生態系で強い人間こそ優しく
トンボの生態を子供たちに伝え続ける
互井 賢二さん
![]() |
童謡「赤とんぼ」の赤とんぼは、どの種なのか―。民俗学も含めた論文を発表し、一石を投じた。自身の研究テーマは「トンボと日本人」。トンボには、サナエ(早苗)トンボやショウリョウ(精霊)トンボなど、稲作や祖霊行事に合わせた呼び名がある。文化や民族、儀礼など「日本人の源流」への興味と、日本人が季節を感じるトンボが結びつく。 行徳とんぼ研究室を主宰する日本蜻蛉(とんぼ)学会員。興味は、中学時代の植物からタナゴ、トンボへと、「日本的な原風景」の小川を通じて広がる。「似た種が多く、小さな違いがある」。その違いを探るうちに、トンボの世界にはまっていった。 六十一歳。子供たちへの授業では、「現代のため池」と重要性を説く〝学校のプール〟を活用。地域に点在するため、各地の個体差も明らかにできる。県レッドデータブックAランクのネキトンボも児童が見つけた。 人間が、池や川、湿地を奪い続けている。そんな環境でも、トンボなどの生き物はたくましく生きる。天敵は、生態系で一番強い人間。だからこそ、優しくなければならない―と説く。「生き物みんながともに生きていけるように、自分たちのあり方を考えられるようになる」。 (2009年9月5日) MENUへ |
金メダルより同志との出会い
国際生物学オリンピック 日本初の金メダルを受賞
大月 亮太 さん
![]() |
「ゲームのキャラクターはこちらが動かさないといけないけど、彼らは勝手に動き回って、左右相称を作ったりする。それがきれいなんですよ」。親しみを込めて呼ぶ〝彼ら〟とは、アリや魚などの身近な生物のこと。幼いころから生き物好きな上、自然豊かな三番瀬で遊んだことも大きく影響し、親の心配を誘うほど観察に没頭してきた。 「先生に恵まれた」。高校に入り、生物の楽しさを教えてくれた恩師と巡り合ったことで、本格的に傾倒。「情報源の塊」だという生物の書物を読んでいるときりがなく、「生物の勉強はいくらやっても苦にならないです」。 今大会では金メダルを手にしたが、「国が違っても生物好きな高校生がいっぱいいた」と、何よりも同志たちとの出会いを一番の思い出に挙げた。同時に、生物学習に関する日本と世界のレベルの差も実感。「教科書の厚さもまったく違う。日本の生物(の授業)は微々たるもので、物足りない」と学ぶ意欲は限りない。 「将来は分子生物や行動学を学びたい」。夢の実現のため、いまは受験勉強に集中。大好きな生物の勉強も封印し、参考書とにらめっこの時だが、「息抜きには週刊少年ジャンプを読む」と、十七歳らしい一面もしっかりと持っている。 (2009年9月12日) MENUへ |
10年先の市民として理想追う
第6期市川市環境市民会議座長
森 和男さん
![]() |
二年ほど前に退職するまでの約三十年間は、金や銀の輸出入などを扱うバリバリの商社マン。「休日でも常に仕事のことが頭を離れなかった」というほど仕事一色の生活を送り、地域活動などとは無縁の毎日を過ごしていた。 環境問題に興味をもったのはもちろん退職後。時間に余裕ができたことから、近所の立派な旧館が取り壊されたり、枝ぶりのいい樹木が切り倒されたりといった身近で起こる環境の変化に気づき、「高度成長と引き換えに自分たちの世代が壊してしまった環境を、次世代にどう手渡すべきか」を考え、市川市のじゅんかんプロジェクトにも参加した。 環境問題を考える上では、「長らくテーマであり続ける〝地球温暖化防止〟を、〝低炭素社会の構築〟といった次のステップに進める」ことが個人的な目標。「エネルギーが化石燃料頼みである現状から脱却し、経済との相乗効果を生み出す仕組みを次世代に残すことが自分たちの世代の使命」とビジョンを語る。 今回の会議では「十年先の市民として、どんな市の姿が望ましいか」を、座長として参加メンバーたちと話し合い、理想に近づけるための会議運営を目指す。 六十二歳。今年から始めた市民農園での農作業が何よりのリラックスタイム。 (2009年9月19日) MENUへ |
大好きな野球と子供のために
関東学童軟式野球大会優勝
浦安キングスター総監督
長嶋 久さん
![]() |
キングスターを立ち上げて三十余年。その間ほとんど毎日グラウンドに立ち、「勝つこと」を前提とした厳しい練習を指揮している。大会中は、どんなに疲れていても誰よりも早く会場に赴き、チームの勝利を願いながらグラウンド整備に精を出す六十八歳。 自身の本格的な野球経験は「中学生時代に少しだけ」。しかし、幼少のころは「木や竹でバットを作り、友達と毎日、日が暮れるまで野球をして遊んでいた」という。築地で働いていた三十代のころに、周りから推される形でキングスターの監督に就任。創設翌年には市の大会を制し、以来「市内ではほとんど負けたことがない」という常勝軍団を築き上げた。 指導方法は「練習だけでなく、常に子供たちに目を配り、その子の特徴を探る」ことが基本。練習でも試合でも「キングスターは最後まであきらめない」ことを子供たちに教え続けた結果、今大会でも多くの試合で逆転勝利を収めるという粘り強さを見せた。 年齢を重ね、時には体力的に苦しいこともあるが「多くの父兄やコーチが背中を押してくれるから頑張れる」。今後も「生きている限りはずっと監督を続けたい」と意欲を見せる。「大好きな野球と大好きな子供たち」のため。 (2009年9月26日) MENUへ |