市川よみうり & 浦安よみうり online

連載「人」

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「人」リスト〜2018年

私たちが元気をもらっている

〜活動40年の朗読ボランティア「ぐるーぷ・いさり火」会長

 平野 春子 さん

 「視覚障害者などに本の世界を伝えたい」と、平成4年から13年間、視覚障害者向けの録音図書を制作する音訳者としてボランティア活動を続けた。

 その経験を生かそうと、同23年に「ぐるーぷ・いさり火」に入会。「当初は、朗読会や録音図書などあまりにもたくさんのことをやっているボランティアだと驚いた」と振り返る。

 「録音図書を制作していたときは相手の反応が直接は分からなかったけれど、朗読は聞いてくれる人たちが笑ったり、黙って真剣に聞いてくれたり、それぞれ違った反応をしてくれるのが面白い」と、朗読の魅力を語る76歳。「聞いているみんなが楽しんでくれる以上に私たちが元気をもらっている」とほほ笑む。

 「戦争反対」を掲げて立ち上がった同会。現在のメンバーで戦争体験者は8人。「やっぱり戦争について私たちが伝えていかなければならない。そして、子供たちへのお話会、目の不自由な方々への情報提供を柱に、これからも活動していきたい」。固い決意を持って、これからも朗読を続けていく。  

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目標とされる選手になりたい

〜第43回全国道場少年剣道選手権大会で優勝

 山野 慎治 さん

 剣道を始めたきっかけは偶然だった。小学1年生のとき、市立鬼高小の体育館前を通りかかり、たまたま開かれていた鬼高剣友会のイベントに参加。「剣道って楽しい!」。剣道にのめり込むこと早9年、ついに日本一の称号を手にした。

 それまでは、全国レベルの選手たちと互角に戦える実力を持ちながらも、優勝まであと一歩及ばなかった。8月22日から24日まで行われた全国中学校体育大会では、全国制覇を期待されるも、まさかの初戦敗退。この敗戦を引きずり、調子を落とした。全国道場少年剣道選手権大会はその1カ月後。勝ち抜くための課題はメンタルだった。「自分は初戦敗退の選手。背負うものは何もない」。気負わず試合に臨み、見事に優勝を果たした。

 来年3月に中学校を卒業する15歳。インターハイ個人・団体での優勝を目指し、いまも鬼高剣友会で汗を流す。「実力を磨くのはもちろん、普段の練習も怠らず、『山野選手のようになりたい』と思ってもらえるようになることが目標」。少し恥ずかしそうにほほ笑む。  

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相手を投げ飛ばす父に憧れた

〜第73回国民体育大会柔道少年男子(団体)準優勝

 秋山 竜大 さん

 父は全日本学生体重別柔道選手権95㌔級の覇者、母は福岡国際女子柔道選手権61㌔級銀メダリストで、2人の弟も柔道に励む柔道一家の長男は「物心がついたときには柔道に触れていた」。本格的に始めたのは小学2年。静岡の祖父母宅で見た、内股で相手を投げ飛ばす父の写真に魅せられた。「かっこいい!」。父に憧れ、その背中を追い始めた。

 強者の両親。「聞けばアドバイスしてくれるが、柔道で叱られたことはなく、いつも優しく見守ってくれている。大変な減量も母がサポートしてくれるし、助かっている」と感謝を忘れない。

 国体は、夢にまで見た全国の初舞台だった。中学3年の県中体は2位。今年のインターハイ予選は初戦敗退だったが、国体県予選で優勝。国体メンバーに選ばれ、準優勝に大きく貢献、成長した姿を見せた。

 世界選手権連覇中の阿部一二三選手が目標の18歳は、来春から大学に進学予定。「いずれは世界に出たい」。阿部選手のようなスピード、パワー、テクニックを身に着け、次は世界での活躍を夢見る。  

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閉場は皆の思いを尊重した決断

〜浦安魚市場協同組合の最後の理事長

 長野 敦彦 さん

 「決めたけど、お客さんから言われると、やっぱりさみしい」。鉄道会社のCMで話題になったが、建物の老朽化と店主の高齢化から閉場し、組合も解散する。「市場の今後を決める重大な決断。誰かがやらなきゃならない。皆の思いを聞き、尊重したかった」。自ら理事長に手を挙げ、組合65年の歴史の中で初めて臨時総会を2度開き、時間をかけて決めた。

 代々、海産物を販売し、父の代に前身の浦安橋魚市場で開店。高校を卒業すると忙しい家業を手伝い、跡を継いだ。「うちの店は寿司屋を相手に築地、豊洲市場の10店ほどから仕入れて、幅広くそろえている。お客や孫など特別な人を出迎えるために一般の人が買いに来てくれるのがうれしい」と、早朝から店を開ける59歳。

 閉場は来年3月末。「対面販売で、築地、豊洲よりも丁寧な仕事が売り。プロ相手の私たちから魚の見方、買い方、調理の仕方を聞き出し、新しいレパートリーで食卓を飾ってほしい。大人が思う以上に子供はうまいまずいを知っている。その味覚を大事にしてあげて」。最終日まで、仲間たちとうまい海の幸を届け続ける。  

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市民が楽しめる価値創造したい

〜国分川調節池と歩む会の会長

 塚田 和男 さん

 国分川調節池緑地が計画段階だった平成19年、市川市と協働で同緑地の設計や管理・運営などについて取り組む「国分川調節池を育む会」が発足。「国分川調節池緑地が近所にできることを知り、身近な場所なので使いやすいようにしたいと思った」と結成時から入会し、手すりを暑い時期や寒い時期でも使い勝手が良い木製にする案を出すなど、本職の造園コンサルタント業のスキルを存分に生かしてきた。

 同会は、同緑地の完成に伴って解散したが、国分川調節池緑地の有効活用に取り組むため、5月に同会のメンバー有志で「国分川調節池と歩む会」を結成。先月7日には初めて会のイベントが行われたが、「始めて間もないので、いろいろなことが試行錯誤」と苦労は続く。

 それでも、「人数が少ないと活動内容に限界がある。会員を増やして、活動内容を充実させたい」と意欲を示す52歳。「国分川調節池は治水施設だが、単なる調節池としての機能以外にも多様な価値を持つ。活動を通じて、市民が楽しめるような価値を創造できたらいい」。  

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父との練習があって活躍できた

〜第10回アジア選手権侍ジャパンU-12代表選手

 宇野 真仁朗 君

 今年8月、台湾の台北で行われた野球のアジア選手権大会で、打率5割8分3厘、7打点の好成績で日本代表の3位入賞に貢献。同大会のベストナインに選出もされた。ただ、4歳上の兄・竜一朗さんが4年前に準優勝で涙をのんだ大会だっただけに、「自分こそは優勝を勝ち取りたいと思っていたので悔しかった」と納得はしていない。

 小学4年生のとき、兄の影響で野球を始めた。高校・大学野球で活躍し、社会人野球で監督も務めた経験のある父と、毎朝学校に行く前に練習。セレクション前にはテスト課題の短距離ダッシュやシャトルランなどにも取り組んだ。「侍ジャパンのセレクションに合格できたこと、アジア大会で活躍できたことは、父との練習のおかげ」と感謝する。

 「ヒットを打って、ベースを蹴る瞬間と、投手として打者から三振を奪った瞬間が気持ち良い」と、野球の魅力をはにかみながら話す12歳。「中学校に入ったら、市川リトルシニアで硬式野球を始める。高校では甲子園を目指し、いずれはピッチングとバッティングができる大谷翔平選手のようなプロ野球選手として活躍したい」。  

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転入高齢者の気持ちほぐしたい

〜浦安お茶っこ会会長

 高橋 由美子 さん

 浦安市の転入高齢者、いわゆる呼び寄せ老人は年間約300人で、日中は一人でいることが多い。「生活や人は、道一本隔てた先に引っ越すだけでも変わってしまう。皆さんがホッとできる場を作りたい」と、今年度からサロン「浦安お茶っこ会」を開催。「〝カチンコチン〟の気持ちがほぐれていたようで、始めて良かった」。

 宮城県石巻市出身で、父親と夫の転勤で転居を重ねてきた。「東京に出てきた息子も、ふるさとに落ち着けそうもない。それなら」と、夫の転勤先近くで東京に近い浦安に居を構え21年。「親や近所の人のためになる」と取得していたヘルパーの資格を生かしつつ、市民大学で介護予防を学び、複数の市民活動団体で活動している。

 よく笑う、元気で明るい68歳が「私がやらなくて誰がやる。たとえ失敗しても、その経験は次の人たちのためになる」と始めた浦安お茶っこ会。この先は、「県人会のような、同じ故郷の人が集い、おしゃべりできる場が生まれてほしい。話は盛り上がり、若者たちも参加してくれるはず」。故郷の大切さ、故郷から離れて暮らすさみしさを知るからこそ、願う。  

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いまと昔の自然環境を伝えたい

〜本紙連載「古今『市浦』自然探訪」執筆者

 高野 史郎 さん

 東京・浅草出身。千葉大園芸学部を卒業後、昭和30年頃に市川市に転居し、平成24年頃まで同市で暮らした。

 昭和53年から現在まで、日本自然保護協会の自然観察指導員として活動。同56年には県自然観察指導員協議会の設立に関わり、会長も務めた。森林などの植物をスケッチなどで記録し、県内外でスケッチの展覧会を開催。市川でも市川市自然環境政策専門員として活動し、『いちかわ自然観察ガイドマップ』を発行するなどした。

 「どうして桜は葉が無い状態で花が咲くのか、果物はどうして隔年で実がなるのか。キツツキはどうして木に定着することができるのかなど、疑問に思ったことの答えが分かってくると面白い」と自然環境の魅力を語る84歳。「昔や現在の市川の自然環境を知っている人がいなくなってしまったので、それを伝えていきたい」と連載に意気込みを見せる。

 「最近の子供たちは、市民グループの自然環境活動に参加してくれなくなった。市民グループと子供たちを何とかつなげ、子供たちに季節の風を感じてもらい、五感を大事に育んでもらいたい」。  

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古着リサイクルを知ってほしい

〜設立20周年を迎えたファイバーリサイクルうらやす代表

 井上 祥子 さん

 「あなたが着なくなった服を必要としている人がいます」――。缶やペットボトル、新聞紙などに比べ、古着のリサイクル率は低い。「多くが捨てられている古着。でも次に必要とする人たちがいる。古着のリサイクルを知ってもらい、必要な人に届けたい」。設立から20年、変わらぬ思い。
 
 日本の古着が輸出され、着られているのは主にアジア。パキスタンのスラム街の学校を支援しているのは「ごみを拾って生活するような困っている子供たちが世界中にたくさんいる。直接お金や物で援助するのではなく、教育という生きていくための術を学べる場を支えたい」と続けている。
 
 繊維製品のリサイクル率は20年前の1割から3割に上昇。「私たちの回収量は減ってはいるが、行政や自治会、企業に活動が広がったから。次の世代にも古着のリサイクルを伝えていきたい」という61歳。市民活動団体として大切にしてきたことは「良妻賢母型の活動で、子供が学校に行っている間に気軽に取り組めること。何かを犠牲にしてはダメ」。メンバー約40人と古着提供者に感謝しつつ、活動を楽しむ。  

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愛着が持てる南行徳にしたい

〜10年間活動を続ける南行徳さわやか花の会の会長

 本多 敏子 さん

 今年で会設立から丸10年が経過。当初から会長を務め、東西線南行徳駅周辺で花の手入れやゴミ拾いなど続けている。

 「南行徳駅周辺はプランターの花も枯れていて、タバコの吸い殻やゴミが散乱していた」と設立当初を振り返る。会の活動が始まってからは徐々にきれいになり、「花を植えることによって駅の利用者らが喜んでくれるようになった。以前よりも治安も良くなったように感じる」と目を細める60歳。「毎回花の手入れは大変なのに、みんな喜んでやってくれてありがたい」とメンバーたちに感謝する。

 きれいに手入れをしたプランターをベンチ代わりにされたり、プランターの中に嘔吐されたりすることもある。だが、「行徳で生まれ育ったので、地元の南行徳駅をきれいにしていきたい」と、めげることはない。

 「皆さんが仕事などに行くときには『行ってきます』、帰ってきたときには『ただいま』と思えるくらい、愛着を持ってもらえるような駅になってほしい。そのために、仲間といつまでもきれいな花を咲かせ続けていきたい」。  

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野鳥が身近になったらうれしい

〜浦安の野鳥展を開いた「浦安野鳥の会」代表

 東 有子 さん

 「市内で100種を超す野鳥が観察できる現状を紹介できました」。特定NPO法人行徳野鳥観察舎友の会、浦安市郷土博物館と共催し、先ごろ終了した「鳥たちと自然大百科(浦安・行徳編)」展には約1カ月の会期中に約8千人が足を運んだ。浦安野鳥の会は、発足した平成28年度に同博物館と行った野鳥調査を基に「浦安の野鳥」展示を担当。代表として「野鳥が少し身近になったなら、うれしい」と笑顔を見せる。

 野鳥との〝出会い〟は33年前の5月、奥日光で開かれた日本野鳥の会主催の探鳥会。新緑に黄色い胸の羽毛が鮮やかなキビタキに感動し、同会に入会。横浜市から都内に通勤しながら、土・日曜日には探鳥会へ。夫で現在、日本野鳥の会東京代表の良一さんと出会ったのも会の活動を通じてだった。

 25年前、結婚を機に転居した浦安は、埋め立て完了から40年を経て新市街地にもキジやコゲラが姿を見せ、運が良ければ猛禽類のツミを見ることも。63歳のいまも毎月の探鳥会で8人の会員とともに新たな〝出会い〟を求め続ける。「カメラも双眼鏡もなくてOK。体一つでどうぞ」と参加を呼び掛ける。  

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死ぬまでラジオ体操を続けたい

〜ラジオ体操優良者として全国表彰

 田島 節子 さん

 「子供たちが夏休みに入ったあと、何かやらせてあげたかった」と昭和56年、市川市行徳駅前公園で少人数で行われていたラジオ体操に参加。しばらく参加し、「どうせやるんだったら正しいラジオ体操を学びたい」と思うようになった。翌年、東京都ラジオ体操連盟主催の指導者講習会に参加。同年から、指導者として参加者に正しいラジオ体操のやり方を教えてきた。

 現在は年間を通じて雨天時以外ほぼ毎日、南行徳公園と広尾防災公園で主に高齢者に指導。参加人数は、午前6時半からという早朝にもかかわらず80人を超すこともある。この活動が評価され、先月5日に全国表彰を受けた。「36年間の活動が認めてもらえて良かった」と喜ぶ。

 ラジオ体操に対する思い入れは強く、富士登山をしたとき、山頂でラジカセを使ってラジオ体操をした。「ラジオ体操は全身運動。朝の新鮮な空気を吸って、体操すると気持ちが良い。死ぬまで続けたい」と生きがいにしている。

 「市川市でもっとラジオ体操がはやってほしい」と願う71歳。「そのためにも、これからもずっとラジオ体操を指導していきたい」。  

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星野道夫を市民に伝えたい

〜いちかわ市民ミュージカル実行委員長

 吉原 稔貴 さん

 市川市文化会館で16日と17日、未就学児から70代までの3世代の市民らでミュージカルを演じる。出演者には障害者も多く、「障害のある人は、舞台に立って役割を得ることが社会に出てからも自信になる」と、その意義を語る。

 ミュージカルの題材は、同市出身の写真家・故星野道夫。情景に合わせ、カリブー(トナカイ)の大移動や熊、アラスカの大自然など、星野道夫の作品がスクリーンに映し出される。「星野道夫は何十時間、何百時間とその瞬間を待って、動物の生き生きとした瞬間を撮ってきた。今回のメンバーにも、時間をかけて練習したものを本番に全力で出してもらいたい」と願う。

 星野道夫と同じ市立平田小学校出身。平成18年に同ミュージカルに出演したこともあり、実行委員長に推された。

 「星野道夫は若くして市川市名誉市民になったけど、まだまだ知らない市民も多い。星野道夫がどうやって市川と関わって市川に足跡を残したか、市民に伝わるきっかけになってほしい」と望む58歳。「より多くの人に市民ミュージカルの活動を伝えたい。今後も続いてほしい」。  

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もの作りの楽しさを伝えたい

〜千葉県建築士会市川・浦安支部長

 堀川 成良 さん

 子供が段ボールだけで家や城、タワーなど大きな建物を作るイベントを毎年開催。「建築士の仕事を伝えたい」という思いに加え、「入れるほどの大きなもの作りの楽しさを知ってほしい」と、同支部の建築士、建築を学ぶ高校生や大学生らと楽しむ。

 自宅では子供が遊ぶ家具やおもちゃも手作りする。原点は子供のときに楽しんだ工作。大学では「自分の仕事が形になって残る」と建築を専攻。「建築は総合芸術。ビルや家、街、もののデザインなど幅広く扱える」と、現在は個人設計事務所を営む44歳。「クライアントの表情を見ながら求めるものを聞き出し、法律の制約などを踏まえ、使いやすさも考慮して設計する。業者との折衝も必要。関わる人たち皆をまとめる力が求められて大変だが、クライアントの希望をかなえることがやりがい」。

 夢は信頼関係でつながるコミュニティーを作ること。「自分ができることはちっぽけ。組織ではなく、さまざまな特技や職能を持つ人たちのコミュニティーで、互いの相談に乗り、希望をかなえ合えるのは素敵なこと」。信頼し合える縁を大切にする。  

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一つずつ勝って上位に入りたい

〜全日本女子剣道選手権に出場

 文違(ひじかい) 智子 さん

 小学校4年生のころ、剣道経験者の父親の影響で自宅近くの剣道教室・柏井剣志会に入会。東京学館中学・高校時代は全国大会や関東大会などで好成績を収めてきた。

 国際武道大学に進学してからはなかなか活躍することができなかったが、先月7日の県女子剣道選手権大会で3位に入賞。市川市剣道連盟所属の選手としては初めて、全日本女子剣道選手権大会に出場することが決まった。本番は来月23日。「初出場なのでまずは一回戦突破。一つずつ勝って上位に入りたい」と、一戦必勝を期す。

 他の選手とは違う間の外し方と、相手の弱点を見つける洞察力が強み。試合では「強い相手になるほど動きが良くなる」と、たじろぐことなく強敵に立ち向かっていける強心臓を併せ持っている。

 「剣道は練習でやってきたことが結果につながらないことが多い」というが、「相手が打たれて悔しがる顔が見たい。そして勝ったら外食する」と笑う。

 現在、大学4年生。保健体育の教職課程を履修している。「大学を卒業したら教員になりたい。そして剣道部の顧問になって、生徒たちを勝たせてあげたい」。  

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消防は地元のためにできる仕事

〜市川市消防局長

 本住 敏 さん

 小学2年生のとき、熊本県からから市川市に転居。小学生の頃、近所で火災が発生し、「火が燃え盛る中、消防士たちが建物の中に入っていくのを見てすごいと思った」と消防士に興味を持った。そして大学卒業後、「市内で育ててもらった恩返しをしたい」と消防士になった。

 「将来の夢で消防士になりたいと思う子供は多い。子供にとってヒーローみたいなもの。常に見られている気持ちを持って活動する」と心掛ける。「地元のために仕事ができるという喜びを知ってもらうために、市川市出身の消防士を増やしていきたい」と、市川に対する思い入れも強い。

 「火災現場で足を踏み外して2階から落ちそうになった」など、死と隣り合わせの現場を何度も経験。それでも「人を助けるのが任務」と、恐れずにいつでも現場に駆け付けた。

 今年度から消防局長に就任。「定年までの残りの5年間、消防の仕事を全力で成し遂げたい」と、決意を示す56歳。「定年してからも、のんびりと出初め式や消防のイベントを見に行ったりして、消防に関わっていきたい」。  

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皆で仲良く野菜作りをしたい

〜環境大臣表彰を受けた柏井きらく会の代表

 杉村 豊 さん

 平成13年、それまで利用していた市川市の市民農園が期間満了となり、開園したばかりの民間市民農園・柏井きらくファームの利用を開始。現在はナスやカボチャ、里芋など、年間を通して20~30種類の野菜を育てている。

 利用者で組織する柏井きらく会は、利用者間交流を図るため、農園の草刈りや清掃、生け垣の刈り込み、季節の花の植栽を行うなど積極的に活動。これが評価され、平成20年に県環境功労者として知事感謝状を受けると、今年6月には地域環境美化功績者として環境大臣表彰を受けた。

 「収穫した野菜を物々交換したり、野菜の作り方を教え合ったりして皆で仲良くやっている」。そんなアットホームな環境が、開園当初から利用率100%を維持する要因と言える。56人の利用者のうち70歳以上が33人と、高齢者が多くを占める。「頭や体を使うから農業は健康につながっている」と魅力を語る。

 「いつまでも野菜を作りながら、会のみんなと楽しくやれれば」と願う72歳。将来の夢は長生きをすること。「健康なまま、ピンピンコロリが一番良い」と笑う。  

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千葉県を代表して優勝目指す

〜女子児童選抜野球チーム「市川ガールズ」監督

 浅沼 不二男 さん

 「ピンチのときや味方がエラーをしたときにお互い励まし合ったり、チャンスのときにみんなで応援し合ったり、ワンプレーで試合の流れを変えたりできる。そして、勝利したときはチームみんなで喜び合える」と、野球の魅力を語る53歳。高校時代は、千葉商大付属高校で外野手としてレギュラーをつかみ取り、3年の春に甲子園に出場している。

 だが、子供の頃は地元の少年野球チームが解散したり、中学に野球部がなかったりと、本格的に野球ができなかった。それでも「とにかく野球がやりたかった」と、休日に大人の草野球チームでプレーするほど情熱を燃やしていた。

 市川ガールズが結成された平成25年、娘がメンバーに選ばれ、コーチに就任。指導の際は「失敗を恐れず前向きになれるように」と心掛けている。今年2月に監督に就任。5月に県大会を制し、初の全国大会出場を決めた。

 その大舞台は来月8日に開幕。「千葉県を代表して優勝を目指す」と大きな目標を据える。

 夢は女子野球の普及。そして「市川ガールズを巣立った選手に野球の指導者になってもらいたい」。  

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神輿、観客と一体になるお囃子を

〜約60年ぶりに復活した湊囃子連の頭取(代表)

 大屋 好成 さん

 「よくやったね」――。お囃子の演奏後、先代の湊囃子連の子や孫たちから声を掛けられた。「師匠からしたら聞いちゃいらんねぇもんだろうけど、スタートラインに立ってほっとしていた」ところだけに、「湊のお囃子を、地元の人間で復活、演奏までよくこぎつけた」と聞こえた褒め言葉だった。

 「祭りで遠くから笛や太鼓の音色が聞こえてくると心が勇み立つんだよ」。行徳に生まれ育ち、「行徳で一番の神輿担ぎを目指して弟といとこの3人で研究してきた」。お囃子もよく聞いていたが「繰り返しのようでも少しずつ拍子が違う。『(小数点の)コンマ何秒』の間が難しいんだよ」と実感。最年少は小学4年生、最年長は65歳の自分という仲間15人で練習に励む。

 次の目標は来年10月の行徳地区の四カ村例大祭での演奏。「皆で特訓して底上げしたい。神輿担ぎとお囃子の両方の良いところを知っている自分たちで神輿と観客、お囃子が一体となれる音色を奏でたい」。伝統技術を持つ工務店経営者として、お囃子の山車を製作する夢も持つ。「ひょうきんなバカ面踊りも復活させたい」。お囃子への思いは尽きない。  

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市議が平等に活動できる議会に

〜第70代市川市議会議長

 竹内 清海 さん

 「議長は市議42人の代表で責任が重いが、それ以上にやりがいがある。市議たちみんなが平等に活動できるように議会運営をしていきたい」と意気込む。
 
 平成11年、地元・曽谷出身の市議が不在となり、周囲からの後押しを受けて市川市議に立候補。以降5期連続で当選を果たしている。環境文教委員会や議会運営委員会の委員長などを歴任。議長は3期目にも務めており、今回で2回目となった。
 
 「与えられた時間はみんな平等。限りある時間をいかに使うかが大事」と、常に全力で物事に取り組む。国分川調節池緑地に野球場やサッカー場が整備される前には、同調節池の近隣自治会を中心に3666人の署名を集めるなどしてその実現に尽力。自身が経営する会社が主催する少年サッカー大会を30年以上続けるなど、市内でスポーツの振興に努めてきた。自身もスポーツは大好き。68歳のいまも、野球やゴルフをプレーしている。
 
 「今後は地方自治の伸展と市民福祉の向上に向けて努力していきたい」。議長としての1年間を全力で取り組んでいく。  

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市川を「身近に自然がある街」に

〜いちかわ森の交流会会長

 櫻井 正憲 さん

 「市川市のことは何も知らなかった」が、定年退職を機に市川市花と緑のまちづくり財団主催の「緑と花の市民大学」を受講。「自然保護の観点から市内に緑を残さないといけない」と思うにようになった。修了後、受講生とともに環境保護団体「いちかわ里山倶楽部」を設立。大野町の前畑緑地や堀之内貝塚公園でゴミ拾いや草刈り、枯れ木の除去などを行い、市民が散策を楽しめるようにした。平成24年からは、市内9団体の連絡協議会「いちかわ森の交流会」に加盟。各加盟団体の活動などが評価され、全国「みどりの愛護」のつどいで同28年に知事表彰、今年5月に国土交通大臣表彰を受けた。
 
 整備する際は、近隣住民から「自然に手をつけるな」「作業の音がうるさい」などとクレームもあるという。だが、「以前は人の入れなかった前畑緑地が、いまでは誰でも散策できるようになった」と大きなやりがいを感じている。
 
 「市川の緑を守り、市民の憩いの場を作りたい」と、今後も活動に励む74歳。「市川が『身近に自然がある街』になってほしい。そのために、どうしたらいいか常に考えていきたい」。  

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少しでも災害被害のない社会へ

〜浦安市消防団の初代女性分団長

 澤田 佳乃子 さん

 先輩の女性消防団員から「そんなに好きなら入っちゃえば」と誘われて、12年半前に入団。それまでは市内事業者の自衛消防隊の一員として屋内消火栓操法大会に参加。「競技は、普段関わりのない人たちと目標に向かって練習して、部活のようで楽しかった」。後輩選手の応援や、札幌で開かれた救助隊の全国大会にも見学に行っていた。入団後は、東日本大震災で上下水道が使えないなど苦労したときに助けてももらった。「消防を通じて〝仲間〟ができた」。
 
 女性分団は今年4月、21~64歳の33人で発足。消火活動はしないが、月に一度の訓練や会議のほか、救命講習や路上禁煙運動など啓発活動に力を尽くす。初代分団長として「一人一人がそれぞれの思いで消防団で活動している。彼女たちの思いを少しでも活動に生かしていきたい」と言う36歳。
 
 消防は「人命救助の素敵な職業。消防団として防災活動にも力を注ぎ、『いてくれると安心』と言われるように、地域に根差した活動で、少しでも災害被害のない社会を目指したい」。団員が増えればそれだけ発信力が高まる。SNSを使ったPRも楽しみつつ行う。  

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市川から新しいもの発信したい

〜市川市長

 村越 祐民 さん

 衆院議員を2期務めたが、平成24年の総選挙以降、国政の表舞台に立てないつらい時期が続いた。それでも、「この間、民間の仕事で経営の側面を勉強させてもらい、その経験が市長になって生きている。無駄な時間ではなかった」と前向きに捉える。昨年8月、前市長から次期市長選に出ないことを伝えられ、「前市長を擁立した一人として責任を感じた。郷里の宮久保の人から市長選に出てほしいという声もあり、後押しされた」と出馬を決意。再選挙になる接戦の末、4月に市長に就任した。

 「市長は市民と直接つながっている感覚がある。議員は何人かの一人だが、市長は一人。責任は遥かに大きいし、やりがいがある」と、国会議員との違いを感じている。「国政には戻らない。やりきるまで市長に居座り続ける」と充実の笑顔を見せる44歳。

 当面の目標としては「待機児童を解消すること」「税収を増やして街を成長させること」などを掲げる。「新たに起業する人が市川に集まるようにしたい。緑や海などの環境、伝統を守りながら、市川から新しいものを世界に発信できる流れを作りたい」。  

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市民と災害に備える消防団へ

〜第11代浦安市消防団長

 大川 三敏 さん

 「入団したきっかけは、熱心な勧誘を受けたこと」。平成元年から4年間の任期を務めて退団し、同23年に元団員による消防団支援隊として再入団。翌年から副団長を務め、この4月に団長の重責を背負った。魅力は「もちろん浦安市民の安心・安全のために尽くせること。それだけではなく、仕事とは違う利害関係のない人間の付き合いができること」。水産物の製造小売業を営んでいて多忙なため「合理的に進めないと両立はできない。仕事の効率アップにもつながっている」という54歳。

 副団長時代の6年間は、団員の確保に力を尽くした。「市の広報やコミュニティペーパーを活用したほか、団員一人一人が魅力を発信し、声掛けをしてきた」。現在の団員は136人。特に女性が増え、「昔よりも年齢や職種の幅が広がっている」。それが組織としてのメリットにもなっている。

 悩みは「まだまだ市民の皆さんには知られていない」こと。仕事後や休日の訓練・業務もあるが「志は自分たちのまちは自分たちで守ること。団員全員がやりがいを持ち、防災訓練などを通じて市民とともに災害に備える団を目指す」。  

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生徒たちが出す成果がうれしい

〜県立国府台高校書道部顧問

 後藤 浩 さん

 「生徒たちは自分の分身のようなもの。生徒たちが成果を出せば、それは自分の成果と同じくらいうれしく感じる」。

 小学2年生のときに習字教室で初めて筆を執って以来、現在まで書の道を歩む52歳。27歳のときから高校の書道教師となり、生徒の指導に当たっている。

 国府台高校の書道部顧問となって7年目。「それぞれの生徒が個々の力でたどり着けるところまでは、口を出さずに見守る。迷っているときや、伸びている瞬間を見極めてピンポイントでアドバイスをする」と心掛け、日本武道館書初め大展覧会と高校生国際美術展で内閣総理大臣賞、全日本高校書道コンクールで最優秀校賞を受賞するなど、全国トップクラスの書道部に育て上げた。

 指導の傍ら、自身も師匠のもとで研鑽を積み続け、日展入選や韓国で開かれた世界大会「世界青少年書芸大展」での指導教師賞受賞など結果を残してきた。「今後は作家としても、指導者としても全てにおいて可能な限りベストを尽くしたい。そして自分と同じような思いで書に取り組んでくれる後進が一人でも多く育ってほしい」。  

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「何があってもあきらめない」

〜浦安市消防本部第12代消防長

 宇田川 智久 さん

 浦安町消防本部入庁後、最初の2年間は消防隊と救急隊を担当し、3年目から救助隊、いわゆるレスキュー隊を希望して入隊。隊長を務めるまでに正義感、責任感を持って努めてきた。救助隊員は、火災で火の中に取り残された人や交通事故で車内に閉じ込められた人、工場で機械に挟まれた人などを救助。火災現場では、自らが火の中に向かう。「プロでも火災は恐ろしい。だが、人命救助が最優先。現場でたたき込まれたのは『何があってもあきらめない』こと」。その思いを胸に、消防職員190人を率いる。

 浦安生まれ浦安育ちの58歳。消防を目指したことについては「子供のころに消防団の訓練を見たとき、漁師の父親の『あの人たちが浦安のために頑張っている』という言葉が胸に残っている。自分も人の役に立つ仕事がしたいと思った」と振り返る。

 過去に何度も大火事で人命や財産を失ってきた浦安。市民には「火災、病気やけがで危険や不安を感じたら、すぐに119番通報を」と訴える。「今後も受け継いできた消防・救急の技術を伝承し、浦安を守り続けていきたい」  

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勝者の喜びを知ってほしい

〜全国選抜少年剣道錬成大会で優勝した鬼高剣友会の監督

 中村 裕太 さん

 館山市出身の31歳。剣道経験者だった父親の影響を受け、小学2年生のときにスポーツ少年団で剣道を始めた。高校は地元の剣道強豪校・県立安房高校に進学。3年生のときには、主将として春・夏ともに団体戦で全国大会に出場した。

 剣道は大学まで続け、社会人になってからは多忙でできなかったが、「剣道があっていまの自分がある」と、市川市に転居したのを機に鬼高剣友会に入会。3年程前からは、少年部指導責任者として小学生高学年チームの監督を務め、今年3月に行われた全国選抜少年剣道錬成大会では、同会初の優勝に導いた。

 指導で心掛けているのは「オリジナリティーを見極めて個性を伸ばす」こと。その上で「勝者にしか分からない喜びを知ってもらう」ため、〝勝ちにこだわる剣道〟を教える。「(一番大きな)夏の大会で優勝することが次の目標。そして教え子たちには、高校のインターハイや全日本剣道選手権で優勝してもらいたい」。指導者に報酬は一切ないが、「試合に勝って喜んでもらえることと、人として心が強くなっていってくれていること」が、何物にも代えられない報酬だ。  

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主体的に取り組める環境作る

〜浦安市教育長

 鈴木 忠吉 さん

 「子供と先生が主体的に取り組みたいことや教育ができるように環境整備をしたい」。浦安市立小中学校で17年間務め、市教委で教育行政に18年間携わった。その経験から、就任にあたり胸に抱く。

 浦安の漁師の家庭に生まれ、大学は法学部に進んだが先生を目指し、千葉県立教員養成所で小学校の教員免許を取得した。「さまざまな環境の子供たちが、ああでもない、こうでもないと集団で学ぶことが大切」と、子供たちに接してきた。自身の経験も踏まえて先生たちには「学習内容に足元の現実をつなげてほしい」と、新聞の活用や、身近な浦安の発展や海の汚染問題から日本全体について発展させる授業なども期待する。

 「高校野球の監督になりたい」と言うほどの野球好き。いまも、高校卒業時に作った浦安の野球チームでプレーする60歳。「野球は全員に役割があり、チャンスが回り、カバーし合う。分業、個と集団の役割が日本人の気質に合う」と野球の教育的効果も説く。

 自身に憧れて先生になったり、一緒に野球をしたりする教え子たちがいる。先生としてこれに勝る喜びはない。  

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大量生産に負けない工芸品作る

〜千葉県伝統的工芸品に指定された「江戸つまみかんざし」製作者

 穂積 裕 さん

 名人・故石田竹次のもとで修行した父・実さんらから教えを受け、物心がついたころから作り始めていた江戸つまみかんざし。先月27日、両親に続いて県伝統的工芸品の製作者として指定された。「一から頑張ってきた親父の後継者として気苦労はあるが、いろいろな方々に支えてもらってきたから指定を受けることができた」と、感謝の気持ちは大きい。

 国内で作ることにこだわり、「きれいな物を作ることは大前提。それをいかに売ることができるかが大事。売れなければ良い商品とは言えない。中国で大量生産して安く販売することもできるかもしれないけど、それに負けない良い商品を作り続けていきたい」と熱い気持ちを持つ。ただ、「かんざし作りだけでは経済的に厳しい」と、会社員との「二刀流」で製作に勤しんでいる。

 現状、書き入れ時は七五三のときだが、「その時期だけに限らず、使ってもらいたい」と望む46歳。「江戸つまみかんざしは単なる造花ではなく、あくまで伝統工芸品。親が切り開いてきたものを残すのはもちろん、伝統工芸品を守り続けていきたい」。  

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伝統文化を進化させ、未来へ

〜県伝統的工芸品に指定された行徳神輿の製作者

 中台 洋 さん

 国内でも珍しく、材料の選定から漆塗り、彫刻、組み立てまでの全ての工程を自社で行う神輿製作所・中台製作所の5代目。先代の實さんに続き、親子2代で県の伝統的工芸品の製作者に指定された。

 高校卒業後、神輿の製作に必要な漆塗りや金箔押しの技術を身に着けるため、愛知県の仏具製作所で4年間修行。その後、中台製作所で神輿製作に勤しんできた。平成25年に5代目を継いでからは、台湾の寺院に神輿を奉納したり、日本文化を広めるフランスでのイベントで神輿を紹介したりと、国外でも活動してきた。

 時代の流れで神輿の需要が減り、「何度もやめたいと思った」。それでも「客から『頑張れ』『ありがとう』と言われたことが励みになってきた」と製作所を続け、市川市内唯一の神輿製作所として成長してきた。

 夢は「『まだやってたのかこいつら』と言われるような、ナンバー1でありオンリー1でもある神輿屋」になること。「先人から受け継がれた伝統文化を進化させ、未来へとつなげる」。その使命を果たすべく、神輿作りは続いていく。  

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気持ちがシャンとするお洒落

〜「浦安お洒落踊り保存会」会長

 山﨑 八重子 さん

 「お洒落は私の生きがい。楽しみです」。漁師の家に生まれ、小さなころから踊りが大好きで、七五三や新築祝いなどお祝い事の後、唄や三味線、太鼓などに合わせて派手な着物で女性たちが踊る姿に魅せられてきた。

 本格的に習い始めたのは中学生になってから。17歳のころには家業の海苔養殖を手伝いながら、上手な踊り手の元に通い、難曲とされる『白枡粉屋踊り』を3日で会得、母に教えたという逸話を持つ。

 戦後、娯楽の多様化もあって、『お洒落』が消滅の危機に瀕していた昭和47年、有志が保存会を結成して復活。子育てが一段落した同57年に入会し、踊りの指導員を務め、平成25年に会長に推された。会員は現在21人。市内外での催しに参加し、浦安市立小3年生への出前授業も展開する。

 2年ほど前からは「腰が曲がり、きれいに踊れない」と、すり鉦などの鳴り物を担当するが、83歳のいまでも毎週土曜日には市郷土博物館での練習会に出向き、指導に当たる。「難しい踊りですが、足腰を鍛え、気持ちもシャンとさせてくれます」と話し、初心者の参加を待っている。  

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恩返しにレスリング選手育成

〜ジュニアレスリング・市川コシティクラブ監督

 ジャボ・エスファンジャーニ さん

 五輪や世界大会で多くの金メダリストを輩出してきたレスリングの強豪国・イラン出身。イラン・イラク戦争に出征した経験を持つ。戦地から戻った後、国への不信感が募り、日本でレスリングをしていたイラン人の友人を頼って23歳のときに日本へ渡ってきた。

 日本に来てからは「1日15時間くらい働くこともあった」とがむしゃらに働き、「国の家族に仕送りができるようになった」と日本に感謝の気持ちを持つ。そして、「恩返しのためにイランで学んだコシティ(レスリング)の経験を伝えたい」と、平成24年に市川コシティクラブを設立。自身の子供6人を含め、全国大会や世界大会で活躍する選手を大勢育成してきた。子供たちには、体幹を強くするイラン体操や、相手の力を利用して倒すイラン独自のタックルの技、「日本よりも厳しい」というイラン流の礼儀を教える。

 「イランでレスラーは、日本で言うと侍のようなもの。レスリングをすることはそれだけ名誉なこと」と目を細める50歳。「コシティクラブからオリンピアンが出ればうれしい。そして、オリンピックチャンピオンを育てたい」。  

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氷彫刻は料理と同じおもてなし #

〜2018年氷彫刻世界大会(個人戦)6度目の優勝

 井上 仁 さん

 ノミや電動チェーンソーなどを駆使し、40時間かけて作り上げる氷彫刻。世界トップクラスの技を持つ日本人が数多く出場する同大会で6度目の優勝を果たした。次点との差は通常1点差未満だが、3点差の圧勝。「自分にしかできないものを作るために、人間の骨格も学び、美術館や博物館にも通うなど力を注いでいる。技術を示さないと、本当に勝てない」。

 子供の頃から菓子作りや料理に親しむ。高校卒業後は専門学校へ進み、ホテルに就職。やがて、宴会などで使われる器や料理を引き立てる氷彫刻の技を持つシェフに出会い、業務外で修行。「氷は溶けて輝きを増す。ガラスにはない変化が魅力。そして、料理と同じようにおもてなしで、一度きりのワンメーク」。当初は「サービス」程度に考えていたが、経験を重ねるほどにプロ意識が芽生え、圧倒的な技術を身に付けた。

 担当する舞浜の3つのホテルの氷彫刻を部下6人と一手に担う。「部下には、私を脅かす存在になってほしい。切磋琢磨し、みんなで強いチームを作りたい」。全ては、お客さまに喜んでもらうためのおもてなし。  

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車いすバスケの魅力伝えたい

〜車いすバスケ英国代表チームの浦安事前キャンプ実現に尽力

 小瀧 修 さん

 パラリンピックのソウル、バルセロナ大会では車いすバスケットボール日本代表の選手、アトランタ、シドニー大会ではヘッドコーチを務め、現在は日本車いすバスケットボール連盟の常務理事。連盟は英国協会との交流も深く、東京大会の事前キャンプ地を探していた英国側に浦安を紹介した。「英国チームの練習試合や選手との交流を通じて、浦安市民に車いすバスケットの魅力が伝われば」。

 高校3年生のとき、バタフライの練習中に背中に痛みが走った。背骨に血腫があり、脊髄損傷だった。1年半の入院とリハビリの中で車いすバスケットに出合う。車いすごと激突し、攻防を繰り広げるスポーツに心が躍り、都内の車いすバスケチームに入団、26歳で浦安市役所に就職した。車いすバスケの強豪「千葉ホークス」に移って活躍する一方、市役所では平成27年に障がい福祉課長で定年退職するまで、子育てや障害者支援施策などを数多く手掛けた。

 好きな言葉は「挑戦」。63歳のいまも「可能性を求め、挑戦し続ければ世界が広がる」。日本代表ゼネラルマネジャーとして「東京で男女ともメダル獲得」に挑む。  

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〜フランス料理国際コンクールで2位

 工藤 雅克 さん

 「仕事の集大成と、修業したフランスへの尊敬の念から臨んだ」。その努力と思いが実を結び、歴史と権威があるフランス料理の国際コンクールで2位に輝いた。

 幼稚園児のころの夢が「コックさん」で、高校を卒業して調理師専門学校へ進んだ。目指したのはすし職人だが、友人の代理で出向いたアルバイト先のホテルでフランス料理に出合い、方向転換。就職3年目から「この料理が生まれたフランスに行きたい」と、現地のレストランに手紙を送り続けて渡仏。1つ星、2つ星、3つ星の店で経験を重ね、腕を磨き続けた。

 「コンクールに出場するのは、挑戦し続ける人、仕事にどん欲な人の証」と、そうした先輩の下で修行を重ねた。料理の道で形を残し、同じ志を持つ人との出会いを増やそうと、自身もコンクールに挑み続けてきた。

 「後輩に挑戦することの大切さを伝えたい」と思いを抱く47歳は「若い人に、他人の料理の腕を積極的に吸収するどん欲さを持ってほしい」と期待。「どこまで真剣にのめりこむか。私は、日本一おいしい料理を作るチームを作りたい」。挑戦は続く。  

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日本と世界の農業を変えたい

〜高校生ビジネスプラン・グランプリでグランプリを受賞

 余田 大輝 さん

 「中学生のころから、起業して社会を変えるのが夢だった」。高校に入学した昨年度、保育園不足を解消するために空き家を活用するプランで初めて高校生ビジネスプラン・グランプリにエントリーしたが、ベスト100にとどまった。再び臨んだ今年度は、加藤泰成君と島田恵佑君とチームを組み、衰退する棚田を未来に残すプランを提案。3247組の頂点に立った。

 1年ほど前、インターネットで棚田の問題を知り、島田君と加藤君に相談してチームを結成。2人は「すごい熱意だった」と当時を振り返る。加藤君は稲刈機の試作機を、島田君は稲刈機が走るCGなどを制作。そんな2人に「自分1人ではできなかった。3人だからこそできた」と感謝する。

 2度の同グランプリでの提案内容は、成功すれば「社会を変える」という夢に合致する。「高校在学中に起業して棚田に良い影響を与えていきたい。そこから農業全体を考え、日本、さらには世界にも良い影響を与えていきたい」。このスケールの大きな夢に、2人は「全力でサポートしていきたい」と軌を一にする。  

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学びで自ら変わることが面白い

〜平成29年度文部科学大臣優秀教職員表彰を受けた

 勝田 紀仁 さん

 浦安市の理科教育で中核的な役割を担う教諭として表彰された。「授業はパターン化してしまう。学校の外に出て、子供に対するアプローチの仕方が間違っていないかなどを改めて大学院で学んだ。ほぼほぼ確信を持て、大事なことが見えてきたと思う」。

 関心を持つのは、生徒の科学的な思考力・表現力の育成。大学教授の研究成果を活用し、教材「コア知識一覧表」「ふりかえりシート」を作成。「物事の本質をとらえるためには、押さえておく知識がある。それを実社会で応用できるように学ばせたい」。いずれも、自身が勤める市立入船中学校の理科教諭が活用し、来年度から千葉県教育委員会が教材とする。

 「注目されている面白実験を楽しむことにとどまらず、学ぶことで自分が変わっていくことの面白さを生徒たちに味わわせてあげたい」との思いを抱く45歳。懸念は、20~30代の若手教諭に経験や知識を伝える40代の中堅教諭が少ないこと。「受け継がれてきた教育的な文化が失われかねない。また、若手には、たくさんある優れた教育的知見を積極的に取り入れてほしい」と願う。  

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探求する思いは誰にも負けない

〜第1回市川市文化振興財団芸術文化奨励賞を受賞

 海宝 直人 さん

 姉が『アニー』に出演していたことなどから、「物心つく前から身近にあった」というミュージカル。7歳のとき、劇団四季『美女と野獣』の子役オーディションに合格し、その世界に足を踏み入れた。その後は『ライオンキング』のシンバ役や、『アラジン』のアラジン役など主役級を経験し、若手を代表するミュージカル俳優へと成長。歌唱力には定評があり、ロックバンド「シアノタイプ」のボーカルとしても活躍中だ。

 「ミュージカルがない生活は考えられない。生活の一部」と、ミュージカルと共に人生を歩んできた。「新しい作品に出合うたびに壁にぶつかる。それでもチャレンジして稽古を重ね、公演初日を迎えられたときの喜びはとても大きい」とやりがいを感じている。

 「歌が特に好きなので、そこを探求するエネルギーや思いは誰にも負けたくない」と強い気持ちを抱く29歳。「今後はミュージカルはもちろん、バンド活動も続け、いろいろな活動をしていきたい。そしてニューヨークやロンドンなどの本場でミュージカルに出演したい」。夢をかなえるべく、今後も探究心を持って挑み続ける。  

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家族で、町で見守ってほしい

〜認知症などの支援・啓発を行う市民団体キラキラ応援隊代表

 藤木 豊 さん

 認知症について話ができる場「認知症カフェ」を毎月1回開き、認知症サポーター養成講座の講師も担う。「認知症は誰もがかかり得る病気で、その特徴と支援の仕方を理解すれば、相手に優しく接することができる」と訴える80歳。

 定年退職、再就職を経て2度目のリタイアを迎えたとき、うらやす市民大学でライフデザインと介護の講座を受け、出会った仲間と約6年前に同団体を発足した。メンバーは12人で年齢は60~70代だが、その分、介護経験者も多い。「皆が、介護で困っている家族を助けたい、人の役に立ちたい――と積極的に参加してくれているのがうれしい」と感謝する。

 専門家が講師を務める講演会の開催、買い物代行にも活動を広げているほか、市内外の小学校と高校で子供向け養成講座も積極的に開いている。「残念ながら、認知症の人の子供にあたる中年世代の受講は少ないが、子供を通じて伝えられる。皆が認知症のことを知っていれば、家族で、町で見守ることができる。徘徊しても安心できるような先進の町もある」。願いは、誰もが相手に優しく接するまち・浦安。  

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徹底した行政運営をしていく

〜市川市副市長

 笠原 智 さん

 東京都江戸川区出身で、中学2年のときから市川市に在住。「人が穏やかでスマートで、言葉遣いが丁寧。街もきれいで平和。市川以外に住みたいとは思えない」と、市川市への愛着は強い。

 昭和52年に入庁し、農水産課や交通対策課、財政課など多くの部署を経験。4部署の部長を歴任した。平成27年に退職し、再任用で危機管理監に就任。そして昨年12月、市長が長期不在となる事態に備え、副市長に選任された。

 「初めて配属された農水産課では市川特産の梨を守るため、スコップやノコギリを使って土まみれになりながら、梨の病害の原因となる植栽の移設をした」と振り返る。肉体労働も多かったが、「大変だったとは思わない」と言い切る。多くの部署で働いたが、「異動するたびに思い切り勉強してきた」と、努力を重ねてきた。

 「市長不在の中、徹底した行政運営をしていきたい。待機児童の問題解決や、スポーツをできる環境の拡充、高齢者が住みやすい環境の整備、教育水準の向上、災害に強い街を目指したい」。さまざまな部署での経験を、市長不在が続く難局で生かしていく。  

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ステージに立ち自慢してほしい

〜第10回ファッションショーを開いた着物リメイク研究会代表

 阿部 嘉子 さん

 着物を洋服に仕立て直す着物リメイク。古くなった和服は捨てられたり、タンスの奥にしまわれたりすることが多いが「天然素材で、生地も柄も良質。父母など持ち主の思い出も身にまとえるんです」。

 市川市の公民館で洋裁教室の講師を務めていた平成15年、公民館の主催講座として提案した「着物リメイク」で講師を務め、修了生と同研究会を結成した。やがて、作品の発表の場としてファッションショーを企画。制作者自身がモデルになるために尻込みする会員もいたが、結果は大好評。昨年の第10回も満員御礼で終えた。「ファッションショーは魅力あるイベント。高齢者でも、頑張って作った服を着てステージに立って、生き生きと自慢してほしい」。

 洋裁の先生になり、母親に請われて初めてリメイクをして以来、作り続けている。自分が20歳のときの訪問着で娘の結婚式のドレスや、孫のベビードレスも作った。「街で『素敵ですね』と声掛けられることもある。着物リメイクは私の生きがいで、いまも青春。誰よりも、私が良い作品を作りたい」。故郷の京言葉で着物リメイクを語る姿は、何よりも楽しそう。  

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誰でも手入れできる花壇にしたい

〜弁天公園花の会会長

 佐々木 順子 さん

 元々は「知っている花はチューリップとヒマワリくらいだった」が、会設立後は「弁天公園の美化活動が生活リズムになった。常に花壇のことを気にかけるようになった」と、自ずと花に興味が湧いてきた。

 設立後しばらくは、植えたばかりのパンジーやコスモスが全滅し、公園利用者に「ちゃんと手入れをしていないんじゃないか」と言われることもあった。しかし、肥料を入れて土を耕す作業を繰り返して一年中花が咲き誇る花壇になり、「ありがとう」と言ってもらえるようになった。

 今月で設立から丸10年。現在も16人の会員たちが同公園で週一度の水やりとゴミ拾い、年3回の花の植え替えを続けている。地域住民らも肥料を提供してくれたり、ゴミ拾いを手伝ってくれたりと協力。平成27年には、美化活動が評価されて行徳警察署から感謝状も受けた。

 「今後は、若い人と高齢者が花を慈しみ、誰でも花の手入れができるようなオープンな花壇にしていきたい」と願う62歳。これからも公園が行徳地区の憩いの場となるよう、美化活動にいそしんでいく。  

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