頂いた命に感謝しながら生涯現役を貫く
50周年を迎えた市川市菊華会会長
大崎 太郎さん
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菊華会に入って8年。そのうち4年間、会長として会を支え、何よりも「次世代に継承していくこと」に務めている。菊の世話に15か月かけて菊花展を毎年開催している。絵手紙講師としての顔ももち、地域の小学校で教室を開くなど日々活発に動き回る。「定年後のほうが忙しい」と微笑むが、その裏には、30年ほど前にかかった病の影響が隠されている。 男として仕事盛りにあった40代半ば、突然舌がんの宣告を受け、約半年間の闘病生活を送った。当時“がん”といえば“不治の病”の印象が色濃く、あすが見えない絶望の日々が続いた。しかし「いま生きていること」の大切さに気づき、「何もすることがない」と悲観せず、「いまのいまを精一杯生きる」ようになった。 菊との出合いもちょうどそのころ。もともと興味はあったが、初めて庭の隅に植えて「手をかければかけるほど応えてくれる」と、すっかり魅了された。 菊花展の会期中は、来場者のどんな質問にも丁寧に応じ、「菊栽培はわが子を育てるようなもの」と解説しながら、誰よりもうれしそうに菊を語る。今後も「頂いている命」に感謝をしながら、「いまさらではなく、いまから」と、生涯現役を貫き続ける。 (2008年12月6日) MENUへ |
経営感覚を取り入れ“頼られる”社協へ
浦安市社会福祉協議会会長に就任
宇田川 敬之助 さん
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「健康で、生きがいのある地域を、みなさんと一緒につくっていきたい」。地域で支えあう互助の組織の社協。社会保障制度の谷間にいる人に、地域でふれあいの場を提供し、手助けができるかが求められている。「ハートとハートが繋がれば、お互いを知り合え、助け合える」。 浦安町(市)職員を経て、浦安市議、県議を勤めた72歳。町(市)時代は職員が少なく、あらゆる施策に携わった。出馬の際には“子供のための町会議員”“児童党”がキャッチフレーズ。以来、文教や社会福祉などは、政治家28年間の大きなテーマだった。 社協副会長時代から、売り上げの一部を福祉に寄付し社協のPRにもなる福祉自販機の事業所への拡大や、市健康福祉部署との連携強化を進めている。これからの社協はいかにあるべきか。「社協を知らない人が多く、期待度が低いのではないか」。経営感覚を取り入れながら“求められる、頼られる”社協を目指す。 「これからは、団塊の世代がいかに地域福祉の担い手になってくれるかにかかっている」と、活動拠点づくりも重視。「社会福祉は、みんなが幸せになることが目標。ボランティアは“人のために”だけでなく、“自分のために”行うことも大切」。その精神で重責を担う。 (2008年12月13日) MENUへ |
地球規模で学んで生活に反映してほしい
環境・国際理解教育に努める小学校教諭
太田 美穂子さん
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「世界で起きていることを子供に伝えたい」―。長年にわたり、環境や国際理解をテーマに授業を行い、政府機関とNGOが主催する日本最大の国際協力イベント・グローバルフェスタJAPAN2007で外務大臣賞(実践授業例部門)を受賞。海外視察も生かして授業を行い、児童に深く、広い視点を示している。 教諭生活21年。環境学習への同僚の誘いに加え、近隣河川に流される生活廃水の現実、海外環境対策への日本技術の活用などを知ったことで、環境に興味をもつ。ニュージーランドのガーデニング、ドイツの環境先進性、オランダで出合ったマイバッグなどの海外見聞に「日本も頑張らなければいけない。知らない現実を知ることが大切」と学ぶ。 授業を通じて児童が「僕がした募金はこうやって使われているんだと分かった」「将来の夢は世界の人々のために働くこと」と感じてくれたことに、うれしさを感じる。地球規模で学びながら、自分の生活に反映することを望む。「知って、自分ができることから何かやってみようと思い、少しでも実践してほしい。子供の力は大きいんです」。 都会でも自然豊かで、さまざまな文化が混在する大好きな米国ニューヨーク。13回目の旅立ちが目下の楽しみ。 (2008年12月20日) MENUへ |