折り折りのくらし 86
 さようなら、井上ひさしさん

市川民話の会会員 根岸 英之

 戯曲に小説にエッセイにと、多彩な分野で活躍された井上ひさしさんが、2010(平成22)年4月9日夜、病院から鎌倉の自宅へ帰られたときに亡くなった。75歳だった。昨年から肺がんのため、入退院を繰り返していたものの、新作に向けて筆を執られたとうかがっていたので、11日の朝、ニュースで知ったときには言葉もなかった。

 市川市芳澤ガーデンギャラリーで開催される「米原万里展」の資料調査で、この2月に山形県川西町の遅筆堂文庫におじゃましたときには、同行した市川市文化振興財団の職員に、井上さんのあいさつ文が届いたと、うれしい連絡が入り、3月にこまつ座の舞台「シャンハイムーン」を観(み)に行ったときには、新作「木の上の軍隊」の予告ちらしが配られていたので、回復されたとばかり思っていた。

 訃報に接した2日後の4月13日夜、新国立劇場に舞台「夢の裂け目」を観に赴いた。客席にも舞台にも、井上さんを偲(しの)ぶ空気のようなものが流れていた。ロビーに置かれた記帳台で、井上さんへのメッセージをしたためた。 最後にお元気な姿を拝見したのは、2009(平成21)年6月に、東京・浅草公会堂で行われた「頭痛肩こり樋口一葉」公演のときだった。8月に市川で、ひとみ座の人形劇「ひょっこりひょうたん島」をやること、「よみっこ運動」でお世話になることなどを、手短にお話しした。猫背で腰の低い、親しみやすい姿が忘れられない。

 市川でお会いするときの井上さんは、いつも多忙な予定の合間を縫ってのことだったので、個人的には、用件を手短にお伝えする程度のお付き合いだったが、井上さんの市川に対する思いは、あふれるばかりであった。
市川市生涯学習センターで開催中の「追悼・井上ひさし展」
 井上さんの作品を意識して読むようになったのは、2004(平成16)年2月~3月に、市川市中央図書館で「市川の井上ひさしと永井荷風」、市川市文化会館で「市川の文化人展 永井荷風展」が開催されるに当たっての準備の折りだった。

 荷風作とされる「四畳半襖(ふすま)の下張」という艶本(えんぽん)が、1972(昭和47)年にわいせつ罪に問われたとき、井上さんは、裁判の証言に立ち、次のように証言しているのだった。

〈ぼくも永井荷風が好きで市川に引っ越したくらいでかなり読んでるんです〉
(『四畳半襖の下張裁判・全記録 上』1978年 朝日新聞社より)

 市川を代表する2人の作家が、こんなふうにつながっているのかと知れて、市川の文学の魅力に引き込まれたきっかけにもなった。井上さんは、江戸の戯作者(げさくしゃ)にあこがれており、荷風にその系譜を見ていたのだろう。若いころの井上さんは、浅草のストリップ劇場でコントを書いており、そんな環境も、荷風に重なっていたのだろう。

 永井荷風展の折りには、「私の見た荷風先生」と題する講演で、浅草で見かけたエピソードを面白おかしく語ってくださった。『座談会昭和文学史 第3巻』(2003年 集英社)でも、同様の思い出を読むことができる。

 2005(平成17)年10月から、市川市生涯学習センターに市川市文学プラザができ、井上さんの作品を紹介展示するとともに、さまざまな事業を行っている。現在は「追悼・井上ひさし展」が5月27日まで開催されており、5月1日には「第2回市川・荷風忌」が開かれた。

 井上さんは市川に、芝居ができる劇場と、本格的な文学館ができることを、いつも夢のように語っていた。
 「夢の裂け目」のなかに、こんな歌がある。

〈学問 それはなにか
 人間のすることを
 おもてだけ見ないで
 骨組み さがすこと
 人間 それはなにか
 その骨組みを
 研き 研いて
 次のひとに渡すこと〉

 井上さんが命を託した文学も演劇も、まさにこの営みに他ならないのではないか。

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