われるカルガモからの攻撃もあるのだが、オシドリの方は一向に意に介さずにひたすら雌の後ろをついて回っている。いずれにしてもオシドリは大変美しい鳥なのでこの機会にぜひ観察して見て欲しい。
(2007年10月12日)
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蓴菜池のオシドリ蓴菜池のオシドリについて少し詳しく書こうと思い、二十日に確認に行ったところ、残念ながら姿を見ることができなかった。オシドリは日中は水面や水辺で休息していて、夕方から餌のドングリ類を求めて行動することが多い。二十日に蓴菜池を訪れたのがすでに夕方の四時半頃だったため、あるいは近くの林の中にいたのかもしれない。
 さて、オシドリは山間地の渓流域で夏を過ごすが、冬になると平地に下りてきて都市部の公園や皇居のお堀でも見られることがある。繁殖はやはり渓流域の樹林地で行われ、樹上の樹洞に巣を作る。他のカモ類と違い、カシやシイ類のドングリを主食としている森林性のカモである。
蓴菜池に飛来したオシドリ

 市川でもこれまでに大町公園や蓴菜池、江戸川などで観察されたことがあるが、ここ数年はご無沙汰であった。オシドリは他のカモ類同様繁殖期以外は雄も地味な色をしており、繁殖のためのペアを形成する秋以降、鮮やかな繁殖羽に変身する。蓴菜池に飛来しているヒドリガモやオナガガモ、ハシビロガモといった他のカモ類の雄の多くがまだ繁殖羽に変わっていない中で、このオシドリはすでに完全な繁殖羽になっている。ところが、蓴菜池には相手になるオシドリの雌がいないので、自分よりも一回りも大きいアヒルとカルガモの交雑種と思われる雌を相手に、後首の羽を逆立てお辞儀をする求愛ポーズを盛んに繰り返していた。
  ところで、蓴菜池では相変わらず過剰な餌やりをしている人が多い。餌用としてパンの耳が売られているらしいが、人間用の高カロリーの食べ物を野生の鳥に大量に与えることは、その鳥の食性を変えてしまったり、ペアリングが行われる重要な時期に雌雄の性比のバランスを崩してしまうなど、生態に大きな影響を与えてしまう。オシドリも初めの頃は投げられるパンを警戒して逃げていたが一週間もするとアヒルと一緒に陸に上がってパンをねだるまで生態を変えてしまった。今は上野の不忍池でも止めているし、伊豆沼などのハクチョウ飛来地等では自然の餌に近い穀類で餌不足を補っている。カナダは野生動物との出会いを大きな観光資源としているが野生動物への餌付けは法で規制している。蓴菜池の餌やりは市川市内でも特異な状況だ。餌やりは人の自己満足であり決して野生のためにはならない。野生に与える悪影響に早く気づいて欲しい。どうしても餌を与えたいなら少量に止め、レジ袋一杯のパンを与える行為は厳に慎んで欲しい。
(2007年10月26日)
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ドングリが豊作十一月というのにまだ半袖で過ごせるような暖かい日が続いている。思い起こせば今年は何かと異常なことが多い年であった。ソメイヨシノの開花が早かった一方、ニイニイゼミの鳴き始めは例年より二週間近くも遅く、例年ならお盆頃に咲くキツネノカミソリの開花は一月近く早かった。紅葉の進み具合も少し遅いようで、十一月に入ってようやくソメイヨシノからケヤキやイチョウに移り始めた。
アカガシのドングリ

 ソメイヨシノといえば昨年に続き各地から「狂い咲き」の情報が寄せられている。ヒガンザクラ系のジュウガツザクラのように元々今頃の季節に咲く品種もあるが、ソメイヨシノやシダレザクラの狂い咲きの多くは夏に大発生したモンクロシャチホコなどの蛾(が)の幼虫によって葉が食害され丸坊主になってしまったことが原因と考えられる。葉を全部食害されてしまった落葉樹は樹体内の水分バランスが崩れ「冬が来て落葉した」と感じてしまい、その後に暖かい日があると春が来たと思い開花してしまうらしい。しかし、植物は日長でも季節を感じ取っているので完全にだまされることはなく、狂い咲きは決して満開にはならない。
 さて、前置きが長くなったが、今年はドングリ類が大豊作である。市川市内でいわゆるドングリが成るのはコナラ、クヌギなどのナラ類、シラカシ、アカガシなどのカシ類、スダジイ、マテバシイなどのシイ類である。このうち、スダジイはほぼ例年並みか少し少ないくらいであるが、他の樹種はすべて豊作で、林の中はドングリだらけである。ドングリには開花した年の秋に熟するものと二年かけて翌年の秋に熟するものがあるが、今年はどちらも豊作だ。ごく乱暴な言い方だがシラカシやコナラのように名前に濁点がつかない樹種は開花年の秋、クヌギやアカガシのように名前に濁点がつく樹種では翌年の秋に熟す。
 落葉樹のコナラではドングリが落果すると直に尖った方から根が伸び始める。これは、冬の間にドングリが転がってしまうのを防ぐためと言われている。根は冬のうちに五〜六a伸びるが、その上に落葉が積もるので雪が降っても冬を暖かく過ごすことができる。そして、翌春三月にはドングリの殻がむけて双葉の間から新しい芽が伸び始める。
 一方、常緑樹のカシ類では落葉の布団がないので、冬の寒さをドングリの中で過ごし、翌春になってから発育が始まるようである。
(2007年11月9日)
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ガガイモのタネの旅立ち前回ドングリが大豊作という話をしたが、植物のタネの話をもう一つ。 少し湿った道端の草地や江戸川の河川敷などでよく見かけるツル性の植物の一つにガガイモがある。やや厚ぼったい多肉質の葉や茎を傷つけるとタンポポのように白い乳液が出る。夏に葉の付け根の部分に、五弁の星型で毛が生えた白から淡紫色のボテッとした感じの花がかたまって咲く。
 秋になると長さが一〇センチあまりのイモ状の袋果(たいか)ができる。この袋果の形状が名前の由来になっているのだが、「ガガ」の由来には諸説あって定かではない。一個の花から一個の袋果ができるが、花の数が多い割には袋果の数はずっと少ない。
袋果から飛び立つガガイモのタネ

 十一月の中旬過ぎになるとこの袋果が縦に二つに割れ、中から「種髪(しゅはつ)」と呼ばれる長い毛を持ったタネがたくさん出てくる。このタネの形状やタネが飛んでいく仕組みが何とも絶妙で、自然界の造形の妙に驚かされる。種髪は長さ四センチほどの極めて細い絹糸状の毛の集まりで、数えたことはないが一個のタネに百本以上ついているであろう。袋果には一本の溝があって、熟して乾燥してくるとこの溝にそって二つに割れる。中には種髪を内側にしてタネが鱗(うろこ)状に詰まっている。袋果の中心にはヒダがある芯があって、種髪はこんがらからないように一個分ずつこのヒダにきれいに納まっている。袋果が割れると同時にこのヒダも開き、乾燥した外気に触れた種髪は三十秒足らずで綿毛状に開いて、タネはわずかな風に乗って次々と大空に飛び立っていく。
 ガガイモの仲間には山地で見られるキジョランや園芸種のトウワタなどがあるが、タネはいずれも同じような形をしている。ディズニーアニメの不朽の名作「ファンタジア」のクルミ割り人形最終楽章の中ほどで、袋果の鞘(さや)から飛び出していくタネの姿が妖精のモチーフに使われている。
 一方、冬になるとタネがすっかり飛んで行ってしまって空っぽになった袋果が枯野の中に点々と残っているのが見られる。古事記の一節に大国主命が出雲の国美保の岬で国造りについて思案していると、沖の方からガガイモの袋果の舟に乗った小さな神(スクナビコナ)がやってきて、協力して国造りをしたという記述がある。今ではあまり顧みられることのないガガイモだが、古い馴染(なじ)みのこの植物の優雅なタネの旅立ちはこれから十二月中旬頃まで観察できる。気をつけると身近にある植物なので是非見つけて欲しい。
(2007年11月23日)
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大柏川のセイタカシギ今年は例年に比べて紅葉の訪れが十日程遅れているが、一気に冷え込んだせいか色づきはよいようで、市内でも十分紅葉を楽しむことができる。
  さて、今年は大柏川に四羽のセイタカシギが定着しており、ほぼ確実に観察することができる。五羽という情報もあるが筆者が確認したのは四羽である。
 セイタカシギはハトより一回り大きい、シギとしては中型のシギだが、体長の三分の二ほどもあるピンク色のきれいな長い脚が特徴である。
 一九六〇年頃まではごく稀に迷鳥として記録される程度であったが、やがて旅鳥として渡りの途中で見られるようになり、中には越冬するものも出てきた。そして一九七五年に愛知県の鍋田干拓地で初めて繁殖が確認され、一九七八年には京葉港の埋め立て地、一九八〇年には行徳鳥獣保護区で繁殖が確認された。以来東京湾沿岸では毎年繁殖が繰り返され、しかも繁殖地が増えている。環境省のレッドデータブックに絶滅危惧TBとして記載されているが、東京湾沿岸では年々見かけるチャンスが増えている鳥である。不思議なことに繁殖が確認されているのは東京湾沿岸以外には鍋田干拓地だけである。
脚環をつけたセイタカシギの成鳥

 筆者の初めての出会いは一九七八年宮内庁行徳鴨場で、一九八〇年代初めには冬になると、まだ広大な蓮田が広がっていた妙典や隣接する江戸川放水路でも度々見かけるようになった。
 大柏川周辺では調節池の最初の三つの池が完成した翌年の二〇〇四年八月に二羽が姿を見せ、以来毎年姿を見せていた。今年は春に一時期営巣が確認されたが条件が整わず放棄されてしまった。一時姿が見えなくなったが、夏には標識の脚環をつけた成鳥二羽と脚環のない若鳥と思われる二羽の計四羽がほぼ定着して見られるようになった。
 セイタカシギは水生昆虫や泥中の小動物を餌としているが、大柏川では主としてユスリカを食べているようである。ユスリカは水面で羽化し、しばらく川面を流れやがて飛び立つ。大柏川のセイタカシギは川の中に立ちこの羽化直後のユスリカを丹念に拾うようにして食べている。最近は貝之花橋周辺に若鳥一羽、古里橋と山之下橋の間に成鳥二羽、山之下橋と倉沢橋の間に若鳥一羽が定着している。いずれも夕方大柏川第一調節池緑地が閉園すると緑地内の池に移動して夜を過ごすようである。これだけ間近にじっくりとセイタカシギを観察できる場所は他にはないであろう。
(2007年12月7日)
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オオイタビの「実」前回に続き大柏川沿いの話題をもう一つ。
 大柏川は河川改修により川幅が広げられた際、様々な植物によって護岸の緑化が図られた。その中にオオイタビがある。 オオイタビは房総半島以西の暖地に生育するツル性のイチヂクの仲間であるが、少し変わった生長の形態をしている。植物体がまだ小さな内は幹からたくさんの気根(きこん)を出して他の植物や岩、人工物などにへばりつく。葉も薄質で一.五センチ位と小さい。ところがある程度の高さになって他にしがみつくものが無くなると自立し、枝も太く、葉も肉質で大きくなり、全く別の植物のような姿になってしまう。
オオイタビの花嚢

 オオイタビは雌雄異株で大柏川や真間川に植えられているのはすべて雄株である。ところが、長さ六、七センチもある大きなイチヂク型の「実」がなっているのを見かける。じつはこれは実ではなく花嚢(かのう)と呼ばれ、この中には花の器官がある。
 イチヂクの仲間の受粉にはイチヂクコバチという小さな蜂が重要な役割を果たしており、両者の間には非常に複雑で興味深い関係があることから研究者も多い。
花嚢の断面

 オオイタビの雄株につく花嚢の中には、雄株でありながら雄花と雌花がある。断面の写真で花嚢の先端側が雄花、奥側が雌花である。一方、雌株の花嚢には雌花しかない。コバチは雌花の子房(しぼう)に寄生するのでオオイタビにとっては厄介な相手なのだが、花粉を運んでもらう都合もあるので、本命の雌株の雌花はコバチの産卵管が届かない長い雌しべをつけて寄生を防ぎ、雄花の中にコバチ用のダミーの雌花をつけることでコバチの繁殖も可能にしているのである。コバチの方もこの関係で満足しているらしく、長い産卵管を持つ方向での進化はしていない。コバチの雄は羽がなく、生まれた雄花嚢の中で一生を終えるが、交尾した雌は雄花嚢を出る際に花粉を身につけ雌花嚢に運び受粉が成立する。イチヂクの仲間は一種ごとに対応するコバチの種が異なるが、市川にはオオイタビに対応するコバチがいないので、たとえ雌株があったとしても受粉はできない。コバチの生態や雄花、雌花の熟す時期など、本当はもっとずっと複雑な関係がある。
(2007年12月21日)
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野鳥の話題冬になると市川にも日本で越冬する野鳥がたくさん渡ってくる。中にはちょっと珍しいメンバーもいる。
 九月の終わりから蓴菜池に来ていたオシドリは国内で季節移動する鳥だが、その美しい姿から人気を集め、一月余りで姿を消してしまった。ところが蓴菜池には同じ頃からトモエガモというもう一種の珍客が一羽来ていた。こちらは繁殖羽に換羽するのが遅かったので野鳥に詳しい人以外は気がつく人が少なかった。十一月になると大分換羽が進み、顔の巴模様がはっきりしてくるにつれカメラマンも集まり、オシドリに代わって蓴菜池の人気者になっている。
 トモエガモはシベリア東部で繁殖し、日本には越冬のため渡ってくるが日本海側に多く、太平洋側では稀にしか見られない。東京湾沿岸では毎年数羽が見られる程度であるが、市川では昨年も江戸川河口で一羽観察されている。
蓴菜池のトモエガモ

 大きさはコガモよりもわずかに大きい程度でカモ類の中では小型の部類である。雄の繁殖羽では顔の横にメタリックグリーンとベージュの複雑な巴模様があり、頭頂部は焦茶色で中々美しいカモである。蓴菜池のトモエガモは一回り大きなカルガモの小群と行動をともにしていることが多い。一時姿が見えなくなり、同じ頃谷津干潟で観察されたことから移動してしまったのではと危惧されたが、最近では雄が二羽とか雄二羽と雌一羽という観察報告もあり、逆に周辺から集まっているのかもしれない。
 一方、行徳の塩浜海岸では多いときには二百羽程のハジロカイツブリが集団で漁をしている光景が間近に観察できる。ハジロカイツブリは渡りの時期には数百羽の群で行動するが、越冬中は数羽から数十羽の小群で行動することが多い。塩浜海岸でも昨シーズンは数羽ずつの群に分散していたが、今年はこの時期になっても大きな群が見られるのは、千葉県が直立護岸の一部を石積みの傾斜護岸に改修したことから、小魚の動きに変化が生じているのかもしれない。百羽を越える群が一斉に潜ったり浮上したりする様はあたかも野鳥のシンクロナイズドスイミングを見ているようで面白い。さらに、釣り人もまばらになった江戸川放水路ではヒドリガモの群が潮が引いた岸辺に上がって来て、護岸の下からしみ出る淡水を飲んだり、そのまま堤防の土手に登って人の近くで草を食べたりしている。カモたちにとってはこれから二月頃までが恋の季節である。
(2008年1月1日)
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餌やりを止めよう暖冬ではないかと言われていた今シーズンの冬だが、しばらく平年より気温の低い日が続いた。姿を見せるのが遅かったカケスも頻繁に見られるようになり、野鳥の方も冬のメンバーが揃ったようだ。大柏川第一調節池緑地では冬の貴婦人と称されるタゲリが姿を見せている。奉免町から大柏川第一調節池緑地がある北方町にかけては、二十年ほど前までは広大な水田が広がっており、五十羽を越えるタゲリが渡って来ていた。現在はこうした水田が激減してしまったため、かつての水田的な湿地環境が復元された調節池に、わずかなタゲリが羽を休めに訪れるのみになってしまった。現在では流山市あたりの江戸川沿いの水田地帯で比較的まとまった数のタゲリが越冬しているようであるが、こちらも一部で大規模な埋め立て工事が始まっており将来については予断を許さない状況になっている。
餌やりに集まるオナガガモ

 さて、前回蓴菜池のトモエガモについて書いたが、複数羽の観察報告があることが気になって年明けにもう一度確認に行った。しかし、カルガモの小群と行動を共にしている雄は確認できたものの、その他にはトモエガモは確認できなかった。結局筆者が確認しているのは現在のところこの雄一羽のみである。
 蓴菜池は江戸川に近いせいか、街中の公園としてはたくさんの数のカモ類が越冬に訪れる。一方で、本欄でもたびたび書いてきたが、他の場所では見られないほどに度を過ぎた餌やりが行われてきた。昨年暮れに蓴菜池緑地を管理する市川市が注意を促す大きな看板を設置した効果もあってか、今シーズンは例年に比べると極端な餌やりをする人が大分減ったように思える。時速九〇キロものスピードで日本海を一気に越え、何千`もの渡りをするカモ類は本能的に必要な時期に必要な食べ物を摂取することによってこうした渡りに耐えられる体を作っている。マラソン選手が毎日ステーキばかり食べていては長距離を走り通せる体が作れないのと同じように、カモも毎日パンの耳ばかり食べていたのでは長距離の渡りに耐えられる体はできない。餌やりはカモのためにはならず、単なる人の自己満足に過ぎないことを強く認識しなければならない。何よりも良くないのは、「やってはいけない」とされていることを大人が子どもたちの前で平気で破ってみせることで、ルールを守れる人間を育てるためには厳に慎まなければならないことである。
(2008年1月25日)
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なぜ自然は荒廃したか<1>ここのところ体調が優れず、日頃の不摂生のツケが回ってきたかなと思っている。そんなわけでなかなか自然のタイムリーな状況を観察しに行くことが出来ずにいるので、読者の皆さんにはつまらないかもしれないが、自然観について少し述べさせていただきたい。
 全国的に「里山」の荒廃が嘆かれて久しい。里山のうち都市近郊林の荒廃は「自然保護運動」の経験不足によるところが大きいと思っている。
わずかに残る水田風景

 都市近郊の里山は昭和三十年代までは薪や炭の原料を供給する薪炭林であった。薪炭林は二十年程度の周期で伐採され、切り株から芽生えたひこばえによってまた新たな林ができるという循環を繰り返していた。
 ところが、昭和三十年代後半の燃料革命、昭和四十年代以降急激に進んだ都市化の中で、役目を終えた薪炭林は住宅地に変わるなど激減した。そのような中、身近な自然が消えていくことに危機感を持った人々が「自然保護」運動に立ち上がり、自治体もそうした危機感を共有し、市川でも樹林地の公有地化が進んだ。この運動は空間としての自然の確保には短期間で相当の効果を上げることができたのではないかと評価はしている。
 さて、よく水田は生き物の宝庫だといわれる。しかし、実際に水田で一生を送る生き物はそれほど多くはない。ではなぜ水田の周辺には多くの生き物が集まるのか。それは水田の周辺には水路や畦、土手、小川、雑木林、農耕地から人家まで実にバラエティーに富んだ環境がモザイク的に存在していることによる。多くの生き物はこのような環境をライフステージに合わせて行き来しながら暮らしているのである。しかも、水田という環境は一年かけてできた環境が稲の刈り取りによって毎年ご破算にされる。水路浚いや畦の火入れも行われる。言ってみれば非常に撹乱の大きい環境なのである。そのような環境の下にいわゆる「生物多様性」が成り立っていたのである。
 薪炭林もそうで、きちんと管理されていた頃には毎年柴刈りや落葉かき、薪となる下枝切りなどの管理が「日常的に」行われていた。しかし「自然を残そう」という想いが強いあまり「木は一本たりとも伐ってはならぬ」という極論が横行したことも否めない事実である。このため、民有地においても公有地においても管理の手が入らなくなってしまった林が増え、その姿はいつの間にか永い間私たちが親しんできた「里山」の姿とは似ても似つかぬ姿になってしまった。(つづく)
(2008年2月8日)
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なぜ自然は荒廃したか<2>「里山」は農業という産業の中で、永い年月をかけて経験的に確立された管理手法に基づいて形成された人工的な自然である。さすがに最近では里山の荒廃が異常であることに気づき「里山は管理しなければダメだ」という声が大きくなってきた。心ある山林所有者の中には荒れた林の手入れを始めた人もいるが「経験に基づく日常的な手入れ」を行ってきた世代の人々は高齢化し、林の手入れの経験がない所有者も増えている。造園業者などに樹木の伐採や下刈りを依頼した場合は一時的には明るく大変きれいになるが、その後にこまめな「日常的な管理」の手が入らないと、明るくなって一斉に芽生えてきたアカメガシワなどの幼木やクズなどのツル植物によって瞬く間に薮になってしまう。
河川敷の自然も放置すると単純化してしまう

 ボランティア組織によって雑木林の手入れを行う場合も課題は同じで、林の姿をどうしたいのかという目標を定め、そのためには日常どのような管理の手を加えていったらいいのかを見定める必要がある。大きな木を伐る作業などは専門の業者でもできるが、ボランティアのメンバーによってどれだけ日常的な細かい作業ができるかにより林がうまく維持できるかどうかが決まる。今のところ、この方法の正解は経験者の知恵に頼るか、試行錯誤の中でもう一度経験を積み上げるしかないと考えている。
 「木を伐ってはならぬ」という間違いは日本のように高温多湿な気候の下では自然環境は常に変化していくという基本的なことを忘れたために起きたことである。農耕の歴史が永い日本では、人里周辺の自然は何らかの形で常に人によってコントロールされてきた。自然の力と人の力の程よいバランスのもとに形成されてきた自然である。そこから人の力を除いたときに何が起きるかを私たちは里山の荒廃という事例から学び反省もしたはずである。ところが、海辺や河川敷の環境など里山以外の都市部の自然の話になると未だに「手を付けるべきでない」という主張が強いことに驚く。人里に原生な自然を造ろうというのは間違いである。放置は環境の単純化をもたらし、多様性を失わせる。
 要は自然の力と人の力のバランス、変化の時間のバランスが大切なのであって、そうした中で里山の生物多様性が育まれてきた。人里にあっては人も重要な自然の構成要素の一つであり、その環境形成作用を否定することは自然のためにもならない。どこでバランスをとるかを農業や漁業の経験から学ぶことが大切であると思っている。
(2008年2月22日)
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センボンヤリの春の花二月二四日に突然吹いた今年の春一番は例年になく猛烈な風だった。その春一番を今年は病院のベッドで迎えた。日頃、自然のわずかな変化を感じ取る感性を磨かなければならない、などと言っていながら、自分自身の体が発する変化の信号を感じ取れなかった。というよりも感じていながら無視し続けた。わずかな変化を無視することが取り返しのつかない結果をもたらすことは、自然も健康も同じであることを痛感した。
 約三週間入院しているうちに季節はすっかり進み、路傍ではオオイヌノフグリやヒメオドリコソウが花を咲かせ、霜柱に代わってツクシが乾いた土を持ち上げて頭を出し始めた。
センボンヤリの春の花

 これから次々と花が咲き出す早春植物の一つにセンボンヤリがある。日当たりのよい草原や林の縁などに普通に見られる植物だが、高さが五センチ位しかないのでなかなか気がつかないかもしれない。
 センボンヤリはキク科の多年草で、他の背が高くなる植物が生長を始める前に三月終わりから四月初めにかけてロゼット状の葉の中心から延びた花茎の先端に直径一.五センチほどの白い花を咲かせる。この花は一つの花のように見えるが、タンポポと同じく舌状花の集合花である。この舌状花の外側が紫色をしていることからムラサキタンポポの別名もある。
 ところが、この春の姿からはなぜこの植物が「センボンヤリ」という名前なのかよく分からない。実はセンボンヤリはこの早春の花の他に十月初めにもう一度花を咲かせる。ところが、この秋の花は開花せずに結実する閉鎖花で、同じ植物が春と秋に開放花と閉鎖花を二回咲かせるという変わった性質をもっている。センボンヤリの名はこの秋の閉鎖花の花茎が長さ三〇センチほどもあること、結実した閉鎖花の状態が大名行列の毛槍に似ていることに由来している。開放花と閉鎖花の両方をつける植物としては以前本欄でも紹介したミゾソバなど他にもあるが、他の種の開花期は年に一度で、開放花と閉鎖花を一度に咲かせるのに対して、センボンヤリは遺伝子交換を行う開放花と、遺伝的なリスクはあっても確実に種子をつけることができる閉鎖花を、ご丁寧にも季節を変えて咲き分けているのである。そうまでして繁殖の確実性を高めようと努力をしているセンボンヤリであるが、草刈りなどの管理が行き届いた明るい草地の環境が減少しているにより、市内ではこの植物を見る機会も減ってきている。
(2008年3月7日)
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散歩の途中の話題三週間の入院ですっかり衰えてしまった筋力を回復するため、退院後は医師の勧めに従い毎日一時間程度の散歩を日課にした。
 二週間の自宅療養中の散歩でオオタカがカラスに追われる場面を二度見かけた。これまでカラスはオオタカをしつこく追いかけ回すという印象があったが、今回じっくり観察してみて気がついたことがある。カラスはオオタカをどこまでも追いかけて行くわけではなく、どうも縄張りの境界まで追いかけると次の縄張りのカラスが引き継ぐらしい。一度目は大町動植物園第二駐車場の上空で、駒形神社方向からオオタカを追いかけてきたペアのカラスが急旋回して引き返すと、すぐに動植物園方向からスクランブルしてきた別のペアが引き継ぎ、オオタカを市営霊園方向へ追いやった。二度目は法務局市川支局の上空で市川大野駅方向からオオタカを追ってきたペアが引き返すと、市川北高校南の斜面林にたむろしている若者カラスの集団が大騒ぎしながらスクランブルし、オオタカを再び市川大野駅方向に追いやってしまった。
不安そうに様子をうかがうタシギ

 カラスは繁殖期以外も夫婦ペアで縄張りを守っているといわれる。この時期はもう巣作りに入っているので縄張り防衛は一層強くなる。共通の天敵である猛禽類のオオタカを追い払うためとは言え、隣のペアの縄張りまで踏み込むことはタブーのようだ。
 三月も中旬になると市川で越冬していた冬鳥たちもそれぞれの繁殖地へ向けて旅立っていくが、中には五月頃まで日本にいるのんびり屋もいる。タシギもそんな鳥の仲間だ。九月にシベリア極東部あたりから渡ってきて水田や湿地などの水辺で越冬する。冬枯れの湿地の中にいると完璧なまでの迷彩色で、本人も絶対に見つからないという相当な自信があるらしく、いきなり足元から飛び立たれて驚かされることがある。今回散歩コースに入れていた大柏川沿いでは長いクチバシでミミズなどを捕っているのをよく見かけるが、背景が土の護岸だとじっとしていても結構目立つ。「大丈夫かなあ。見つかったのかなあ。」というような不安そうな目でじっとこちらを見ている姿が何とも微笑ましい。
 早咲きのカワズザクラが濃いピンクの花を咲かせているが、今年のソメイヨシノの開花予想は三月二十六日ということである。三月十一日には国分と柏井でウグイスのさえずりが聞かれた。季節は着実に春である。
(2008年3月21日)
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桜の気になること春の自然は躍動的で、病後の身にも希望と力が湧(わ)いてくる。
 開花予想が二転三転した今年の東京のソメイヨシノの開花は、結果的には平年より六日ほど早い三月二十二日であった。
 市川では若干遅く、真間川沿いや八幡では三月二十五日、大野や曽谷など市の北部ではさらに二日ほど遅かった。ただし市川の場合は標準木を設定しているわけではなく、開花にはかなり個体差もあるので、開花の判断はあくまでも感覚的なものである。今年のサクラは早い時期に咲くカンザクラ系の開花が遅れ、ソメイヨシノ系の開花が早かったことから双方の開花時期が重なる結果となった。開花後比較的低温が続いたこともあり、約二週間花見を楽しめた。
天狗巣病にかかった桜の枝

 ところで、最近、ソメイヨシノの老木を中心に全国的に「天狗(てんぐ)巣(す)病」が広まっている。天狗巣病はタフリナ菌というカビによって起きる病気で、罹(り)病した枝はホウキのようにボウボウとした状態になり、花が咲かなくなる。花の時期に葉が開いてしまうので見た目もよくない。ソメイヨシノは自家受粉しないので純粋なタネが出来ない。このため挿木(さしき)で増やされるので、隣接する個体が同じ遺伝子をもっており、もともと天狗巣病に罹(かか)りやすい性質もあって伝染しやすい。さらに、太い枝を剪定(せんてい)してそのまま放置すると、断面から菌が侵入して一層罹病しやすくなる。ソメイヨシノは長命のエドヒガンなどと異なり、六十年を過ぎると樹勢が衰え始めると言われる。戦後各地の道路や公園に植栽されたソメイヨシノの並木などがそろそろこの時期にあたる。近年では木が大きくなったことにより、通行に邪魔(じゃま)になるなどの理由で太い枝が剪定されることが増え、このことが天狗巣病の蔓(まん)延(えん)に拍車をかけている。やむを得ず剪定した場合は必ず切り口を薬品でコーティングし、保護すべきであろう。さらに、天狗巣病の蔓延を防ぐためには、菌の胞子が飛ぶ春前に、病気の枝を除去焼却しなければならない。昨年天狗巣病がひどかった大野町の市営霊園では、徐々にこの措置が行われている。
 さて、サクラの花の咲き始めにスズメやヒヨドリが手っ取り早く蜜(みつ)を手に入れるために花のがく筒を食いちぎって落としてしまうことがある。先日、市営霊園で数羽の若者カラスのグループが大きなクチバシで器用にサクラの花をつまんで食べているのを見た。大人のカラスはあまりこのような行動をしないようだが、カラスの若者も甘い物が好きなのだろうか。
(2008年4月11日)
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街なかのスミレ街の中では常緑樹のクスノキが新葉展開の時期を迎え、古い葉がおびただしい量の落葉となっている。以前は五月初旬がクスノキの新緑の季節であったが、数年前から四月中に葉が入れ替わり、花まで咲いてしまうようになった。どうも季節の移り変わりが早まっているように思えてならない。
 さて、「スミレ」はいわゆるスミレの仲間の総称であるとともに、歴とした一つの種名でもあるところがややこしい。今回の話は「種」としてのスミレの話である。
 スミレは可憐な野の花の代表のようなイメージがあるが、むしろ人家に近い所で多く見られ、野ではタチツボスミレの方が圧倒的に多い。街なかではスミレのほかにヒメスミレやノジスミレなどが見られるが、スミレの仲間は個体によって花色や葉の形などの変異が大きく、種の見分けがなかなか難しい。
駐車場の舗装に生育するスミレ

 四月中旬過ぎになると、よくもまあこんなところにと思うようなコンクリート塀とアスファルト舗装の隙間にしがみつくようにして花を咲かせているスミレを見ることができる。乾燥しやすい舗装の隙間は厳しい環境ではあるが、降り注ぐ太陽の光を独り占めできる環境でもある。ではスミレのタネはどうやってこんな厳しい環境にやってきたのだろう。植物のタネまき戦術についてはこれまでもクロマツやケヤキについて紹介してきたが、スミレの戦術もユニークだ。スミレの実は熟すと三つに割れ、割れた鞘が収縮するにつれてタネが弾け飛ぶ。それでも飛ぶ距離はせいぜい二メートル位だ。実はスミレのタネを遠くに運ぶ大役はアリが担っている。スミレのタネには脂肪酸や糖類で出来た「エライオソーム」という甘い物質がついていて、アリはこの物質を餌にするためタネごと巣へ持ち帰る。アリにとって舗装の隙間は安定した巣の出入り口で、その周辺にはアリが掘った土が積もっている。エライオソームを食べた後のタネはゴミとして巣の外へ捨てられるのでスミレは無事に生育することができる。この関係を紹介した子供向けの絵本もある。
 同じようにアリによってタネを散布する植物としてはカタクリやムラサキケマン、ホトケノザ、ヒメオドリコソウなどが知られている。カタクリを別にすればいずれも身の回りにある野草である。
 春の花の時期が終わると、スミレは夏から秋にかけては蕾のような形をした閉鎖花を咲かせ¢アけ、冬に地上部が枯れるまでの間に膨大な量のタネを生産し散布する。
(2008年4月25日)
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