市川浦安よみうり online

塩づくり、舟運の歴史と魅力発信
行文懇が江戸川の舟運体験
23日 市川市編入70周年記念座談会


妙見島を過ぎたところで、船後方の橋を渡る東西線。右は吉野屋の船が並ぶ河岸

緊急船着場から乗船する参加者

江戸川合流地点での水位調整のため、下流側から閘門に入る船

 行徳郷土文化懇話会が、塩づくりや舟運、成田詣の拠点として栄えた行徳の歴史と文化の発信を強めている。12月には「舟運体験」を開催し、公民館講座の「行徳歴史探訪」にも講師役として協力。昨年の行徳町に続き、今年は、南行徳町が1956(昭和31)年に市川市に編入して70周年。県を代表する「行徳海苔」の生産もトップシーズンを迎える中、23日夕、行徳文化ホールで、記念講演と座談会も開かれる。

 ■旧江戸川の流れ

 雨上がりの穏やかな陽気になった12月21日、常夜灯公園の緊急船着場から、案内役の行文懇メンバーも含め、約70人の参加者が、浦安市猫実の船宿、吉野屋の大型の屋形船に乗り込んだ。

 船はまず、旧江戸川を上流に向かい、新門の改築事業の起工式が、同7日に行われたばかりの江戸川水閘門を通過。左前方に東京スカイツリーを望む、北越コーポレーションの工場手前で折り返した。

 水閘門での航路の水位調整は初体験の人も多く、スマホ片手に、「大人の遠足」のよう。 その後、交代で船上にも出て、今井橋をくぐり、妙見島を川から眺め、東西線を見上げながら、舞浜沖まで進んだ。

 妙見島にさしかかるところでは、日本橋に抜けることができた東京都側の新川の門が閉じ、海を経由しないと行き来できなくなったことなどを教わった。

 江戸川はかつて、江戸に塩や野菜、魚を運ぶ船や、日本橋と常夜灯を結び、成田詣の客らでにぎわった行徳船が行き交った。

 常夜灯は、1812年、成田詣の航路の安全を祈願して建てられ、市の有形文化財に指定。同公園の緊急船着場は、災害発生時の救援物資や復旧資材などの荷揚げに使われる。 そんな説明を聞き、江戸の時代に思いを馳せながら、船上から江戸川の流れと魅力を堪能した。

 ■塩づくりの歴史

 同7日には、行文懇会長の峰崎進さんが講師を務め、前会長で名誉会長の田中愛子さんらも参加し、本行徳公民会主催講座の行徳歴史探訪が開かれた。

 講座には、比較的、行徳の歴史や文化とは縁の薄い、東西線エリアに住む人や、市北部の市民も参加した。

 安房里見氏を破り、小田原北条氏が行徳を支配した室町時代、そして、徳川幕府の直轄領としての塩づくりの歴史、入浜式笊取法といわれる製塩方法、「行徳千件、寺百軒」と呼ばれた由縁、行徳船の登場と成田詣などについて、峰崎さんらがていねいに解説。

 その後、旧江戸川河岸から常夜灯公園、行徳ふれあい伝承館(旧浅子神輿店)、江戸時代の建物が残る笹屋うどん跡、田中愛子邸、権現道から法善寺、徳願寺、石造りの塩蔵―などを参加者で歩いた。

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 行文懇は1979(昭和54)年に創立され、行徳・浦安三十三カ所観音霊場(札所)巡りなど、数々のイベントに取り組んでいる。

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