市川よみうり & 浦安よみうり online

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「人」リスト〜2019年

憧れの世界大会で全力尽くす

〜WBTFインターナショナルカップ出場

 大平 菜津美 さん

 小学1年生のとき、2歳上の姉の付き添いでT′sYの練習に訪れ、バトントワーリングと出合った。「小学生の頃はとにかくバトンが好きだったけどデタラメ。試合に勝つのではなく、ただ技ができれば満足だった」というが、「次第に表彰台の上に立ってみたい」と強く思うようになった。

 勝つために必要なものは基礎。中学生の3年間は地道に基礎を磨いたが、結果は出なかった。「この時期は本当に挫折しそうになって、何度もやめようと考えた」。

 転機は高校1年のとき。関東大会で完璧な演技を披露し、念願だった表彰台のてっぺんに立った。「やってきたことは間違いじゃない」。勝てたことが自信になった。

 IBTFグランプリ大会にも個人部門で出場する。「複数のときは仲間と一緒で楽しいし、安心できる。個人は自分の力で勝つうれしさがある」と競技の魅力を語る24歳が、世界の舞台に挑む。  

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憧れの世界大会で全力尽くす

〜WBTFインターナショナルカップ出場

 関 桃子 さん

 T′sYの選手だった母の影響で、3歳から始めたバトントワーリング。小学5年生のとき、念願だった全国への切符をつかむが、東日本大震災の影響で大会は中止。「どうしても全国に行きたいと思っていたのでショックだった」。

 中学3年間は、全国大会に毎年出場。中学2年のときは、全国3位に輝いた。だが、高校生になると、けがとスランプに苦しんだ。「予選では1位。でも、決勝で力が発揮できない。けがで思い通りに体を動かせず、練習も苦痛だった」と振り返る。

 だが、昭和女子大に進学した昨年、大平選手とペアを組み、「一つ一つの演技に集中できるようになった」と、徐々に調子を取り戻した。

 これまで歩んでこられたのは、「自分の取りえはバトン。世界大会に出たい」という強い思いがあったからこそ。フランスの地で新たな一歩を踏み出す。  

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「一年中花の咲く境川」にしたい

〜15周年を迎えた「ふるさと浦安かっぱ村」村長

 田中 由三 さん

 「水は命・河童は心」を合い言葉に美化活動を行う、国内外に約40ある河童村の一つ。友人で元県議の宇田川敬之助さんと立ち上げた。

 昭和7年、新潟生まれの87歳。子供のころによく川で遊び、「長く泳いでいると河童にさらわれるぞ」と諭された。それだけ河童は「子供心に怖かったけど、身近な存在だった」。いま、第2のふるさと浦安で「河童が住めるほどの清流」を目指している。

 清掃活動は当初、川べりで行っていたが、やがて知人のべか舟も使うようになった。最初は「遊び仲間感覚」だった活動も、起業して工業用清掃薬品などを販売していたことから「水の浄化には関心があった」と、奉仕活動に発展していった。

 賛同者は増え、最大規模のかっぱ村に成長。会員は高齢化しているが「他団体と連携し、清掃・啓発活動を続けていく」。加えて、「境川は桜が見事に咲くところ。一年中花の咲くきれいな川にしたい」と新たな夢も思い描く。「悪い友人など一人もいない。友人に恵まれた」。美化活動を共に行う友人たちとの親睦も大切にしている。  

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風通しの良い組織を作りたい

〜浦安市副市長

 及川 力 さん

 1981年、市政施行の年に浦安市に入庁。企画や財政など市発展の中枢を担う部署を渡り歩き、今年3月、60歳で定年退職した。

 1日に副市長に就任。「浦安はいま、まちを開発する発展期が終盤に差し掛かり、維持更新する成熟期を迎えている」とし、「成長を続けるために求められるのは、環境の変化に対応したまちの再構築。全ての市民が幸せを実感し、誰もが輝けるまち〝浦安〟を目指し、市長を補佐して政策実現のために全力を傾注したい」と力を込める。市職員の経験を生かし、「庁内で職員が抱える問題や悩みなどにこちらから仕掛け、風通しの良い組織づくりをしたい」と、マネジメント機能の強化も図る。

 心の癒しは、長年飼っているランチュウと愛犬のトイプードル。家族同然の愛犬の話には、目尻がより一層下がる。入庁後に始めたスキーは、持ち前の向上心で検定1級、準指導員の資格を持つ腕前。仕事も趣味も努力を惜しまない。

 好きな言葉は「雲外蒼天」。つらくても「必ず青空が望める」と、一歩ずつ進む。「38年間お世話になった浦安に恩返しがしたい」。浦安に広がる蒼天を思い描く。  

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世界大会で活躍しレベル上げる

〜世界野球大会カル・リプケンワールドシリーズ日本代表

 鷹尾 充千雄 さん

 小学1年の冬、野球好きの母親の勧めで、地元の少年野球チーム・八幡チャレンジャーズの体験入部に参加。当時はテニスに夢中で、野球には興味が向かなかったが、「低学年チームの監督が優しくて面白い人だったので、野球をやってみたくなった」。入部すると、野球に次第にのめり込んでいった。

 「ボールを投げる、ボールを打つ。見ている人からすれば、単純な動きかもしれないけれど、やっぱりこれが楽しい」。小学3年生から投手。現在、全国大会常連の硬式野球クラブ・東都京葉ボーイズに所属する。週の半分以上でチーム練習があるが、練習のない日も「自分のトレーニングがたくさんできる」と練習に費やす。

 「高校に進学したら、甲子園に行きたい。そのために、野球の強豪校に進学したい。今回の世界大会で活躍してしっかりアピールし、自分のレベルを上げていく」と、高い目標を掲げる13歳。約120㌔の速球と、大舞台でも堂々としたピッチングができるハートの強さを武器とする左腕が、世界の強豪たちに挑む。  

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皆が明るく楽しく過ごせる場所に

〜NPO法人「生きがいと助け合いSSU市川」会長

 千葉 哲男 さん

 今年5月、4年ぶり2度目となる会長職に就任。「会員さんも職員も、皆が明るく楽しく過ごせるような場所にしたい」と意気込む。

 同NPOは今年で設立20周年。訪問介護などの介護サービスと、運営会員が有償ボランティアを行う「助け合いサービス」を柱に、高齢者や障害者、子育て中の母親などをサポートしている。

 20年前、現SSU理事・石坂英夫さんの「定年になった人や子育てを終えた人で地域のためになることをやろう」という呼び掛けに賛同し、前会長の佐藤啓子さんと3人で任意団体としてスタートした。当初28人だった会員数は現在約460人。「あっという間の20年間だった」と振り返る。

 必要な人にサポートを届けるため、自治会と連携して地域とのつながりを持つことを大切にしている。喫緊の課題は後進の育成で、「職員がやりがいを持って長く勤められるよう、環境づくりにも力を入れていきたい」と心掛ける。

 塩焼に住んで40年目の85歳。厳しかった母親の「人助けの仕事をせよ」「弱い人の味方をせよ」という教えが、いまのSSUの活動につながっているのかもしれない。  

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チアを通して成長してほしい

〜キッズチアダンスチームを全国大会3位に導いたダンス講師

 村田 綾子 さん

 浦安市内のキッズチアダンスサークル「新浦安Rainbow Smiley」で指導し、12年目の40歳。3月の全国大会では、チームを初の3位入賞に導いた。

 兵庫県宝塚市出身。宝塚歌劇団が身近にあり、タカラジェンヌを夢見たこともあったが、ミュージカル『ミス・サイゴン』を見て「こういう世界もあるのか」と感動。日本女子体育大で舞踊を学び、ダンサーとして活躍した。

 2005年、チアダンスの指導を依頼され、浦安市内のカルチャースクールで子供たちに教え始めたことが転機となった。「自分が踊る方が好きだと思っていた」が、どんどんのめり込んだ。日本ベビーダンス協会、日本幼児体育協会のインストラクター資格も取得し、幼児体操にも力を入れる。

 技術だけでなく、ボランティア精神や前向きな姿勢などチア・スピリッツや礼儀も伝える。喉がつぶれるほど声を張り上げて指導することもあるが、「ママ」と呼ばれるほど子供たちとの信頼関係は深い。「チアを通して成長し、チア以外の場でも活躍してくれるのがうれしい」。きょうも子供たち以上にパワフルな声が響き渡る。  

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若さを生かした議会にしたい

〜浦安市議会の第21代議長

 宝 新 さん

 今年度は浦安市の新総合計画策定やラグビーワールドカップ日本大会、来年は東京五輪・パラ五輪、4年に一度の浦安三社祭と大きな事業が満載。重要な2年間に議長として果たす役割は大きい。

 小学3年から浦安に住む45歳。大学卒業後、将来の目標を見失っていた頃、選挙運動員をしたのを機に、政治家を目指し始めた。「自分の提案したことが実現するのが面白そうだった」。福祉団体で働きながら福祉について勉強した後、2007年に初当選。以来、4期連続当選し、市内でのパスポート発給などに尽力したが、「実はまだ自分は発給したことがない」と笑う。4月の選挙では、前回の倍以上の3021票を獲得。「皆さんの期待の大きさ、責任を感じる」。

 座右の銘の「至誠一貫」は、子供の頃から好きだった時代劇『遠山の金さん』の白洲に掲げた額から取った。「誠を貫くっていいなと思って」。勧善懲悪の時代劇が、市政を厳しい目で見る政治家の心につながっているのかもしれない。

 市議会の平均年齢は全国平均を下回る50・57歳。「若いからこそ、若さを生かした議会にしたい」と目を輝かせる。  

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野球を通じて地域の宝育てたい

〜中学生硬式野球チーム・東都クラブ京葉ボーイズ代表

 勝本 俊朗 さん

 小学生のときはソフトボールチーム、中学・高校は野球部で白球を追いかけたが、大学時代はサーフィンに熱中した。「一度、野球とは距離を置きたかった。千葉に住み始めたのは、職場も海も近かったから」。30代になると野球熱が再燃。茨城県の硬式野球クラブ・鹿島レインボーズに入部し、全日本クラブ選手権ベスト4に輝いた。

 息子が小学生となり、野球を始めたのを機に指導者に転身。「子供たちに間違ったことを教えたくなかったので、技術やケガをさせないトレーニングを徹底的に勉強した」。少年野球に9年携わった後、「技術だけでなく、野球を通じて社会性を学び、人格を育てる中学生のチームを作りたい」と、京葉ボーイズを創設した。

 今年で10年目を迎えるチームは、2年ぶり2度目となる春季全国大会優勝を果たした。「チームを卒業した子供たちも甲子園に出場して頑張っている」と笑顔で語る55歳。「子供たちの成長が実感できるのが何より楽しいし、パワーがもらえて元気になれる。これからも、野球を通じて地域の宝となるような子供たちを育てていきたい」。  

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歴史が感じられることも魅力

〜50周年を迎えた「市川さくら草会」副会長

 新倉 隆一 さん

 毎年開き続け、今年で50回目を迎えたさくら草展示会。10年前にたまたま訪れ、さくら草に興味を持った。「可憐でかわいくて、きれいな花だな、とびっくりした」。同会のメンバーの勧めもあり、入会してさくら草を育て始めた。

 春のわずかな期間しか、美しい花を見ることができないさくら草。展示会に出品して、賞を獲得するさくら草を育てるには想像以上に手間暇がかかる。「一年を通じて花に愛情をかけて育てなければいけない。さくら草は夏の前には全て枯れてしまうが、根は生きている。根を枯らさないように、夏の間もしっかりと水をやらなければいけない。これがなかなか大変」。

 「飽きっぽい性格で、定年退職後はいろいろな趣味にチャレンジしてきた」という80歳。ドライブや旅行、ボーリングなども楽しむ。「その中でも、さくら草の栽培が続いているのは、江戸時代に生まれた品種を自分で育てられるから。歴史が感じられることもさくら草の魅力の一つ」。今後も、魅力を発信してさくら草を育てる仲間を募り、会を次の世代につなげていきたいと願う。  

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生きた証しとなる作品を…

〜市川市出身の書家

 土橋 靖子 さん

 市川生まれ、市川育ちの62歳。「市川市出身の書家として、万葉集で市川を詠んだたくさんの歌を書にして紹介する使命がある。それが市川への恩返しになれば」と、故郷に強い思いを抱く。今年3月には市川で個展を開催。「初めての人も多く来てくれた。ありがたい」と感謝する。

 祖父は、〝昭和の三筆〟と称された書家・日比野五鳳。幼少期から、祖父の手本を使って母から手ほどきを受けた。だが、子供の頃は学校の器楽部に入るなど音楽のほうが好きだった。高校2年生の夏、書の面白さや祖父の偉大さに気付き始め、書家を志した。

 これまでに日展内閣総理大臣賞など数々の賞を受賞。日展監事や読売書法会常任総務、日本書芸院副理事長など要職を務める。昨年、日本芸術院賞を受賞。「作品に与えられる最後の賞。人生が変わった」と、重みを感じている。

 「『書は人なり』と言うように、書には生きざまが現れる。自分磨きをしないと、いい書は書けない」と心掛ける。「自分が納得することはないけれど、生きた証しとなる代表作が、1点でも2点でもできたらうれしい」。  

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読者がいるからやめられない

〜手づくり山旅通信「ひとり画っ展」が千号を突破

 とよだ 時 さん

 イラストと文章で山の伝承を紹介する絵はがき「ひとり画っ展」。1971年から、山旅通信として希望者に送り続け、昨年千号を突破。30日まで、市川市中央図書館で記念展示会を開いている。

 登山との出合いは21歳のとき。アルバイト先の先輩に連れられ、丹沢山(神奈川県)に沢登りに行った。「水を浴びながら岩を登ったり、尾根に沿って歩いたりするのが面白かった」。以来、山登りに夢中になった。

 やがて山中に点在する祠が気になり、自分で調べるようになった。「事前に古典の物語や地域の歴史を調べて、実際に山の中でその舞台を見つけられたとき、『つながった!』と思える瞬間。これが何より面白い」。道中では、物語や歴史につながる手掛かりが全く見つからないこともあれば、クマに遭遇して命の危険を感じたこともある。「それでも山は楽しい。山旅通信を楽しみにしてくれている人がいるからやめられない」。

 80歳のいま、近所の神社の階段を上り下りするトレーニングを毎日欠かさない。「山旅通信はあと5、6年続けたい。その後は、のんびりと山を楽しみたいね」。  

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貪欲に学び、指導者として成長

〜全国ミニバス大会に出場した百合台MBC前監督

 橋本 紀夫 さん

 3月に行われた第50回全国ミニバスケットボール大会に初出場。コーチとして8年、監督として9年チームを率いて悲願を達成した。「本当に強いチームだった。いままでの集大成と言えるチーム」。スター選手はいなかったが、スピードと戦術で全国屈指の強豪チームに上り詰めた。

 市川市出身の56歳。「最初は教え方が分からず、怒ってばかりいた」と、監督に就任した当時を振り返る。市立二中、安田学園高でバスケ部に所属した経験者だったが、ミニバスのルールと不慣れな指導にとまどった。「自分がやっていた古いやり方ではダメ。新しいやり方を取り入れていかなければ」と、知り合いの指導者などに教えを乞い、貪欲に勉強した。「感情をぶつけて怒らず、選手に伝え、良いところをほめる指導法。これが大きな学びだった」。選手や保護者との信頼関係は次第に強くなり、チームにも実力がついていった。

 昨年度末で監督を勇退。「この17年間は選手だけでなく、指導者である自分も成長できた。今後は裏方に回り、チームをサポートしたい」。  

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金メダル獲得に向けて躍動

〜タッチラグビー日本女子代表

 岸 笙子 さん

 29日からマレーシアで開かれる2019タッチラグビーワールドカップ(W杯)に、日本女子代表の一員として出場する。2人とも3大会連続3度目の出場。前回のオーストラリアW杯では、勝てばメダル確定という局面でシンガポールに敗れ5位に終わった。5位は過去最高の成績とはいえ、苦い敗戦。この悔しさをバネに、金メダル獲得に向けて躍動する。

 小学4年のとき、父の勧めでタッチラグビーを始めた。「背が低いからバスケットボールは無理。足が速いわけではないので、陸上競技も向いてなかった。でも、タッチラグビーならば自分の持ち味である瞬発力が生かせるし、戦略をしっかり立てれば強い相手にも勝てる」。

 高校2年生のときのW杯で日本代表初選出。4年後も、2度目のW杯出場を果たした。しかし2017年夏、膝のじん帯を断裂。約1年のリハビリを余儀なくされ、競技に復帰できず思い悩む日々が続いた。だが、その時間も無駄には終わらない。「それまで、あまり考えて練習していなかった。けがをきっかけに、筋力トレーニングを取り入れたり、けがをしない体の動かし方を意識したりするようになった」と、逆境をバネに新たなステージに進んだ。

 3度目の大舞台で、進化した姿を見せる。  

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金メダル獲得に向けて躍動

〜タッチラグビー日本女子代表

 山形 ありさ さん

 29日からマレーシアで開かれる2019タッチラグビーワールドカップ(W杯)に、日本女子代表の一員として出場する。2人とも3大会連続3度目の出場。前回のオーストラリアW杯では、勝てばメダル確定という局面でシンガポールに敗れ5位に終わった。5位は過去最高の成績とはいえ、苦い敗戦。この悔しさをバネに、金メダル獲得に向けて躍動する。

 中学1年から10年以上の月日をタッチラグビーに捧げてきた。「私の人生の95%以上を占めるのがタッチラグビー。このスポーツをやっていない自分が想像できない」。

 タッチラグビーは、メンバー一人の技量だけで勝負は決まらない。メンバーのミスを補い、一人一人の個性を生かすチームプレーが勝敗を決することに魅力を感じている。「スポーツとしての面白さだけでなく、顧問の先生たちや先輩・後輩、対戦相手といった『人との出会い』もタッチラグビーを続ける理由の一つ」と笑顔を見せる。

 「W杯で自分が納得できるプレーができて、結果も出すことができれば悔いはない。日本代表を引退するかもしれない」と、W杯に全てを懸ける。引退後は、自分のペースでプライベートも楽しみながら、タッチラグビーを続けるのが理想。「機会があれば母校でタッチラグビーを指導したい」と将来を夢見る。  

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目標はリーグ優勝、JFL昇格

〜ブリオベッカ浦安新監督

 都並 敏史 さん

 2014年から5年間、ブリオベッカ浦安のテクニカルディレクターを務め、今シーズンから監督に就任した。「(このチームで)いつか監督をやりたいと思ってた。これまで育ててきた生え抜きの選手たちが集大成を迎えるこの時期、チームの力になれると考えて、昨年、監督に立候補した」。

 チームは16年に日本フットボールリーグ(JFL)に昇格するも、成績が振るわず関東1部リーグに降格。再昇格を賭けた昨シーズンは6位と低迷した。期待が集まる今シーズンの目標は、リーグで優勝を果たし、JFLに昇格すること。「ライバルは強力なチームばかり。常にチャレンジャー精神を持って〝ジャイアントキリング〟を目指す意識が浸透してきている。4月7日の開幕までにもっと詰めていきたい」と意気込む。

 自身は小学6年生のときから読売クラブ(現東京ヴェルディ)の下部組織で育てられ、日本代表の座をつかんだ。「ブリオベッカから個性あふれる日本代表選手を出したい。生え抜き選手を育てるためにも、トップチームを強くして、憧れられる存在にする」。57歳にして新たな挑戦が始まる。  

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将棋はコミュニケーションツール

〜市川市こども将棋連盟会長

 原 伸一 さん

 「こんなに多くの市川市の子供たちが参加してくれてうれしい」――。子供の将棋大会は、県大会など広い地域を対象にしたものが主流の中、市川市を対象にした大会を初めて開催。「住んでいる地域の大会なので子供たちも参加しやすく、地域の小学生同士で将棋を指せる。参加者が100人を超えたことも合わせて、地域で将棋大会を開いたことは画期的なこと」と胸を張る。

 日本将棋連盟公認の将棋指導員。息子に将棋を教え、その友達へと広がる中で10年前、行徳公民館に無料の行徳将棋クラブを開設。いまも毎週土曜日の午前、多くの子供たちに将棋を教え続けている52歳。大会を機に、市内に3つある子供向け将棋サークルと、市立中学校ブロックのコミュニティクラブの一部にある将棋教室の連携を進めていくことも念頭にある。

 「将棋はお年寄りから子供まで、世代を超えて楽しめるコミュニケーションツール。市川には身近で将棋を指せる場所がある。将棋を通じて、親子、身近な人とのコミュニティーが広がってほしい」と願う。  

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皆の健康、生きがいづくりへ

〜55周年を迎えたベイシニア浦安(浦安市老人クラブ連合会)会長

 相原 勇二 さん

 高齢者の「健康づくり」「生きがいづくり」を目指すとともに、新たに「地域貢献」「3世代交流」を掲げて活動。「高齢者が持つ経験と時間を、自分のため、そして地域や浦安のために使ってほしい。その活動が自身の健康や生きがいにつながっていくんです」。

 「自分の立ち位置を職場から住まいがある浦安に移そう。定年を迎えてからでは遅い」と自治会役員を務め、ベイシニア浦安には60歳を前に入会。浦安鹿児島県人会で会長を担っている。

 ベイシニア浦安の会長になって驚いたことは、会員数が60歳以上の市民の10%未満であること。「文化活動やスポーツ、カラオケ、医療講座など魅力は十分。まずは年代を問わず知ってほしい」とPR活動を開始。さらに、昔遊びなど園児との交流、高齢者施設への慰問、会員以外も対象にした講座の開催など活動の幅も広げている。

 浦安在住40年の68歳。入会して一番良かったことは「人として素晴らしい人が多く、会社生活では学べなかったことを教わっていること」。多くのアドバイスを受けながら、会長として皆の健康、生きがいづくりを支え続けていく。  

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同じ境遇の人との活動は楽しい

〜第42回全国盲人将棋大会B級優勝

 関口 透 さん

 子供の頃から将棋に親しみ、市川市民将棋大会に出場して3位になったこともある。しかし2011年、もともと患っていた眼病が悪化。視力のほとんどを失った。「もう将棋はできないと思った。あの頃は落ち込んだ」と振り返る。

 昨年7月、県の広報誌の音声CDで盲人将棋のメンバー募集を知った。「こんな将棋もあったのか」。すぐさまメンバーになった。当初は、駒の動きや位置を全て暗記しなければいけない盲人将棋に戸惑ったが、慣れるとみるみる実力をつけた。始めてからわずか4カ月後、千葉県のB級(段位以下の部)代表として全国大会に出場。見事、初出場で初優勝を飾った。

 現在81歳。水泳や社交ダンス、卓球などにも意欲的に取り組む。「目が見えないと、何でもないことができず、クヨクヨしてしまう。でも、同じ境遇の仲間といろいろな話をしながら活動するのは楽しい」と満面の笑みで語る。春先には水泳大会に出場予定で、いまはそれに向けて練習中だ。

 今回の優勝で盲人将棋の初段に昇格し、有段者対象のA級戦出場の資格を手に入れた。「11月のA級戦で優勝を狙う」と意気込む。  

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これからも技を磨き続けたい

~第18回熟練者全国空手道選手権大会70歳以上組手の部優勝

 谷川 幸男 さん

 空手を始めたのは社会人1年目の18歳のとき。社内で空手部が発足し、部員を募集していたことがきっかけだった。「もともと武道に興味があり、特に空手をやってみたかった」。それから早56年、いまでも週に一度の練習会に参加し、鍛錬を欠かさず七段の腕前を磨き続ける。熟練者全国空手道選手権の組手の部優勝は6回目。形の部でも2回優勝している。

 35歳のときに同僚に頼まれ、子供への指導を始めた。現在も、市川市と酒々井町で週2回、子供たちに指導。「空手に慣れてもらって、空手の良さを知ってもらい、好きになってほしい」と願う。先生へのあいさつはもちろん、自分の靴をきちんとそろえることなど、武道の基本であり、大人になっても大事な〝礼儀〟は特に徹底。「子供たちが昇級審査に合格して帯の色が変わったり、試合で勝ったり、空手を通して成長する様子を見たりすると、自分のことのようにうれしい」と笑顔で話す。

 これからの目標は生涯現役。「試合の緊張感はこれからも味わっていきたいし、身につけた技はこれからも磨き続けたい」と、空手に対する熱意はまだまだ尽きない。  

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勝つために頭を使うことが大事

~全国小学生ハンドボール大会準優勝の「HC市川」監督

 西谷 義宏 さん

 「中途半端にやるつもりはない。県で優勝、全国でも勝てるチームを目指す」。2011年4月、中学時代の恩師に誘われて立ち上げた小学生のハンドボールチーム・HC市川は、全国ナンバー2の強豪チームへと成長した。
 
 自身も中学から大学までハンドボールをプレーしていた。市立妙典中では全国大会準優勝、市川高ではインターハイ準優勝。勝てば勝つほど、ハンドボールにのめり込んでいった。「ハンドボールを続けたのは、勝つという経験が大きかった。子供たちにも、勝つことを通してハンドボールを好きになってほしい」と指導に熱が入る44歳。
 
 ハンドボールは身体の大きい選手が活躍することが多いが、それだけで勝負は決まらない。「自分も体が大きい方ではなかったが、小さくてもできることはあるし、点数は取れる。大事なのは勝つために頭を使うこと」と選手に伝えている。
 
 今後の目標は「チームをこれからも存続させること。そして、チームを卒業した選手たちが、コーチや監督として戻ってきてくれたらうれしい」。

   

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子育ての不安を軽くしてあげたい

〜お助けねっと・こんぺいとう代表

 西塚 暢子 さん

 子育て支援センターで臨時職員として働き、ボランティア活動に励む55歳。幼稚園教諭・保育士の資格を持ち、2人の子供を育ててきた。「浦安という知らない街で、子育ても必死だった」。自身も夫も地方の出身。核家族で子育てをする不安も悩みも経験した。「どこに助けを求めたらいいのか分からない親も多い。そんなパパやママの支えになれれば」と、「お助けねっと・こんぺいとう」を立ち上げた。

 いろいろな分野で活躍し、それぞれに専門知識、得意分野を持ち、浦安市子育て・支援者養成講座で学んだことを生かしたいという仲間が集まった。「みんなが積極的に活動してくれるので成り立っている」と話す。

 情報過多の時代で、子供の成長に不安を持つ親も少なくない。「みんな平均ではない。一人一人いろいろな育ち方があり、いろいろな色がある」。そんな思いが「こんぺいとう」という名前になった。「親のストレスは大きい。私たちが関わることで、子育ての不安を少しでも軽くしてあげることができれば」と、子育て中のパパママに心を寄せる。  

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宇宙って普通の場所なんだ

〜国際宇宙ステーションに長期滞在した宇宙飛行士

 金井 宣茂 さん

 市川市立稲荷木小の卒業生。外科医師・潜水医官として働いていたころ、「宇宙空間でタンパク質の結晶を作ると、薬を作るのに役立つ。医学的研究をしたい」と思うようになり、2009年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)に入社した。

 11年には国際宇宙ステーション(ISS)搭乗宇宙飛行士に認定され、17年12月17日から昨年6月3日まで168日間にわたって宇宙空間に滞在。タンパク質の結晶生成や、ケニア初の超小型衛星の放出、ロボットアームの修理、マウスの飼育実験などに取り組んだ。世界初という「宇宙バドミントン」も体験。「あっという間の6カ月だった」と振り返る。

 「宇宙というと、昔は仕事の場だった。いまでは誰でも体験できる可能性がある『人間の活動の場』。宇宙って普通の場所なんだと感じた。いまの科学技術をもってすれば、地上で生活するのと同じように宇宙でも生活できる」と、宇宙に行った者にしか分からないロマンを語る42歳。12月下旬ごろから野口聡一さんがISSに滞在予定。「今後の目標として野口さんをサポートしていきたい」。  

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1年でも長くプレーをしたい

〜ドラフト8位でヤクルトに入団した

 吉田 大成 さん

 浦安リトルシニア時代から体が小さく、打球もよく飛ばなかった。高校3年夏の予選・西東京大会決勝では九回二死から逆転負けを喫した。明大では3年まで試合に出られず、社会人野球でも結果が出ないことに悩んだ。悔しさを忘れず努力してきた結果、23歳にしてようやくプロ野球選手という夢をつかんだ。「思えば下から下からの野球人生だった」と振り返る。

 遊撃手が希望だ。「三遊間からの送球をぜひ見てほしい」と自信たっぷり。宮本慎也ヘッドコーチが目標で、宮本コーチが現役時代に付けていた背番号6と、遊撃手の主力の座を狙う。大学時代もヤクルトの本拠地・神宮球場でプレー。「神宮で育てられた気持ち。プロとして神宮でできるのがうれしいし、楽しみ」と目を輝かせる。

 昨年のドラフト会議、12球団最後に支配下指名を受けた。〝平成最後のドラフト指名を受けた男〟は、身長1㍍74、体重78㌔と体は決して大きくはない。「ドラフトも最後でまた下からだが、体が小さくてもできると証明するためにプロでも頑張って、1年でも長くプレーしたい」。プロでの大成を目指す。  

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高齢でもスポーツを楽しんで

〜文部科学省のスポーツ推進委員功労者として表彰

 山口 美佐子 さん

 学生時代はバレーボール部に所属。卒業後は、家庭婦人バレーボールを続け、一時は、1964年の東京五輪で女子バレーボールの監督を務めた故大松博文さんのアシスタントとして、家庭婦人バレーボール業界の強化に携わった。

 47歳のときに市川市スポーツ推進委員に就任。その後、「千葉県の審判員の資質向上を目指したい」と、市川市内のバレーボールやソフトバレーボールの指導、各種スポーツ大会やスポーツイベントの運営に携わってきた。

 同推進委員が市から委嘱を受け、市立七中で毎週開いている教室「ファミリースポーツ」では「小さい頃から来ていた子供たちが高校生になったいまでも参加してくれている」と目を細める。スポーツイベントには子供から高齢者まで大勢が参加しており、「もともとスポーツが嫌いな人でも、体験してくれて『楽しかった』と言ってくれる」とやりがいを感じている。

 「一人でも多くの人に高齢になってもスポーツを楽しんでもらいたい」と願う75歳。「私ができることは十分やり尽くしたという気持ち。今後はスポーツ推進委員の方々を育てていきたい」。

   

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