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芳澤ギャラリー 市川ゆかりの「中山忠彦追悼展」 市長が「市美術館建設」に言及


中山画伯の写真の前であいさつする良江夫人

中山画伯が愛用したアトリエの椅子やパレットも展示。キャンバスの右の絵は、自宅窓から見た「早暁のミモザ」

展示された絵を見ながら、中山画伯の思い出を語る(左から土橋理事長、良江夫人、田中市長)

 昨年9月に亡くなった中山忠彦画伯(1935―2024年)の追悼展「―永遠なる出会い・美への懸け橋―」が、市川市芳澤ガーデンギャラリーで、10月19日まで開かれている。13日のオープニングセレモニーで良江夫人は、画伯の市川での洋画家人生を振り返り、弔問に訪れた田中甲市長が画伯の手を握り、画伯の夢だった美術館建設への決意を示したことを明らかにし、「生きる糧にしたい」と語った。

 ■良江夫人の肖像

 追悼展は、「師との出会い」「夫人との出会い」「アンティークドレスとの出会い」「美の世界を追求して」の4章構成で、画伯の初期から晩年までの油絵22点と、ブロンズの彫刻2点を展示。

 ブロンズの「想い」は、亡くなる前に、蓼科(長野県)のアトリエで制作した良江夫人の粘土の肖像を画伯自身が大切に抱え、国府台の自宅に持ち帰ったものだという。

 画伯が生前愛用した自宅のアトリエの椅子、デッサンが残された制作中のキャンバスとイーゼル、パレットや筆も展示されている。

 ■男性像と風景画

 画伯は、新緑の会津(福島県)を写生旅行中、電車内で良江夫人に一目惚れする。

 追悼展も、良江夫人への愛情を感じる夫人がモデルの作品が中心だが、男性を描いた初期の「M君」(1959年)、自宅の窓からの朝の風景を描いた「早暁のミモザ」(2016年)がめずらしい。

 あす21日(日)には「ギャラリートーク」、27日(土)には「対話による鑑賞会(事前申し込みが必要)」が、予定されている。

 ■遺産を市に寄贈

 画伯は、1963(昭和38)年に良江夫人と会津で出会い、65年に結婚した。66年に都内から市川に転居し、70年に国府台に自宅とアトリエを新築。昨年9月24日に89歳で亡くなるまで、国府台のアトリエを拠点に活躍し、2014年には、市名誉市民に選ばれた。

 今年5月の市長の定例記者会見では、絵画作品と調度品、土地、建物が市に寄贈されることが、発表された。

 ■開会セレモニー

 13日のオープニングセレモニーには、良江夫人と田中市長、市文化振興財団の土橋靖子理事長らが出席。

 良江夫人は「貧乏の極みだった時代に、縁があって居を移した市川は、福を呼んでくれた。この自然や都会的センスなど、数え切れない魅力のある市川で、プロとして歩み始め、生涯を閉じることができ、感謝もひとしお」と語った。

 さらに、「(弔問の際に)市長は主人に、『市川市に美術館をつくりますよ。約束します』と語りかけてくれた。美術館建設も、追悼展に遺作が並ぶことも、身に余る幸せ」とあいさつした。

 先がけて田中市長は「展示された作品には、画伯と奥さまの二人の愛情が満ちあふれている。画伯の市川市への思いを継承していくために、必ず美術館をつくる。子供たちにも、世代を超えて観てもらいたい」と話した。

 土橋理事長は「画伯は、ほとんどの作品を市川でお描きになった。市川の空気と作品が、ぴったりと合う感動を強くしている」とした。

 生前、中山画伯が関わった市川シビエ会(旧名称・市川市に美術館を要望する会)が11月2日午後、昨年に続く第2回「市民と考える美術シンポジウム」(公開討論会)を全日警ホールで開く。

 「私たちのまちに美術館が生まれる。何かが始まる。」をテーマに、基調講演と、第1部と第2部に分けて、講演と意見交換を行う。

 美術館建設をめぐっては、2024年4月に田中市長が、市に美術館構想担当室を設置。8月には、中山画伯らが代表を務める要望する会が、これからの時代の美術館のあり方を考えるシンポジウムを開いた。

 「施設(箱モノ)」計画に先行し、ソフト面から現代、未来に求められる美術館像を探り、構想に生かしていく方向を確認した。

 今年2月には、要望する会が総会を開き、複数代表制ではなく、美術評論家の峯村敏明・新会長がトップの運営体制に改めた。会の性格も、要望団体から、市の担当室を支援、協力する形に変更。名称も、「市(に)美(術館建設)へ」とか、「美(しいもの)へ」という思いを込め、「市川シビエ会」にしている。

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 「追悼展」(主催・市川市、市文化振興財団)は、9時半~16時半(入館は16時まで、月曜日休館)。入館料は一般300円―ほか。  

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