市川よみうり & 浦安よみうり online

連載「人」


障がいのある人に楽しんでほしい

〜創設20年の浦安ボッチャ協会会長

 中台 保 さん

 国内の第1回選手権(平成8年)から視察をするなど、障がいのある人のために生まれたスポーツ・ボッチャと共に歩んできた。「何の問題も起こらずによく続いてきた」と安どの思いを示すとともに、「障がい者になって下を向いていたが、だんだんと明るくなっていった若者もいる。みんなに楽しさを味わってほしい」と笑う。

 地域社会奉仕を信念とする浦安中央ライオンズクラブで行った視察では「上から見下ろすべきではない」と客席から選手と同じフロアに下りて応援。その後、「クラブから資金を提供するだけでは恥ずかしい。手伝いたい」と協会に加入した。2代目会長になって10年以上。仕事や家庭の行事よりもボッチャを優先し、本業の木型職人の技を生かして手の不自由な選手が使う勾配具を数多く手作りするとともに、備品の運搬係も率先して担い続けている。

 願いは「障がいのある人が一人でも多く外出して、スポーツをしたり、活動をしたりして楽しんでほしい」という71歳。「パラリンピック選手も出てほしいんだけどね」。大きな夢もひそかに抱いている。  

「人」リスト〜2017年
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子供たちの居場所を作りたい

〜難病と闘いながら夢の駄菓子屋を開店

 中島 保人 さん

 「子供の頃、みんなで駄菓子屋に集って過ごしたのが楽しかった」。10年ほど前からは「今度は自分が子供たちの居場所を作りたい」と思い始め、39歳の頃から松戸市の菓子販売店で働いて研さんを積み、夢の実現へ向けて本格的に動き出していた。

 しかし昨年、完治不可能といわれる原因不明の難病「ALS」を発症。それでも、「夢だった駄菓子屋は諦めたくない」と、先月20日に夢を実現させた。

 末っ子として生まれ、弟や妹が欲しいと思っていたとき、近所の小さい子の世話をしたことで子供が好きになった。やがて保育士になり、その後、子供たちに遊びを提供するNPO法人に勤務。オープンするまでの間には、その仲間たちの支えがあった。「1人では駄菓子屋をオープンするのは難しかったと思う」と感謝する。

 「お客さんに『よく来たね』『学校ちゃんと行ってる』とフランクに話しかけたり、お客さんからニックネームで『なかじ』と呼ばれたりするくらいの身近な関係を作りたい」。爽やかな笑顔は、希望に満ちている。  

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「魅せる議会」を目指したい

〜第20代浦安市議会議長

 西川 嘉純 さん

 議長と副議長、2つの常任委員会の委員長に若手と女性が就任した。「先輩議員の支えの中、期待してお任せいただいた。新市長の誕生で、市民の市政への期待は高まっている。この転換点に、調査・研究、活発な議論に努め、市議会が生活に密着した議論をしていることを改めて市民に示すことができる『魅せる議会』を目指したい」と気を引き締める。
 
 新聞記者の父について渡米。通った現地の高校で、湾岸戦争で日本がとった政策を批判され、政治を深く考えるようになった。その後、教育再生を志して教職を目指すが、改革を行う政治家の人材不足を知り、国会議員秘書になった。
 
 浦安市議初当選から11年目の41歳。「人は皆、考え方が違う。耳を傾け、市議会としての結論をまとめられるよう努めたい」。若手の議長だが、米国で学んだ議論のポイント「まず相手の話をよく聞くこと」を生かして職責を果たす。
 
 趣味はダイエットも兼ねたまち歩き。市内だけでなく市外にも目を向け、疑問や発見を自宅で検証し、浦安のまちづくりに反映する。「地方から社会モデルを変えていきたい」。初心を忘れない。  

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浦安の花咲か爺さんになりたい

〜芝桜de花のまちづくりin浦安(芝桜の会)代表

 花木 正光 さん

 「東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年までに1万株の芝桜を浦安に咲かせたい」―。活動を始めて3年目。順調に毎年2千株を市民らに提供・販売している。芝桜を選んだ理由は「浦安に少ない芝桜は宿根草で年々立派になり、きれいでかわいらしい。安くて個人でも育てられる」こと。

 きっかけは東日本大震災。「『住みたい街』の浦安が『住みたくない街』と言われてしまった。震災で傷んだ浦安を元気にしたい」と同会を立ち上げた。

 順調に広がる芝桜だが、当初は大変だった。「雑草との闘いで、防草シートを張り、学校や公園は土作りが必要で、たい肥が欠かせない」と、世話人19人で蓄積してきたポイントをあげる。これらノウハウを生かし、この秋で延べ35団体になる自治会や学校などのコラボ団体と花咲く浦安を目指す。

 「高齢者でも、得意なことや好きなことを生かして、まだまだ活躍できる。私もこの活動で友達が増えた。皆さんも花を通じて人とのつながりを楽しんでほしい」という76歳。「浦安の花咲か爺さん」と呼ばれることと、浦安市民の花と人の輪が広がることが願い。  

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市民のスポーツ環境整えたい

〜浦安市体育協会会長

 福元 明彦 さん

 加盟するアマチュアスポーツ団体24団体を統括し、市民の体力・健康の増進を目指す市体育協会の26年ぶりの新会長。「前会長の方針を継承し、市民がスポーツに取り組みやすい環境を整えるため、市教委などと協力し、各団体の運営をお手伝いしたい。スポーツを取り巻く環境は変わっているので、新たなことにチャレンジし、取り組んでいく」と意欲を示す。

 学生の時から空手に取り組み、現在は市や県の組織の役員として若手を支える。「スポーツをしてきて良かったことは、楽しく、健康になることはもちろん、何と言ってもスポーツを通じた社会貢献と、人との出会い。スポーツ人口は増えているが、取り組んでいない人も多い。ニュースポーツ(軽スポーツ)の体験などできることからチャレンジしてほしい」と、市民のスポーツ活動を期待する。

 株式業界で働いてきた会社経営者で、「株式の世界も格闘技」と振り返る。いまはウオーキングとパークゴルフ、旅行を楽しむ62歳。「学校の部活動も支えていきたい。団体の会費は子供たちのために使ってほしい。お金を生かし、未来に生かすために」と願う。  

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子供を守れるパパとママになって

〜親子のための防災代表

 竹内 有紀子 さん

 「買い出しに行くのも、水をもらいに行くのも大変だった。あのつらさを体験してほしくない」。東日本大震災に遭った時は1歳の子供を持つ母親。必要な連絡先などを書く安心カードや、簡易トイレ、パッククッキングなど、〝体験〟を重視し、無理せず楽しくできる防災に取り組む。

 市が生後2カ月児検診の通知に同封する防災ガイドは、母子健康手帳に入るサイズに情報がまとまっている。これは、うらやす市民大学の子育て講座を受けた震災の翌年、受講生有志で作成したもの。2人目を出産して改めてガイドを手にすると「全ての親子に配られていて責任は重い。有用性を高めたい」と仲間と団体を設立し、改定した(市市民活動センターホームページからダウンロード可)。

 「『いい話を聞いた』で終わらせず、一つでも具体的に取り組んでほしい。地震の直接死を防ぐ住まいの安全対策では、物を動かせなければ、頭の位置や向きを変えるだけでいい」と訴える46歳の建築士。関心のない人にも備えてもらおうと、他団体イベントとの連携も進める。「子供を守れるパパとママが増えてほしい」と願って。  

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百の寺社と教会で朗読をしたい

〜文化庁芸術祭賞大衆芸能部門で優秀賞

 熊澤 南水  さん

 「青森県にいた幼少期は学級費の10円が払えないほど貧しかった。あの頃の暮らしは思い出したくもない」と振り返る。「でも、幼少時代のつらい経験のおかげで朗読に深みが増している。あの経験は宝」とポジティブに捉える。

 小学6年生の頃、養女として青森県から一人、夜汽車に揺られてやってきた横浜。希望を抱いていたが小学校で津軽弁をばかにされ、1年間、誰も口をきいてくれない時期があった。「将来は言葉を使う仕事に就く」。そのときの悔しさから朗読家を志すようになった。

 40歳から朗読を始め、現在は全国各地で公演を開く。「作家の書いた文章をただ読むだけでなく、行間にひそむ文字を探る。そうすることで作家の心が見えてくる」と、朗読の奥深さを語る75歳。「温かみのある方言を大事にしたい」と、幼少の頃にばかにされた津軽弁を取り入れ、弟子にも継承している。

 夢は「100カ所の寺社や教会を朗読して巡る」こと。残りは33カ所で、ゴールは間近。「80歳までに達成したい」という活力に満ちた表情は年齢を感じさせない。  

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夢を持ち元気に成長してほしい

〜「境川にこいのぼりを泳がせる会」会長

 長﨑 康男 さん

 初夏を告げる、境川の上を泳ぐこいのぼりの大群。30日からこどもの日の5月5日まで、浦安市の若潮通りそばの境川で揚げられる。「皆さんからいただいたこいのぼりを泳がせ、地域の子供たちの健やかな成長を皆さんと共に祈りたい」。支えてくれる会員と、こいのぼりの寄付者、掲揚作業とイベント当日のボランティアにも感謝する。
 
 定年退職後に携わった同市国際交流協会で出会った、発起人で前会長の故辻村聖子さんと意気投合。「辻村さんは夢のある素晴らしい人だった。私の子供も独り立ちし、地域の小さな子供たちのために役立ちたい」と12年ほど前に加入し、平成27年に跡を継いだ。
 
 同会のイベントの特徴は「ゆめ」をテーマにしていること。子供たちなど来場者に、こいのぼりの形の大きな紙に夢を書いてもらい、それらが一つ一つのウロコを形作って一匹の大きな″ゆめこいのぼり〟が生まれる。「こいのぼりを揚げる日本の風習を形を変えても続けていきたい」という77歳は「子供たちには夢を持って、元気に成長してほしい」と、皆の夢がかなうことを願う。  

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人生経験積み、ネタ深めたい

〜文化庁芸術祭賞大衆芸能部門で優秀賞

 古今亭 菊之丞 さん

 「落語家は工夫するので、同じ演目でも落語家によって変わる。特定の落語家を好きになると、その人が披露するネタすべてが好きになれる」と、落語の魅力を語る。「一席を覚えるだけなら1週間でできるけど、登場人物になりきるには10年、50年とかかる」と奥深さも実感。「新作落語はすぐにネタが古くなるが、古典落語は普遍的なことが描かれていて古くならない」と、古典落語に対する思い入れは強い。

 小学6年生のとき、母親の故郷の市川市に転居し、市立高谷中では、お笑い好きが高じて落語研究クラブに所属。都内で初めて寄席を見て魅力に取りつかれ、落語家を志すようになった。入門後、真打ちになって市川市を離れるまで、市内の小・中学校で落語を披露。いまでも南八幡の寿司屋「入船寿司」で月1回寄席を開いている。

 「今後の目標は持ちネタを増やすことと、いま持っているネタを深いものにすること。それには、いかに人生経験を積むかが重要」と、さらに高みを目指す。「桂文枝師匠や春風亭昇太師匠のように大河ドラマに出たい」と笑顔を見せる。  

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アプリ使ってもらい、人助けたい

〜3つのコンテストで入賞した15歳のアプリエンジニア

 長滝谷 晋司 さん

 4千枚のイラストで会話ができる自閉症の人向けアプリ「TECK SPEAK」を開発し、コンテストで最優秀賞や、上位コンテストへの出場権、協賛企業4社の特別賞を受賞した15歳。「入賞はスタートライン。多くの人に使ってもらい、人を助けたい」と願う。

 小学2年生でパソコンを始め、5年生のとき、「高校生がアプリを作ったニュースを見た。自分にもできるのでは」とプログラミング教室に通い始めた。半年後にはクラスの席替え用アプリを開発・公開するとダウンロード数は約8千本。入賞したアプリはまだ4作品目という快挙。「きっかけは自閉症の人の会話の大変さを知ったこと。交通事故などで会話が困難になった人の役にも立つ」と、幅広い活用を期待している。

 今月から角川ドワンゴ学園N高等学校のプログラマーズハイレベルハイスクールに入学。IT企業にはエンジニアとしてインターンで招かれている。「身近な人を助ける行動をすれば、いずれ日本、そして世界に広がる。そうした会社を作りたい」。″好き〟と〝助けたい〟という思いを翼に、社会に羽ばたく。  

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囲碁を知ってもらう活動したい

〜春からプロ棋士になる

 茂呂 有紗 さん

 小学2年生の頃、「父親と共通の趣味を持ちたい」と、三村智保九段が主宰する市川こども囲碁道場に入門。中学校進学後は、同道場に通いながら、日本・棋院の院生として研鑽を積んだ。三村九段が「プロ棋士になる子にしては大会で目立った活躍が無く、才能のある子供たちに比べて遅れを取っていたが、地道な努力をして一歩ずつ腕を上げた晩成型」と評する努力家。前半は石のぶつかり合いを極力避けて長期戦に持ち込み、後半に一気に畳みかける戦法を駆使し、17歳という若さで目指していたプロ棋士に合格した。

 「精神が安定しないときはなかなか勝てない」と、負けて悔しい思いをするときもあるが、「人それぞれ棋風が違って面白い。囲碁をやっていることで集中力が付き、学校の勉強に役立っている」と囲碁の魅力を感じている。毎日6時間ほどの鍛錬にも、囲碁が好きだからこそ励むことができる。

 「今後は囲碁一本でやっていく」と固い決意を抱く17歳。「もっと強くなり、棋士として活躍したい。そして囲碁をいろいろな人に知ってもらえるような活動をしていきたい」。  

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気軽に来られる場所にしたい

〜コミュニティカフェを開設

 小倉 光枝 さん

 かつて同居していた両親が外出せずに退屈そうにしていたのを見ていたため「日本のお年寄りは生き生きしているように見えない」と思っていた。以来、「お年寄りが自ら行きたいと思える場所を作りたい」という夢を長年抱いた。

 コミュニティカフェ開設に至るまでには、食品衛生管理者の資格取得や、シンクの増設、床やふすまの張り替え、冷蔵庫や炊飯器の買い替えなどがあり、楽な道のりではなかったが、夢への強い思いが後押しした。オープン後は、地元の友人が配膳や皿洗いなどを手伝ってくれたり、昔からの知り合いがフラダンスや朗読などのイベントの講師として参加してくれたりと、多くの仲間に恵まれた。「1人で来ていた人がこの場所で知り合って友達になったり、飾りびなの作り方を教わったりして喜んでくれている」とやりがいも感じ、充実した日々を過ごす。

 客層は大半が高齢女性だが、昨年の夏には小学生の夏休みの宿題を手伝うイベントを開いた。「老若男女の人々が気軽に来られる場所になってもらいたい」と、幅広い層の人々の憩いの場となることを願っている。  

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街の写真で地元愛感じてほしい

〜中山の写真を約30年撮り続ける

 仲澤 鋭一 さん

 「中山はとても住み良いまち。自然があって店も多く、物価も安い。近所の人も親切で人情がある」と義母に転居を勧められ、昭和62年に都内から中山に移り住んだ。「確かにそのとおりのまち」。いまも中山を愛してやまない。

 転居して以来、変わりゆく街並みの写真を約5千枚撮りため、先月、地元の郷土史家・中田修さんの協力を得て写真展を開催。「懐かしんでくれた人が多かった。地元への愛着が蘇った人もいるのでは。『住んで良かった』と思う人が一人でも増えてくれたなら」と喜ぶ。

 外出時は常にカメラを持ち歩き、日常生活や来客時のワンシーン、通りすがりのきれいな風景などを写真に残す。「また何年かしたら写真展を開きたい」と思い描く。

 銀行で約30年間勤務した後、独立して人事関係のコンサルタント会社を経営。昨年まで民生委員を9年間務め、現在も市川ライオンズクラブの役員や中山町会の副会長として地域のために励む。

 学生の頃、東京五輪をスタンドで見たことが大きな思い出。「今度の東京五輪は私の結婚50周年、77歳になる年。長生きして是が非でもスタンドで見たい」と夢見る。  

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義理と仁義大事に人の役に立つ

〜コインランドリー起業で県内3つのビジネスコンペ入賞

 高梨 健太郎 さん

 洗剤の代わりに99・9%が水の「スーパーアルカリイオン水」を使うコインランドリー「Wash+」を起業し、ちば起業家大賞など県内3つのビジネスコンペで入賞。「アトピー性皮膚炎などアレルギー体質の人でも安心して洗濯できる。『アレルギー0』を目指している」。

 以前から浦安市内で不動産・建築業を営んでいる43歳は「販売、仲介、リフォームなどこの道のプロ」を目指してきた。だが、6年前の東日本大震災後、風評被害もあって取引が成立しなくなり「リスク分散が大事だと気付いた」。

 起業相談の中で目にしたのがスーパーアルカリイオン水。アトピーの子供たちの話を聞いていたこと、税理士からコインランドリーにニーズがあると聞いていたことが結びつき、複数の事業者を回って研究を重ねた。「疑問や違和感について、あきらめずに障害を壊していった結果だと思う。落ちたプレゼンも含めて、全ての人脈や体験がつながった」と振り返る。

 「突き詰めて、突き詰めて、突きつけろ」が信条。「義理と仁義を大事に、人の役に立ちたい」という思いが体を突き動かす。  

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皆同じく情報得られる社会を

〜30周年を迎えた浦安市聴覚障害者協会会長

 野坂 秋美 さん

 聴覚障害者の環境改善や会員の交流などを目的に活動。「30年間、さまざまな人たちに支えられてきた。特に、聴覚障害者と交流を図りながら手話を学ぶ市内のサークルは仲間」と感謝する。

 日常ある不便は何か。買い物でレジ担当者に駐車券があるかと聞かれても分からない。バスに乗るとき、運転手に行き先を伝えられない。趣味の旅行ではガイドに頼れないため、出発前に十分に調べる。聴覚障害者は、相手の目や口、手話を見てコミュニケーションをとるため、料理と子供の世話など2つのことを同時に行うことが難しく、健聴者と比べて2倍の時間が掛かり、苦労する。

 危ぐするのは災害。「アナウンスは音声で、私たちには何が起こったのか分からない。手話や筆談などで状況を伝え、スムーズな避難ができる環境にしたい」と願う56歳。昨年は、被災時に聴覚障害者だと伝えられる市のバンダナ製作に協力した。「県手話言語等条例が昨年制定されたが、課題はまだ多い。会員を増やし、障害のある人もない人も、皆が住みやすく、同じように情報を得られるまちづくりを進めていきたい」。  

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楽しく生きてる猫を撮りたい

〜本紙連載『ここねここ』作者

 内田 園子 さん

 昨年10月から本紙で連載を開始。「『猫ちゃんかわいいなあ』と楽しんでほしい」と思いを込める。

 13年ほど前から猫を飼い始め、「かわいくて、写真を撮っているうちにみんなに見せたくなって」と、愛猫を主役にしたブログを始めた。「連続で撮った写真を全部見せたかったから」と、写真を漫画仕立てにした作品も掲載。これが猫雑誌の編集者の目にとまり、5年間にわたって連載が続いた。

 「3人娘」と呼ぶ愛猫は家族の一員。近隣にも猫の写真を撮りに気ままに出掛ける。野良猫に餌はあげないが、おもちゃや「お世話道具」は必須アイテム。「生きるのが精一杯の猫の写真は撮らない。撮りたいのは楽しく生きている猫の姿。一緒にコミュニケーションを取って写真を撮る」という信条を貫く。

 市川写真家協会の理事を務める54歳。フリーランスの写真家として活動し、猫の写真を中心に雑誌の写真を手掛ける。年1回ほど、市内で猫写真の個展も開催。「猫写真の第一人者・岩合光昭さんのように、都内の有名なデパートで個展を開いて来場者でいっぱいにしたい」と夢見る。  

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みんなで遊べる広場作りたい

〜北市川スポーツクラブ会長

 松村 泰平 さん

 生まれも育ちも市川市。母校の市立市川小学校と同大洲中学校でPTAの活動に約20年間携わり、常に子供たちの動向を見守ってきた。

 そんな中、「昔の子供たちは、皆で集まって空き地などの広場で遊んでいろいろと学んでいったけど、現代の子供たちはテレビゲームをしたりして個人で遊ぶようになった」という焦燥の思いに駆られるようになった。そういった子供たちへの思いから、現在は不動産業を営む傍ら、市内のサッカースクールの総合プロデューサーや、佐倉市のサッカースクールの理事として多忙な毎日を送る。 「自分の思いを伝えるのが全て。それが私のやり方」と取り組んできたが、時には相手に思いが届かず「挫折だらけだった」とこれまでを振り返る。

 「みんなで集まって遊べるような広い場所が日本全国にできてほしい」という夢を持つ56歳。その夢をかなえるため「北市川スポーツクラブのように、誰もが楽しめるような場所を自分が率先して作ることにより、周囲に影響が広がって施設ができていってほしい」と願う。  

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東京パラ五輪で金メダル取る

〜リオパラ五輪銅メダル獲得のウィルチェアーラグビー選手

 羽賀 理之 さん

 市川市で生まれ育った32歳。小学生のときから野球を始め、松戸市に引っ越してからも高校で野球を続けていたが、18歳のときにバイク事故で頸椎を損傷し、車いす生活となった。

 ウィルチェアーラグビーを始めたのは、20歳のときにリハビリ中に練習風景を見て、「みんな車椅子から転げ落ちて笑い合っていた」と、衝撃を受けたことがきっかけ。翌年には埼玉県内のチームに入った。現在は、さいたま市のチーム「AXE」で中心選手として活躍。同22年には初めて日本代表に選出された。リオパラ五輪では、日本ウィルチェアーラグビー初のメダルを獲得。「準決勝で負けたときは悔し涙を流したが、3位決定戦で勝って銅メダルを取れて良かった」と喜ぶが、「本当はボールを持ってガンガン走って目立つプレーをやりたいけど、日本代表ではあまり試合に出られていない」と、思い描く理想には届いていない。

 「人生かけてやっている」というウィルチェアーラグビー。今後は「東京パラ五輪で日本代表の中心選手として活躍し、金メダルを獲得したい」と、大きな志を抱く。 

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旅先での人との出会いは宝物

〜放浪のお絵かきおじさん

 百田 稔 さん

 「心が動いたときに、その感動をその場でそのまま絵で表現する」。
 
 絵を描きながら全国各地を歩いて旅する71歳。生まれ、育ちは山口県で、21歳のときに転勤で市川市にやってきた。
 
 子供のころに読んだデイビッド・リビングストンの『アフリカ探検記』や、歌手・ジェリー藤尾の曲『遠くへ行きたい』の歌詞に感銘を受け、58歳で早期退職をして歩き旅を始めた。平成16年から11年間で、旧東海道をはじめとして、中山道や奥州街道、九州一周、沖縄、北陸などを旅し、歩いた距離は8500㌔以上。「思いがけない地元の人たちとの出会いは、何物にも代えられない宝物」と、感動の面持ちで話す。知らない街や景色に感動すると、感動が薄れる前に水彩画で描くため、仕上げる時間は長くても30分。そのときに感じた気持ちも文章で添え、情感あふれる作品に仕上げる。
 
 現在は、市内の柏井公民館や八幡ふれあい館で、講師として生徒たちに自らの信念を教えている。「さて、次はどこに行ってみようかな」。きょうもどこかで絵を描いている。  

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五輪種目になるように頑張る

〜世界スポーツチャンバラ選手権国別対抗団体戦(基本動作)で優勝

 吉村 美穂 さん

 年齢・性別に関係なく競い合うスポーツチャンバラ(スポチャン)。幼稚園年中のころ、現在の指導者に勧められて始めると才能はすぐに開花し、小学3年生のときに世界選手権の基本動作の正確性などを競う個人戦で史上最年少優勝を飾り、スポチャン界に名をはせた。その後は、そのプレッシャーと競技人口の増加もあって同等のタイトルを獲得できずに葛藤する日々が続いたが、昨年11月の世界選手権基本動作国別対抗団体戦で見事世界一になった。しかし、基本動作の個人戦では決勝戦で敗れ、「いままで勝ったことのある相手だったので、悔しくて泣いた」と、満足していない。
 
 身長149㌢と小柄だが、持ち前の体幹の強さや柔軟性、負けん気の強さを武器にトップレベルまで上り詰めた。「スポチャンは老若男女、誰でもできるスポーツ。大学から初めてもトップレベルになれる」と魅力を語る19歳。「女性の私でも男性を打ち負かせることを知ってもらうことで、競技人口が増え、最終的に五輪種目に選出してもらえるようにしたい。そして基本動作の個人戦でもう一度世界チャンピオンになりたい」。  

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