市川よみうり & 浦安よみうり online

連載「人」

ホームページ >
「人」リスト〜2018年

伝統文化を進化させ、未来へ

〜県伝統的工芸品に指定された行徳神輿の製作者

 中台 洋 さん

 国内でも珍しく、材料の選定から漆塗り、彫刻、組み立てまでの全ての工程を自社で行う神輿製作所・中台製作所の5代目。先代の實さんに続き、親子2代で県の伝統的工芸品の製作者に指定された。

 高校卒業後、神輿の製作に必要な漆塗りや金箔押しの技術を身に着けるため、愛知県の仏具製作所で4年間修行。その後、中台製作所で神輿製作に勤しんできた。平成25年に5代目を継いでからは、台湾の寺院に神輿を奉納したり、日本文化を広めるフランスでのイベントで神輿を紹介したりと、国外でも活動してきた。

 時代の流れで神輿の需要が減り、「何度もやめたいと思った」。それでも「客から『頑張れ』『ありがとう』と言われたことが励みになってきた」と製作所を続け、市川市内唯一の神輿製作所として成長してきた。

 夢は「『まだやってたのかこいつら』と言われるような、ナンバー1でありオンリー1でもある神輿屋」になること。「先人から受け継がれた伝統文化を進化させ、未来へとつなげる」。その使命を果たすべく、神輿作りは続いていく。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

気持ちがシャンとするお洒落

〜「浦安お洒落踊り保存会」会長

 山﨑 八重子 さん

 「お洒落は私の生きがい。楽しみです」。漁師の家に生まれ、小さなころから踊りが大好きで、七五三や新築祝いなどお祝い事の後、唄や三味線、太鼓などに合わせて派手な着物で女性たちが踊る姿に魅せられてきた。

 本格的に習い始めたのは中学生になってから。17歳のころには家業の海苔養殖を手伝いながら、上手な踊り手の元に通い、難曲とされる『白枡粉屋踊り』を3日で会得、母に教えたという逸話を持つ。

 戦後、娯楽の多様化もあって、『お洒落』が消滅の危機に瀕していた昭和47年、有志が保存会を結成して復活。子育てが一段落した同57年に入会し、踊りの指導員を務め、平成25年に会長に推された。会員は現在21人。市内外での催しに参加し、浦安市立小3年生への出前授業も展開する。

 2年ほど前からは「腰が曲がり、きれいに踊れない」と、すり鉦などの鳴り物を担当するが、83歳のいまでも毎週土曜日には市郷土博物館での練習会に出向き、指導に当たる。「難しい踊りですが、足腰を鍛え、気持ちもシャンとさせてくれます」と話し、初心者の参加を待っている。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

恩返しにレスリング選手育成

〜ジュニアレスリング・市川コシティクラブ監督

 ジャボ・エスファンジャーニ さん

 五輪や世界大会で多くの金メダリストを輩出してきたレスリングの強豪国・イラン出身。イラン・イラク戦争に出征した経験を持つ。戦地から戻った後、国への不信感が募り、日本でレスリングをしていたイラン人の友人を頼って23歳のときに日本へ渡ってきた。

 日本に来てからは「1日15時間くらい働くこともあった」とがむしゃらに働き、「国の家族に仕送りができるようになった」と日本に感謝の気持ちを持つ。そして、「恩返しのためにイランで学んだコシティ(レスリング)の経験を伝えたい」と、平成24年に市川コシティクラブを設立。自身の子供6人を含め、全国大会や世界大会で活躍する選手を大勢育成してきた。子供たちには、体幹を強くするイラン体操や、相手の力を利用して倒すイラン独自のタックルの技、「日本よりも厳しい」というイラン流の礼儀を教える。

 「イランでレスラーは、日本で言うと侍のようなもの。レスリングをすることはそれだけ名誉なこと」と目を細める50歳。「コシティクラブからオリンピアンが出ればうれしい。そして、オリンピックチャンピオンを育てたい」。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

氷彫刻は料理と同じおもてなし #

〜2018年氷彫刻世界大会(個人戦)6度目の優勝

 井上 仁 さん

 ノミや電動チェーンソーなどを駆使し、40時間かけて作り上げる氷彫刻。世界トップクラスの技を持つ日本人が数多く出場する同大会で6度目の優勝を果たした。次点との差は通常1点差未満だが、3点差の圧勝。「自分にしかできないものを作るために、人間の骨格も学び、美術館や博物館にも通うなど力を注いでいる。技術を示さないと、本当に勝てない」。

 子供の頃から菓子作りや料理に親しむ。高校卒業後は専門学校へ進み、ホテルに就職。やがて、宴会などで使われる器や料理を引き立てる氷彫刻の技を持つシェフに出会い、業務外で修行。「氷は溶けて輝きを増す。ガラスにはない変化が魅力。そして、料理と同じようにおもてなしで、一度きりのワンメーク」。当初は「サービス」程度に考えていたが、経験を重ねるほどにプロ意識が芽生え、圧倒的な技術を身に付けた。

 担当する舞浜の3つのホテルの氷彫刻を部下6人と一手に担う。「部下には、私を脅かす存在になってほしい。切磋琢磨し、みんなで強いチームを作りたい」。全ては、お客さまに喜んでもらうためのおもてなし。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

車いすバスケの魅力伝えたい

〜車いすバスケ英国代表チームの浦安事前キャンプ実現に尽力

 小瀧 修 さん

 パラリンピックのソウル、バルセロナ大会では車いすバスケットボール日本代表の選手、アトランタ、シドニー大会ではヘッドコーチを務め、現在は日本車いすバスケットボール連盟の常務理事。連盟は英国協会との交流も深く、東京大会の事前キャンプ地を探していた英国側に浦安を紹介した。「英国チームの練習試合や選手との交流を通じて、浦安市民に車いすバスケットの魅力が伝われば」。

 高校3年生のとき、バタフライの練習中に背中に痛みが走った。背骨に血腫があり、脊髄損傷だった。1年半の入院とリハビリの中で車いすバスケットに出合う。車いすごと激突し、攻防を繰り広げるスポーツに心が躍り、都内の車いすバスケチームに入団、26歳で浦安市役所に就職した。車いすバスケの強豪「千葉ホークス」に移って活躍する一方、市役所では平成27年に障がい福祉課長で定年退職するまで、子育てや障害者支援施策などを数多く手掛けた。

 好きな言葉は「挑戦」。63歳のいまも「可能性を求め、挑戦し続ければ世界が広がる」。日本代表ゼネラルマネジャーとして「東京で男女ともメダル獲得」に挑む。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

〜フランス料理国際コンクールで2位

 工藤 雅克 さん

 「仕事の集大成と、修業したフランスへの尊敬の念から臨んだ」。その努力と思いが実を結び、歴史と権威があるフランス料理の国際コンクールで2位に輝いた。

 幼稚園児のころの夢が「コックさん」で、高校を卒業して調理師専門学校へ進んだ。目指したのはすし職人だが、友人の代理で出向いたアルバイト先のホテルでフランス料理に出合い、方向転換。就職3年目から「この料理が生まれたフランスに行きたい」と、現地のレストランに手紙を送り続けて渡仏。1つ星、2つ星、3つ星の店で経験を重ね、腕を磨き続けた。

 「コンクールに出場するのは、挑戦し続ける人、仕事にどん欲な人の証」と、そうした先輩の下で修行を重ねた。料理の道で形を残し、同じ志を持つ人との出会いを増やそうと、自身もコンクールに挑み続けてきた。

 「後輩に挑戦することの大切さを伝えたい」と思いを抱く47歳は「若い人に、他人の料理の腕を積極的に吸収するどん欲さを持ってほしい」と期待。「どこまで真剣にのめりこむか。私は、日本一おいしい料理を作るチームを作りたい」。挑戦は続く。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

日本と世界の農業を変えたい

〜高校生ビジネスプラン・グランプリでグランプリを受賞

 余田 大輝 さん

 「中学生のころから、起業して社会を変えるのが夢だった」。高校に入学した昨年度、保育園不足を解消するために空き家を活用するプランで初めて高校生ビジネスプラン・グランプリにエントリーしたが、ベスト100にとどまった。再び臨んだ今年度は、加藤泰成君と島田恵佑君とチームを組み、衰退する棚田を未来に残すプランを提案。3247組の頂点に立った。

 1年ほど前、インターネットで棚田の問題を知り、島田君と加藤君に相談してチームを結成。2人は「すごい熱意だった」と当時を振り返る。加藤君は稲刈機の試作機を、島田君は稲刈機が走るCGなどを制作。そんな2人に「自分1人ではできなかった。3人だからこそできた」と感謝する。

 2度の同グランプリでの提案内容は、成功すれば「社会を変える」という夢に合致する。「高校在学中に起業して棚田に良い影響を与えていきたい。そこから農業全体を考え、日本、さらには世界にも良い影響を与えていきたい」。このスケールの大きな夢に、2人は「全力でサポートしていきたい」と軌を一にする。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

学びで自ら変わることが面白い

〜平成29年度文部科学大臣優秀教職員表彰を受けた

 勝田 紀仁 さん

 浦安市の理科教育で中核的な役割を担う教諭として表彰された。「授業はパターン化してしまう。学校の外に出て、子供に対するアプローチの仕方が間違っていないかなどを改めて大学院で学んだ。ほぼほぼ確信を持て、大事なことが見えてきたと思う」。

 関心を持つのは、生徒の科学的な思考力・表現力の育成。大学教授の研究成果を活用し、教材「コア知識一覧表」「ふりかえりシート」を作成。「物事の本質をとらえるためには、押さえておく知識がある。それを実社会で応用できるように学ばせたい」。いずれも、自身が勤める市立入船中学校の理科教諭が活用し、来年度から千葉県教育委員会が教材とする。

 「注目されている面白実験を楽しむことにとどまらず、学ぶことで自分が変わっていくことの面白さを生徒たちに味わわせてあげたい」との思いを抱く45歳。懸念は、20~30代の若手教諭に経験や知識を伝える40代の中堅教諭が少ないこと。「受け継がれてきた教育的な文化が失われかねない。また、若手には、たくさんある優れた教育的知見を積極的に取り入れてほしい」と願う。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

探求する思いは誰にも負けない

〜第1回市川市文化振興財団芸術文化奨励賞を受賞

 海宝 直人 さん

 姉が『アニー』に出演していたことなどから、「物心つく前から身近にあった」というミュージカル。7歳のとき、劇団四季『美女と野獣』の子役オーディションに合格し、その世界に足を踏み入れた。その後は『ライオンキング』のシンバ役や、『アラジン』のアラジン役など主役級を経験し、若手を代表するミュージカル俳優へと成長。歌唱力には定評があり、ロックバンド「シアノタイプ」のボーカルとしても活躍中だ。

 「ミュージカルがない生活は考えられない。生活の一部」と、ミュージカルと共に人生を歩んできた。「新しい作品に出合うたびに壁にぶつかる。それでもチャレンジして稽古を重ね、公演初日を迎えられたときの喜びはとても大きい」とやりがいを感じている。

 「歌が特に好きなので、そこを探求するエネルギーや思いは誰にも負けたくない」と強い気持ちを抱く29歳。「今後はミュージカルはもちろん、バンド活動も続け、いろいろな活動をしていきたい。そしてニューヨークやロンドンなどの本場でミュージカルに出演したい」。夢をかなえるべく、今後も探究心を持って挑み続ける。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

家族で、町で見守ってほしい

〜認知症などの支援・啓発を行う市民団体キラキラ応援隊代表

 藤木 豊 さん

 認知症について話ができる場「認知症カフェ」を毎月1回開き、認知症サポーター養成講座の講師も担う。「認知症は誰もがかかり得る病気で、その特徴と支援の仕方を理解すれば、相手に優しく接することができる」と訴える80歳。

 定年退職、再就職を経て2度目のリタイアを迎えたとき、うらやす市民大学でライフデザインと介護の講座を受け、出会った仲間と約6年前に同団体を発足した。メンバーは12人で年齢は60~70代だが、その分、介護経験者も多い。「皆が、介護で困っている家族を助けたい、人の役に立ちたい――と積極的に参加してくれているのがうれしい」と感謝する。

 専門家が講師を務める講演会の開催、買い物代行にも活動を広げているほか、市内外の小学校と高校で子供向け養成講座も積極的に開いている。「残念ながら、認知症の人の子供にあたる中年世代の受講は少ないが、子供を通じて伝えられる。皆が認知症のことを知っていれば、家族で、町で見守ることができる。徘徊しても安心できるような先進の町もある」。願いは、誰もが相手に優しく接するまち・浦安。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

徹底した行政運営をしていく

〜市川市副市長

 笠原 智 さん

 東京都江戸川区出身で、中学2年のときから市川市に在住。「人が穏やかでスマートで、言葉遣いが丁寧。街もきれいで平和。市川以外に住みたいとは思えない」と、市川市への愛着は強い。

 昭和52年に入庁し、農水産課や交通対策課、財政課など多くの部署を経験。4部署の部長を歴任した。平成27年に退職し、再任用で危機管理監に就任。そして昨年12月、市長が長期不在となる事態に備え、副市長に選任された。

 「初めて配属された農水産課では市川特産の梨を守るため、スコップやノコギリを使って土まみれになりながら、梨の病害の原因となる植栽の移設をした」と振り返る。肉体労働も多かったが、「大変だったとは思わない」と言い切る。多くの部署で働いたが、「異動するたびに思い切り勉強してきた」と、努力を重ねてきた。

 「市長不在の中、徹底した行政運営をしていきたい。待機児童の問題解決や、スポーツをできる環境の拡充、高齢者が住みやすい環境の整備、教育水準の向上、災害に強い街を目指したい」。さまざまな部署での経験を、市長不在が続く難局で生かしていく。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

ステージに立ち自慢してほしい

〜第10回ファッションショーを開いた着物リメイク研究会代表

 阿部 嘉子 さん

 着物を洋服に仕立て直す着物リメイク。古くなった和服は捨てられたり、タンスの奥にしまわれたりすることが多いが「天然素材で、生地も柄も良質。父母など持ち主の思い出も身にまとえるんです」。

 市川市の公民館で洋裁教室の講師を務めていた平成15年、公民館の主催講座として提案した「着物リメイク」で講師を務め、修了生と同研究会を結成した。やがて、作品の発表の場としてファッションショーを企画。制作者自身がモデルになるために尻込みする会員もいたが、結果は大好評。昨年の第10回も満員御礼で終えた。「ファッションショーは魅力あるイベント。高齢者でも、頑張って作った服を着てステージに立って、生き生きと自慢してほしい」。

 洋裁の先生になり、母親に請われて初めてリメイクをして以来、作り続けている。自分が20歳のときの訪問着で娘の結婚式のドレスや、孫のベビードレスも作った。「街で『素敵ですね』と声掛けられることもある。着物リメイクは私の生きがいで、いまも青春。誰よりも、私が良い作品を作りたい」。故郷の京言葉で着物リメイクを語る姿は、何よりも楽しそう。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ

誰でも手入れできる花壇にしたい

〜弁天公園花の会会長

 佐々木 順子 さん

 元々は「知っている花はチューリップとヒマワリくらいだった」が、会設立後は「弁天公園の美化活動が生活リズムになった。常に花壇のことを気にかけるようになった」と、自ずと花に興味が湧いてきた。

 設立後しばらくは、植えたばかりのパンジーやコスモスが全滅し、公園利用者に「ちゃんと手入れをしていないんじゃないか」と言われることもあった。しかし、肥料を入れて土を耕す作業を繰り返して一年中花が咲き誇る花壇になり、「ありがとう」と言ってもらえるようになった。

 今月で設立から丸10年。現在も16人の会員たちが同公園で週一度の水やりとゴミ拾い、年3回の花の植え替えを続けている。地域住民らも肥料を提供してくれたり、ゴミ拾いを手伝ってくれたりと協力。平成27年には、美化活動が評価されて行徳警察署から感謝状も受けた。

 「今後は、若い人と高齢者が花を慈しみ、誰でも花の手入れができるようなオープンな花壇にしていきたい」と願う62歳。これからも公園が行徳地区の憩いの場となるよう、美化活動にいそしんでいく。  

「人」リスト〜2018年
ホームページ