市川浦安よみうり online

ハス田の歴史と伝統の継承
かつて水田が広がっていた地
妙典小、幸小で種イモ植え付け


植え付けをする大型の桶の前で、種イモを手にする篠田さん(右)と安達さん

順番に植え付けを体験する子供たち

妙典小の場所にあった90年ごろの篠田さんのハス田。奥に東西線の鉄橋が見える(篠田さん提供)

 市川市の行徳地区で、塩田や海苔養殖とともに栄えたハス田の歴史と伝統を継承しようと、代々つないできたハス(レンコン)の種イモの植え付けが、市立妙典小学校で行われた。今では、バスタブのようなプラスチック製の大きな桶で育てているが、妙典小のある場所にはかつて、ハス田が広がっていた。妙典ハス田クラブが2012年春から取り組み、2年前からは、幸小学校でも始まった。秋には同じ参加者で、実ったレンコンを収穫する。

 ハス(蓮)は、水面よりも高く伸びて花を咲かせ、泥の中で育った茎の部分がレンコン(蓮根)。根と書くが、茎が大きくなったものだ。ちなみにスイレン(睡蓮)は、ハスとは違う植物で、水面で花を咲かせ、レンコンはできない。

 ■海苔養殖と兼業

 ンコンは、茨城県の霞ケ浦が国内最大の産地だが、平成のバブル経済期を迎える1980年代後半までは、行徳地区にも広がっていた。

 5月末で90歳になる篠田務さんは、冬場は海苔の養殖、春から秋にかけては、現在の妙典小(99年創立)やその周辺にハス畑を持ち、レンコン農家や野菜の行商を営んでいた。

 室町や江戸の時代から栄えた行徳の塩田は、1917(大正6)年の高潮で多くが失われたが、昭和生まれの篠田さんは、一部残されていた塩田の手伝いにも、出ていたという。

 ■ハス田跡に開校

 妙典小、幸小の植え付けで使われているのは、篠田さんのハス田で育てられていた種イモだ。

 篠田さんがハス田を手放した後、種イモは一時、原木中山の農家で預かってもらっていた。その後、JR塩浜駅前にあった市の三番瀬案内所に移したが、施設閉鎖に伴い、案内所の運営委託を受けていたNPOの三番瀬フォーラム(安達宏之理事長)が、2012年5月から妙典小で管理。

 2018年には、安達さんが妙典ハス田クラブを立ち上げて毎年、植え付けと収穫を続けている。

 ■泥だらけで挑戦

 青空が広がった子供の日の5日、妙典小には朝から、新たに募集して集まった10家族25人の親子と、もともとのメンバー合わせて43人が参加。

 篠田さんと安達さん、三番瀬フォーラム副理事長の石塚誠さんらがサポートし、参加者は泥だらけになりながら、米国から輸入したプラスチック製の大きな桶から、レンコンの種イモを大事に取り出し、別な3つの桶に移植した。

 桶は江戸川河川敷沿いと、東西線沿いに2つずつある。ハスの背が高くなると、河川敷沿いの道からも見ることができ、ハス田が広がっていた時代を知る人が通ると、「懐かしいね、という声が聞かれる」(安達さん)という。

 6月下旬には、ハス田と江戸川放水路干潟の観察会、11月上旬の収穫のほか、ハスの風よけづくり、行徳の街歩きや、三番瀬フォーラム主催の三番瀬干潟散策会なども、予定している。

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