市川よみうり & 浦安よみうり online

連載「人」


自分にしかない価値を出したい

〜全日本武術太極拳選手権で優勝

 小田桐 咲 さん

 「『代わりはいくらでもいるよ』と言われるような、埋もれる人材でありたくない。自分にしかない価値を出したい」。就職活動を経験し、そう強く思うようになった。今年の全日本選手権では「自分を見てほしいという思いが強くなった」と、型を自分で組み合わせて表現できる部門に挑み、優勝した。

 「太極拳は、自分を見て、自分のいいところ、自分には何ができないか、補うにはどうすればいいか、自問自答しないといけない競技。自分が表現したいものは何か考えながらやらないといけない」と、太極拳の魅力を語る。尊敬するコーチからも「演技には自分の人生が出る」と教わってきた。

 優勝した直後、そのコーチから言葉を掛けられた。「おめでとう。4年間のつらかったこと、苦しかったことがこの金メダルに詰まっているんだよ」。4年間かけて作った価値が、全部自分のものになったと感じられた瞬間だった。

 「いつか地元に帰り、武術教室やゲストハウスなど人が集まる場所を作りたい」と思い描く将来の夢。「そこに集まった人たちが、人と関わることで自分らしさを見つけられたらいいな」。  

「人」リスト〜2017年
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無心ならタイムも付いてくる

〜全日本中学校陸上競技選手権の男子100㍍で優勝

 藤原 寛人 君

 決勝は8人。「後半が勝負」と前半は力を残し、50㍍当たりから加速し、一気にゴールへ。4位までが0秒06差の中に入る大接戦。「思い描いた通りに走れた」と自信はあったが、写真判定となり、確定まで時間を要した。それだけに電光掲示にゼッケン番号が表示されたときは「うれしかった」と振り返る。

 「やりたいことをさせてくれてありがとう」。スタンドで応援した両親に感謝を込めて手を振った。入学時163㌢だった身長が現在は、176㌢、体重62㌔という伸び盛りの14歳だ。

 陸上競技部顧問の廣瀬悠輔教諭の評は「負けず嫌い」。本人も「小学4年の運動会で、ずっと1位だった徒競争で負けたことが悔しくて陸上クラブに入った」と認める。日曜以外は部活や自主練習に励む日々。「腕の振りが足幅を広げ、スピードが上がります」と、上半身の筋力アップにも取り組む。

 「9秒台を目指す」が、当面の目標は東海大浦安高1年の先輩・秀島来選手の10秒69。そして、10月下旬に横浜で開かれるジュニア五輪での優勝だ。「雑念を排し、無心で走れば、タイムも付いてくる」と信じている。  

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「相談できる地域」つくりたい

〜20周年を迎えたガンバの会理事長

 副田 一朗 さん

 福岡県の教会で牧師をしていたとき、教会の敷地内に居ついていた路上生活者を教会が排除する方向性だったことに疑問を持ち、路上生活者や生活困窮者の支援を始めた。平成8年には市川八幡キリスト教会に赴任。近隣を歩いて路上生活者が多いことを知り、翌9年にガンバの会を設立した。
 
 20年間の会の活動は何度も壁にぶつかった。「いまは市民や企業、行政の理解を得られている」というが、「当初は路上生活者を支援することに反発する市民や行政からの苦情もあった。路上生活者に貸し出すアパートを手配するため、不動産会社に話をしても全て断られた」と振り返る。
 
 「生活困窮者や路上生活者は人間関係が切れている人が圧倒的に多く、相談できる相手がいない。そういう人たちが相談できるような地域づくりをやらないと駄目」と課題を熱く語る65歳。今後は「就労できない人に対して法人内雇用を考えている」と、さらなる展望を抱く。「『ありがとう』と言える相手がいる社会を作っていきたい」。誰もが幸せになれる世の中を目指して奔走し続ける。  

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全員が楽しくできるように

〜全国中学校体育大会団体優勝の昭和学院中学校新体操部

 部長 吉岡 珠里 さん


本番の一本にかけるのが魅力

〜全国中学校体育大会団体優勝の昭和学院中学校新体操部

 キャプテン 渡邉 佳穂 さん

 一昨年、昨年とも3位で、あと一歩のところで優勝を逃した同大会で、今年は9年ぶり2度目の優勝。塩屋恵美子監督は「ダイヤの原石とは言えない子たちだけど、みんなで一致団結してやれた」と、選手たちの努力をたたえる。
 
 あいさつや規律など生活面を取りまとめる部長と、演技の指示など練習面を取りまとめるキャプテンとして、11人の部を引っ張ってきた2人。吉岡さんは「誰かが困っていたときには声を掛けて、全員が部活を気持ちよく楽しくできるようにやってきた」という。2人がそろって口にするのは、常に協力してくれた部員たちへの感謝の思い。渡邉さんは「チーム全体が落ち込んでいたら他の部員が協力してくれる。仲間同士でできていない子がいたら互いに指摘し合える」とチームを評する。
 
 吉岡さんは部長就任当初、試合でうまくいかずに悩むこともあったが、「技を磨くことよりも、本番前にどうやって挑むかを考える」ようになった。今大会について、渡邉さんは「ミスしないでできると信じて強気で演技することができた」と振り返る。
 
 「いま負けていても追い越せば勝てるスポーツと違い、新体操はミスの許されない本番の一本にかけるのが魅力」と語る渡邉さん。吉岡さんは「高校に行っても、毎日の練習を怠らず、上達していきたい」とさらなる飛躍を目指す。
 
 10月には、最後の大会でもある全日本ジュニア新体操選手権大会が控える。「悔いが残らないようにいままでやってきたことを出し切り、笑顔で終われるようにやりたい」と、残りの1カ月間、これまで練習で培った全てをぶつける。  

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「また来てね」の言葉が原動力

〜活動10年の「こころのケア コスモス」会長

 内山 要子 さん

 5年ほど前、実家の認知症の母親が高齢者福祉施設に入ったことをきっかけに、「施設利用者のためになることをしたい」とコスモスに入会。同会の活動以外でも、保健センターや保育園で幼児の世話をするなどさまざまな活動に参加しているが、「傾聴が一番難しい」と奥深さを語る。
 
 始めた当初は、相手との接し方が分からず、話が続かなかったことから「きょう傾聴の日だ。嫌だな」と思うこともあった。それでも、利用者からの「また来てね」「次は何曜日に来るの? その時は絶対に来るね」などの言葉や使命感を原動力に、いまでは「利用者は自分の身内や幼なじみのよう」と思えるまでになった。「男女とも分け隔てなくコミュニケーションを取ることができる」という長所は、17歳から続ける理容師の仕事で客と会話をすることにより培われた。
 
 傾聴の相手が認知症になったり、亡くなったりするなどつらいこともあるが、「いつまでも傾聴をしていきたい」と望む。「人間好き」な63歳は「将来は自宅で子供や高齢者が集まれるサロンを開きたい」と夢を抱く。  

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「将来はプロ棋士になりたい」

〜少年少女囲碁大会で小学生の部優勝

 宮谷 風雅 さん

 父親と同じ趣味を持ちたいと、小学1年生のときに囲碁を始めた。囲碁の本を読んだり、日本棋院のスクールに通ったりして研鑽を積み、3年生のときの7月に三村智保九段が経営する市川こども囲碁道場に入門。同年12月に岡山県で開かれた全国大会「くらしき吉備真備杯こども棋聖戦」低学年の部で準優勝した。
 
 4年生の秋頃からは「囲碁をもっと学びたい」と、囲碁の強豪国である韓国に1年ほど単身留学。積み上げた努力は、少年少女囲碁大会優勝という最高の結果を生んだ。三村九段からも「韓国留学で勝負強くなった」と高い評価を受ける。
 
 平日は5時間、休日は8時間もの時間を詰碁や対局などに費やし、韓国で身に付けた「守り勝つ棋風」に磨きをかける。一方で、「趣味はドッジボール」という小学生らしい一面も持つ。
 
 「今後については、日本で囲碁を続けるか、韓国の囲碁道場でもう一度学ぶかは決めていない。けれど将来は、日本でプロ棋士になりたい」。進路は決まっていないが、夢は明確だ。  

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「継続と刷新」で暮らしを守る

〜浦安市長

 内田 悦嗣 さん

 市長に就任して5カ月。「方針は『継続と刷新』。私が新たに導入する施策を含むあらゆる施策をその都度見直ししていくことが必要。俯瞰する鳥の目、細部をチェックする虫の目、次代の潮流をとらえて判断する魚の目で10年、20年先を見据えた判断を行う」。すでに現事業の調査・検証を進めており、元町の液状化対策についても動き出す。
 
 市長職については「皆の暮らしを守るために下働きをする人」「さまざまな事業の優先順位を決める人」「市民の声に耳を傾け、事業を決め、先頭に立って責任を取ること」と言う52歳。市職員と市議、県議を経て就いた市長の職。県や国との太いパイプを持つことと、理屈と人情を併せ持つこと、時間に厳しいこと――などの強みや個性を生かし、重責を果たす。
 
 好きなものは「活字のない生活はあり得ない」と言う読書。詩作、漫画やアニメ、ゲームなども楽しむ。いまは、より良い市政運営のために現場を視察する慌ただしい毎日。ささやかな願いは、「散歩の時間が増えることと、ヤクルトスワローズの試合を球場で観戦すること」。  

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物事にとらわれないように描く

〜ファッション甲子園最終選考会に2年連続出場

 村田 真南 さん

 中学生のとき、兄が通っていた市川工業高校の文化祭で生徒が作った入場門のアーチを見て感動し、「アーチを作ってみたい」と同校に入学。幼少期から絵を描くのが好きだったこともあり、インテリアデザイン部に入部した。

 「何も考えずに自分の描きたいように描く。物事にとらわれないようにしている」と直感を重要視したデザインで、ファッション甲子園の最終選考会に2年連続で出場。昨年には、理想とする部屋をデザインする「私の部屋グランプリ」で優秀賞を受賞した。今年の文化祭では念願だったアーチのデザインを担当することが決まり、「一番やりたかったことなので実現できてうれしい」と喜ぶ。

 「建物はデザインするのに苦労する。安全に人が暮らせるかを考えるのは大変」と難しさを感じながらも、「自分のデザインが賞に入ったりするとうれしい」とやりがいを感じている。「家でもデザインを考え、絵を描く。デザインするのは楽しい」というほどデザインが大好き。「高校卒業後もデザインの勉強をしながらコンテストなどに積極的に参加していきたい」。  

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世界大会で輝く一番目指したい

〜ミスユニバース日本代表

 阿部 桃子 さん

 プロゴルファーの母の影響で6歳からゴルフを始め、日本女子プロゴルフ協会のレギュラーツアーにアマチュアとして参加するほどの腕前。「将来はゴルファーになりたい」という熱い思いを抱く。
 
 ミス・ユニバースを志すようになってからは、「炭水化物を抜いたり、トレーニングをしたりして3カ月で約10㌔痩せた」という努力家。「ゴルフをやっていたことで強い意志を持てるようになり、自分を客観視できるようにもなった」と、ゴルフ経験をいかんなくミス・ユニバースに生かした。
 
 「日本代表になったけど、ここはまだスタート地点。ここまで来る間、たくさんのファイナリストがミス・ユニバースを目指して頑張っている姿を目で見て、肌で感じてきた。その方々の思いを背負って世界大会に挑みたい。世界大会でも輝く一番を目指したい」。スレンダーなボディーと愛らしい笑顔を武器に、世界の舞台に挑む。
 
 尊敬する人物は英国王室の故ダイアナ妃。「ダイアナ妃は偏見を無くそうと活動していた。彼女のように全ての人に愛を与えられる存在になりたい」。  

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優勝に向けて全力尽くしたい

〜MYCSA全米選手権(硬式野球)U-15日本代表選手

 宇野 竜太朗 さん

 「代表選手に選ばれて何よりホッとした」――。中学生全国約2万人が所属するリトルシニアの18人の代表メンバーに、推薦を受けて臨んだセレクション(選抜試験)で選ばれた。周囲からの祝福と声援に笑顔を見せる。
 
 幼稚園のころからサッカーや水泳にも励んできたが、高校・大学野球で内野手として活躍して社会人野球で監督も務めた父と、現在は高校野球で活躍する兄の影響で小学4年生のときから地元少年野球チームに所属。6年生のときにジャイアンツジュニアのメンバーに選ばれてNPB12球団ジュニアトーナメント(軟式)で優勝、その年の第8回アジア選手権の侍ジャパンU―12代表にもなり、チームは準優勝した。
 
 土・日曜日は市川リトルシニアで11時間練習。中学の野球部には所属していないが、平日も2時間自主練習を行い、野球漬けの毎日を送る。「夢はプロ野球選手」で、ダルビッシュ有投手にあこがれる。鍛え上げた身長182㌢、体重76㌔の中学3年生は「日本の優勝のために全力を尽くしたい」。勝利に向けて、厳しい練習の成果を注ぎ込む。  

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オオムラサキ育つ自然取り戻す

〜「市川にオオムラサキを生息させる会」代表

 村井 吉和 さん

 子供の頃から昆虫が好きで、長年にわたりチョウの標本をコレクションしていた。その延長線上にあったのがオオムラサキの育成。「市川市内では絶滅状態にあるオオムラサキを復活させたい」と、強い気持ちを持って会を設立した。
 
 米・ミシガン大学を卒業後、外資系コンサルタント会社に勤務する傍ら、父親が園長を務めていた幼稚園の園長代行を、閉園するまで約20年間全う。いまも子供の教育に人一倍強い思い入れを持ち、市内の幼稚園と小学校にオオムラサキの幼虫を寄付している。
 
 元々、オオムラサキに関する知識はあまりなかったが、オオムラサキ関連の新聞記事を読んだり、飼育に詳しい人に話を聞いたりして見聞を広めてきた。飼育を始めて7年経つが、「オオムラサキの幼虫の栄養源となるエノキの育て方など、まだまだ分からないことはある」と、難しさを感じている。
 
 「いつかオオムラサキの生育に必要な自然環境を市川に取り戻したい。そのためにも会の後継者を作りたい」。趣味のピアノ演奏をいまは一休みし、オオムラサキの繁殖のためにすべてをささげる。  

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「景観」は人が守り育てるもの

〜浦安景観まちづくり賞創設に奔走

 浅川 潔 さん

 全国的にも珍しい行政と市民グループが共催する「浦安景観まちづくり賞」の創設に奔走。先月、第1回表彰式を終えた。「景観という言葉を多くの人に知ってもらえたのが何より」と振り返る。この賞がいう「景観」とは、単なる無機質な景色ではない。「人が建造物や自然と関わり、守り育てているもの」と訴える。受賞した5件などを紹介した市役所での展示会には2週間の期間中、約千人もの人が訪れ、「半年間の苦労も報われた」と笑顔を見せる。
 
 甲府市出身の57歳で、高洲のマンションに住んで18年。都市設計コンサルタント会社を経営し、まちづくりアドバイザーとして、生活に密着した地区の土地利用のルール作りを住民とともに行い、行政への提言などもする。
 
 地元の明海大不動産学部では非常勤講師として教壇に立つ。担当は「まちづくり演習」。学生への課題は元町地区の「まちづくり提案」の作成で、現地を見て住民と話す「まち歩きが基本」と説く。
 
 第2回まちづくり賞の募集も始まり、「『いいな』と思う街並みやまちづくり活動を気軽に推薦してほしい」と呼び掛けている。  

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バランスよく解決し議会を運営

〜第69代市川市議会議長

 松井 努 さん

 大学卒業後に一級建築士の資格を取得し、24歳の若さで建築設計事務所と不動産会社を設立。「政治家になることなど考えていなかった」が、自身が後援会事務局長を務めていた市議の引退を機に「行徳地域の代表になる」と、平成11年に市議になった。3期目の平成19年には1度目の議長就任。平成22年9月から7カ月間は県議を務め、同25年の補選で市議に復活した。
 
 福栄出身の69歳。かねてから、行徳文化ホールI&Iの設置を要望するなど、地域に対しての思い入れは強い。再び市議になったのも、「行徳地域は市議が多くない。まだ行徳地域のために働くべき」との思いからだ。
 
 市川市議会で平成以降3人目となる2度目の議長就任。「責任は重いが、身の引き締まる思い」と真剣な面持ちで語る。
 
 「多くのボランティアの方々のおかげで市川は成り立っているという気持ちを忘れずに、地方自治の伸展と市民福祉向上を目指す。議員の方々の言い分や要望をなるべく公正公平にしていき、バランスよく解決していきたい」。強い気概で議会を運営していく。  

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浦安の魅力を若者に伝えたい

〜本紙連載「浦安ぶらりてくてく歩き」執筆者

 草場 聖子 さん

 浦安市の観光ボランティア養成講座を受講し、修了生の有志で立ち上げたまち案内ボランティア「ぶらり浦安ガイド」(会員20人)の会長。「ガイドがあるとまち歩きは何倍も楽しい」との思いから、浦安に来た人たちの「心に残るガイド」ができるように努め、11年間で延べ2万2千人を案内してきた。「浦安が素敵なところだということがよく分かったと喜んでもらえるとガイド冥利に尽きる」。
 
 浦安に越して来て38年。漁師町の暮らしや文化などについて知人たちから話を聞いたことから浦安の歴史に興味を持ち、「テーマパークだけじゃない浦安の魅力を発信したい」と活動してきた。ガイドのほか、パンフレットの作成や市観光インフォメーションマーレでの案内、バス旅行の企画運営なども行っている。
 
 「先人たちが作ってきたまちの魅力、遺産を守り、若い世代に伝承していくことが、私たちぶらり浦安ガイドの使命」という70歳。連載でも「出会った人たちから聞いた話や新しい発見など、浦安の魅力を紹介していきたい」。人との出会いを大切に、新たなふるさと浦安を日々飛び回る。  

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障がいのある人に楽しんでほしい

〜創設20年の浦安ボッチャ協会会長

 中台 保 さん

 国内の第1回選手権(平成8年)から視察をするなど、障がいのある人のために生まれたスポーツ・ボッチャと共に歩んできた。「何の問題も起こらずによく続いてきた」と安どの思いを示すとともに、「障がい者になって下を向いていたが、だんだんと明るくなっていった若者もいる。みんなに楽しさを味わってほしい」と笑う。

 地域社会奉仕を信念とする浦安中央ライオンズクラブで行った視察では「上から見下ろすべきではない」と客席から選手と同じフロアに下りて応援。その後、「クラブから資金を提供するだけでは恥ずかしい。手伝いたい」と協会に加入した。2代目会長になって10年以上。仕事や家庭の行事よりもボッチャを優先し、本業の木型職人の技を生かして手の不自由な選手が使う勾配具を数多く手作りするとともに、備品の運搬係も率先して担い続けている。

 願いは「障がいのある人が一人でも多く外出して、スポーツをしたり、活動をしたりして楽しんでほしい」という71歳。「パラリンピック選手も出てほしいんだけどね」。大きな夢もひそかに抱いている。  

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子供たちの居場所を作りたい

〜難病と闘いながら夢の駄菓子屋を開店

 中島 保人 さん

 「子供の頃、みんなで駄菓子屋に集って過ごしたのが楽しかった」。10年ほど前からは「今度は自分が子供たちの居場所を作りたい」と思い始め、39歳の頃から松戸市の菓子販売店で働いて研さんを積み、夢の実現へ向けて本格的に動き出していた。

 しかし昨年、完治不可能といわれる原因不明の難病「ALS」を発症。それでも、「夢だった駄菓子屋は諦めたくない」と、先月20日に夢を実現させた。

 末っ子として生まれ、弟や妹が欲しいと思っていたとき、近所の小さい子の世話をしたことで子供が好きになった。やがて保育士になり、その後、子供たちに遊びを提供するNPO法人に勤務。オープンするまでの間には、その仲間たちの支えがあった。「1人では駄菓子屋をオープンするのは難しかったと思う」と感謝する。

 「お客さんに『よく来たね』『学校ちゃんと行ってる』とフランクに話しかけたり、お客さんからニックネームで『なかじ』と呼ばれたりするくらいの身近な関係を作りたい」。爽やかな笑顔は、希望に満ちている。  

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「魅せる議会」を目指したい

〜第20代浦安市議会議長

 西川 嘉純 さん

 議長と副議長、2つの常任委員会の委員長に若手と女性が就任した。「先輩議員の支えの中、期待してお任せいただいた。新市長の誕生で、市民の市政への期待は高まっている。この転換点に、調査・研究、活発な議論に努め、市議会が生活に密着した議論をしていることを改めて市民に示すことができる『魅せる議会』を目指したい」と気を引き締める。
 
 新聞記者の父について渡米。通った現地の高校で、湾岸戦争で日本がとった政策を批判され、政治を深く考えるようになった。その後、教育再生を志して教職を目指すが、改革を行う政治家の人材不足を知り、国会議員秘書になった。
 
 浦安市議初当選から11年目の41歳。「人は皆、考え方が違う。耳を傾け、市議会としての結論をまとめられるよう努めたい」。若手の議長だが、米国で学んだ議論のポイント「まず相手の話をよく聞くこと」を生かして職責を果たす。
 
 趣味はダイエットも兼ねたまち歩き。市内だけでなく市外にも目を向け、疑問や発見を自宅で検証し、浦安のまちづくりに反映する。「地方から社会モデルを変えていきたい」。初心を忘れない。  

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浦安の花咲か爺さんになりたい

〜芝桜de花のまちづくりin浦安(芝桜の会)代表

 花木 正光 さん

 「東京五輪・パラリンピックが開かれる2020年までに1万株の芝桜を浦安に咲かせたい」―。活動を始めて3年目。順調に毎年2千株を市民らに提供・販売している。芝桜を選んだ理由は「浦安に少ない芝桜は宿根草で年々立派になり、きれいでかわいらしい。安くて個人でも育てられる」こと。

 きっかけは東日本大震災。「『住みたい街』の浦安が『住みたくない街』と言われてしまった。震災で傷んだ浦安を元気にしたい」と同会を立ち上げた。

 順調に広がる芝桜だが、当初は大変だった。「雑草との闘いで、防草シートを張り、学校や公園は土作りが必要で、たい肥が欠かせない」と、世話人19人で蓄積してきたポイントをあげる。これらノウハウを生かし、この秋で延べ35団体になる自治会や学校などのコラボ団体と花咲く浦安を目指す。

 「高齢者でも、得意なことや好きなことを生かして、まだまだ活躍できる。私もこの活動で友達が増えた。皆さんも花を通じて人とのつながりを楽しんでほしい」という76歳。「浦安の花咲か爺さん」と呼ばれることと、浦安市民の花と人の輪が広がることが願い。  

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市民のスポーツ環境整えたい

〜浦安市体育協会会長

 福元 明彦 さん

 加盟するアマチュアスポーツ団体24団体を統括し、市民の体力・健康の増進を目指す市体育協会の26年ぶりの新会長。「前会長の方針を継承し、市民がスポーツに取り組みやすい環境を整えるため、市教委などと協力し、各団体の運営をお手伝いしたい。スポーツを取り巻く環境は変わっているので、新たなことにチャレンジし、取り組んでいく」と意欲を示す。

 学生の時から空手に取り組み、現在は市や県の組織の役員として若手を支える。「スポーツをしてきて良かったことは、楽しく、健康になることはもちろん、何と言ってもスポーツを通じた社会貢献と、人との出会い。スポーツ人口は増えているが、取り組んでいない人も多い。ニュースポーツ(軽スポーツ)の体験などできることからチャレンジしてほしい」と、市民のスポーツ活動を期待する。

 株式業界で働いてきた会社経営者で、「株式の世界も格闘技」と振り返る。いまはウオーキングとパークゴルフ、旅行を楽しむ62歳。「学校の部活動も支えていきたい。団体の会費は子供たちのために使ってほしい。お金を生かし、未来に生かすために」と願う。  

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子供を守れるパパとママになって

〜親子のための防災代表

 竹内 有紀子 さん

 「買い出しに行くのも、水をもらいに行くのも大変だった。あのつらさを体験してほしくない」。東日本大震災に遭った時は1歳の子供を持つ母親。必要な連絡先などを書く安心カードや、簡易トイレ、パッククッキングなど、〝体験〟を重視し、無理せず楽しくできる防災に取り組む。

 市が生後2カ月児検診の通知に同封する防災ガイドは、母子健康手帳に入るサイズに情報がまとまっている。これは、うらやす市民大学の子育て講座を受けた震災の翌年、受講生有志で作成したもの。2人目を出産して改めてガイドを手にすると「全ての親子に配られていて責任は重い。有用性を高めたい」と仲間と団体を設立し、改定した(市市民活動センターホームページからダウンロード可)。

 「『いい話を聞いた』で終わらせず、一つでも具体的に取り組んでほしい。地震の直接死を防ぐ住まいの安全対策では、物を動かせなければ、頭の位置や向きを変えるだけでいい」と訴える46歳の建築士。関心のない人にも備えてもらおうと、他団体イベントとの連携も進める。「子供を守れるパパとママが増えてほしい」と願って。  

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百の寺社と教会で朗読をしたい

〜文化庁芸術祭賞大衆芸能部門で優秀賞

 熊澤 南水  さん

 「青森県にいた幼少期は学級費の10円が払えないほど貧しかった。あの頃の暮らしは思い出したくもない」と振り返る。「でも、幼少時代のつらい経験のおかげで朗読に深みが増している。あの経験は宝」とポジティブに捉える。

 小学6年生の頃、養女として青森県から一人、夜汽車に揺られてやってきた横浜。希望を抱いていたが小学校で津軽弁をばかにされ、1年間、誰も口をきいてくれない時期があった。「将来は言葉を使う仕事に就く」。そのときの悔しさから朗読家を志すようになった。

 40歳から朗読を始め、現在は全国各地で公演を開く。「作家の書いた文章をただ読むだけでなく、行間にひそむ文字を探る。そうすることで作家の心が見えてくる」と、朗読の奥深さを語る75歳。「温かみのある方言を大事にしたい」と、幼少の頃にばかにされた津軽弁を取り入れ、弟子にも継承している。

 夢は「100カ所の寺社や教会を朗読して巡る」こと。残りは33カ所で、ゴールは間近。「80歳までに達成したい」という活力に満ちた表情は年齢を感じさせない。  

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夢を持ち元気に成長してほしい

〜「境川にこいのぼりを泳がせる会」会長

 長﨑 康男 さん

 初夏を告げる、境川の上を泳ぐこいのぼりの大群。30日からこどもの日の5月5日まで、浦安市の若潮通りそばの境川で揚げられる。「皆さんからいただいたこいのぼりを泳がせ、地域の子供たちの健やかな成長を皆さんと共に祈りたい」。支えてくれる会員と、こいのぼりの寄付者、掲揚作業とイベント当日のボランティアにも感謝する。
 
 定年退職後に携わった同市国際交流協会で出会った、発起人で前会長の故辻村聖子さんと意気投合。「辻村さんは夢のある素晴らしい人だった。私の子供も独り立ちし、地域の小さな子供たちのために役立ちたい」と12年ほど前に加入し、平成27年に跡を継いだ。
 
 同会のイベントの特徴は「ゆめ」をテーマにしていること。子供たちなど来場者に、こいのぼりの形の大きな紙に夢を書いてもらい、それらが一つ一つのウロコを形作って一匹の大きな″ゆめこいのぼり〟が生まれる。「こいのぼりを揚げる日本の風習を形を変えても続けていきたい」という77歳は「子供たちには夢を持って、元気に成長してほしい」と、皆の夢がかなうことを願う。  

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人生経験積み、ネタ深めたい

〜文化庁芸術祭賞大衆芸能部門で優秀賞

 古今亭 菊之丞 さん

 「落語家は工夫するので、同じ演目でも落語家によって変わる。特定の落語家を好きになると、その人が披露するネタすべてが好きになれる」と、落語の魅力を語る。「一席を覚えるだけなら1週間でできるけど、登場人物になりきるには10年、50年とかかる」と奥深さも実感。「新作落語はすぐにネタが古くなるが、古典落語は普遍的なことが描かれていて古くならない」と、古典落語に対する思い入れは強い。

 小学6年生のとき、母親の故郷の市川市に転居し、市立高谷中では、お笑い好きが高じて落語研究クラブに所属。都内で初めて寄席を見て魅力に取りつかれ、落語家を志すようになった。入門後、真打ちになって市川市を離れるまで、市内の小・中学校で落語を披露。いまでも南八幡の寿司屋「入船寿司」で月1回寄席を開いている。

 「今後の目標は持ちネタを増やすことと、いま持っているネタを深いものにすること。それには、いかに人生経験を積むかが重要」と、さらに高みを目指す。「桂文枝師匠や春風亭昇太師匠のように大河ドラマに出たい」と笑顔を見せる。  

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アプリ使ってもらい、人助けたい

〜3つのコンテストで入賞した15歳のアプリエンジニア

 長滝谷 晋司 さん

 4千枚のイラストで会話ができる自閉症の人向けアプリ「TECK SPEAK」を開発し、コンテストで最優秀賞や、上位コンテストへの出場権、協賛企業4社の特別賞を受賞した15歳。「入賞はスタートライン。多くの人に使ってもらい、人を助けたい」と願う。

 小学2年生でパソコンを始め、5年生のとき、「高校生がアプリを作ったニュースを見た。自分にもできるのでは」とプログラミング教室に通い始めた。半年後にはクラスの席替え用アプリを開発・公開するとダウンロード数は約8千本。入賞したアプリはまだ4作品目という快挙。「きっかけは自閉症の人の会話の大変さを知ったこと。交通事故などで会話が困難になった人の役にも立つ」と、幅広い活用を期待している。

 今月から角川ドワンゴ学園N高等学校のプログラマーズハイレベルハイスクールに入学。IT企業にはエンジニアとしてインターンで招かれている。「身近な人を助ける行動をすれば、いずれ日本、そして世界に広がる。そうした会社を作りたい」。″好き〟と〝助けたい〟という思いを翼に、社会に羽ばたく。  

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囲碁を知ってもらう活動したい

〜春からプロ棋士になる

 茂呂 有紗 さん

 小学2年生の頃、「父親と共通の趣味を持ちたい」と、三村智保九段が主宰する市川こども囲碁道場に入門。中学校進学後は、同道場に通いながら、日本・棋院の院生として研鑽を積んだ。三村九段が「プロ棋士になる子にしては大会で目立った活躍が無く、才能のある子供たちに比べて遅れを取っていたが、地道な努力をして一歩ずつ腕を上げた晩成型」と評する努力家。前半は石のぶつかり合いを極力避けて長期戦に持ち込み、後半に一気に畳みかける戦法を駆使し、17歳という若さで目指していたプロ棋士に合格した。

 「精神が安定しないときはなかなか勝てない」と、負けて悔しい思いをするときもあるが、「人それぞれ棋風が違って面白い。囲碁をやっていることで集中力が付き、学校の勉強に役立っている」と囲碁の魅力を感じている。毎日6時間ほどの鍛錬にも、囲碁が好きだからこそ励むことができる。

 「今後は囲碁一本でやっていく」と固い決意を抱く17歳。「もっと強くなり、棋士として活躍したい。そして囲碁をいろいろな人に知ってもらえるような活動をしていきたい」。  

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気軽に来られる場所にしたい

〜コミュニティカフェを開設

 小倉 光枝 さん

 かつて同居していた両親が外出せずに退屈そうにしていたのを見ていたため「日本のお年寄りは生き生きしているように見えない」と思っていた。以来、「お年寄りが自ら行きたいと思える場所を作りたい」という夢を長年抱いた。

 コミュニティカフェ開設に至るまでには、食品衛生管理者の資格取得や、シンクの増設、床やふすまの張り替え、冷蔵庫や炊飯器の買い替えなどがあり、楽な道のりではなかったが、夢への強い思いが後押しした。オープン後は、地元の友人が配膳や皿洗いなどを手伝ってくれたり、昔からの知り合いがフラダンスや朗読などのイベントの講師として参加してくれたりと、多くの仲間に恵まれた。「1人で来ていた人がこの場所で知り合って友達になったり、飾りびなの作り方を教わったりして喜んでくれている」とやりがいも感じ、充実した日々を過ごす。

 客層は大半が高齢女性だが、昨年の夏には小学生の夏休みの宿題を手伝うイベントを開いた。「老若男女の人々が気軽に来られる場所になってもらいたい」と、幅広い層の人々の憩いの場となることを願っている。  

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街の写真で地元愛感じてほしい

〜中山の写真を約30年撮り続ける

 仲澤 鋭一 さん

 「中山はとても住み良いまち。自然があって店も多く、物価も安い。近所の人も親切で人情がある」と義母に転居を勧められ、昭和62年に都内から中山に移り住んだ。「確かにそのとおりのまち」。いまも中山を愛してやまない。

 転居して以来、変わりゆく街並みの写真を約5千枚撮りため、先月、地元の郷土史家・中田修さんの協力を得て写真展を開催。「懐かしんでくれた人が多かった。地元への愛着が蘇った人もいるのでは。『住んで良かった』と思う人が一人でも増えてくれたなら」と喜ぶ。

 外出時は常にカメラを持ち歩き、日常生活や来客時のワンシーン、通りすがりのきれいな風景などを写真に残す。「また何年かしたら写真展を開きたい」と思い描く。

 銀行で約30年間勤務した後、独立して人事関係のコンサルタント会社を経営。昨年まで民生委員を9年間務め、現在も市川ライオンズクラブの役員や中山町会の副会長として地域のために励む。

 学生の頃、東京五輪をスタンドで見たことが大きな思い出。「今度の東京五輪は私の結婚50周年、77歳になる年。長生きして是が非でもスタンドで見たい」と夢見る。  

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義理と仁義大事に人の役に立つ

〜コインランドリー起業で県内3つのビジネスコンペ入賞

 高梨 健太郎 さん

 洗剤の代わりに99・9%が水の「スーパーアルカリイオン水」を使うコインランドリー「Wash+」を起業し、ちば起業家大賞など県内3つのビジネスコンペで入賞。「アトピー性皮膚炎などアレルギー体質の人でも安心して洗濯できる。『アレルギー0』を目指している」。

 以前から浦安市内で不動産・建築業を営んでいる43歳は「販売、仲介、リフォームなどこの道のプロ」を目指してきた。だが、6年前の東日本大震災後、風評被害もあって取引が成立しなくなり「リスク分散が大事だと気付いた」。

 起業相談の中で目にしたのがスーパーアルカリイオン水。アトピーの子供たちの話を聞いていたこと、税理士からコインランドリーにニーズがあると聞いていたことが結びつき、複数の事業者を回って研究を重ねた。「疑問や違和感について、あきらめずに障害を壊していった結果だと思う。落ちたプレゼンも含めて、全ての人脈や体験がつながった」と振り返る。

 「突き詰めて、突き詰めて、突きつけろ」が信条。「義理と仁義を大事に、人の役に立ちたい」という思いが体を突き動かす。  

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皆同じく情報得られる社会を

〜30周年を迎えた浦安市聴覚障害者協会会長

 野坂 秋美 さん

 聴覚障害者の環境改善や会員の交流などを目的に活動。「30年間、さまざまな人たちに支えられてきた。特に、聴覚障害者と交流を図りながら手話を学ぶ市内のサークルは仲間」と感謝する。

 日常ある不便は何か。買い物でレジ担当者に駐車券があるかと聞かれても分からない。バスに乗るとき、運転手に行き先を伝えられない。趣味の旅行ではガイドに頼れないため、出発前に十分に調べる。聴覚障害者は、相手の目や口、手話を見てコミュニケーションをとるため、料理と子供の世話など2つのことを同時に行うことが難しく、健聴者と比べて2倍の時間が掛かり、苦労する。

 危ぐするのは災害。「アナウンスは音声で、私たちには何が起こったのか分からない。手話や筆談などで状況を伝え、スムーズな避難ができる環境にしたい」と願う56歳。昨年は、被災時に聴覚障害者だと伝えられる市のバンダナ製作に協力した。「県手話言語等条例が昨年制定されたが、課題はまだ多い。会員を増やし、障害のある人もない人も、皆が住みやすく、同じように情報を得られるまちづくりを進めていきたい」。  

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楽しく生きてる猫を撮りたい

〜本紙連載『ここねここ』作者

 内田 園子 さん

 昨年10月から本紙で連載を開始。「『猫ちゃんかわいいなあ』と楽しんでほしい」と思いを込める。

 13年ほど前から猫を飼い始め、「かわいくて、写真を撮っているうちにみんなに見せたくなって」と、愛猫を主役にしたブログを始めた。「連続で撮った写真を全部見せたかったから」と、写真を漫画仕立てにした作品も掲載。これが猫雑誌の編集者の目にとまり、5年間にわたって連載が続いた。

 「3人娘」と呼ぶ愛猫は家族の一員。近隣にも猫の写真を撮りに気ままに出掛ける。野良猫に餌はあげないが、おもちゃや「お世話道具」は必須アイテム。「生きるのが精一杯の猫の写真は撮らない。撮りたいのは楽しく生きている猫の姿。一緒にコミュニケーションを取って写真を撮る」という信条を貫く。

 市川写真家協会の理事を務める54歳。フリーランスの写真家として活動し、猫の写真を中心に雑誌の写真を手掛ける。年1回ほど、市内で猫写真の個展も開催。「猫写真の第一人者・岩合光昭さんのように、都内の有名なデパートで個展を開いて来場者でいっぱいにしたい」と夢見る。  

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みんなで遊べる広場作りたい

〜北市川スポーツクラブ会長

 松村 泰平 さん

 生まれも育ちも市川市。母校の市立市川小学校と同大洲中学校でPTAの活動に約20年間携わり、常に子供たちの動向を見守ってきた。

 そんな中、「昔の子供たちは、皆で集まって空き地などの広場で遊んでいろいろと学んでいったけど、現代の子供たちはテレビゲームをしたりして個人で遊ぶようになった」という焦燥の思いに駆られるようになった。そういった子供たちへの思いから、現在は不動産業を営む傍ら、市内のサッカースクールの総合プロデューサーや、佐倉市のサッカースクールの理事として多忙な毎日を送る。 「自分の思いを伝えるのが全て。それが私のやり方」と取り組んできたが、時には相手に思いが届かず「挫折だらけだった」とこれまでを振り返る。

 「みんなで集まって遊べるような広い場所が日本全国にできてほしい」という夢を持つ56歳。その夢をかなえるため「北市川スポーツクラブのように、誰もが楽しめるような場所を自分が率先して作ることにより、周囲に影響が広がって施設ができていってほしい」と願う。  

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東京パラ五輪で金メダル取る

〜リオパラ五輪銅メダル獲得のウィルチェアーラグビー選手

 羽賀 理之 さん

 市川市で生まれ育った32歳。小学生のときから野球を始め、松戸市に引っ越してからも高校で野球を続けていたが、18歳のときにバイク事故で頸椎を損傷し、車いす生活となった。

 ウィルチェアーラグビーを始めたのは、20歳のときにリハビリ中に練習風景を見て、「みんな車椅子から転げ落ちて笑い合っていた」と、衝撃を受けたことがきっかけ。翌年には埼玉県内のチームに入った。現在は、さいたま市のチーム「AXE」で中心選手として活躍。同22年には初めて日本代表に選出された。リオパラ五輪では、日本ウィルチェアーラグビー初のメダルを獲得。「準決勝で負けたときは悔し涙を流したが、3位決定戦で勝って銅メダルを取れて良かった」と喜ぶが、「本当はボールを持ってガンガン走って目立つプレーをやりたいけど、日本代表ではあまり試合に出られていない」と、思い描く理想には届いていない。

 「人生かけてやっている」というウィルチェアーラグビー。今後は「東京パラ五輪で日本代表の中心選手として活躍し、金メダルを獲得したい」と、大きな志を抱く。 

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旅先での人との出会いは宝物

〜放浪のお絵かきおじさん

 百田 稔 さん

 「心が動いたときに、その感動をその場でそのまま絵で表現する」。
 
 絵を描きながら全国各地を歩いて旅する71歳。生まれ、育ちは山口県で、21歳のときに転勤で市川市にやってきた。
 
 子供のころに読んだデイビッド・リビングストンの『アフリカ探検記』や、歌手・ジェリー藤尾の曲『遠くへ行きたい』の歌詞に感銘を受け、58歳で早期退職をして歩き旅を始めた。平成16年から11年間で、旧東海道をはじめとして、中山道や奥州街道、九州一周、沖縄、北陸などを旅し、歩いた距離は8500㌔以上。「思いがけない地元の人たちとの出会いは、何物にも代えられない宝物」と、感動の面持ちで話す。知らない街や景色に感動すると、感動が薄れる前に水彩画で描くため、仕上げる時間は長くても30分。そのときに感じた気持ちも文章で添え、情感あふれる作品に仕上げる。
 
 現在は、市内の柏井公民館や八幡ふれあい館で、講師として生徒たちに自らの信念を教えている。「さて、次はどこに行ってみようかな」。きょうもどこかで絵を描いている。  

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五輪種目になるように頑張る

〜世界スポーツチャンバラ選手権国別対抗団体戦(基本動作)で優勝

 吉村 美穂 さん

 年齢・性別に関係なく競い合うスポーツチャンバラ(スポチャン)。幼稚園年中のころ、現在の指導者に勧められて始めると才能はすぐに開花し、小学3年生のときに世界選手権の基本動作の正確性などを競う個人戦で史上最年少優勝を飾り、スポチャン界に名をはせた。その後は、そのプレッシャーと競技人口の増加もあって同等のタイトルを獲得できずに葛藤する日々が続いたが、昨年11月の世界選手権基本動作国別対抗団体戦で見事世界一になった。しかし、基本動作の個人戦では決勝戦で敗れ、「いままで勝ったことのある相手だったので、悔しくて泣いた」と、満足していない。
 
 身長149㌢と小柄だが、持ち前の体幹の強さや柔軟性、負けん気の強さを武器にトップレベルまで上り詰めた。「スポチャンは老若男女、誰でもできるスポーツ。大学から初めてもトップレベルになれる」と魅力を語る19歳。「女性の私でも男性を打ち負かせることを知ってもらうことで、競技人口が増え、最終的に五輪種目に選出してもらえるようにしたい。そして基本動作の個人戦でもう一度世界チャンピオンになりたい」。  

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