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中国分の介護施設、年1回の落語会で幸せな時間
地元育ちの古今亭菊太楼師匠
元入居者の家族が橋渡し

入居者はみな、菊太楼師匠の世界に引き込まれたようだった
市川市で幼少期を過ごした古今亭菊太楼師匠(57)が、中国分の老人福祉施設で落語会を開いた。この施設で、「母が大変よくしてもらった」という元入居者の家族が橋渡しし、入居者やその家族、職員も楽しみにしている年に1回のイベント。淡い藤色の着物姿で登場した菊太楼師匠の柔らかい表情と語り口に、終始にこにこ顔の男性や、うなずきながら話に集中する女性らの姿が印象的で、会場のリビングは優しい空気に包まれた。
■懐かしい街で
長崎市生まれの菊太楼師匠は、父の仕事の関係で市川市に来て、3歳まで大野町で暮らし、いったん市外に出た後、北国分で小、中学校時代を過ごした。登下校の道もそうだが、里見公園や国分地区には、甘酸っぱい思い出がたくさんある。
高座に上がる前の控え室代わりの部屋で、菊太楼師匠は「駅から来る途中の車窓も懐かしく、こうしたご縁はうれしい」と語った。
菊太楼師匠が晶子夫人とともに訪れたのは、中国分にある上田医院が運営する有料老人ホームの「我が家」。上田医院は通常の診療科、訪問診療のほかに、デイケア、デイサービス施設なども運営している。
■感謝を形に
2年前に、菊太楼師匠と「我が家」をつないだのは、病気になったお母さまが、急性期病院退院後に「我が家」に入居した市川市在住の永藤かおるさん。
コロナ禍の当時にも関わらず、入居者や家族のことを第一に考え、部屋で面会もさせてくれた。お母さまは、3カ月ほどしかいることができなかったが、
上田聡院長(59)や、副施設長の安田千佳子さんをはじめ、「お世話になった気持ちを形で表したかった」(永藤さん)と話す。
落語が好きで、十数年前に寄席に通っていた永藤さんの頭に浮かんだのは、菊太楼師匠の落語だった。
■リビングで
この日の演目は、古典落語の「子ほめ」と、噺家の夢」。
車いすなどで2階のリビングに集まった入居者は40人ほどで、80代から90代が中心。菊太楼師匠は、窓側に設けられた高座に上がってから演目を決め、枕では、入居者がよく知っている上田院長を「褒める」場面をネタにし、会場を惹きつけた。
上田院長によれば、「入居者がみな、落語を理解できる状態ではない」が、「『菊太楼師匠が今年も来てくれた』と喜んでいる人もいるし、心に響いた人もいたと思う」という。
菊太楼師匠の語りに、思わず合いの手を入れる人もいて、リビングには、見ていて幸せになるような時間が流れていた。
師匠は昨年秋から、南大野の寿司店でも落語会を開いており、これからも、第二の故郷・市川で、落語の魅力を広めていってもらいたいと思う。
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長崎市出身で、母が5歳で被爆した菊太楼師匠は、【8月6日㈬午前12時半~】と、【9日㈯午後2時45分~】の2回(各20分)、江戸川区船堀のタワーホール船堀で開かれる「原爆展」(5~10日、入場無料)のイベントとして、原爆をテーマにした創作落語「母のお守り」を披露する。
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