市川よみうり連載企画

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検証・まち
<路上生活>
1
市川市内で240人が生活

9月26日午前9時ごろ、市川市田尻の市クリーンセンター近くの道路上に、一人の男性が横たわっていた。そばにはきちんとそろえられたクツ。荷物を枕に、眠っているようだが、動かない。心配になった。声をかけようと近寄ると、むっくり起き上がった。あたりをキョロキョロ見回し、ゆっくり背伸びをしている。ホッとした。ここで一夜を過ごしたのか、これからどこへ行くのか…。男は何も答えてはくれなかった。


 夜10時ごろ、JR本八幡駅北口ロータリーのベンチに座り、時を過ごす人たちがいた。通りがかりの中年男性が、
 「オレさぁ〜時々、ここにいるホームレスのおじさんに一杯(酒を)差し入れしてんの。それで、一緒に話をすると、なんか共感するところがあるんだよネ」
 −どこらへんに共感するの?
 「オレ、最近、仕事を辞めたんだよ。けっこうヒマなの。何かやったほうがいいかなとも思うけど…。なんか、ここのおじさんたちみたいな生活にあこがれちゃったりして…。なんかこのままいくと、オレもホームレスの仲間入りしそうなカンジでさ。オレって、変?」 市川市が平成14年に行った調査(以下『市川調査』)によれば、市内に「定着」しているホームレス数は168人(男性164人・女性4人)。その数は県内トップで、政令市・大都市を除くと全国3位。「NPOホームレス自立支援市川ガンバの会」の巡回では、現在約240人ほどが確認されている。
 どこに、どんなふうに「定着」しているのだろうか。たとえば、高架下や公園・河川敷に、木材・ダンボール・ブルーシートなどの素材を組み合わせた「家」を造っている。失礼して中をのぞくと、畳一枚分くらいのスペースに生活用品や寝具が並んでいる。しかしこのような「家」を持たない人たちは、自分の気に入ったところに荷物やフトンを置き、そこを寝場所と定めているようだ。公園のベンチを寝台にしている人もいる。
 平均年齢は54・7歳で、過去5年以内にホームレスになった人が全体の62・1%。近隣住民とは74・1%が全く接触を持っていない。だが53・4%は近隣の人たちに「迷惑をかけている」と感じながら生活している(『市川調査』)。

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検証・まち  
<路上生活>
住民と識者の意識に差

いつも同じ時刻になると、駅前にやって来て駅階段に長時間座っている人がいる。階段の隅に、通行人の邪魔にならないように座り、動かない。そこで食事をしていることもある。彼の「出勤チェック」をするようで申し訳ないが、定時に定位置に居ないと、ちょっと気になる。あたりを捜すと、高架下商店街の入り口に体を丸めて寝ていたりする。
 ときどき公園にやって来て、ベンチに長時間座っている女性がいる。両脇に荷物を置き、じっと動かない。旨そうにタバコをふかしていることもある。雨の日は、公園脇建物の庇の下でうずくまっていたりする。先日は、街中で、ゴミ箱の中のモノを「選り分けている」彼女の姿をみかけた。
 公園で洗濯をしている人も…。木と木の間にロープを張り、タオルやズボンを干している。一段落してイスに座り、くつろぐ男性。公園内の公衆トイレには、「ホームレス、出て行け!」と落書きがあり、男性の暮らしを揶揄するようなイラストも添えられていた。あまりに露骨な描写で、気分が悪くなった。
 地下鉄の地上出入り口に座り、カップ酒を片手に話し込んでいる人たちがいる。かなり話が盛り上がっているようで、ときどき笑い声が漏れてくる。所帯道具持参の酒盛りはなかなか終わりそうにない。
 これらは、市川市内で見かけた昼間の路上生活の一端。人々は、ちらっと目を向け、さっと通り過ぎてゆく。
 「自宅近くにホームレスが住んでいる」という50代の主婦は、「…怖いんです」と、小声で言う。
 −何が?
 「うまく説明できないけど…、とにかく『怖い』という感じ」
 −何か「怖い」ことをされた?
 「いいえ」
 −では、イメ−ジ?
 「そうかもしれない」
 −アナタが持つ路上生活のイメージを具体的に言うと?
 「朝から酒盛りをしている。汚い。病気ならば仕方ないけど、どうしてちゃんと働かないの?」
 『ホームレス/現代社会/福祉国家』(岩田正美著・明石書店刊)の中に、こんな一節がある。
 「『ホームレス』の人々は変わり者であるとか、好きでそのような暮らしをしている、といった一般社会の思いこみには相当根強いものがある。(中略)その上、路上での彼らの外観は、怠けているとか、臭い、非衛生的だ、怖いというような見方を一層進めていく役割を果たしている」。しかし、「怠けていては、生きていけない。だからこそ、路上で、かれらは食糧を探し、拾い、炊き出しに並び、公園で洗濯をするのである。それらの行為は、路上で繰り広げられるから奇妙に感じられるだけであって、生きていく真剣な行為である点で、われわれの日常と大きくかけ離れているわけではない」。

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検証・まち  
<路上生活>
3
地方に拡散する生活圏
夜9時、都営地下鉄・東銀座駅と営団・銀座駅を結ぶ「銀座地下歩道」(全長約100メートル)を歩いていると、後ろで大きな声がする。
 『ワタシについておいで!』
 振り返ると、両手に大きな紙袋をさげた女性が二人。
 「ここは?」
 『座れないよ』
 「ここは?」
 『ダメダメ!』
 二人は、地下歩道の中央分離帯をのぞき込みながら、そんな会話を続ける。
 分離帯には、約2・5メートルごとに太い柱がある。柱と柱の間には石柱や石像が並んでいる。さらに、両側はチェーンやパイプや植栽でガードされ、簡単に入り込めないようになっている。
 二人は、若干ガードの甘いところで立ち止まった。よっこらしょ。分離帯に入りこみ、荷物を置いて、座ってみるが、
 『あーあ、ここも、ダメだね。ホカへ行こう』
 二人は立ち上がる。
 −居心地が悪い?
 『座ってごらんよ』
 確かに。石柱や石像に邪魔されて、三角座り(ひざを抱えた座り方)しかできない。おまけに、石柱の表面はゴツゴツしていて、寄りかかると痛い。
 −ダメだ、こりゃ。
 『そうだろ。ココは、昔、住みやすいところだったんだけどね』
 「昭和の終わりごろ」に改修されて以来、「置き物」の数が増え、次第に寝泊まりできない環境になってしまった−という。
 過剰と言えるほどのガード。歩道壁面のあちこちには、「寝そべったり、座りこんだり、みだりにダンボール等の物件を置くことを禁ず」の警察などの「警告文」。制服の巡回もひんぱん。大きな街と路上生活者の長い攻防の歴史を見たような気がした。
 今年1月から2月にかけて、厚生労働省が行った全国一斉調査によれば、路上生活者の概数は2万5千296人。前回調査(平成13年)と比べると、約1200人増。「5大都市」合計は約1500人減少しているが、「その他の指定8都市」合計=約650人増、「中核都市」合計=約160人増、「その他の市町村合計」=約1900人増で、生活圏が大都市から地方に拡散している。そのような傾向がうかがえる。
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<路上生活>
4
自立支援の難しさ
平成11年2月、国は今後も路上生活者が増え続けるという予測のもとに「ホームレス問題連絡会議」を設置。同年5月に「ホームレス問題に対する当面の対応策について」を閣議決定した。その中で、「ホームレスに至る大きな要因」は、
 『失業であるが、社会生活への不適応、借金による生活破たん、アルコール依存症等の個人的要因によるものも増加し、これら社会経済背景や個人的要因が複雑に絡み合っているものと考えられる』との認識を示し、「対応策」として、


 『<1>総合的な相談・自立支援体制の確立<2>雇用の安定<3>保健医療の充実<4>要援護者の住まい等の確保<5>安心・安全な地域環境の整備』を挙げている。
 次いで「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(「ホームレス自立支援法」)が同14年夏に成立、今年8月には厚生労働省が「ホームレスの自立支援」に『総合的かつきめ細やかな対応が必要』とする基本方針をまとめている。
 ここ数年で、「ホームレスの自立支援」事業計画の根本的な考え方、つまり「理念」が見えてきた。全国の自治体も動き出す。
 市川市は平成14年4月、福祉事務所内に「自立支援担当」を設置、二人の職員が市内の路上生活者と面接し、ニーズを把握分析する作業に取りかかった。当時の職員の声が『季刊Shelter−less』(平成15年秋号・新宿ホームレス支援機構発行)に掲載されているので紹介しよう。
 『…実際に現地に行ってみて、ホームレスと行政との信頼関係をつくることは非常に大変なものであることが分かり始めた…』
 これまでの行政は、住民からの苦情をホームレスに伝え、公共施設からの退去を求める「管理者の顔」でしかなかった。だから、
 『不信感が強く伝わってくる。話しかけると露骨にイヤな顔をする人、話はするが多くを語りたがらない人、完全無視を決め込む人、大声で怒鳴る人。(中略)いきなりいい顔をして訪問したところでなかなか信用してもらえない』と心境を語っている。
 会話に時間をかけ、何度も訪問することで少しずつ信頼を得ていこうと考えた。数か月後、徐々にではあるが重い口が開き始めた。

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<路上生活>
5
働けってよく言われるけど
市川市内の公共施設前で人待ちをしていると、隣でふたり連れの男性が声高に話をしている。
 『…だから、気をつけたほうがいいよ』
 「だまされちゃいけないね」
 『ウン、オレの仲間が言うには、手配師が最初に言った条件とは大違いだったってさ」
 二人の話を要約すると、仲間のひとりが「手配師」の誘いに乗って、千葉県内の土木作業場に働きに行った。最寄り駅からすぐのところに「宿」があり、食事付きというフレコミだった。ところが、実際の「宿」は駅から1時間も離れたところ。それでも、これから冬に向かうので屋根の下で寝泊まりできればいいかと思い、まじめに働いた。さて給料をもらおうとしたら、「オマエラには借金がある」と言われた。
 『ヒドい話じゃないか。宿代と食事代が給料より高くついたってことかい? そんなおかしい話はないよ、な』
 「で、ナカマはどうした?」
 『そこから逃げ出した。ホカからも同じ話を聞いたから、ホントだよ。せっかくマジメに働こうとしているのに…。お役所がビシッと悪いヤツとハナシをつけてくれねえかなー』
 「うん、うん」
 二人の路上ミーティングは続く。 『この前、オレが座ってたら、ガンバ(NPOホームレス自立支援市川ガンバの会)の先生が来たんだよ。ちょっと話をしませんか−ってね』
 「で、話、したの?」
 『うん、家に住めるようにしてくれるっていうんだけど』
 「話に乗った?」
 『それから何度も来てくれて、オレの仲間はついて行ったよ』
 「あんたは、どうなのさ?」
 『オレは断った。でも、何かあったら連絡してほしい−と電話番号を教えてくれた。保証人にもなってくれるらしい」
 「ふ〜ん、今度は、いつ来るの?」
 『相談に乗ってもらうかい?』 「………」  『話をするんだったら、ウソをついちゃいけないよ。何でも正直に話すといい』  「正直に、ね」  『それから、悪いことをしたらいけないんだ』  「うん、分かった」  『ところで、最近〇〇を見かけた?』  「そういえば、見かけないね。何してるんだろうな−」  『病院かなー。悪いことをして捕まってなきゃいいけど…』  「何もしないでブラブラしているのもラクでいいけど、なあ」  『ウン。とにかく仕事を見つけて働けってよく言われるけど、さっき話したようなこともあるし、といって、今までやったことがない仕事は、なかなかすぐにはできないしなー』  木枯らしの吹く冬は近い。
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<路上生活>
6
職住の安定を求めるも・・・
平成14年に市川市が、市内に住む路上生活者168人に「希望」(複数回答)を尋ねたところ、アパートに入居したい98人・仕事を見つけ働きたい98人・退去指導をやめてほしい73人・食料援助がほしい36人・生活保護が受けたい36人・病院や施設に入りたい22人・職業訓練を受けたい18人・負債の処理がしたい18人・放っておいてほしい34人だった。
 市は、この結果を「ほとんどのホームレスは、就労して、アパートを借りて、社会復帰を果たしたいと切実に希望している状況」と分析している。


 イソップ物語『北風と太陽』になぞらえれば、「退去指導」は北風、「居宅指導」は太陽といったところだろう。北風は旅人の服を脱がせようと風圧を強めるが、旅人は寒さに参れば参るほど重ねて服を着込むばかり。太陽は、はじめ穏やかに照りつけ、旅人が余分な着物を脱ぐのを見ながら、だんだん熱を強めていく。すると、旅人はついに傍らの川の流れで水浴びをする。
 現在、市内の「自立支援住宅」は、民間アパート3部屋(風呂付き、1K〜2K)。自立を切望する人たちは、まずそこで生活保護を受けながら、原則3か月の「自立訓練期間」を過ごす。その後、支援住宅以外の民間アパートに移り、就労活動を始める人もいる。年齢的・体力的に就労が無理であれば生活保護を継続。これまでに約40人の路上生活者が、自立支援団体や市担当職員の手を借りて「居宅」となった。
 年に数回、自立支援団体が開く「居宅者交流会」には、路上で痛めた体を癒しながら「新生活」を送る人たちの姿が見られる。
 「…過去にはいろいろありましたが、これからは、それぞれ、一人、ひとりが努力して、みんなとなかよく、暮らしていけたらなあと思います」
 「アパートに入って、自立して、これから頑張っていきたいと思います」
 そんな「居宅者」の誓いに、支援者は熱い拍手を贈る。
 しかし、中には、「酒・ギャンブルが断ち切れない」「(支援者と)考え方が違う」などの理由でまた路上に戻るケースも数件。そんなとき、支援者の顔が曇る。

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<路上生活>
7
「無視」と「交流」と・・・
小春日和。JR本八幡駅の周りに、路上の常連さんたちが顔をそろえていた。哲学者のような風貌のAさんは、日のあたるベンチで昼寝の真っ最中。眼光鋭いBさんは、階段のいちばん上に座り、街の景色を眺めている。小柄なCさんは、暖かそうな毛糸の帽子と防寒ジャケット姿で、ロータリーの隅に座っている。3人の居場所を点で結ぶと正三角形に近く、絶妙な間隔が保たれている。
   
−◇−   −◇−
     今回は読者の意見・感想・指摘をまとめて紹介しよう。
 『迷惑かけると感じつつ、市川市内で約240人が路上生活』を読んだ市内の男性(66)は「小学2年生で終戦を迎えた。そのころはみんな貧しかった」と語り始める。「でも、頑張る親の後ろ姿を手本に、まじめに一生懸命働き、税金を払い、生きてきた。そして世の中の不公平さも味わった。いまは年金生活」。外出先で路上生活者をよく見かけるが「見て見ぬふりをしている」。自立支援は「ボランティアなら構わないが、税金を使うのならホームレスの中でもしっかり自立の意志を持っている人、高齢者、体に障害を持った人に向けてほしい」。そして「これ以上路上生活者が増えないように、何かハドメ策を考えるべき」。
 『住民と識者の意識 とらえ方に大きな差』には、大和田のパート勤務・守屋真利子さん(57)からファクスが届いた。そこに「ホームレスのおじさん」との自然体の交流がつづられている。
 「私が犬を連れて朝の散歩に南八幡の公園に行くと、おじさんがいました。自然に『おはようございます』と声をかけ、だんだん『寒いね』とか『暑いね』とかを言い合う“知り合い”になりました。出勤時、駅の階段に座っているとき、私は目をそらさず『おじさん、おはよう』と声をかけていました。公園に寝泊まりしているときは、公園内の草取りやごみを拾ってくれていました。だから、そこはいつもきれいになっていました」。そんな交流が2年近く続いたある日、「寝場所を変えてしまい、駅でもあまり見かけなくなってしまった。おじさんがいなくなってからは、汚ない公園に戻ってしまいました」。おじさんと会えなくなってから散歩コースを変えたという守屋さん。おじさんはいま、元気で暮らしているだろうか−と気遣っている。
 『手配師がうまい話 働く意欲につけ入る』は、路上で情報交換をしながら「これからの生き方」を真剣に考えている男性2人の姿を描いたのだが、支援者から「一部、支援の仕方に事実とは違うところがある」との指摘を受けた。話は一部誇張されたものだったのかもしれない。だが路上の人の支援団体への信頼度は高く、「関係性」は着実に築かれつつあると思う。
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8
一般生活との距離
「わが国では、バブル崩壊後に『野宿者』や『路上生活者』などのホームレスが都市部を中心に拡大しており、餓死や凍死の危機を孕(はら)んだ厳しい生活が公衆の面前で繰り広げられている。しかしそれらは、『貧困』や『低所得』といった概念でとらえられるよりは、路上生活を好んで選択した『変わった人たち』とか『怠惰な人たち』と見られることが少なくない。ホームレスの貧困の形態が一般の生活様式と著しく乖離(かいり)しているから、差別や排除を生み出しやすいのだろう。このため、『見える貧困』は把握が容易であるはずなのに、有効な対策が立てられにくいという現実がある」(一部略)(社会福祉士養成テキストブック・『公的扶助論』ミネルヴァ書房刊)
 路上生活者が草枕で餓死・凍死した場合、地域住民が「仕方ないよね」「どうしようもなかった」と言ってしまいがちなのも、「このため」か。
   
−◇−  −◇−
     「何年くらい前だったかは忘れてしまったけれど…」と、市川市内で商店を経営するMさん(50代男性)はひとりの路上生活者の死を語る。
 その男性は、ときどき店にやってきて、金を無心していた。Mさんは話し相手になりながら、「食べ物を買うんだよ」と少額を渡すこともあった。しかし、その金が全部酒代に消えていることを知ってガッカリ。金銭的な支援をやめた。「そんな生活を続けてちゃダメだよ」と。
 ある夜、店の近くでぐったり倒れている彼を発見。「いつものように泥酔しているのか、それとも本当に体の具合が悪いのか、よく分からなかったので」、最寄りの交番に知らせた。
 「通報は、アナタで10数件目ですよ」と巡査。「近所の人たちも(彼のことを)気にかけているんだなあ」と思いながら眠りに就いた。
 翌朝、路上から男性の姿は消えていた。あれから病院に運ばれたのだろうか、それとも酔いが覚めて寝場所に戻ったのだろうか…。
 しばらくして「あの男性が、路上で死んだ」という知らせを聞いたときは、ショックだった。
 「酒を飲むのも、体を温めるためだったのかもしれない。路上の辛さをまぎらわすためだったのかもしれない。もっと優しくしてやればよかった。後味の悪さが残った」
 街の店先には衣類や食料品があふれ、コンビニでは賞味期限切れの弁当を惜し気もなく捨てている一方、道端で寒さや飢えで死ぬ人がいる。ヘンな世の中ですよね−とMさん。
 所轄署で身元調査が行われ、不明という結論が出ると、遺体は氏名「不詳」のまま、最終的な火葬執行者の市に引き渡される。こうした路上生活者の「死」は「行旅(こうりょ)死亡」と呼ばれている。
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<路上生活>
9
夢を語れるまでは
路上生活とオサラバして、いまは市川市内でアパート暮らしの男性から「もしも」話を持ちかけられた。
 「あのさ、もしも、宝クジで2億円当たったら、どうする?」
 −う〜ん、どうしようかなー、分かんないよ。おじさんは?
 「ハハハ、オレだったら、1億円はパーッと使っちゃう」
 −で、残りの1億円は?
 「マンションを買う」
 −そのマンションに住むの?
 「うん」
 −1億円の豪華マンションは、きっと毎月の管理費も高いよ。
 「『もしも』なんだからそんなこたァ気にしない、気にしない!」 −ウン。当たるといいね。
 「当たるといいなあ!」
 ユメはでっかくニオクエン!
おじさんは顔をくしゃくしゃにして笑う。
 よしっ、年末ジャンボを買ってみるか…。発売初日、「チャンスセンター」の前には、ユメ買いの長い列ができていた。
   
−◇−   −◇−
     都営地下鉄線の駅や車内でときどき出会う男性のいでたちは、ちょっとくたびれたジャケットに肩かけカバン、両手に大きな紙袋。駅のベンチや車内の網棚から、読み捨てられた雑誌をさりげなく手に取り、選り分けている。
 日付や汚れていないかを確かめて、写真週刊誌は肩かけカバン、一般週刊誌は右の袋、マンガ雑誌は左の袋に。
 乗降客の流れに逆らわないように動いているので、「作業」はあまり目立たない。駅のベンチで休憩すると、また電車に乗り込む。 そうやって集めた雑誌の「受け渡し」場面を見ることも。
 改札口周辺。仲間と袋の中をのぞき込み、「仕事」の成果を確認し合っている男性。「けっこういい稼ぎになる」という。こうした「仕事」は「都市雑業」と呼ばれている。
   
−◇−   −◇−
     市川市が平成14年に行った「ホームレス調査」(市内定着168人対象)によれば、
 『現在の収入源』は
 「廃品回収」68人、「日雇い労働」15人、「廃品以外の都市雑業」4人、「無収入」20人。市内の「ホームレス」の半数以上が不安定ではあるが、何らかの「仕事」をしている。
 『収入額』(月額)は、
 「1万円未満」38人、「3−5万円」22人、「5−10万円」10人、「10−20万円」11人。
   「NPO市川ガンバの会ニュースレター第1号」に掲載されている「夜間パトロール状況」(平成15年1月−7月)によれば、「(前文略)ほとんどのホームレスは、収入を得る為に廃品家電、古本、アルミ缶などの回収などを行い、生活の糧を得るために努力しています」(原文のまま)。
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<路上生活>
10
どこに住んでいても変わらない
隅田川沿いの道を歩いていたら「聞いてもらいたいことがある」と、年齢不詳の小柄な男性から声をかけられた。イスに座って「いま、校正の仕事をしている」という。隣には、家財道具と犬を乗せた手押し車。


 「この前、近くの公園で、おとなしく仕事してたら、オマワリさんが来た。『通報があった』っていうの。ホントかなあ? 何も悪いことはしていないのに…。捕まえられるのが怖いから、ここに逃げてきているの」
 −「捕まえる」のではなくて、「保護」しようとしたんじゃないのかな?
 「ホゴ? どうして? 近くに『自立センター』があるけど…。あそこはイヤ」
 −どうして?
 「だって、この子と別れては生きていけない」
と、手押し車に乗せた犬の頭を愛しそうになでる。
 「この子のことでもいろいろあった。『鑑札をつけなければいけない』と言われたので、ホラ、お金を出してつけてやった。だから、心配しなくても、大丈夫よね。わたしも犬も、捕まえられないわよね」
 −シンパイないと思うよ。
 「ア−ア、こうやって人に話したら、なんかスッとしちゃった! ねっ、〇〇ちゃん(犬の名前)、もう大丈夫よ」
 もの言わぬ動物が、この男性の路上生活を慰め、心の支えとなっている。
   

−◇−   −◇−
     「市川市内で暮らしているホームレスのことだけを見ていては、分からないことも多いでしょう。もっと広く、彼らの世界を見て来たほうがいいですよ」という男性読者(60代)のアドバイスで、江戸川を越えた。
 なるほど。市川では「隠し絵」のような路上の人たちが、都内ではしっかりその存在を「主張」している。
 荒川河川敷の、葦(よし)に深く囲まれた「家」で暮らしている60代男性。近くの高層マンションを指差して、
 「あのマンションの近くに行くと、住人同士がケンカをしていることがあるんだよね。あんなにいいところに住んでいるのに、何でケンカなんかするんだろう−と不思議に思うよ」
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11
何事にも約束が
隅田川左岸、首都高速向島線高架下に「家」を構えるおじさんが、 「あすはテッキョの日なんだ」と、こともなげに言う。
 −そりゃ、タイヘンだ! ここから追い出されちゃうの?
 「いやいや、テッキョといっても、ちょっとの間だけだよ」
 ココのテッキョは月に一度の定例行事。ちょっとの間だけ「家をたたむ」と、跡地を区の人が清掃・消毒する。それが終われば、また「家を元に戻す」。
 「だから、きょうは、家の中の掃除やゴミ出しや何やらで忙しいんだ」
 木造の「家」を見せてもらうと、折りたたみ・移動が簡単にできるような「匠(たくみ)の技」がほどこされている。
 「この前、若いやつが、『家も学校もオモシロクない。ホームレスになりたい』って、訪ねて来たよ。『親がかりで勉強させてもらっといて、なに言ってるんだい。こっちは好きでココに住んでるんじゃねぇ』って追い返したよ」
 ココに来れば、世の中のメンドウなことから逃げられるワケではない。ココにもまわりとのいろいろな約束ごとがあるんだ−とおじさんは言う。
 −約束ごとが守れないと?
 「ココからも出ていくしかないね」
   
−◇−   −◇−
     日曜日の午後、隅田川右岸の水上バス発着所近くに、100人を超すおじさんたちが集まっている。


 『…〇〇はこうおっしゃいました。あなたたちは…』。拡声器から流れる「教え」を熱心に聞いている人もいれば、ヒザを抱えて眠っている人、スポーツ新聞を読んでいる人も…。
 何の集会? そばで釣りをしている人に聞くと、
 「あー、あれね、『宗教の炊き出し』。毎週、この時間にやってるよ。『教え』のあと、ウドンが出るんだ。ウドンめあてに、上野からやってくるヤツもいる」
 −おじさん、「炊き出し」に詳しいね。
 「おっと、オニイサンと呼んでよ。実は、オレもホームレスなんだ。でも、ちゃんと○○組(建設会社)で仕事してっから、ウドンは食わねえ。きょうは仕事が休みだから、ここで釣りをしてんの。ハゼ釣って正月の甘露煮にするんだ」(つづく)
      

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12
悲喜こもごもの人生模様
隅田川右岸の「ブルーテント」は、吾妻橋たもとの水上バス発着所あたりから、親水遊歩道に沿って、荒川区と台東区の境・白髭橋あたりまでびっしり軒を並べている。その間、約2キロあまり。
 「ブルーテント」のおじさんのひとりが、「ここだけじゃなく、『ヤマのイロハ』に行ってみな。おもしれーよ」と教えてくれた。「ヤマ」は山谷、「イロハ」は「いろは会商店街」の俗称。
 道順を聞いてたどりついたところは、白髭橋から徒歩約15分ほどの台東区日本堤1丁目。住居表示に「山谷」の文字はない。「土手通り」から「いろは会商店街」に入る。ごくふつうの商店街。どこが「おもしれー」の?
 約200メートルの商店街中ほどから、おじさんたちのパフォーマンスが始まる。シャッターの降りた商店の前に段ボールで囲いを作り、その中に掛敷布団を持ち込んで眠る。荷物を枕に地べたでゴロ寝。自動販売機とゴミ箱の間で酩酊(めいてい)…。おじさんたちは、眠っているようでいて時折、鋭い視線であたりを見回す。そして、またトロンとした表情に戻る。
 シャッターに張られた「荷物ふとんダンボールなどを置かないで下さい 放置されたものは処分いたします 住人」の文字もむなしく、総勢約20人が店先で思い思いに「休息」をとる。


 「ちょっと、そこ空いてますか?」と新参者が問うと、「ああ…」と力のない返事。荷物を枕にゴロ寝。上を見ると、アーケードが天井。雨露はしのげる。
 商店街のまわりの路地には、簡易旅館が建ち並んでいる。「カラーテレビ・ロッカー付個室、冷暖房完備」で1泊2000円〜2400円程度。仕事で金を稼いだ年配のおじさんたちが、セッセ、セッセと小走りに出入りしている。
 「アンタ、ふとっぱらだねえ」 「オウ、きょうは10マンエン、ツッコンダよ」と、賭事の自慢話も聞こえる。
 「ゴロゴロ」と「セッセ」が背中合わせの街。
  「日本堤公園」「山谷堀公園」でも、おじさんたちの生活の一端を見ることができた。子供たちと遊ぶ、砂場の縁で布団をかぶって眠る、ベンチで新聞を読む、カップラーメンをすする、ただうずくまる…。それぞれのスタイルがある。        (つづく)

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13
元の生活には戻れない・・・
 5年前、市川市宮久保に住むTさん(87)が、娘の嫁ぎ先(米国・ロサンゼルス)を訪れたときのこと。福祉に関心を持つ孫(20代)が、「グランマ(おばあちゃん)、いいところに連れていってあげよう」。
 そこは、繁華街の一角にある広場。20〜30人の体格の良い若者たちが、何をするでもなく集まっていた。
 ―???
 「あの人たちは、ホームレスなんだよ。見かねた州が、職をあっせんして、仕事先まで連れて行くんだけど、一週間から十日たつと、またここに戻ってくる」
 ―食事はどうしているの?
 「近くの教会に行けば食べさせてもらえる」
 孫に教えられ、垣間見たアメリカ・大都会の側面。職をあっせんされても、すぐに辞めて広場に舞い戻って来るのはナゼ? 「ホーム」より、「職場」より、広場のほうが居心地がいいの?
   いま、日本で、路上生活者を見かけると、Tさんの「?」はまた膨らむ。
―◇―   ―◇―

 「このごろは、家のことも、家族のことも、みぃんな忘れて、何かスッキリした気分なんですよ。よく眠れますヮ」
 ―ブルーテントで熟睡できますか?
 「んー、よく眠れるといっても、短い時間だけどね」
 「事情」があって、ふるさと(千葉県)を離れて十数年、現在は都内新宿区のT公園に住む男性(60代)の口調は、淡々としている。
 ―いままで、家族と連絡を取ったことは?
 「そういえば、何年か前に、電話で(家族と)話をしたこと、あったなあ…。家の玄関先まで行ったこともあるけど…、ノックしないでそのまま帰ってきた…」
 ―『求めよ、さらば、あたえられん。たたけよ、さらば、開かれん』とはいかない?
 「ハハハ、いまひとつ、勇気がなかったんだね…、わたしらは、いろんな事情があって、家を出ているからね…、年取った親に心配かけたくないし…」
 ―仕事は?
 「ときどき、日雇い(土木作業)をやってるよ。将来は、ふるさとで農業やるのがユメなんだけど…、(路上生活が)長くなると、ふつうの暮らしにはなかなか戻れない…」  ―自立センターなどを使ってみたら? そこで3、4か月暮らして、身の回り整えて…。
 「んー、わたしらの暮らしは、あんたたちが想像している以上にサツバツとしたものだよ。仲間との酒盛りにしたって、はた目には楽しそうに見えるけど、ささいなことですぐにケンカになる。心も体も相当痛んでるからなんだ。3、4か月でまともな考え方ができるようになるかなあ…」       (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
14
行き場なく公園デビュー
夕暮れの新宿区・T公園で立ち話をするおじさん二人。
「きょうは、○○さんを見かけないね」
『しごとだよ』
「あっ、そうか、しごとか…」
『もうすぐ帰ってくるよ』
黒猫が2匹、見つめている。近寄ると、さっとブルーテントの中に逃げ込んだ。


お隣のテントから、オバチャンが顔を出し、の支度を始める。公園がひとつの「ホーム」のようだ。テントのない緑地帯にはロープが張られ、新宿署・公園管理所の「立入禁止」の張り紙。でも、夕闇にまぎれ、ロープ内に発泡スチロール・段ボール・ビニールシート・板切れなどを持ち込み、テント造りに励むおじさんがいる。高齢になって、福祉を受けて、ここを去っていく人もいるが、不況のあおりで「公園デビュー」する人も後を絶たない。

―◇―   ―◇―
「公園デビュー」して約半年の大きなオニイチャン(40代)は、「どうなんでしょうねえ」が口グセ。ベンチでタバコをふかしながら、
「ちゃんと、働く意志、アリマスヨ」
だけど「自分を証明するものがないから」定職に就けない。
住民票は「前に住んでいたところに置いたまま」
運転免許は「持ってるけど、更新していない」
この宙ぶらりん状態を何とかしたいとは思っているが、
「…どうなんでしょうねえ」
とごとのようにつぶやく。
子供の「公園デビュー」なら、ママが心配して迎えに来てくれるけど、やりっぱなしの「おかたづけ」もしてくれるけど。
「実家にもずいぶん帰ってないし…、どうなんでしょうねえ」
アキラメたような笑い顔。
公園暮らしの先輩が、『一年以上ここにいると、もう元の生活に戻れなくなっちゃうよ』
「ふう〜っ」
大きなオニイチャンの、足元のタバコの吸い殻が、またひとつ増える。(つづく)  
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検証・まち  
<路上生活>
15
迷惑との境目・・・
JR新大久保駅構内の階段に座って、編み物をしているおばさんがいた。帽子を編んで、試着して、ほどき、また編み直す。おばさんのまわりには紙袋のバリアーが張られ、誰も近づけない。
西新宿の地下道で、床に布団を敷いて寝ているおじさんがいた。あまりに堂に入った寝方だったので、見とれてしまった。
市川市内の公園でも、おやおや、ブルーテントのそばでズボンを穿き替えているおじさん。下着まる見えだよ…。見とれるワケにはいかず、視線をそらした。
座り込んで編み物に熱中、布団を敷いて寝る、着替える。どれも、家屋の中でやれば、何の変哲もない生活のひとコマ。ところが、屋外、特に公共の場で行われると人目を引き、ときにはメイワク行為となってしまうことも。
公共の場を利用するときのマナーがキビシクなってきたこのごろ(市川市では今年4月から「市民マナー条例」をスタート)、路上生活者も「都市生活者」としてマナーを問われるようになるか?
―◇―   ―◇―
新宿駅西口で、2〜3人のおじさんたちが、地面にシートを敷き、そこに「都市雑業」で集めた週刊雑誌を並べて売っていた。定価より安い。包帯を巻いた通行人が「商品」をのぞき込むと、すかさず「ケガしたの? お大事にねー」と声をかけ、なかなかの商売上手だ。
少し離れた場所で、見慣れぬ雑誌を高く掲げ、売ろうとしているおじさんがいた。胸に、顔写真と名前の入った「IDカード」を下げている。
雑誌の表紙(1月8日号)は、若者に人気の女性アーチスト。1冊購入した。読み進めていくと…。
平成3年に英国・ロンドンで創刊され、現在世界24カ国・50都市地域で販売されている雑誌の「日本語版」。「ホームレスの人しか売り手になれない」という特徴を持つ。その使命は、「ホームレスの救済(チャリティー)ではなく、彼らの仕事をつくること」。
「自立を目指すホームレス」は、最初に1冊200円の同誌を10冊無料で受け取り、その売り上げを元手に仕入れ・販売。1冊売ると110円が販売者の収入になる。
日本では昨年9月から関西地区で、同11月から東京で販売が始まっている。「12月14日現在、東京の登録販売者は46人。大阪も合わせると180人を超えた」(同誌「編集後記」)。
いまは万事控えめな新宿西口のおじさん、いや「販売者」も、この仕事に慣れてくれば、「都市雑業」のおじさんのように客あしらいが上手くなるだろう。ただし、行儀よく販売するように、『他の市民の邪魔や通行を妨害しません』など、8つのお約束(『行動規範』)も設けられている。
IDカードで「自分」を証明できるようになる反面、「規約」のしばりも受けるようになる。   (つづく)
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検証・まち  
<路上生活>
16
寒い中辛抱強く
 『東京のホームレス白書』(平成13年都福祉局発行)によれば、都内のホームレスの特徴は、
<1>大半が単身男性で、50〜64歳の中高年男性が中心。多くは未婚または離婚経験者で家族との連絡を絶っている。
<2>かつては技能工など安定就労していた人が6割。中には、事務職・専門職などのホワイトカラーだった人も一割含まれている。
<3>7割は、解雇・倒産・病気など本人が望まない理由で職を失っている。
<4>社宅など仕事と結びついた住居にいた人が、失業と同時にホームレスになっている。
<5>路上生活の長期化により心身が疲弊している。
<6>7割以上が求職活動をし、八割が就労したいと答えている。
<7>約半数が働いて収入があると答えているが、その半数が月収3万円未満。
 その数は、平成15年に同局が行った「夏季路上生活者概数調査」(同年8月実施。道路・公園・河川敷・駅舎などを各管理者が視覚確認)で約5500人。前年同期に比べ「微減」(89人減)している。
 生活場所は公園(3664人)がトップで、河川(855人)、道路(751人)、JR・営団・都営など電鉄関係(127人)と続く。23区別では、台東区(1068人)、墨田区(961人)、新宿区(906人)がベスト3。
―◇―   ―◇―

 「新宿中央公園の『救世軍』の炊き出しはすごい」という「噂」をおじさんたちから聞いた。何が「すごい」のか? 噂の「カレーの炊き出し」に並んでみた。
 金曜日午後5時半、同公園の都庁前広場近くには、既に400人近くの行列ができていた。列が乱れないように公園のリーダーが、上手に仕切っている。列のだれかがゴミを落とすと、サッとサブリーダーが片付ける。見事な光景だ。これなら、通りがかりの一般の人が見ても文句は言うまい。
 先頭の人は、同日の朝配られた「整理券」を手にしている。
「この整理券をもらうために、朝も2〜3時間並んだよ」
―それで、夕方は何時ごろからこうやって並んでいるの?
「4時半から」
―そんなに待つほど、ここのカレーはおいしい?
「何よりも、あったかいのがいいね。まあ、食べてみな」
 炊き出しを待つ間、列の中ではさまざまな情報交換が行われている。
「この前、○○という支援団体についていった人がいるけど、キソクがキビシイって、また(公園に)戻って来たよ」
『へえー、そうなんだ…』
とか、
「オレは、ここでカレーを食べたあと、○○教会に行くんだ」
『何か食べさせてもらえるの?』
「○○が食べ放題。そして、もうすぐクリスチャンネームももらえる」などなど…。(つづく)
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<路上生活>
17
炊き出しの列で情報交換
午後6時。日の落ちた冬の新宿中央公園は想像以上に寒い。寒さが足元から這い上がってくる。炊き出しを待つ約500人の列に加わり、首をすくめ、足踏みしながら、
―ホントに寒いね〜。
「ハハハ、こんな日は、地下道のトリシマリもキビシイよ。オレ、昼間、地下道でちょっと座って寝ちゃったんだけど、目が覚めたらオマワリさんたちに取り囲まれててさあ…」
―ビックリした?
「そりゃ、もうビックリ!」
―越冬はキビシイね。
「冬の間だけ、センター(緊急一時保護センター・自立支援センター・冬季臨時宿泊施設など)に行くヤツもいるよ」
―おじさんは?
「いろんな『誘い』もあるけどサ…、オレは、いいよ、このままで…」
列の後ろのおじさんも話に割り込んできて、
『でもよ、誘いに乗って、体の具合診てもらったり、歯を治してもらったりすればいいべ? おめえ、歯が欠けてんじゃねえか。それじゃメシもまずいべ』
「まあ、な…」
炊き出しを待つ間、公園のリーダーは列の乱れを直したり、人数を確認したりと、大忙し。


午後7時半、カレーの大鍋を積んだ車が到着。おじさんたちは、何時間も握りしめていた「整理券」をボランティアの人に渡す。すると「本券」がもらえる。「本券」は発泡スチロールの丼とプラスチックのスプーンにかわる。
丼に飯とカレーを盛ってもらったら、公園広場で、皆、黙々と、立ち食い。おかわりもできる。
旨い! 胃袋に温かいものが入ると、いっとき寒さを忘れる。
小柄な年配の女性は、丼を持ったまま、途方に暮れた顔。広場の隅の、風のあまり来ない場所を教えてあげると、
「まあ、ご親切に、ありがとうございます」と、何度も礼を言う。
午後8時半。炊き出しの列はまだ続いている。広場中央では、賛美歌。入り口付近では、使い捨てカイロの配布。段ボール箱に入った衣類・生活用品の中から一人一品選んで持ち帰れるようになっている。品選びをしているおばちゃんが、「ちょっと、このリュック、あんたに似合うよ、持っていきなよ、役にたつよ」と、手渡してくれた。アリガトウゴザイマス。      (つづく)
   

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<路上生活>
18
ワガママな生き方と…
   新宿中央公園のおばちゃんが「便利だよ、持って行きな」と手渡してくれたリュックをしょって、路上の人たちとの出会いを続ける。
築地。隅田川にかかる佃大橋と勝鬨橋の間の親水遊歩道に、最近居を構えたIさん(50代女性)。


複雑な家庭環境に育ち、出奔。天涯孤独。数年前から施設→路上→施設→路上の生活を繰り返しているという。
―施設にはなじめない?
「施設では、日常のこまごまとしたことで、『この日に、コレをしなければいけない』と決められていても、そのとおりにしない人もいて、ささいなことでケンカが起きる。そんなとき、カッとなる自分が抑えられなかった。でも、今度こそ、ここでよく考えて出直したい。まわりの人たちとうまくやっていくコツを教えてください」と真顔で尋ねるIさん。
返答に困っていると、同じ遊歩道に住む中年男性が話に加わってきた。
「わたしたちのことを、世間では『外で寝てかわいそう』とか、『大変ですね』とか、よく言うけど、自分で撒いたタネでこうなったんだから、ぜんぜん『かわいそう』でも『大変』でもありませんよ」
言いにくいことを、サラッと言うなあ。でも、
『確かに…、いままでのわたしの生き方はワガママだったかもしれない…』
Iさんは真剣に聞いている。
「全ての原因は自分の内にある。他人のせいにしてはいけない。ここで、何かできることを積み重ねていけば、きっといいこともありますよ。たとえば、あなたはよく公園の掃除をしていますよね。あれは、とてもいいことです」
『…自分の家の中を掃除するようなカンジで自然にやっているんですけど…』
「そうそう、ホームレスになっても、一本筋のとおった生活をするといい。けっして、崩れてはいけない」
『アナタと話ができて、とてもよかった。ありがとうございます』
路上の人同士の会話に圧倒された。出る幕はない。
Iさんは、いま、ノートに「手記」を書き綴っている。そこに自分の感情をぶつける。
「将来は、小さいころからの夢だった童話を書いてみたい」
作品ができたら、ぜひ、読ませてください。

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検証・まち  
<路上生活>
19
職業は「ホームレス」
隅田川端に「OUTLAW」(アウトロー)と印字された緑色のキャンピングテントが並んでいる。この場面で、アウトローの意味を「規制の社会に拘束されない自由人」と取るか、「社会秩序からはみ出した無法者」と取るか? もちろん、「キャンプ場」ではなく街の「公共の場」にテントを広げ、長期間暮らすことは「違法」だが、だからといってむやみに「撤去」することができないのも現実だ。


 川端の人に「お仕事は?」と聞くと、『ホームレスをやっています』という答えが返ってきた。もし「ホームレス業」というものがあるとしたら、それは、「どんな極限状態でも知恵をしぼって生き抜く」という仕事内容だろう。たとえば、地域の人たちが「不要」とみなしたモノも、「ホームレス業」の手にかかれば、再び息を吹きかえす。その再生法を聞いていると、一般的な暮らしがムダだらけのように思えてくる。「リサイクル講座」の講師にお迎えしたいくらいだ。
 視点を変えてみると、川端には先生と呼んでもいいような人がたくさんいる。
 「川に飛び込もうとしたサラリーマンを、『オレもここでこうやって頑張っているんだから、あんたもつまらないことで死のうなんて思っちゃだめだよ』と説得し、思いとどまらせた」人は、人生相談員にうってつけだろう。カセットコンロを使い、限られた材料と調味料を使って短時間で料理をこしらえてしまう人はアウトドアキッチンアドバイザーになれるだろう。
 「この道(ホームレス歴)40年」というKさん(70代男性)は、仙人のようだ。スナック菓子を、まわりに寄ってくるハトと一緒になって食べる。
 「オレはサ、もう、ニンゲンをやめてっかもしれないね」
 ―きょうは、ハトになってんの?
 「ああ。ハトになったり、犬になったり、猫になったり、木になったり、ほら、空の雲になったりもするよ…」
 見上げれば空にひとすじの飛行機雲。すっかり自然と融合しているKさんのつぶやきを書き留めておくと、一篇の詩ができそうだ。
 路上の人たちの「生き抜く力」はすごい。こちらが学ぼうという気持ちで接すると、先生たちは都市での「サバイバル」のコツを教えてくれる。あなたも聞いてみたい?

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検証・まち  
<路上生活>
20
おじさん58歳<1>
ハラガヘッテハイクサガデキヌ。隅田川親水遊歩道に住むおじさんに「昼ゴハンをいっしょに食べていきなさい」と誘われた。
 ―献立は?
 「すいとん」
 ―料理、手伝おうか?
 「いいの、いいの。(家の)中に入って、待ってて」
 はい。おじさんの「お宅」は、キッチンと寝床がきれいに分かれている。地面より一段高い寝床は一畳くらい、キッチンは半畳くらいの広さ。


 「きょうは、トクベツにオイシイすいとんを作ってあげるよ」
 まず、小麦粉をボウルに入れ、塩ひとつまみと水を加えて菜箸でこね、しばらくねかせておく。
 「水は、朝4時に起きて、公園の水道で汲んでくるんだ」
 キッチンの床には水が入った4リットルのペットボトルが何本も、ずらりと並んでいる。
   「水汲みをして、それから『空き缶拾い』をして、それから近所の店の掃除を手伝う。店が『残りもの』をくれることもあるけど、このごろは『ひゃくえんショップ』で買いものもするよ。」
 ひゃくえんショップはベンリだよね―とおじさん。
 「なんでもかんでも売ってるからサ、ホレ、これも、あれも、みいんなひゃくえんショップで揃えた」
 カセットコンロにかけた両手ナベの水が沸騰したところで、おじさんは具材をトントン刻みはじめる。左手がややぎこちない。
 「頭がキレて入院したことがあるから(軽い脳出血か?)、こっちがわの手があんまりよく動かないの。でも、料理はリハビリでやってるんだから、手伝わないでね」
 手製のまな板の上で刻まれたハクサイ、タマネギ、さつま揚げなどの具材が次々にナベに放り込こまれていく。
 「味付けは、だしの素、さばの水煮カンヅメ、それとミソ。自分で考えた味だよ。誰に教わったワケじゃない。でもさ、小さいころ母親が作ってくれた味に似ているかもしれないなあ」
 ―母さんは?
 「もう死んじゃったよ」
 ―父さんは?
 「生きてるけど、ずいぶん会ってないなあ」
 20代で九州から上京し、建設現場で「気の利く、いい働き手だ」と重宝がられ、かわいがられていたころもあったよ―というおじさん。58歳。 (つづく)   

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検証・まち  
<路上生活>
21
おじさん58歳<2>
コンコンコンコン、カンカンカンカン…。
 昼下がり、市川市内の川べりで、空き缶をカナヅチでつぶしているおじさんがいた。飲み終えたばかりのコーヒー缶をわたすと、
 「んー、これはスチール缶だね。いまつぶしているのは…」と見せてくれたのがビールのアルミ缶。
 缶を横にして、両端を内側にたたき、真ん中で折り曲げ、ぺしゃんこになるまでたたき、手のひらに乗るくらいの大きさにする。
 「空き缶は『ホームレスさん』たちの大事な収入源。みんな足を棒にして歩き回って、集めて来るんだよ。集めて、つぶして…、100円稼ぐんだって容易なこっちゃない」
 ―つぶさないと業者に買い取ってもらえないの?
 「そんなこた、ないよ。でも、こうやってつぶしておくと、かさばらず、たくさん(業者に)持ち込めるだろ」
 カナヅチを借りて、缶つぶしを試してみた。触るとペコペコ音のする500ミリリットル缶だが、いざつぶすとなるとなかなか手ごわい。飲み残しのビールも飛び散る。
 ブキヨウダネェ―と笑って見ているおじさん。
 「これから、花見の季節は、桜の名所にビール缶がいっぱいころがってるよ」
   
―◇―   ―◇―
 隅田川・言問橋近くの遊歩道に居を構えるおじさん(58)は、「20代で九州から上京したてのころは、公園にころがって寝ていた」という。おじさんたちの間で「アオカン」(青天井で簡単の略)と呼ばれている、野宿だ。その後、建設現場の仕事をしながら、遊歩道に「我が家」をこしらえていった。
 「玄関」は鎧戸でカンヌキ付き。「台所」には、雑貨を収納する棚。寝床は床より一段高くして、ベッド風に。「家」の横には手づくりのベンチも置いて…。違法建築ではあるが、一国一城の主となった。


 ―まわりの人たちとのニンゲンカンケイは?
 「ときどき、区の人がミマワリに来るけど、『おじさんの家は、優良住宅だね』なんて声をかけてくれたりして、仲良くやってる」
 ―遊歩道の仲間とは?
 「いろんな人がいるよ。でも、困ったときはオタガイサマ。助けられたり、助けたり。具合の悪い仲間の水汲みを手伝ってやることもある。できれば、体が動いて働けるうちは、ここで暮らしていたいなあ」     (つづく)

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検証・まち  
<路上生活>
22
おじさん58歳<3>
路上のおじさんたちは、ときどき名前を変える。たとえば、最初に出会ったときは「吉田さん」だったのに、次に会ったときは「山崎さん」になっていたりする。だから、とりあえず「いまの名前」でお付き合いする。本当の名前は、おじさん本人のみぞ知る…。
   
―◇―   ―◇―
 『おっ、ヤスシ、きょうはお客さんかい?』
 隅田川遊歩道で「すいとん」をご馳走してくれたおじさん(58)は、仲間うちでは「ヤスシ」「ヤス」と呼ばれている。
 「あっ、おやっさんも、すいとんを食べていきませんか?」とヤスさん。
 『オレ、きょうは忙しいから、またこんど、な』
 何かと仲間うちのメンドウをみてくれる顔役の『おやっさん』(おやじさん)。おやっさんの上着のポケットで、ケータイ電話が鳴っている。
 『…おー、オレだ、うん、いますぐ行く、そこで待ってろ…、』
 ―きょうは、何かモメゴトの仲裁?
 『ちがう、ちがう、これから近くのマンションで引っ越しがあるっていうんで、不要品の回収に行くんだ。おい、ヤス、何かほしいもんあるか? 持ってきてやるぞ』
 「とくにありませんよ、おやっさん」
 『そうかい、じゃ、またな。あっ、それから、お客さん、ヤスはやさしくていいやつだよ。人がよすぎて、仲間からイジワルされることもあるんで、オレがこうやっていろいろ世話してんの。今度来たときは、あんたにもすいとんよりもっとうまいもん食わせてやるよ。屋台のタコヤキ、いっぱい持ってきてやるよ。オレ、顔が利くからサ』
 おやっさんが忙しそうに立ち去ったあと、「ヤスさん」と並んで木製の手作りベンチに座る。
 「朝4時半に起きて、水汲みして、掃除して、缶拾いして、飯作って、食べて…。そのあと、こうやってベンチに座ってぼんやり隅田川を眺めるのが、一日のうちでいちばんしあわせなときなんだ」
 ―そうだね。春のうららの隅田川。全てを忘れさせてくれそうないい景色だね。
 「ここは、花見の時期でも立ち退かなくていいから、桜見物の特等席だよ。また、おいで」
 ―うん。
 「ちょっと待ってて、オミヤゲをあげるから」
 「ヤスさん」が「家」の奥から持ち出して来たのは、漬物オケのフタ(木製)に油性インクで描いた龍の絵。龍の頭には観音様が乗ってる。
 ―自分で描いたの?
 「うん。この絵がアナタの身を守ってくれるよ」
 絵の裏側には、「ヤスシ」ではない、別の名前が書いてあった。
 ―これがホントの名前?
 「うん」
 しかし、ホントのホントの名前かは…。
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検証・まち  
<路上生活>
23
あしがらさん71歳<1>
      昭和7年、満州で生まれる。幼少期に母親と別れ、南満州鉄道に勤める父親のもとで育つ。敗戦後、10代は青森で過ごし、20歳前後で上京。建築・営業などさまざまな職に就く(本人談)。20年以上におよぶ路上生活の末、平成13年から地域生活支援ホームに入所。現在、ホームの生活にも慣れ、そこから週3回、デイサービスセンターに通うのを楽しみにしている。
 飯田基晴(30歳)
 昭和48年生まれ。平成8年から新宿でボランティアとして野宿の人々とかかわる。同10年からビデオ・テレビなどで野宿者の状況を発表。現在はフリーで映画制作を行う。監督・撮影・自主制作長編ドキュメンタリー映画『あしがらさん』は、彼の渾身の一作。
 さる3日、『あしがらさん』劇場公開(「ポレポレ東中野」TEL03・3371・0088)初日、あしがらさんと飯田さんは舞台あいさつした。壇上で、照れるあしがらさんの手をしっかり握り締める飯田さん。約140人の観客も、二人に大きな拍手を贈った。


 飯田さんがあしがらさんの姿を撮り始めたのは平成10年。当時、あしがらさんは、野宿者が多い新宿の街でも際立って厳しい生活を送っていた。ゴミと間違えられるような大量の荷物を引きずり、日中は歩道で、夜はビルの軒下。食事は、飲食店のゴミ袋を引きちぎり、汚れた残飯を出して口に入れる。行動範囲は繁華街の半径50メートルほど。人との付き合いはほとんどない。カメラは、そんなあしがらさんの姿を克明に追う。
 最初は、「心を閉ざし、人を寄せ付けないような印象」のあしがらさんだったが、次第に会話が生まれる。
「体がわるいからねえ。体がよくなるまで、この調子だ」
―どこがよくないんですか?「ぜんぶわるい」
―病院に行こうという気は?
「ない、ない、ない、ない」
―誰かが付いていっても?
「いったん入院したら、個人の自由はないから、ダメだよ」
 映像は深刻だが、会話は淡々と、ときにはユーモラス。73分間スクリーンから目がはなせない。             (つづく)
      

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検証・まち  
<路上生活>
24
あしがらさん71歳<2>
飯田基晴さん(30)は、長編ドキュメンタリー映画『あしがらさん』を撮り始める前、ボランティアとして2年半、新宿で野宿生活をする人たちのもとに通っていた。そこには、600人を超すホームレスが、人間の強さ・弱さを剥(む)き出しにして暮らしていた。中でも、ひときわキビシイ生活を送っていたのが「あしがらさん」(当時66歳)だった。
 最初は人を寄せ付けない印象のあしがらさんだったが、真冬にトン汁を配ったとき、イッキにたいらげ、「うまかったー」と言って笑顔を見せた。それ以来、飯田さんは彼に惹(ひ)かれ、記録を始めた。
 撮影が2年3年と経(た)つなかで、場面は路上→救急搬送で病院→施設→路上→福祉をとおして病院と変化する。あしがらさんは、寄り添う飯田さんに「ワガママ言ってごめんねー、許してよー」と甘えてみたりもする。病院関係者、区職員、支援者などの対応も見どころ。
 退院前、「これからどういうところへ行きたい?」と聞かれると、
 「安全で、楽できて、風呂に入れて…、カネもほしい」


 映画後半では、生活保護を受け、地域生活支援ホームの「お客さん」となったあしがらさんの姿が映し出される。前半のキビシイ状況とはうって変わり、心を開いたあしがらさんは、表情も柔和。ホームから週3回通うデイサービスセンターでの評判も上々だ。デイサービスセンターでフラダンスを踊る「あしがらさん」=写真=宣伝用パンフレットから
   飯田さんがホームを訪れると、「(会えなくて)さみしかったのー」「あんときは、ありがとよ」。そして、「人生なんて、僕なんか、平々凡々よ」
 何とハランバンジョーなヘイへイボンボン…。
 少しでも多くの人に、特に10代の子どもたちにこの映画を観(み)てもらいたい―と飯田さん。あしがらさんのキャラクターを面白いと思い、その上で、
 「路上にいる人たちにまず、気持ちを向けていただけたらと思っている。路上に放り出された命も、自分たちと同じ命。どんな状況でのはあれ、命は大切なものなんだと、この作品をとおして、笑ったり楽しんだりしながら感じていただけたらありがたい」
 制作者の気持ちが入った路上の映像は、活字では表現できない、迫力がある。
 同映画の今後の上映会などの問い合わせは、「あしがらさん」上映ネットワーク・電話045・743・9366。
 

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検証・まち  
<路上生活>
25
地域と融合した暮らし
市川市南部の、とある公園の大きなケヤキの木の下に、ひとりのおじさん=写真・5月3日撮影=が座っていた。
おじさんは、朝、どこからともなくあらわれて、公園の内外を丁寧に掃除する。公園の樹木の世話もする。午後は、子供たちが遊ぶのをうれしそうに眺めている。近所の人たちが訪ねて来ると、世間話に耳を傾ける。ひとりぼっちのときは、新聞・雑誌を読んだり、居眠りしたり…。夕暮れどき、子供たちが帰ると、散らかった砂場の後片付けをして、またどこかへ消えていく。


―どこで寝泊りしているの?
「浦安の友達のところとか…、ヒミツだよ」
―年齢はいくつ?
「昭和8年生まれの、71」
おじさんがこの公園に姿を見せるようになったのは、ちょうど1年前。はじめは不思議そうにながめていた近所の人たちだが、
「おじさんが来るようになって、公園がキレイになった」
「おじさんは、公園の主(ぬし)なのさ」と、一目置くようになった。
ところで、おじさんは、掃除に精を出す一方で、公園中央に長さ約3メートル・幅と高さ約1メートル強の「ゴミの山」を造っている。制作過程を聞くと、
「まず、大きな段ボール箱をいくつか持ってきて、並べて、そこにいろんなものを突っ込んでいっただけだよ」と教えてくれた。
雨風にさらされて硬くなったゴミの山は、おじさんの巨大な「事務机」のようだ。脇には、ホウキ・チリトリなどの掃除用具がいっぱい立て掛けてある。それらは、近所の人たちが寄付してくれたそうだ。
最近、「公園の真ん中に、ゴミの山は、ちょっとマズいんじゃないか?」という声もあがり、おじさんは、ゴミの山を、少しずつ削り、数メートル先の木陰に移動させていた。
「フクシ(福祉)の人も、心配してくれて、よく訪ねて来てくれますよ」と、飄々と現状を話すおじさん。
公園の脇を通るたびに、おじさんの姿を探す。いつものようにケヤキの木の下に座っていると、なぜかホッとする。留守だと心配になる。
これから「フクシのお世話になって」居宅者になったとしても、ゴミの山が片付けられたとしても、またこの公園に通って来てほしいなと思う住民も、多いのではないだろうか…。

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検証・まち  
<路上生活>
26
支援を受ければ満足!?
東京・江東区を横切る首都高速小松川線の高架下(約3キロ)を歩いた。そこは、「竪川親水公園」と呼ばれ、水や緑、アスレチックの設備もある。「キャンプ場」の指定はないが、テント暮らしの人たちが、ちらほら。
 「飲食店で皿洗いの仕事をしている」おにいさんは、自分のキャンピングテントのまわりに白砂を敷き、熊手で掃き目をつけている。
=写真=ブルーテント前にずらりと並ぶ鉢植え。どの鉢も手入れが行き届いている=首都高速小松川線高架下


 ―凝ってますねえ。
 「役所の人が訪ねてきたときは、まず、『きれいに暮らしているかどうか』がチェックポイントになりますからね。これなら、いちおう合格ですよ。それに、外出中に誰かがコッソリ入り込んでいたら、掃き目に靴跡が残っているので、すぐ分かるでしょ」
  几帳面な暮らしぶりだ。
 「元飲食店長」のオニイサンには,
 「アンタ、シセツのカンユウの人? オレたちが、シセツに入って、ホゴ(生活保護)うけて、ぶらぶらしながら、二〜三万のコヅカイもらって、それで満足すると思ってんの?」とスゴまれた。
 「エッ? ちがうの? カンユウじゃないの? あはは、そんなら話は別だ」と、今度は、熱っぽく政治批判。
 「だいたい、今の世の中、おかしいよなー。外国の人道支援もいいけど、日本で、不況のあおり食って困っているオレたちの救済もちゃんとしろってんだ。ねっ、そうだろー、雇用対策どーにかしろー!」
 話し出したら、もう止まらない。
 アスレチック用具の隙間にブルーテントを張っている「元製版業」のおじさんは、いたって冷静。仲間が施設に入りたがらない、入ってもすぐに路上に舞い戻ってくる理由を、こう分析する。
 「施設で、誰もかれもいっしょくたにするのが、いけないんです」
―たとえば?
 「酒が飲める人と飲まない人を同室にすると、トラブルが起きやすい。飲める人は、外で一杯やってきて、部屋に帰ってクダを巻く。飲まない人には、それがガマンできない」
―個室ならいいの?
 「そりゃもう、個室なら、一国一城のアルジになれるワケだから、出ていかないと思いますよ」
―ほかには?
 「職業訓練の仕方が性急すぎると思う。もっと、ゆっくり、ひとりひとりの適性をみて、やってほしいです」
          

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