夢は「全国の飼育動物が幸せになれば」
オランウータン救済プロジェクトに参加した市川市動植物園飼育員
水品 繁和 さん
![]() |
飼育とは「動物を不幸にしないこと」。動物を支える裏方に徹している。 大学で畜産を学んだが、「命」の未来を求めて同園に勤めた。転機は3年目。希少動物のオランウータンの担当を打診されたとき。「命を背負い込むことが怖い」という恐れが神経質なまでの責任感を生み、苦悩したが、職を賭して取り組むことに。その後10年間、覚悟をもってオランウータンを支えたことで、“飼育道”の「基礎を学んだ」と振り返る。 動物に対する目線は真摯(しんし)そのもの。「動物がいた野生の環境や習性」と、「いま求めているものを考える」という視点で実践を重ねた。オランウータンの子供“ウータン”のために作ったオリジナル遊具もその一つ。丈夫な消防ホースをつかみやすいようにねじり、野生の木やツタを再現したところ、ウータンは大喜びで遊ぶようになった。その成果が今年4月、マレーシアでのプロジェクト参加のきっかけとなった。いまは現地の森林整備を進めるNPO「ボルネオ保全トラストジャパン」の理事に就任している。 「仕事にのめり込んでますが、自然体でいられる家庭も大切ですね」と充実した41歳。「全国の飼育動物が幸せになったらいいなあ」と、これまでの経験を多くの動物園に生かす夢を抱いている。 (2008年11月1日) MENUへ |
“家族の支え”を背に受けて走り続ける
昭和学院中女子新体操部を全国優勝に導いた監督
塩屋 恵美子 さん
![]() |
中学まではバスケに陸上、生徒会までこなすオールラウンダーだったが、高校進学時に出合った新体操に一目ぼれ。以来、「私の人生の半分は新体操」と、わき目も振らずに走ってきた。高校時代はインターハイ出場、大学では日本代表も経験。華々しい新体操人生を送ってきたが、その陰には「支えてくれた家族の存在」があった。 大学一年の時、母が他界。地元群馬を離れ、東京で新体操に励んでいたため、母が病であることすら知らされていなかった。すべてが恨めしく思えた絶望の淵で、病室の隅にレオタードを着た自分の写真を見つけた。「母が秘密にしていたのは何のためか」。そう考えた時に「夢をあきらめてはいけない」と心に誓った。 初めて指導したのは、船橋市立船橋高校。誰もが知る名門の重圧に、当初は戸惑いを隠せなかった。そんな時も、「いまのお前がその監督のイスに見合う人間ではなくても、そのイスがお前を育ててくれる」という父の言葉で迷いは消えた。 昭和学院に来て12年目の今年、念願の全国優勝を達成。その陰には2年前に結婚した夫の姿。「いまは特に大きい」と感じるその新たな家族の支えを背に受け、まだまだ30代の若さを武器に走り続ける。 (2008年11月8日) MENUへ |
“人と人をつなぐ扉”の思いを込めて
音楽で障害をもつ児童を支援するBrand New音楽隊代表
青山 卓矢さん
![]() |
16歳から23歳までの若者14人で組織。平成18年からBrand New Entrance(ブラン・ニュー・エントランス)と銘打った、障害をもつ人とともにつくるチャリティーコンサートを毎年開いている。特別支援学校(元・養護学校)の卒業・在籍者で組織する音楽グループの演奏指導のほか、ミニライブでの啓発・寄付活動にも取り組む。例年、市川市社会福祉協議会を通じた寄付をしているが、「障害をもつ人が音楽を気軽に楽しめる環境づくりを」と、楽器の寄贈も新たな目標に据えた。 「ただ演奏するだけでなく、音楽を通じてできることは…」と始まったコンサート。最初は誘われてステージに立ったただの出演者だったが、「素晴らしいコンサート。この機会を逃したら、このような活動と仲間には二度と出会えない。もっと活動を広めたい」とスタッフ入り。 活動の趣旨は来場者や友人などを通じて広がりつつある。入口を意味する「エントランス」には“人と人とをつなぐ扉”の思いも込められている。ゲームやギター、作曲好きな22歳は、「仕事をしながらのいまは、この活動で手いっぱい。でも、結果は後からついてくる」と、新たな出会いの場づくりに励む。 (2008年11月14日) 関連記事へ MENUへ |
家族や仲間の支えで目指す「20年の証」
仏・パリのル・テタンジェ国際料理賞コンクールに挑む
下村 康弘さん
![]() |
「名前を呼ばれて、まず家族や仲間の顔が浮かんだ」。出場資格“39歳まで”の日本のル・テタンジェ国際料理賞コンクールに「最後の機会。20年やってきた証を残したい」と挑戦し優勝。世界各地の優勝者と料理の腕を競い合える切符を手にした。参加できる海外のフランス料理コンクールで最も権威がある。「すごくうれしかった。練習のための時間をつくり、精神的に支え、自身の経験を授けてくれた家族や職場の協力がなければ優勝できなかった」と感謝する。 14年前からさまざまなコンクールに挑み、4度の受賞のなかで “古典料理の大切さ”に気づき、追求している。「古典は料理の原形。シンプルで、すべてが凝縮され、完成されている。食材のよさを生かす料理で“うまい”」。 本選は来月2日。連絡をとった歴代挑戦者から細かなアドバイスと“勝ってほしい”との思いを受け、「日本人の優勝は過去に1人だけ。ここまで来たら自分1人のことではない」と優勝を目指す。 東京ディズニーランド勤務。料理好きな母親の影響から中学生で料理の道を決めた。「自分の技量で最高のものに仕上げていく魅力に取り付かれた。今後もずっと料理に携わっていきたい」。フレンチの花形で、難しい“ソース”が自慢だ。 (2008年11月22日)MENUへ |