市川よみうり連載企画

市川市自然観察グループ岡崎 清孝

 
コイ産卵蓴(じゅん)菜(さい)池で越冬していたカモたちも四月下旬にはすっかり北へ帰ってしまった。二七日時点でハシビロガモやキンクロハジロの小集団がまだ残っていたが、その中にトモエガモの雄が一羽混じっていた。トモエガモは一月の本欄でも紹介したとおり太平洋側では珍しいカモで、蓴菜池に何羽来ているかについては諸説あった。四月中旬までは池の噴水付近でペアが観察できたが、最後に残った雄はこのペアの雄とは別個体のようである。
オオカナダモに産卵するコイ

 さて、コイが産卵の季節を迎えている。真間川など市街地を流れる河川の水質が格段に改善したので、最近では産卵期になると国分川や大柏川の上流まで江戸川からコイが遡っ(さかのぼ)てくる。この時季、北方町にある大柏川第一調節池横の大柏川でも大きなコイが群を成して泳いでいるのが見られる。腹部が大きく膨らんだ雌を数匹の雄が取り囲み産卵の瞬間を待っている。雌の中には八〇センチ級の超大物も見られる。
 コイは水中のヨシやガマの茎や沈(ちん)水(すい)性の水草に産卵する。卵は直径二ミリほどで粘着性があり産みつけられた水草などに付着する。雌が産卵するとすかさず雄が放精するが、このときにコイは大きく跳(は)ねるのでなかなかダイナミックなシーンだ。これまでも産卵期になると江戸川の岸辺などでコイが大騒ぎしている光景が見られたが、大柏川ではここ数年で川底にオオカナダモが群落を形成するようになり、このオオカナダモに産卵するシーンが間近に観察できる。
 卵は四〜五日で孵化(ふか)し、五ミリほどの仔魚(しぎょ)になる。仔魚が育つには流れの緩やかな止水域の環境が必要で、昔は水田がその重要な役割を果たしていた。その点、現在の都市河川は河川に集まった水を少しでも早く海へ流すことに重点をおいて設計されており淀(よど)みがないので、仔魚が生き残るには厳しい環境かもしれない。
 コイは悪食ともいわれるほどの雑食性であるが、泥中にすむユスリカの幼虫(アカムシ)も泥ごと吸い込んで食べる。ユスリカは大柏川沿川でも不快害虫として苦情のタネになっているが、河川の流れを少し工夫して流れが緩やかで出水時にも流されないような淀みをつくり、コイの仔稚魚や幼魚が生活できる環境を整えてやるとユスリカ対策にも効果があるのではないだろうか。
 五月五日は端午(たんご)の節句、コイが大空を泳ぐ季節でもある。この時季に川を遡る勇壮なコイの姿に古(いにしえ)の人は子どもの健(すこ)やかな成長を祈ったのかも知れない。
(2008年5月9日)  
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カラスビシャクの戦略虫によって花粉を運んでもらい受粉する植物を「虫媒花」という。多くの場合花粉を運ぶのは蝶や蜂の仲間や、ハナムグリなどの一部の甲虫類だ。植物はこれらの昆虫類を呼び寄せるために芳しい香りや甘い蜜を用意する。ところが、中にはサトイモ科の植物のようにくさい臭いを漂わせてハエを呼び寄せ受粉に一役買わせる植物がある。
 サトイモ科の植物の花は少し変わった形をしており、いわゆる花びらがないかわりに、仏像の光背に見立てた「仏炎苞」と呼ばれる器官がよく目立つ。初夏に高層湿原を彩るミズバショウも同じ仲間で、白い花びらのように見えるのが仏炎苞である。
カラスビシャクの花に来たハエ

 さて、カラスビシャクは林縁や畑に生えるサトイモ科の多年草で、一度畑に侵入してしまうと退治するのがやっかいなくらい強い雑草だ。特に焚火跡にはよく見られたが、最近ではあまり見かけなくなった。四月の中頃から初夏にかけて食用のミツバのような高さ二〇センチ程の葉の脇から葉の二倍ほどの高さの花茎を伸ばす。仏炎苞は緑色でこの形をヒシャクに見立ててこの名がある。
 カラスビシャクは雌雄同株で緑色の仏炎苞の中には上部に雄花、下部に雌花がある。雄花と雌花は仏炎苞のくびれで区分されており一度中に入ったハエは逆戻りができない。雄花序の先端はウラシマソウと同じように長い鞭状になっているが、この器官は臭いを空気中に発散させる役目を果たしているといわれている。先に雌花が熟し、数日後に雄花が熟すので、臭いに誘われたハエが雄花を通ってきても雌花に自分の花粉がつくことはない。雌花が受粉する前は他の花の花粉を運んできたハエを逃がさないように出口がないので、閉じ込められたと思ったハエは暴れて受粉が成立する。やがて雄花が熟して花粉が出るようになると、仏炎苞の基部の合わせ目が開いて花粉をつけたハエが外へ出られるようになり、ハエは九死に一生を得る。ところが折角脱出したハエは、またもや魅惑的なクサイ臭いに誘われて別の花に潜り込んで行ってまんまと受粉の手伝いをさせられる。しかし、カラスビシャクが用意しているのは臭いだけで、他の虫媒花の植物のように蜜などは用意していない。ハエにとってのお駄賃や危険手当は一切ない。それでも、同じサトイモ科のウラシマソウなど雌雄異株の植物は雌花に出口が開くことはなく、閉じ込められたハエはそこで一生を終えることを考えればまだましなほうだ。
2008年5月23日)  
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車軸藻の生育環境去る五月二十四日に市川市で「車軸藻シンポジウム」が開催された。
 車軸藻類は世界中のあらゆる淡水環境や汽水環境に生育するが、池や沼などに生育する植物の中では最も深い部分まで生育すると言われる。淡水性藻類の中では大形で、主軸と呼ばれる茎の部分から放射状に枝を出す形を車軸に見立てて名付けられた。畑や路傍に生えるシダ植物のスギナをずっと小形にした姿を思い浮かべればよい。一般にはあまり馴染みがないが、陸上植物の祖先に最も近いと言われている。
大柏川第一調節池に生育するカタシャジクモ

 市川市は水田の減少に伴い淡水性湿地そのものが激減している上に、生活排水などによる淡水環境の汚濁により車軸藻類の生育にとっては厳しい環境になっている。それでも、いずれも絶滅危惧種になっている五種類もの車軸藻類が生育しており、都市部にあっては特筆すべき環境と評価されている。中でも蓴菜池には現在のところ全国でここにしか生育が確認されていないイノカシラフラスコモが生育しているほか、シャジクモ、カタシャジクモ、シンフラスコモの四種の車軸藻類が生育している。これらの車軸藻類はいずれも市民グループがジュンサイを復活させようと永年努力をしている池に生育している。この市民グループの活動についての一般市民の評価は賛否分かれているが、この車軸藻類の多様性が評価理由の一つとなって蓴菜池は環境省が選定した「日本の重要湿地五〇〇」の一つに選定されている。
 大柏川第一調節池では最初の池ができた翌年の二〇〇四年に一部の池に数株のシャジクモが発生し、現在では数か所の池にカタシャジクモの大きな群落が形成されている。また、行徳にある宮内庁の新浜(しんはま)鴨場は普段は公開されていないが、場内の池で汽水環境に生育するシラタマモが確認された。さらに江戸川では岸辺の流れが緩やかな部分にシャジクモが生育している。
 これらの車軸藻類の生育環境に共通しているのはいずれも人の管理の手が入っているということである。車軸藻類が軒並み絶滅危惧種になってしまったのは水辺の人工護岸による緩やかな植生移行帯の消失、管理の手が入らなくなったことによる大型水生植物の繁茂、コイなどの過放流、アメリカザリガニやブルーギルなどの外来生物による食害などにより、生育に適した環境が失われつつあるためと考えられる。市川の残り少ない水辺で車軸藻類の生育を維持するには人が適切に管理する環境が不可欠だ。
(2008年6月13日)
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そよ風の妖精子供の頃、昆虫採集といえばまずカブトムシやクワガタなどの甲虫類、次いでセミやトンボなど動きの速い昆虫が対象で、ヒラヒラと飛ぶチョウを捕まえるのはいさぎよしとしなかった記憶がある。
 ところが梅雨のこの時季、高い樹上を高速で飛びまわる「ゼフィルス」と呼ばれるシジミチョウの仲間を見ることができる。ゼフィルスとはギリシャ神話の八風神の一人、西風の神ゼフィロスを語源とし「そよ風の妖精」といった意味合いがある。この樹上を生活の場とする森林性のシジミチョウの仲間はシジミチョウとしては比較的大きく、また、大変美しい翅(はね)を持っているため蝶の愛好家や昆虫写真家の間で絶大な人気がある。中でも雄の翅の表側(翅を開いたときに上になる方)が鮮やかなメタリックグリーンに輝くミドリシジミは最も魅力的なゼフィルスである。
羽化直後のミドリシジミ

 大町自然観察園の中央部付近にハンノキの疎林(そりん)がある。元々は少量を植えたものだが、今では立派な林になっている。ミドリシジミは幼虫がハンノキを食べるのでこの林近辺で見ることができるが、暑い日中は林の中や葉上で休息していて、飛び回るのは早朝か夕方が多い。雄は縄張り意識が非常に強く、夕方五時から六時頃の飛翔時間帯には縄張り内に入って来た別の雄を追ってクルクルと旋回する「卍(まんじ)巴(ともえ)」と呼ばれる行動が見られる。一説によるとこのときの羽ばたきの速さで勝敗が決まるという。
 ゼフィルスの仲間は高い山に住むものも含めて日本に二五種生息しているが、これまでに市川で確認されているのはミドリシジミ、オオミドリシジミ、アカシジミ、ウラナミアカシジミ、ミズイロオナガシジミの五種である。このうち、オオミドリシジミとウラナミアカシジミはめったに見ることができない。アカシジミとミズイロオナガシジミはコナラやクヌギが食草なので雑木林で見かけることが多い。
 シジミチョウの仲間の多くが年に数回発生するのに対して、ゼフィルスの仲間はいずれも六月から七月にかけて年一回だけ発生する。七月から八月初めにかけてそれぞれの食草となる樹木の冬芽が形成されるとその根元に産卵する。卵で越冬し翌春孵化(ふか)した幼虫は柔らかい若葉を食べて育つ。
 ミドリシジミは、見られる場所や期間が限られている上、高い樹上を高速で飛ぶとあって中々気が付かないが、ヤブガラシの花で吸蜜していることもあるのでぜひこの時季の大町自然観察園を訪れて欲しい。
(2008年6月27日)
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アカメガシワの生命力例年六月二十日過ぎには鳴き始めるニイニイゼミの今年の初鳴は七月六日だった。一方、ニイニイゼミの次に鳴き始めるヒグラシの初鳴は七月三日でほぼ例年通りだった。五日にはアブラゼミも鳴き始めた。ニイニイゼミは昨年も七月に入ってからだったので、セミが鳴き始める順番が変わってしまったのだろうか。
 ところで、今年の六月の東京地方は、例年なら数日ある真夏日(最高気温が三〇度を超えた日)が一日もなかった。また、四月から三か月連続して月間降雨量が二百ミリを超えたのも異常だ。もっとも、近年は何が平年並みで何が異常だか分からないようになってしまった。
道路とブロック塀の間から芽を出したアカメガシワ

 さて、アカメガシワの花が盛りを過ぎようとしている。雌雄異株で秋に黒い種子が熟す。アカメガシワの名は新芽が鮮やかな紅色をしていることに由来するが、この鮮やかな赤さゆえか古代から神聖視され、祭事の際に神前に供える御菜を盛る葉に使われたことからゴサイバまたはサイモリバの別名もある。「カシワ」という名自体、葉が大きくて食物を盛り付けるのに適した植物につけられていることが多い。
 アカメガシワは森林の伐採跡や山火事の跡地などに真っ先に生えてくる典型的な先駆植物である。市川でも林の縁や道路脇から人家の庭にいたるまであらゆるところに生えてくる。最近は茂りすぎた斜面林を手入れするケースも増えているが、下手に伐採すると翌年には見事にアカメガシワの幼樹が密生してしまう。市街地では道路の舗装とブロック塀のわずかな隙間や電柱の根元など何でこんなところからというところからも生えてくる。これだけあらゆる所から芽を出してくるのは種子が鳥によって散布されるためらしい。直径三ミリほどの硬い種子には果肉もなく、どうひいき目に見ても美味しそうには見えないが、多くの種類の野鳥が食べるという研究報告がたくさん発表されている。種子の周囲にごく薄い脂肪の膜があって、鳥はこれを目的に食べるのではという説もある。関東地方では主としてメジロやヒヨドリが食べるようだが筆者はまだその場面を見たことがない。
 一方、樹皮は日本薬局方に記載された生薬で、古くから胃潰瘍や整腸、腫れ物に効果があるとされている。最近では果皮に含まれる成分に免疫力を高める効果や抗癌効果があるという研究報告もされている。葉や樹皮を浴剤にすると神経痛や皮膚病に効果があるそうだ。もしかすると野鳥はこのような薬効を知っているのかもしれない。
(2008年7月11日)  
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ニイニイゼミ前号でニイニイゼミの鳴き始めが遅くなっているのではないかと書いた。手元にある市川市内におけるニイニイゼミの鳴き始めの記録を見てみると、二〇〇二年が七月に入ってから、〇三年が六月末、〇四年が六月二四日、〇五年が七月一三日、〇六年が七月七日、〇七年が七月四日であった。これはあくまでも筆者の記録なので絶対的とは言えないが過去六年のうち四年は七月に入ってからだ。しかし、一九九〇年代までは確実に六月中に鳴き始めていたし、ニイニイゼミの鳴き始めが遅い年はセミ全体の鳴き始めが遅いのが通例であった。
 ニイニイゼミの幼虫は比較的湿り気の多い土中に生息しており、都市部の公園のような乾燥した土中には生息できないので都市化が進むと生息数が減り、東京では一九七〇年代以降激減したと言われている。土の乾燥の影響を受けやすいのは幼虫が比較的浅い所に生息しているためらしい。
サクラに止まったニイニイゼミは見事な保護色

 市川でニイニイゼミの鳴き始めが遅くなっていることが他の地域についても言えることなのか、市川の都市化がさらに進んだためにニイニイゼミの生息数そのものが減ってしまっているのかはよく分からない。
 さて、ニイニイゼミは体長三センチ前後で、日本に生息するセミの中ではアブラゼミと本種の二種のみが翅(はね)が透明でない。 幼虫の抜殻(ぬけがら)には泥が付着しており、これは日本に生息する他のセミには見られない特徴である。抜殻は他の種に比べて丸っこく、ほとんどの場合高さ一b二〇センチ以下の低い位置で見られる。
 鳴き声は「チーー」という耳の奥に残るような甲高い連続音で、途中で音階がさらに上がる。松尾芭蕉が立石寺で詠(よ)んだ「閑さや岩にしみいる蝉の声」のセミは何かについて、アブラゼミとする歌人の斎藤茂吉とニイニイゼミとする芭蕉研究家の小宮豊隆が論争を展開したことは有名だが、現在では時期から判断してニイニイゼミということで決着しているようだ。
 市川市内ではやはり市街地よりも郊外に多く、堀之内貝塚の森では特に多く見られる。一本のイヌシデに五〇数個の抜殻がついていたこともある。鳴いているところに近づいてもわりと平然としていることも多く、鳴くのをやめてもすぐに逃げずに、ツツツーと横歩きして木の裏側に隠れるユーモラスな姿も見られる。サクラやイヌシデなど、樹皮が体色と同じ灰褐色の樹木に止まっていることが多い。
 暑さをかきたてるセミの声だが、聞こえないとやはり寂しい。
(2008年7月25日)
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夏の生き物たち七月二十六日に大野でミンミンゼミの初鳴が聞かれた後、八月に入ってようやく本格的な蝉しぐれが聞かれるようになった。
 この大量にいる昆虫を鳥が見逃すはずがない。中でもカラスやヒヨドリがよく食べるようだが、鳥によって食べ方に違いがあるようだ。鳥類研究家の唐沢孝一先生の観察によると、カラスやオナガでは捕らえたセミを足で押えて翅をむしってから食べるが、ヒヨドリはセミを足で押えることができず、邪魔になる翅や脚の方をくわえて振り回して外し、胴体を空中でキャッチし直して食べるそうだ。セミの腹部はほとんど空洞だが、胸には飛ぶための筋肉の塊があり、鳥にとっては効率よくタンパク質を摂取できるのだろう。
 夏はセミに限らず昆虫をはじめとする動物たちの動きがダイナミックだ。大町自然観察園では八月十日までホタルの鑑賞会が開かれている。大町のホタルはヘイケボタルで、ゲンジボタルに比べると光が小さくて地味だが、市内でホタルが自然発生している所は大町の他は一、二か所しかない。夜七時三十分から八時頃までの間が最も動きが活発である。今年は比較的よく見られ、訪れた人たちは天然のホタルに感動していた。
虹色の光沢をみせるチョウトンボ

 以前は西側の斜面林下でたくさん見られたが、近年は東側の斜面下の方が多く見られるようだ。西側は樹木が大きくなりすぎて湧水の水路が暗くなり、ホタルの幼虫の生育に適さなくなってしまったのかもしれない。
 一方、七月二十一日には大町自然観察園で久しぶりにモンキアゲハを見た。モンキアゲハは黒い翅に黄色の紋がある大型のアゲハチョウで、どちらかというと南方系の蝶である。市川でも稀に見られるが、柏市では繁殖が確認されているそうだ。
 さらに、北方町の大柏川第一調節池緑地は多くの種類のトンボの生息地として定着したが、今年はチョウトンボが特にたくさん見られる。蝶のように広い翅は光の角度によって虹色に光る。産卵も確認されている。
 野鳥では今年も大柏川にセイタカシギのファミリーがやってきた。脚輪をつけた成鳥二羽と脚輪のない若鳥三羽で調節池の越流堤付近で見られる。調節池ではカイツブリやカワセミの若鳥が懸命に餌を取っている姿も観察できる。また、江戸川放水路では旅鳥のチュウシャクシギや居残ったスズガモが見られ、このまま越夏するかもしれない。
 植物では湿地に咲くハンゲショウが特異な花を咲かせている。
(2008年8月8日)
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湿地の重要性8月12日にツクツクボウシが鳴き始め市川に生息するセミが出そろった。前号で鳥がセミを食べることを紹介したが、鳥の他にスズメバチもセミを襲う。やはり胸の筋肉を肉団子にして巣に運ぶ。襲いかかるスズメバチと必死に逃れようとするセミの攻防は壮絶だ。
 さて、日本は神話では「豊(とよ)葦原(あしはら)の瑞穂(みずほの)国(くに)」と呼ばれるほど豊かな湿地が広がる国であった。この湿地が稲作文化を花咲かせる源になった。市川市にも昭和30年代の終わりまでは約1600fを超える水田があった。
ミンミンゼミを襲うキイロスズメバチ

 水田は当然のことながら春の田起こしから田植え、夏の稲の生長期、秋の刈り取りから冬の刈田の姿と季節によって大きく姿を変える。その季節ごとに変化したそれぞれの環境を様々な生き物たちがそれぞれの生活ステージに合わせて利用することで水田を中心とする里山の生物多様性が成り立ってきた。市川市ではいまは産業としての米作りをしている水田はゼロである。かつての広大な水田は現在ではそのほとんどが住宅地になってしまった。都市化によって失われた市川の自然の大半は樹林地ではなく水田を代表とする内陸性湿地の環境である。
 湿地には生物の生息環境としての役割の他に水循環に果たす重要な役割がある。47a×76aのコンテナにヒメガマを植えて実験したところ、一日に約10gの水を吸い上げ空気中に蒸散させることが分かった。1fでは約280d、かつて市川にあった1600fの水田では実に40万dもの水を空気中に蒸散させる機能をもっているのである。水が蒸散するときには周囲から気化熱を奪うので周辺の気温が上昇するのを抑える。また空気中に蒸散した大量の水分は夕立ちになって地上へ戻るという循環を繰り返していた。都市ではこの人間活動が介在した水循環が断ち切られヒートアイランドの一つの要因にもなっている。幸いなことに市川市内では大柏川第一調節池や国分川調節池など公共の治水施設において40fの湿地が確保される。また、行徳近郊緑地では水田を中心としたかつての内陸性湿地を復元する活動が行われている。ドロドロしていて臭くて汚いと嫌われがちな湿地だが、環境の維持に果たす大きな役割を評価し直す必要があるのではないだろうか。
 8月14日にはコオロギも鳴き始め、堀之内貝塚の森ではキツネノカミソリが濃いオレンジ色の花を咲かせている。今年の夏もそろそろ過ぎようとしている。
(2008年8月23日)
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青潮と汐だまり

 江戸川放水路の右岸(妙典側)の東西線鉄橋から下流400bほどの区間は満潮時に水際になる部分がコンクリートの階段護岸になっている。ハゼ釣りの人々で賑わうこの護岸の根固(ねがた)め部分のコンクリートブロックには直径30aほどの窪(くぼ)みがあり、干潮時には小さな汐(しお)だまりができる。この小さな汐だまりはクロガネイソギンチャクやフジツボ類、貝の身でありながら水が嫌いなタマキビ、引き潮に取り残されたハゼ類、そして時にはひょうきんな顔をしたトサカギンポなどが見られる楽しい世界だ。
青汐で死んだ大量の貝(放水路)

 ところが、今年の汐だまりは大分様子が違う。8月22日に発生した青潮により、三番瀬の多くの生物が深刻な影響を受けた。この小さな汐だまりも例外ではなく、今のところ生き物の気配はわずかに生き残ったフジツボ類のみだ。

 千葉県側の海面埋立は海底の砂を掘削してそれを浅海部に堆積させる方法によって行われた。船橋沖から千葉沖にかけての海底にはそのときにできた大きな深い穴があいている。この穴には河川を通して東京湾に流れ込んだ有機物が溜まっていて、その分解のために酸素が使われ、海水の酸素濃度が極めて低い状態になっている。

 ところが今年のように暑い日が続いた後に急激に冷え込むと、海面の水温の方が穴のなかの水温より低くなり、これに北西の風が加わると海水の逆転が起きて貧酸素水が穴から湧昇(ゆうしょう)する。貧酸素水に含まれる硫化物が空気に触れることによって硫黄が形成され海水が緑白色になることから青潮と呼ばれる。

 青潮が沿岸に及ぶことによって多くの魚介類が死に、その分解のためにさらに酸素が消費されるという悪循環になる。1990年代まではかなりの頻度で発生していたが、最近では年1回程度だ。今年は滞留期間が長かったために被害が深刻で、三番瀬の貝類は8割が死滅したと言われる。8月末には沿岸部には魚介類の腐臭が漂い、惨憺(さんたん)たる状況であった。

 しかし、8月30日に柏市や我孫子市で降った大雨の影響で江戸川の水位が上昇し、31日から9月1日にかけて行徳可動堰(せき)が開放された。この放流で放水路は洗い流され、海域の青潮も薄まった。今後は生物も徐々に回復に向かうと思われるが今年のハゼ釣りには影響が残りそうだ。青潮の問題を根本的に解決するには深掘(しんくつ)穴を埋め戻すとともに河川から流れ込む有機物(家庭排水に含まれる汚濁物)を一層減らす努力が必要だ。
(2008年9月13日)  

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小さな冒険者たち

 行徳可動堰(せき)の開放による江戸川の放流によって、青潮が洗い流された形の江戸川放水路だが、生物が帰ってくるにはまだしばらく時間がかかりそうだ。
 この時季、普通なら干潮になるとゴカイや小形の甲殻類を餌とするシギやチドリの仲間が干潟を忙しそうに走り回っているが、今年は餌となる小動物が青潮で大打撃を受けたため、ほとんど姿が見られない。
 代わって魚介類の屍(し)肉も食べるウミネコたちがのんびりと羽を休めている。

水草に産卵するハグロトンボの雌

 さて、街路樹の定番の樹種の一つにプラタナスがある。
 ところが、最近このプラタナスの大きな葉の色が抜けて白っぽくなっているのを見かける。そんな葉の裏を見ると体長3〜4_のプラタナスグンバイという白い半透明の小さな虫がたくさんついているのが見られる。
 グンバイムシはその名のとおり「軍配」のような形をしており、ナシ農家やサツキの園芸家にとっては代表的な害虫の一種だが、種類ごとに寄主の植物が決まっている。
 プラタナスグンバイもプラタナスにのみ寄生し、その大きな葉の裏で雨を避けながらひっそりと、しかしちゃっかりと汁を吸って生活している。
 プラタナスグンバイは北アメリカ原産の外来昆虫で、昆虫が専門の山崎秀雄先生によると、2001年に名古屋港で発見されたのが日本初見で、2003年には東京でも広く見られ、市川では翌2004年に発見された。
 靖国通り沿いのプラタナスは2003年には軒並み葉が白くなり相当の被害を受けていたが、江戸川を渡るのに一年かかったようである。現在では、市内全域のプラタナスが、この小さな昆虫の被害を受けている。

 また、最近になってセイタカアワダチソウに寄生するセイタカアワダチソウグンバイが見つかった。
 セイタカアワダチソウも北アメリカ原産の外来植物だが、その驚異的な繁殖力の背景には天敵がいないことがあると言われていた。
 ところが近年になって、セイタカアワダチソウに選択的に寄生するセイタカアワダチソウアブラムシが発見され、昨年には市川でも、セイタカアワダチソウグンバイが確認され、現在ではほとんどのセイタカアワダチソウが両種に寄生されている。

 プラタナスグンバイは初めて発見された場所から船舶貨物にくっついてやってきたものと思われるが、セイタカアワダチソウグンバイの侵入経路はよく分かっていない。
 セイタカアワダチソウアブラムシも含めて、この体長数_しかない小さな冒険者たちが海を越えてはるばるやってきたことだけは間違いない。


(2008年9月27日)
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定着する暖地性の蝶や蛾

 街中で真っ先に紅葉するサクラに続いてケヤキの紅葉も大分進んでいる。今年も夏の終わりにアメリカシロヒトリが大発生し、市街地のサクラはかなりの被害を受けた。食害によって丸坊主になってしまったサクラは冬になって葉が落ちたのと勘違いしてしまい、12月ごろに温かい日が続くと春が来たと思って花を咲かせてしまう。いわゆる狂い咲きである。今年もあちこちで狂い咲きがみられそうだ。

美しいビロードハマキ

 9月28日に大柏川第一調節池緑地で行った植物観察会の後、川沿いの草地をブラブラしているとヒラヒラと見慣れない蛾(が)が飛んできて目の前に止まった。ビロードハマキという大変美しい蛾で元々は暖地性の蛾である。千葉県では以前は房総地方でしか見られなかったが、近年では下総地方や東京でも度々目撃されるようになった。市川では2001年から03年にかけて行われた自然環境実態調査の際、国府台の里見公園で複数が発見されており、この頃から定着するようになったようだ。成虫は夏と秋の年2回発生するが、夏に発生した成虫はカエデなどの落葉広葉樹に、秋に発生した成虫はカシ類などの常緑広葉樹に産卵する。時季によって食草を変えるのは越冬する幼虫への配慮らしい。



クロコノマチョウ秋型

 また、大町自然観察園ではクロコノマチョウがほぼ定着したと言われている。クロコノマチョウは日陰をフラフラと上下に飛んでいるジャノメチョウの仲間で、見た目にはあまりパッとしない地味なチョウである。森林性が強く、開けたところにはめったに出てこない。ススキやジュズダマなどのイネ科植物を食草としており、先に紹介したビロードハマキ同様夏型と秋型の2つのタイプがある。秋に発生した成虫が越冬し翌春産んだ卵から孵(かえ)った幼虫が夏型になる。夏型の成虫が産んだ卵から秋型が発生するわけだが、夏型と秋型では翅(はね)の形や模様が異なるので、形態が隔世遺伝しているところが遺伝子の妙(みょう)だ。以前は静岡県以西が分布域といわれたが、現在では千葉県以西に広がっている。大町自然観察園では幼虫も確認されており確実に定着している。

 鈍感な人間が意識しないところで暖地性の昆虫が確実に北へ進出してきている。


(2008年10月11日)
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アメリカシロヒトリの天敵

 今年は残暑のぶり返しがほとんどなく、季節は素直に秋に移行した。夏の間大柏川の上を群舞していたツバメは10月の声と共に姿を消し、入れ替わるようにコガモたちがやってきた。日本で越冬するカモ類の雄は、日本に渡って来る時点では「エクリプス」と呼ばれる雌と同じような地味な色合いをしている。美しい繁殖羽を持つコガモの雄たちもこの時季はまだ地味なエクリプス羽だ。

 前号でアメリカシロヒトリのためにすっかり葉を食いつくされて丸坊主になってしまったサクラは狂い咲きをするかもしれないと書いたら、早速冨貴島小学校付近で数輪咲いているとの情報を頂いた。このところ毎年のようにアメリカシロヒトリの被害が発生しているが、有機リン系の殺虫剤を使わなくなったこともあり、この傾向は当分続くことが懸念される。

ヨコヅナサシガメの成虫

 ところがサクラの食害状況をよく見てみると、丸坊主になった木の隣の木はほとんど被害を受けていないような場合がある。アメリカシロヒトリの天敵としてはムクドリなどの鳥類の他、幼虫を直接捕食するスズメバチやアシナガバチなどの狩猟性のあるハチ類、そして多くのチョウやガの幼虫が寄生される寄生バチの仲間がある。そして近年アメリカシロヒトリの天敵として注目されているのがヨコヅナサシガメというその名の通り大型のカメムシだ。カメムシというと誰もがその強烈な臭気を思い浮かべる。また、農家や家庭菜園の園芸家にとっては野菜や果物の汁を吸う大害虫のイメージが強いが、中には植食性ではなく昆虫類の体液を吸って生活している「サシガメ」というグループがある。このグループは針のような鋭い口器を持っており、うかつに捕まえるとこれで刺されて極めて痛い目にあうので注意が必要だ。

 ヨコヅナサシガメは元々は東南アジアが生息地であったが、昭和初期に九州に入り、1990年代には関東地方でも確認されるようになった。ヨコヅナサシガメはサクラの樹幹の隙間などに集団で生息しておりアメリカシロヒトリの幼虫が通りかかるとすかさず鋭い口器を突き立て体液を吸い取る。好んでサクラに生息するのは餌(えさ)になる食害害虫が多いためだと考えられる。集団で生息するヨコヅナサシガメが捕食するアメリカシロヒトリは膨大な量で、サクラにとっては救世主とも言える存在なのだが、カメムシの悲哀で人間に見つかると不快害虫としてアメリカシロヒトリよりも先に駆除されてしまう。


(2008年10月25日)
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ヒマラヤスギの球果

 先日、アメリカの研究機関が、アラスカで繁殖するオオソリハシシギは越冬地のニュージーランドまで1万1000`をノンストップで約8日間で飛行する、という研究成果を発表した。鳥の渡りは本当にダイナミックで不思議だ。

 市川にもシベリアや中国奥地などから多くの渡り鳥が越冬のためにやってくる。蓴(じゅん)菜(さい)池では、すでに最盛期の3分の1近いカモ類が到着している。オナガガモやヒドリガモの雄はすでに繁殖羽に変わっているが、ハシビロガモやキンクロハジロは換羽(かんう)の真っ最中で池の水面には膨大な羽毛が浮いている。

 一方、南大野のこざと公園にもオナガガモやハシビロガモが到着している。以前は100羽を超えるコガモがやって来ていたが、大柏川第一調節池が完成して以来、激減した。

ヒマラヤスギの大きな球果

 さて、この時季、公園や学校にたくさん植えられているヒマラヤスギに大きなマツボックリのような球果(きゅうか)がついているのが見られる。ある程度の樹齢にならないと球果が成らない上、高いところの枝につくことが多いので中々気がつかないことが多い。

 ヒマラヤスギは名前とは異なり分類上はマツの仲間である。ヒマラヤ西部からカシミール、アフガニスタンの標高1000b前後の高地に自生する常緑高木で、自然樹形がきれいな円錐形になることから世界中で植栽され、世界の3大公園樹といわれる。日本には明治初めに導入され、強い剪定(せんてい)にも耐えることが好まれ、公園や学校、個人の邸宅の庭園樹として各地に植えられた。雌雄同株だが、雄花と雌花があり、市川では10月終わりから11月初めに咲く。11月中頃になると咲き終わった雄花が路上に落ちて辺りを黄色く染める。一方、雌花の方はそれから1年をかけてじっくりと熟し、翌年の晩秋に長さが13a前後の樽型の球果ができる。つまり今見られる球果は昨年の秋に咲いた雌花が熟したものだ。この後、11月下旬に完全に種子が熟すと球果はバラバラに崩れ、薄い羽根がついた1aあまりのタネが散布される。この大きな球果を何とか崩さないように保存しようとこれまで何度か試みたが1回しか成功していない。

 原産地では樹高50bになるが、市川では真間5丁目の旧木内家別邸玄関前に位置していたヒマラヤスギが最大で、樹高22b、胸高幹周3・1bである。貴族院議員も務めた木内重四郎が別邸を建設した大正8年に植えたとすれば日本に導入された初期の頃のヒマラヤスギということになる。


(2008年11月8日)
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コゲラのねぐら穴

 10月までは真間川の冨貴島小学校付近にとどまっていたユリカモメの群れが11月に入って一気に大柏川を北上し、今ではJR武蔵野線までの広い範囲に分散して餌をとっている。

 野鳥の仲間は、夏の繁殖地と冬の越冬地の間を季節に合わせて行き来しているものが多い。移動の仕方も色々あるが、日本を中継地として1万`を超える移動をしている旅鳥と呼ばれるグループがあり、春と秋の2回姿を見せる。中にはごく短期間しか日本に留まらない種類もあり、珍鳥を目にする時季でもある。先日も八幡の葛飾八幡宮の境内で「ヒーッヒーッ」という聞き慣れない甲高い声がするので周囲を探すと、葉を落としたエノキの梢(こずえ)で腹部が鮮やかなオレンジ色で背面が黒いスズメ大の小鳥が鳴いていた。後で調べてみるとどうもムギマキという旅鳥だったようである。この季節はぜひ、耳をそばだてて聞き慣れない鳥の声に注意していただきたい。

巣穴を掘るコゲラ

 さて、12月2日に大野町の駒形神社で、サクラの枯れ枝にコゲラが穴を掘っているのを見かけた。また、6日には葛飾八幡宮境内で、クスノキの枯れ枝にコゲラが穴を掘っているのを見かけた。コゲラの繁殖期は5月から7月なので、繁殖用の巣穴にしては早いと思い野鳥が専門の越川重治先生に伺ってみると、ねぐら用の穴ではないかとのことであった。不覚にも繁殖期以外のコゲラがどのようにして夜を過ごしているのか、真剣に考えたことがなかったので、ねぐら穴は思いつかなかった。

 野鳥の場合、一般的に「巣」と呼ばれるものは繁殖のために作るもので、繁殖期以外にわざわざ寝るためだけの「巣」を作ることは稀(まれ)である。キツツキの仲間であるコゲラの場合は嘴(くちばし)が伸びすぎるのを防ぐ意味もあってか、ねぐらのための穴を掘るようである。腐朽して柔らかくなった枯れ枝などに1時間ほどかけて体が隠れる程度の浅い穴を掘る。蛇などの天敵に襲われた場合に備えて、出入り口を2か所つくることもあるようだ。このようなねぐらを複数作るそうである。

 これに対して、繁殖用の巣穴は、ねぐら用に比べるとしっかりした太い枝や幹に1か所入口を開け、木の下方向に20aほどの深さの穴を掘る。コゲラは、元々は山地性の鳥であったが、近年では市街地でも普通に見られるようになった。「ギー」という鳴き声や「コッコッコッ」という木をつつく音、地面に落ちた細かい木屑(くず)などで存在を知ることができる。皆さんもぜひコゲラを探してみて欲しい。


(2008年11月22日)
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