ホンネで語る教育の理想と現実
教員の工夫や自主性を制限 世界に遅れる日本の教育
元市川市教育長 最首 輝夫
これからの日本の教育を考えるために、その歩みを辿(たど)ってみたい。
まずは学校教育の現状。残念ながら世界から見ればかなりの遅れをとっていると言わざるを得ない。
一九九〇年代後半にそのことに気付き、民間出身の文部大臣(当時)の教育改革によって二十一世紀への展望を見出したのが一九九九年の『これからの教育』(中教審答申)。
しかし前政権はこれを否定し、その結果、日本の教育はこの数年、急速に過去への逆行が起きている。
その原因が国際学力調査PISA(OECD生徒の学習到達度調査)やTIMSS(国際教育到達度評価学会の国際数学・理科教育動向調査)に端を発する学力低下論である。
これに勢いづいたのが授業時数削減を伴う前指導要領導入時に反対を唱えた学力低下論者であり、危機感を煽(あお)るメディアと世論に押された文科省が前指導要領の完全実施直前にブレーキを踏まないまま突然バックギアに入れたことに全てが始まる。教育の本質である「ゆとり」を悪者にし、更さらに安倍政権が相乗りして世界の教育の流れに逆行する方向へアクセルをいっぱいに踏み込んだのである。
現場は大混乱に陥ったが教育の中央集権化が確立されている日本では、国主導の政策に教育委員会・学校は従わざるを得ない。
二十年も前に個性尊重教育と言い出しながら画一金太郎飴(あめ)学校から未(いま)だに抜け出せない日本の学校。その授業風景を覗(のぞ)いてみよう。
箱型の教室、前面に黒板、机が黒板に向かって縦横揃(そろ)えて整然と並び姿勢を正した子供達が座っている。教壇は無くなったものの先生は黒板の前に立ち、子供と対面状態で授業が進む。教室内は静寂で、時折「ハーイ」という揃った声が聞こえてくる。最近では授業中に立ち歩く子供も目立つようではあるが、ほんの一部であり集団不適応児などと特別扱いする。
これがいわゆる講義式の日本型一斉授業であり、世界では稀(まれ)な授業形態ともいえ、日本にはティーチングはあるがラーニングが無いといわれる所以(ゆえん)でもある。
しかも国が教育内容から授業時数、教科書までを一律に決めて教員にあてがい、従わなければ罰するという民主主義国家では考えられない教育システムを確立している。
教育現場はこのことによって縛られ、教育の前提である『自由』がなく、教員の創意工夫や自主性は制限される。
更に、突然に不条理な教育の転換が行われても現場は意見を言うことすらできず問答無用と切り捨てられ、追従せざるを得ない。
これが日本の教育の現状である。
一時期、世界の潮流に乗ったかに見えたのも束(つか)の間、日本の教育は世界から取り残されることが決定的になった。
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