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連載「人」

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「人」リスト〜2022年

聴覚障害者も硬式野球を楽しめる

~国内唯一の聴覚障害者硬式野球チームメンバー

 殿山 塁規 さん

 補聴器を付け、相手の唇の動きを見て1対1でゆっくりと会話するなら困らない。そのため、手話はJDBA(日本ろう野球協会)に入ってから覚えた。「友達を増やしたくて」。いまでは、難聴のレベルもさまざまなチームメイトと楽しそうに手話で会話する。日大生産工学部では「健常者と戦うにはPCを使った仕事」と、プログラミングなどを学んでいる。

 小さい頃、父の草野球チームについて行っていたことから野球に興味を持ち、健常者に交じって甲子園を目指した。試合中に監督の声が聞き取れないときに、3回しかない攻撃のタイムを使うこと以外は、不自由を感じなかった。「耳が聞こえず、後ろから硬球が頭に当たったら…という危険性から、硬式野球は避けられるけど、ボールから目をそらさなければ楽しく安全にプレーできる」と話す。

 世界大会は補聴器や人工内耳をオフにするルールで、無音の中でプレーする。「怖さもあるが、その分、集中力や観察力が高まる。聴覚障害者も硬式野球を楽しめると伝えたい」。硬式野球を楽しむ聴覚障害者が増えることを心から願う。  

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会員増やしてお洒落を残したい

~浦安お洒落保存会 会長

 北島 かつ子 さん

 84歳の年齢を感じさせない張りのある歌声を響かせる。「お洒落の唄は歌謡曲のようには歌えない。体で歌う感じ」。その歌声は、まるで体が楽器であるかのようだ。

 子供の頃から歌が好きだった。小学4年生のとき、学芸会で独唱したのをきっかけに歌にのめり込んだ。県立国府台高では音楽部に所属。1年生のとき、県の代表として合唱の全国大会にも出場した。

 長年習っていた民謡の教室で誘われたのが、お洒落を始めたきっかけ。「最初は〝あー〟とか〝うー〟だけかと思ったら、歌詞もきちんとあって、興味を持ち始めた」と、60歳を過ぎて入会した。長年の活動の中で、2010年に明治神宮鎮座90年大祭に出演したことが思い出深い。

 お囃子には楽譜がない。先輩たちに教わり、録音した先輩たちの唄を何度も聞いて覚えた。「昔から歌ばかりで、踊りは全然だめ。副会長の内田(みさ子)さんに助けられている。内田さんが踊りを見てくれるので唄ができる」と笑う。

 「会員を増やして、お洒落を残していきたい」。生まれ育ったまちの伝統芸能の火を灯し続ける。  

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行動しないってもったいない

~ヤンゴンかるたプロジェクト代表

 野中 優那 さん

 父の仕事で約2年間、ミャンマーの最大都市・ヤンゴンに住んだ。同国で軍事クーデターが起きたのは、帰国の前月のことだった。

 現在は都内に通う高校2年生。帰国後、同級生からの「危ない国から帰ってこられて良かったね」という言葉に違和感を覚えた。「突然日常を奪われて、自分たちと同じくらいの子が苦しんでいるのに、なぜみんな無関心なんだろう」。

 すぐに行動に移した。「ミャンマーの暮らしや文化を伝えることで、世界で起きていることは〝人ごと〟ではなく〝自分ごと〟なのだと伝えたい」。百人一首が好きだったことから、そのツールとして「ヤンゴンかるた」を作った。

 プロジェクトでは、これまで多くの人に支えられてきた。かるたの制作費はクラウドファンディングで集め、制作にはミャンマー語の専門家らの協力を得た。現在は、学校や公民館、飲食店などとコラボして活動を広めている。

 「行動しないってもったいない。できることはきっとあるはず。何かしなきゃという思いがあったら動くべき」。きょうもまた、ミャンマーに思いを寄せて活動を続ける。  

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選手たちが出し切ってくれた

~高校総体で優勝した昭和学院高女子ハンドボール部監督

 佐藤 奏吉 さん

 同高の体育教師になった2018年に監督に就任。5年目で高校総体優勝の栄冠をつかんだ。「選手たちがゲームごとに成長し、やってきたことを出し切ってくれた」。

 ハンドボールを始めたのは中学1年のとき。進学した市川高では2年生のときに高校総体で3位入賞し、優秀選手と得点王にも輝いた。強豪・筑波大に進学後は全日本学生選手権(インカレ)で準優勝。卒業後は指導者の道を進み、市川中の外部コーチやU16、U20の女子ナショナルチームの専任コーチなどを務めた。

 そして同部の監督に就任。だが、当初は部員との信頼関係の構築で悩んだり、采配ミスで試合を落としたりと、大きな壁にぶち当たった。それでも、練習メニューを部員たちと考えるなど改善を重ね、2~3年目から軌道に乗り始めた。

 現在33歳。部員たちには、競技をするだけでなく、教養や一般常識を身に付けるよう日々指導している。夢は「昭和学院でハンドボール部を選んでプレーしてくれた生徒たちが、将来、自分で決めた道で活躍してくれること。これに尽きる」。  

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夢はオリンピックでメダル獲得

~カヌーのジュニア国際大会で優勝

 山本 圭悟 さん

 父親の趣味の影響で3~4歳からカヌーに親しんだ。「水の流れに乗るのが醍醐味」。小学1、2年生頃から1人で乗れるようになり、4年生頃から本格的に始めた。

 今回、初の国際大会で見事に優勝。「出せる限りの力を出して、気づけば優勝という感じだった」と喜びつつ、各国の選手のミスが少ないプレーを見て、世界の強さを感じた。海外に行ったのも人生で初めて。「開催地・イブレアなど海外の友人ができた」。大会で得たのは優勝だけではなかった。

 平日は主に、所属する松戸市カヌー協会の仲間と松戸市内の川で練習に励む。真間川や江戸川でも水量があるときは練習し、週末は設備の整っている東京・奥多摩や葛西などで練習している。昨年からは、元日本代表選手から週末に指導を受けており、「技術面でもメンタル面でも力が伸びている」と実感している。

 大会も多く、多忙な日々を送るが、遠征先でも就寝前に学校の勉強をし、文武両道の日々を過ごす16歳。「夢はオリンピックに出場し、メダルを取ること。いまはパリオリンピックを目指して頑張っている」。  

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地元の海の魅力を知ってほしい

~連載「海中フォト~東京湾のいま」執筆者

 橿村 豪紀 さん

 県立浦安南高で生物教諭を務める36歳。教諭2年目のとき、教材としてウミホタルを採取するため館山の海に潜り、海に魅せられた。以来12年間、春~初夏には多いときで2週間に一度、県内の海に潜ってきた。「浦安と市川の海は『臭い』『汚い』と思われているが、潜ってみると実はかなり澄んでいて、とても豊かで魅力的」。

 子供のころから生き物を飼い、大学では植物生態学を専攻した。フィールドワークは当然のことで、「森に入ってみて、海に潜ってみて、いろいろなことが分かる」と現場に赴く。

 授業では、クラゲを小瓶に入れてポケットで飼うポケット飼育を導入。「クラゲはユニークな生態を持っていて、その姿に癒やされる。生徒の反応も良い。生き物を身近に感じ、命と自然環境を大切に思う気持ち、責任を持って取り組む意識を育んでほしい」と願う。

 これまでの実績から県環境教育モデル校に選ばれ、4K画質撮影ができる水中ドローンを購入。「普段目にできない生態を撮影できる。実は知らない地元の海の生態、魅力を知ってほしい。私たちの海をきれいにしていくためにも」。  

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信頼される市政運営を目指す

~市川市副市長

松丸 多一 さん

 先月13日に副市長に就任。「誠心誠意、一生懸命に仕事に取り組む。市長の市政運営を補佐することが副市長の使命。市民の皆さまから信頼をいただける市政運営を目指す」。

 1989年に入庁。法務を担当する部署や秘書課、企画部などの勤務を経て、危機管理室長や教育次長、議会事務局長を歴任した。「異なる分野の仕事が多く戸惑いはあったが、若い頃の苦労が大事なのだと思う。その経験が宝となって生きている。副市長でも生かしていきたい」と意気込む。

 生まれも育ちも市川で、「生粋の市川市民」という58歳。企画部時代に健康都市推進事業に携わったこともあり、健康への関心は高い。田中甲市長も「市川を健康寿命日本一にする」という公約を掲げている。「市民の皆さまが健康で歳を重ねられるような環境づくりをしていきたい」。

 趣味は家庭菜園。キュウリやナス、ミニトマトなど育てやすい野菜から始め、最近はソラマメを栽培した。収穫の喜びももちろん感じているが、朝晩の水やりや草むしり、脇芽摘みをするひと時でさえ、無心になれる息抜きの時間だ。  

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世界大会は憧れていた舞台

~世界バトントワーリング選手権大会に初出場

上田 琉楓 さん

 4歳の頃、バトンを始めた。「技を取ったりしたときの達成感がいい」とバトンに夢中になった。バトンを高く上げてからキャッチする間に、片足で立ったまま、もう片方の足と頭を一直線にして縦に3回転する「トリプル」という技が得意だ。

 バトンを始めるきっかけになった4歳上の姉・莉夢さんは、2019年に別の大会で世界一を勝ち取った。その姿を見ていたため、「世界大会は憧れていた舞台」だった。

 選考会以降、技に磨きをかけてきた。世界大会の出場者が集う講習会にも参加。「いろいろな先生にアドバイスをもらい、上手な選手の演技を見ることで勉強になった」。技への入り方やつま先の伸びなど、細部にこだわり練習を積んで、少しずつ自信をつけた。

 学校では管弦楽部に所属し、チェロを弾く。「8月はトリノに行って、そのあと(管弦楽の)コンクールもあるので忙しいけど、練習時間はあまりかぶらないので、どちらも頑張りたい」と静かに語る。

 イタリアは初めて。「パスタとかピザとか、おいしいご飯を食べてみたい」と13歳のあどけない笑顔を見せる。(関連記事)  

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人生に無駄になる経験はない

~浦安市副市長

石黒 真平 さん

 信条は「人生において無駄になる経験はない」。県職員を32年間勤め、福祉や農林水産、教育関係など幅広い分野を渡り歩いた。「県との人脈が私の強み。仕事だけでなく、プライベートでの経験も生かして少しでも浦安の役に立てれば」と話す。
 
 副市長就任が決まり、漁師町時代の浦安をモデルにした山本周五郎の小説『青べか物語』を読み直した。浦安のことを少しでも知るため、昼休みに市役所周辺を散歩するなど、時間があれば市内を散策する。「新町の海の方や元町の浦安駅周辺、漁師町の面影がある場所など、4㌔四方の中にいろんな顔と魅力を持っていて、浦安はものすごく面白い街」と浦安の印象を語る。
 
 街歩きやカラオケ、スポーツ観戦など趣味は多彩。カラオケのレパートリーは、昭和歌謡からYOASOBIやOfficial髭男dismなど最新曲までと幅広い。読書も好きで、着任後に早速、市立図書館の利用券を作成した。市内の手話サークルにも参加。「市役所以外でもお友達が増えたらいいな」。浦安でも人脈を広げ、多くの経験を重ねる。  

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35年間の経験を最大限生かす

~新 市川市長

 田中 甲 さん

 22日に市長に就任。「市民からお預かりしている税金を正しく使う。無駄にしない」と、まずは市民から高額だと批判されていた前任者の市長室の机を、その以前から使用されていた元の机に戻す。「議会を安定させ、市民に安心感を与える。できる限り情報を公開し、市民の信頼を得る」と誓う。

 30歳から47歳までの17年間、市川市議1期と千葉県議2期、衆議院議員3期を務めたが、その後18年間は政治の表舞台から遠ざかった。それでもその間、「市民と同じ目線になり、現場に駆け付けられる政治家に自らなり、後輩たちにその姿を見せる」という思いを持ち続けてきた。

 議員時代から「国政でも地域に関わる問題から目を離したことは1回もない」と、常に地方の活性化を考えてきた。そして4年前、「最後は市川市のために働きたい」と市長選に挑戦。惜しくも次点で敗れたが、今回はそのときに期した「捲土重来」を果たした。

 「政治家になってから35年間の出会いや経験、人脈を最大限生かし、市民に応える政治運営をしていきたい」。政治家人生の第2幕が65歳から始まる。  

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